聞こえない子をもつ親の掲示板
聞こえない子をもつ親だけでなく、本人、教育関係者、聴覚障害児教育に関心のある方なら、どなたにも開放しています。
悩みや相談、意見、雑談でもかまいません。 いろんなことを話し合いましょう。 最初の方は自己紹介をお願いします。
**「新生児聴覚スクリーニングでリファー(要再検査)となったお子さんのお母さんと家族の方々へ(改訂版)」**
という小冊子が発行されました。悩まれているお母さん、ぜひ読んで下さい。[ここから読むことができます]
(全国早期支援研究協議会の許可を得てPDF版で掲載しています。)
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東大先端科学技術研究所でこの5日(日)に開かれる聴こえと音楽をテーマにしたシンポジウムのお知らせをいただきました。詳細はURLをご覧ください。申し込みは不要のようです。
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人工内耳・補聴器と音楽とコトバ「聴能、言葉、音楽」
開催日時:2012年2月5日(日)13:00〜17:00
会場:東京大学 先端科学技術研究センター 3号館南大ホール
会場案内:〒153-8904 東京都目黒区駒場 4-6-1
中田隆行(研究者)、丸尾直子(ピアニスト)、大嶋直子(日本聾話学校)、大沼直紀(先端研客員教授)
参加者:聴覚障害教育の教師、聴覚障害児を持つ親、耳鼻科医師、言語聴覚士、人工内耳・補聴器供給者、情報保障支援者、研究者など自由参加(参加費無料)
主催:東京大学 先端科学技術研究センター バリアフリープロジェクト
共催:日本教育オーディオロジー研究会 関東教育オーディオロジー研究協議会 聴覚障害児と共に歩む会トライアングル
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基調講演の北海道の中田先生は、音声認知の心理的側面をご研究の心理学者です。お話伺ったことがありますが、乳幼児への語りかけ(マザーリース)の効果のしくみを解き明かしてくださり、たいへん興味深いお話でした。http://www.normanet.ne.jp/~kantoeaa/
聴覚障害を持つ中高生セミナー2011(第二弾)のお知らせです!
本企画実行委員長を務めさせていただく、高校2年の桑原 柚(くわはら ゆず)です。
大学生や社会人に協力してもらいながら高校生たちで話し合ってこの企画を設けました!
将来に向かって一歩進むための企画が盛りだくさん!
中高生の皆で集まって、一緒に活動していくことができるのではないかと思っています。
みなさん、ぜひ参加して下さいね!!
さて、気になるテーマは・・・
「学びのHOW TO」
・どうして勉強しなきゃいけないのだろう?
・自分らしさってなんだろう?
そんな疑問をだれもが持っていると思います。セミナーに来てすっきり解消しよう!!
◎日時:2011年12月23日(金・祝)〜25日(日)
◎場所:新大阪ユースホステル(新大阪駅から徒歩10分)
◎参加費:15000円(2泊3日 宿泊費・食費・クリスマスパーティー費用込み!)
※日帰りも可能ですのでお気軽にご相談ください。(下記の連絡先へ)
◎締切:12月15日(木)
(※締切以降でも受け付けている場合もありますのでご連絡ください!)
【メイン企画紹介】
☆記念講演 「自分らしい人生を送るためには?」 講演者:早瀬夫妻
日本各地でご活躍中のお二人による講演です!めったにないチャンスです!
※保護者の方も参加できます。
☆ちょっぴり本格的なクリスマス会
きこえる人きこえない人総勢70名によるクリスマス会!小学生から社会人まで一斉集合!!
☆ワークショップ
映画・スポーツ学・教育・科学の4分野でワークショップ!学校では学べないことが学べるぞ!
※他にも、大学生・社会人講演やディスカッション、スポーツ大会などサブ企画も充実!
詳細(案内パンフレット)送付希望、ご質問のある方は下記の連絡先までご一報下さい。
HPもありますのでご覧ください!!
