[13615] Re[13612][13609][13606][13603] 投稿者:arata 投稿日:2007年12月26日 (水) 20時09分

> それから、下のほうでFM補聴器、FMシステム?の質問をされている方がいますが
> arataさんは使ったことないのですか?

小学校の時に現物を手にしていた記憶はあるのですが、どうだったか全く覚えて
いないのです。多分、補聴器をつけて前の方の席に座るだけで私の場合は十分
だったので、継続して使うことはなかったのではないかと思います。


[13614] ととさんへ 投稿者:なお 投稿日:2007年12月26日 (水) 13時27分

参考になりました。ありがとうございます。
私自身、難聴ですが何のフォローもない中で生活してきました。特に不自由を感じた記憶はないけれど、息子は言葉が周りの子程上手ではないので、心配はあります。難聴学級に通ったり、情報収集の場は作っているつもりですが、地域の学校の先生にどの程度理解をして貰えるかは今から不安に感じています。
そうした不安も含めて、聾学校という選択もして体験もしましたが、「小学校になると中度レベルの子はいない、これ位のレベルだと普通学校に行った方がいい」と先生方皆に言われました。「聾学校に来ると出来ている子と見なされて逆にほっとかれてしまい伸びない」とも言われました。とても複雑です。難聴児は、普通学校に行っても、聾学校に行ったも中途半端な立場なのかなぁと思いました。


[13613] Re[13604]: 教えてください 投稿者:ととさん 投稿日:2007年12月26日 (水) 11時23分

FM補聴器は、ワイヤレスのマイクとイヤホンの関係になります。 通常、中度難聴の場合、
静かな部屋で1対1の場合ならば、ある程度の聞き取りが出来ると聞いていると思います。 
教室で、この状況を作るのは、困難ですから、教師にFMマイクを付けてもらい、FM受信機付き
の補聴器で聞けば、聞き取りは、かなり改善されます。

ただし、この場合、マイクを付けている教師の声しか聞こえません。FM補聴器の機能として、
通常の補聴器に付いているマイクでの音と、FM受信で聞こえる音のバランスを取るボリューム
が付いていますが、FMからの音を聞く時は、補聴器のマイクの音は雑音になりますし、周りの
子供の声を聞きたい場合は、補聴器のマイクの割合を上げないと聞こえません。当然、この時
FMマイクからの音は小さくなります。

ですから、担任教師と話し合って、ルールを作る必要があります。通常は、教師にマイクを
持ってもらいますが、子供の発言時は、その子にマイクを渡す。(マイクを2つ用意するのも
方法です)など、その子に合った(教師や周りの子も協力が得られる)方法を話し合って下さい。

なおさん、地域の学校に子供を通わせる場合は、このようなフォローは誰もしてくれません。
難聴学級がある場合は、その担当の先生が相談相手となりますが、その教師も難聴について
十分な知識を持っていない場合が多々あります。 つまり、親がフォローしないければ、子供
は情報保証の無い状況になりかねません。このような状態にならない為にも、事前の話し合い
や、入学後も常に担任や、難聴に詳しい先生と連絡を取り合い、子供が安心して教育が受けら
れる環境を作って下さい。


[13612] Re[13609][13606][13603] 投稿者:nog 投稿日:2007年12月26日 (水) 08時39分

> その様な状況にないためそこまで想定して答えるのは難しいです。その様な状況になれば
> 徹底的に調べて答えが出ると思いますが、今は無理ですね。ご容赦下さい。
>

回答ありがとうございました。
具体的な答えを聞けなかったのは残念ですが、個人的にはとても参考になりました
ありがとうございました。

それから、下のほうでFM補聴器、FMシステム?の質問をされている方がいますが
arataさんは使ったことないのですか?


