聞こえない子をもつ親の掲示板
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[13944] シンポジウムのお知らせ
投稿者:みぃママ
2012年02月01日 (水) 10時48分
東大先端科学技術研究所でこの5日(日)に開かれる聴こえと音楽をテーマにしたシンポジウムのお知らせをいただきました。詳細はURLをご覧ください。申し込みは不要のようです。
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人工内耳・補聴器と音楽とコトバ「聴能、言葉、音楽」
開催日時:2012年2月5日(日)13:00〜17:00
会場:東京大学 先端科学技術研究センター 3号館南大ホール
会場案内:〒153-8904 東京都目黒区駒場 4-6-1
中田隆行(研究者)、丸尾直子(ピアニスト)、大嶋直子(日本聾話学校)、大沼直紀(先端研客員教授)
参加者:聴覚障害教育の教師、聴覚障害児を持つ親、耳鼻科医師、言語聴覚士、人工内耳・補聴器供給者、情報保障支援者、研究者など自由参加(参加費無料)
主催:東京大学 先端科学技術研究センター バリアフリープロジェクト
共催:日本教育オーディオロジー研究会 関東教育オーディオロジー研究協議会 聴覚障害児と共に歩む会トライアングル
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基調講演の北海道の中田先生は、音声認知の心理的側面をご研究の心理学者です。お話伺ったことがありますが、乳幼児への語りかけ(マザーリース)の効果のしくみを解き明かしてくださり、たいへん興味深いお話でした。
[HP]
[13943] 中高生セミナー2011宣伝
投稿者:中高生セミナー実行委員会
2011年12月09日 (金) 13時38分
聴覚障害を持つ中高生セミナー2011(第二弾)のお知らせです!
本企画実行委員長を務めさせていただく、高校2年の桑原 柚(くわはら ゆず)です。
大学生や社会人に協力してもらいながら高校生たちで話し合ってこの企画を設けました!
将来に向かって一歩進むための企画が盛りだくさん!
中高生の皆で集まって、一緒に活動していくことができるのではないかと思っています。
みなさん、ぜひ参加して下さいね!!
さて、気になるテーマは・・・
「学びのHOW TO」
・どうして勉強しなきゃいけないのだろう?
・自分らしさってなんだろう?
そんな疑問をだれもが持っていると思います。セミナーに来てすっきり解消しよう!!
◎日時:2011年12月23日(金・祝)〜25日(日)
◎場所:新大阪ユースホステル(新大阪駅から徒歩10分)
◎参加費:15000円(2泊3日 宿泊費・食費・クリスマスパーティー費用込み!)
※日帰りも可能ですのでお気軽にご相談ください。(下記の連絡先へ)
◎締切:12月15日(木)
(※締切以降でも受け付けている場合もありますのでご連絡ください!)
【メイン企画紹介】
☆記念講演 「自分らしい人生を送るためには?」 講演者:早瀬夫妻
日本各地でご活躍中のお二人による講演です!めったにないチャンスです!
※保護者の方も参加できます。
☆ちょっぴり本格的なクリスマス会
きこえる人きこえない人総勢70名によるクリスマス会!小学生から社会人まで一斉集合!!
☆ワークショップ
映画・スポーツ学・教育・科学の4分野でワークショップ!学校では学べないことが学べるぞ!
※他にも、大学生・社会人講演やディスカッション、スポーツ大会などサブ企画も充実!
詳細(案内パンフレット)送付希望、ご質問のある方は下記の連絡先までご一報下さい。
HPもありますのでご覧ください!!
E-mail manabi@amor-e.net Fax 072-756-7763
[HP]
[13942] 理想と現実
投稿者:とーさん
2011年10月16日 (日) 21時17分
ラビットさん、お返事ありがとうございます。
>「立派な難聴者」というのは、何か特別に人格が優れているとかいうことではなく、「難聴を自覚した」難聴者と言う意味です。
そうですね。私もそう考えています。そして、「難聴の自覚」とは、ラビットさんがおっしゃるように、「音声も手話も自由に操る」「難聴であることをマイナスにとらえない」「社会に対して自分のニーズを要求できる」ことであり、
>音声至上主義、手話至上主義でなく、マルチリンガルな難聴者に・・
なることだろうと思います。
話がちょっとそれますが、大震災のあとの津波被害によって、避難所に逃れた聾者も
難聴者も少なからずおられたようです。聴覚障害があると避難所の生活はいろいろと不便も不利も起こります。それは神戸の時もそうでした。
今回、人づてにきいた話の中で、聾者同士は手話で会話し、自分のことを話し、相手の話をきいて互いに経験や気持ちを共有できたけれど、音声だけに頼っている難聴者は、そうした会話にも入れず、難聴者同士の会話もままならず、補聴器も電池がなくなったり故障しても修理は不可能で、聴者ともコミュニケーションができず、孤立しがちだったという話です。
「音声も手話も自由に操る」ことができるということは、生きる上で、また、QOLを高める上でとても大切なことです。
しかし、「手話も自由に操る」ことができる、ということは、手話を(自分の中で)認めるということであり、
手話を認めるということは、自分は手話を必要とする人間だということを認めることであり、
自分は手話を必要とする人間だということを認めることは、「自分は難聴であることをマイナスにとらえない」ことですね。
しかし、簡単にそうなれるとはとても思えません。それは、難聴が発見された時すなわち、親の落胆した気持ち、医療機関で言われることなど、やはり難聴をマイナスにとらえるところからのスタートであり、聾学校の乳幼児相談に通うようになって、初めて
出会う親同士の中で癒され、あるいは成人聾者・難聴者との出会いの中で、「難聴をマイナスに考えなくともよいのだ」と思えるようになっていくわけですね。
そして、そのような環境の中で育つ子どもが「自分はこれ(難聴・聾)でよいのだ」と思うようになっていくのだと思います。
残念ながら、今の日本の難聴児教育の状況は、そうした教育環境がだんだん変質しているように思います。とりわけ人工内耳が広まり、医療機関が直接、教育に関わるようになってからは、「音声至上主義」つまり手話否定の「聴覚(口話)法」「AV法」が主流になってきて、聾学校に相談に行ったり、在籍することさえ禁ずることがみられるようになってきています。かなしいことですが、そのために親同士の中にも二極分解が起き、時には感情的対立が起きたりしているのが今の聴覚障害児の早期教育、聾学校の現状なのです。
人工内耳も補聴器と同じように補聴のためのひとつのツールと考えればよいのですが、
人工内耳をつけてどう教育するかという方法論のところで、「手話も口話も」という考え方に対して「手話は不要」とする立場があり、後者が日本の医療の主流だということです。
これは人工内耳が欧米からの輸入であり、それに伴ってAV法も入ってきたという事情から起こったことだと思います。もちろんAV法が新しい方法なのではなくて、それは聴覚口話法の延長に位置するだけのことで、「欧米からの輸入」という装いをもって入ってきたことと、「医療」とタイアップしていたことから、新しい方法でなんとなくよさげに思えたということでしょう。「欧米の新しい医療機器(人工内耳)や指導方法(AV法)で、(大学)病院の先生がやることだから・・」という感覚でしょうか。
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