E-mail manabi@amor-e.net Fax 072-756-7763
http://amor-e.net/manabi/pg475.html
ラビットさん、お返事ありがとうございます。
>「立派な難聴者」というのは、何か特別に人格が優れているとかいうことではなく、「難聴を自覚した」難聴者と言う意味です。
そうですね。私もそう考えています。そして、「難聴の自覚」とは、ラビットさんがおっしゃるように、「音声も手話も自由に操る」「難聴であることをマイナスにとらえない」「社会に対して自分のニーズを要求できる」ことであり、
>音声至上主義、手話至上主義でなく、マルチリンガルな難聴者に・・
なることだろうと思います。
話がちょっとそれますが、大震災のあとの津波被害によって、避難所に逃れた聾者も
難聴者も少なからずおられたようです。聴覚障害があると避難所の生活はいろいろと不便も不利も起こります。それは神戸の時もそうでした。
今回、人づてにきいた話の中で、聾者同士は手話で会話し、自分のことを話し、相手の話をきいて互いに経験や気持ちを共有できたけれど、音声だけに頼っている難聴者は、そうした会話にも入れず、難聴者同士の会話もままならず、補聴器も電池がなくなったり故障しても修理は不可能で、聴者ともコミュニケーションができず、孤立しがちだったという話です。
「音声も手話も自由に操る」ことができるということは、生きる上で、また、QOLを高める上でとても大切なことです。
しかし、「手話も自由に操る」ことができる、ということは、手話を(自分の中で)認めるということであり、
手話を認めるということは、自分は手話を必要とする人間だということを認めることであり、
自分は手話を必要とする人間だということを認めることは、「自分は難聴であることをマイナスにとらえない」ことですね。
しかし、簡単にそうなれるとはとても思えません。それは、難聴が発見された時すなわち、親の落胆した気持ち、医療機関で言われることなど、やはり難聴をマイナスにとらえるところからのスタートであり、聾学校の乳幼児相談に通うようになって、初めて
出会う親同士の中で癒され、あるいは成人聾者・難聴者との出会いの中で、「難聴をマイナスに考えなくともよいのだ」と思えるようになっていくわけですね。
そして、そのような環境の中で育つ子どもが「自分はこれ(難聴・聾)でよいのだ」と思うようになっていくのだと思います。
残念ながら、今の日本の難聴児教育の状況は、そうした教育環境がだんだん変質しているように思います。とりわけ人工内耳が広まり、医療機関が直接、教育に関わるようになってからは、「音声至上主義」つまり手話否定の「聴覚(口話)法」「AV法」が主流になってきて、聾学校に相談に行ったり、在籍することさえ禁ずることがみられるようになってきています。かなしいことですが、そのために親同士の中にも二極分解が起き、時には感情的対立が起きたりしているのが今の聴覚障害児の早期教育、聾学校の現状なのです。
人工内耳も補聴器と同じように補聴のためのひとつのツールと考えればよいのですが、
人工内耳をつけてどう教育するかという方法論のところで、「手話も口話も」という考え方に対して「手話は不要」とする立場があり、後者が日本の医療の主流だということです。
これは人工内耳が欧米からの輸入であり、それに伴ってAV法も入ってきたという事情から起こったことだと思います。もちろんAV法が新しい方法なのではなくて、それは聴覚口話法の延長に位置するだけのことで、「欧米からの輸入」という装いをもって入ってきたことと、「医療」とタイアップしていたことから、新しい方法でなんとなくよさげに思えたということでしょう。「欧米の新しい医療機器(人工内耳)や指導方法(AV法)で、(大学)病院の先生がやることだから・・」という感覚でしょうか。
とーさん、コメントをありがとうございました。
「立派な難聴者」というのは、何か特別に人格が優れているとかいうことではなく、「難聴を自覚した」難聴者と言う意味です。
その意味では、ろう学校(特別支援学校)で、「音声も手話も自由に操る」「難聴であることをマイナスにとらえない」「社会に対して自分のニーズを要求できる」難聴児が育つのは良いことです。
音声至上主義、手話至上主義でなく、マルチリンガルな難聴者になって欲しいと思います。
アメリカの大学でオージオロジー学を専攻している難聴女子学生もいます。
筑波大学大学院で、難聴児の支援教育を先行している難聴院生もいます。
アメリカの大学院でオージオロジーとカウンセリングをおさめた難聴カウンセラーもいます。
彼女は、職業リハビリテーションVRの資格も持ち現在ハワイの大学で障害学生カウンセラーをしています。
補聴器装用者で、補聴器技能者の資格にチャレンジしている難聴者もいます。
スーパー難聴者の出現が社会にどのような影響を与えるのか、先に人工内耳と補聴器の
普及した海外に見てみたいと思います。
来年は国際難聴者会議がノルウェー、ベルゲンであります。
> こんにちは。初めまして。ハンドルネームはとーさんとでもしておきます。聴者です。
> ラビットさんがおっしゃるように、これまで難聴児は、「きこえる」という理由で(多くは身体障害者手帳をもたない)、通常の学校に入ることが多かったと思います。しかし、それは勉強や友だち関係で、現実には非常に厳しい環境におかれるということでした。確かに難聴学級という支援をしてくれる学級もありますが、それとて教員の資質はバラバラ、難聴者が難聴学級の担任であることはまれで、しかも全ての授業がそこで行われるわけでもありませんし、原学級での授業に情報保障が全てつくわけでもありません。「立派な難聴者になる」という教育が行われているという話もきいたことがありません。一人一人は皆悩んでいても、問題の解決は容易でなく、多くの子たちは結局は悩みをもちつつも「あきらめる」という繰り返しがこれまでの学校教育だったのではないでしょうか?