[13611] Re[13610][13608][13605]: arataさんへ 投稿者:arata 投稿日:2007年12月25日 (火) 23時32分

新米ママさんが選択権を否定していないことは分かっていました。そこまで丁寧に
書かなくて済みませんでした。私の書いたことは他の方の書き込みから感じたこと
です。どんな選択であれ真剣に考えたわけですから、成功することを祈っています。


[13610] Re[13608][13605]: arataさんへ 投稿者:新米ママ 投稿日:2007年12月25日 (火) 22時40分


> 人工内耳適応者であっても手話を学ぶのが当然という考えに疑問を感じただけなんです。

いやいや、むしろ、世の中では、乳幼児期の早期の段階で人工内耳を装用した子供で、手話を学んでいる子供(もしくは、手話を学ぼうとしているその親)のほうが少ないのではないでしょうか。(すみません、これは想像です)

ただ、私は、親の責任で子供に人工内耳を選択した立場として、子供が人工内耳をした場合と、しなかった場合で、本人がもつすべての可能性を1%も狭めたくない、と考えているだけです。したがって、将来、本人が手話を選択しない又は同障の人たちを求めないというのなら、それは本人の選択であり、全く自由であると思っています。しかし、男の子なので、中学生になるぐらいまでは、親の意思でなんとでもなる、つまり、手話や同障の人達と交わる機会などを意図的に与えることも与えないことも、親の選択でなんとでもなる、と考えているわけです。(なお、前の繰り返しになりますが、現在は、日本語の獲得を重視していますので、日常的には、お風呂などを除き、手話は使用していません。)

なんか、わかりにくい文章になってしまいましたが、すみません。


[13609] Re[13606][13603] 投稿者:arata 投稿日:2007年12月25日 (火) 20時07分

> これで最後の質問にします、あなたのお子さんやお孫さんが両耳-100デシベル以上の
> 難聴で生まれてきたとした場合、どのような方針でそだてられますか?
> (感音性難聴、補聴器使用で低音域のみ-80デシベルまでくらい)

その様な状況にないためそこまで想定して答えるのは難しいです。その様な状況になれば
徹底的に調べて答えが出ると思いますが、今は無理ですね。ご容赦下さい。


[13608] Re[13605]: arataさんへ 投稿者:arata 投稿日:2007年12月25日 (火) 20時05分

> arataさんの文面を読んでいると、手話の食べず嫌いというか、経験したことがないのに、毛嫌いしているというか、、、別にそこまで嫌わなくても。。。と不思議に思ってしまいます。
>

私は手話を毛嫌いしているのではありません。人工内耳適応者であっても手話を学ぶのが
当然という考えに疑問を感じただけなんです。ご本人や保護者の方が熟慮の上で学ぶと
決められたのならなんら問題はないと思います。学ばないという選択肢も当然あるよね
と言うだけなんです。


[13607] 亡霊 投稿者:風の又三郎 投稿日:2007年12月25日 (火) 19時56分

「あるてネット」の亡霊が、「議論のための議論」(ティベート)を楽しむために、此所へ来ているとは困ったものです。こういう方を世間は「KY」というんですよね。いや、独り言でした。すみません。


[13606] Re[13603] 投稿者:nog 投稿日:2007年12月25日 (火) 01時41分

arataさん回答ありがとうございました。
本人次第とのことで、聞こえないのと、聞こえにくいのは努力次第の多少の差であると
解釈しているということですね。

これで最後の質問にします、あなたのお子さんやお孫さんが両耳-100デシベル以上の
難聴で生まれてきたとした場合、どのような方針でそだてられますか?
(感音性難聴、補聴器使用で低音域のみ-80デシベルまでくらい)


[13605] arataさんへ 投稿者:新米ママ 投稿日:2007年12月25日 (火) 00時49分

arataさんの文面を読んでいると、手話の食べず嫌いというか、経験したことがないのに、毛嫌いしているというか、、、別にそこまで嫌わなくても。。。と不思議に思ってしまいます。

難聴児の集まりに行ったことがありますか?そして、集団の中の人工内耳の子供を見たことがありますか?私の子供は、人工内耳を装用し、まだ3歳3ヶ月と小さいですけれども、ある程度大きくなっても、集団の中の(音声のみの)言葉をどれぐらい聞き取り、それを理解するのかは、「?」です(「はーい、みなさん、今からゲームの説明をしますよ〜」みたいな)。