>
> しかし、聾学校にも難聴児はいます。聾学校では最近は口話と手話を併用している学校が一般的で(そうでない学校もありますが)、そこでは子ども同士は手話でコミュニケーションをしています。そこにいる難聴児は特段、自分たちは聾者とは違うという意識をもっているわけでもなく、聾のコミュニティーに自然に入りつつ、しかし、音声も使えるという便利さを自分たちはもっているということを知っており、自然に使い分けていることが多いと思います。
>
> 考えてみれば、難聴(たとえば40デシベルや50デシベルだが補聴器を必要とする人)だからインテグレーションということにこだわる必要もなく、聾学校で、「立派な聾者になる」あるいは「立派な難聴者になる」という教育が行われればそれはそれですばらしいと思いますし(実際にはそんな理想も気概をもった教員は少ないけれど)、おそらくそのほうが一人一人孤独な環境におかれ、難聴児集団も手話も学ぶ機会のないインテグレーション下よりも、ことばも心も育つのではないかと思います。これは、人工内耳装用児も同じことだと思いますがどうでしょうか?
> http://blog.goo.ne.jp/hearingrabbit
修子さん、こんばんは
補聴器は交付されない聴力なのですね。なんとかできるといいですね。
自治体によっては、軽度・中等度難聴でも補聴器購入に補助が出るところもあるようですがそれもないということなのですね。
医療にお金がかかるって本当に大変ですよね。
とくに命に関わるものには、お金を出し渋るわけにはいかないしつらいですね。
ただ、補聴器でも最近のデジタル補聴器は、安くても性能のよいのがありますから
うまく合うといいですね。
矛盾してますね。今や人工内耳は、両耳装用で全て健康保険が適用されますからね。
2つで800万円!? 2つつけても効果が2倍になるわけではないですし(リスクは2倍ですね)、命に関わることでもありません。効果が実証されているわけでもマッピング技術だってまだまだ未開発。
その一方で、軽度中等度では、補聴器に一円も出ない。基本的に自己負担。この国はどうなっているのだろうって正直思います。
初めまして、高音のみ難聴の息子を持つ母です。3000あたりからぐっど聞こえなくなり、補聴器を検討しています。小児がんサバイバーで、抗がん剤の影響で聞こえなくなりました。同じ小児がんのお母さんたちは、聴力障害くらいっていう感じです。命あってっという戦いをしてきたので、言わんとしてることはわかるのですが、聴覚障害で不自由をするのは、本人です。本人が補聴器ですこしでも生活の質が上がるなら使いたい。でも、制度の狭間のグレーゾーンなんです。
なにか、いい方法はないですか?
まずは補聴器を手にしたいです。そして今後ずっと続けるものですから・・・
他にもいろいろ晩期合併症と呼ばれる障害を抱えることになります。ですが
文明の利器で、過ごしやすくなるなら手にしたい・・・
どうにもならないことは仕方にないが・・・・
何とかなることは、何とかしたい。今後息子はお金のかかる体になりました。
本人が自立したときには、せめて自費っていうグレーゾーンをなくしたい。
そう願い、今模索してます。
現在補聴器試聴中。かなりいい感じです。
こんにちは。初めまして。ハンドルネームはとーさんとでもしておきます。聴者です。
ラビットさんがおっしゃるように、これまで難聴児は、「きこえる」という理由で(多くは身体障害者手帳をもたない)、通常の学校に入ることが多かったと思います。しかし、それは勉強や友だち関係で、現実には非常に厳しい環境におかれるということでした。確かに難聴学級という支援をしてくれる学級もありますが、それとて教員の資質はバラバラ、難聴者が難聴学級の担任であることはまれで、しかも全ての授業がそこで行われるわけでもありませんし、原学級での授業に情報保障が全てつくわけでもありません。「立派な難聴者になる」という教育が行われているという話もきいたことがありません。一人一人は皆悩んでいても、問題の解決は容易でなく、多くの子たちは結局は悩みをもちつつも「あきらめる」という繰り返しがこれまでの学校教育だったのではないでしょうか?
しかし、聾学校にも難聴児はいます。聾学校では最近は口話と手話を併用している学校が一般的で(そうでない学校もありますが)、そこでは子ども同士は手話でコミュニケーションをしています。そこにいる難聴児は特段、自分たちは聾者とは違うという意識をもっているわけでもなく、聾のコミュニティーに自然に入りつつ、しかし、音声も使えるという便利さを自分たちはもっているということを知っており、自然に使い分けていることが多いと思います。
考えてみれば、難聴(たとえば40デシベルや50デシベルだが補聴器を必要とする人)だからインテグレーションということにこだわる必要もなく、聾学校で、「立派な聾者になる」あるいは「立派な難聴者になる」という教育が行われればそれはそれですばらしいと思いますし(実際にはそんな理想も気概をもった教員は少ないけれど)、おそらくそのほうが一人一人孤独な環境におかれ、難聴児集団も手話も学ぶ機会のないインテグレーション下よりも、ことばも心も育つのではないかと思います。これは、人工内耳装用児も同じことだと思いますがどうでしょうか?
http://www.soukisien.info/archives/gpublication/
【情報提供】子どもを対象にした聴覚補償の専門家の集まる勉強会があります。
ラビット
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きっともっとずっと聴こう!3
聴覚障害児教育を考える親と専門家の集い
http://bit.ly/n4qyQc
11月5-6日、大阪のど真ん中、日本橋にて開催!
今回は声援隊のスピリットに賛同くださった大阪市浪速区民生委員会日本橋支部および大阪市立日本橋小学校PTAとの共同主催がかないました。聴覚障害児をもつご家族・医療と療育に関わる専門家のための講演やワークショップの他、一般のみなさんに聴覚障害について、聴覚障害児との関わりについて学んでいただく機会とするため、さらに多彩なプログラムをご用意しました。ご期待ください!
【声援隊】は、聴覚障害をもった子どもたちの家族と、言語聴覚士・医師などのサポーターのグループです。聴く力を伸ばしてあげることで言語力・思考力を育て、社会の一員として自立できるように育ってほしいと願い、さまざまな分野のプロフェッショナルを巻き込んで勉強会をしています。
【きっともっとずっと聴こう!】 は年に一度の全国規模の【声援隊】勉強会です。
テーマ
ことばとこころ
ことばは「こころの窓」
ことばは「こころの糧」
聞こえはこころと密接につながっています。そしてこころとことばはいっしょに育ちます。聞こえにくい子どもたちのこころも、ちょっぴり気をつけてあげながら広く大きく育ててあげたいですね。好奇心でいっぱい、たくましく、しなやかで、でもとっても繊細な小さなこころに寄り添うため、私たちには何ができるのでしょう?
主催:大阪市浪速区民生委員会日本橋支部、大阪市立日本橋小学校PTA、声援隊
後援(予定):長崎ベルヒアリングセンター、(社)日本補聴器販売店協会、人工内耳友の会[ACITA]http://blog.goo.ne.jp/hearingrabbit
きくさん、初めまして。コメント拝見しました。
全く私と同じ道を歩まれています。
難聴であることの社会的な意味、コミュニケーションの多様性、聴覚補償のいろいろな方法、福祉制度を含む社会資源の利用する権利、障害の自己理解と自己評価(セルフ・エスティーム)の向上の必要性、難聴者協会などのセルフヘルプグループの存在と役割など、難聴の障害を持った人が難聴者になるために必要なことを学ぶ機会が学童期、学生時代、就労した成人期を通じてありませんでした。
これがろう学校でコミュニティを持つろう者との違いです。
難聴者が難聴者としての誇りを持って生きることを先輩の方からぜひ学んで欲しいと思います。
近くで、難聴者の組織の大会がありますので、よろしければお問い合わせ下さい。一日だけの参加も可能です。
2011年10月8日、9日 第6回全難聴九州ブロック難聴者福祉大会in北九州&北九州市難聴者・中途失聴者協会設立30周年記念大会 (北九州市障害福祉情報センター)
http://bit.ly/n56Ro7 半角で入力して下さい。http://blog.goo.ne.jp/hearingrabbit
はじめまして。
私は先天性感音性難聴です。高校から徐々に、そして明らかに聴力が落ちてきて、今は2級になりました。
私は小さい時から聾学校に通った経験は全くありません。
ただ療育センターと言葉の教室に通って、しゃべってもなかなか難聴とは気づかれないくらいまでになりました。
幼稚園、学校は健聴者の兄と全く一緒の学校に通っていました。高校も地元では3番目くらいの進学校に通わせてもらいました。
今福岡県の国立大学に現役合格し、学校生活を楽しんでいます。
大学に合格し、手話の会などで自分以外の聴覚障害者と初めて親しくなりました。
そこで思ったことは、もっと小さい時から自分以外の聴覚障害者と触れ合っておきたかった。ということです。
小、中、高で耳のことで何度も何度も悩み、泣きました。
でも、聞こえないのは自分だけだから、本当の苦しみは親でさえ分かってくれないんだと一人で苦しんだ時期もありました。
本当に、大好きな人でも、血がつながった親子でも、どれだけ近い存在でも、
ただ、”難聴”という、それだけで、生きている世界が全く異なってくるのです。
聾でもない。健聴でもない。難聴なんです。
難聴は人によって全然異なってくるからなかなかピンときません。
それでも、一人くらい、自分と同じ聴覚障害を抱えていて、同じ悩みを持っている人が近くにいれば、悩みを打ち明けることもできるし、心が軽くなります。
長々とすみませんでした。
これが、難聴者である私の本音です。
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