手話や身振り、読話や音声、いろいろな方法を駆使してコミュニケーションをとっている難聴児同士を見ていると、うちの人工内耳装用児は、大きくなったとき、この仲間に入れるのだろうか、と思います。人工内耳を装用し、相互に音声でコミュニケーションをとれるようになったことは、親として喜びですし、子供に人工内耳を装用したことに対して全く後悔はありません。しかし、同時に、将来、子供が聴覚障害者であるにも関わらず、同じ障害をもつ者同士でコミュニケーションできなければ、さみしいことなのではないか、と思うのです。親に聴覚障害がない場合、子供の聞こえ(又は聞こえなさ)は体験できませんから、同障の仲間がいて、そこで気持ちを分け合うこともあるのではないか、と思っているのです。
手話の勉強に時間を割いて、学科の勉強ができないのではないか、というarataさんのご心配については、私は楽観視していて、小さい頃から、難聴児の集まりやキャンプなどに遊びとして積極的に参加させることで、手話なり、身振りなり、難聴児同士のルールを肌で学べるのではないか、と。手話手話!!と難しく考えずとも、コミュニケーションの幅を広げると考えればいかがでしょうか?


[13604] 教えてください 投稿者:なお 投稿日:2007年12月25日 (火) 00時28分

皆さんに教えて貰いたいのですが、息子は中度難聴です。小学校は地域の小学校を考えています。授業では、FMマイクというのを使うと良いと聞いたのですが、詳しい事がわかりません。FMマイクの良い所と悪い所を出来るだけ沢山教えて頂きたいのです。経験のある方、宜しくお願いします。


[13603] Re[13602][13601][13600][13599][13598]: ちょっと質問です 投稿者:arata 投稿日:2007年12月24日 (月) 21時44分

nogさん、いつも丁重なコメントありがとうございます。見習わないといけませんね。

> 迷惑じゃなければもうひとつ質問させてください。
> 聞こえないで育つのと聞こえにくいで育つのは多少の差でしょうか、それとも
> 全く別のことでしょうか?

私は聞こえないで育つと言うことの実態を把握できないので、正直分かりません。
想像の世界で書いてみます。

音声会話が成り立つかどうかが違いを作ると思います。成り立たなければ、限られた
範囲でしか情報が入ってきません。別に聞きたくもないし、聞いて意味があるのかも
分かりませんが、電車内の酔っぱらいの迷惑な独り言も、聞こえるのと聞こえないのとでは
大人になったときにやはり違いは出てくるような気がします。これが大きいことなのか
小さいことなのかは正直分かりません。

ただ私の少ないご縁を持った聞こえない方との会話においては、特に違和感を感じる
事はなかったので、私生活においては本人次第だと思います。


[13602] Re[13601][13600][13599][13598]: ちょっと質問です 投稿者:nog 投稿日:2007年12月24日 (月) 19時34分

arataさんくわしい回答ありがとうございました。
今度は少しすっきりしました、わたしの個人的な疑問に答えてもらって感謝します。

迷惑じゃなければもうひとつ質問させてください。
聞こえないで育つのと聞こえにくいで育つのは多少の差でしょうか、それとも
全く別のことでしょうか?


[13601] Re[13600][13599][13598]: ちょっと質問です 投稿者:arata 投稿日:2007年12月24日 (月) 17時31分

nogさん

今困っていてとにかく情報がほしいという人ももちろんこの掲示板に参加するでしょう。
どちらかというとそういう人が大半だと思います。そういう人からすると私はなぜ
ここに来るのかと思われるのだと思います。

私は好奇心がすごく強い人間です。新聞も時間があれば自分に無関係であっても
全て読みます。そういう私からすると自分とは種類が違っても難聴を話題にしている
掲示板には関心を持つわけです。


[13600] Re[13599][13598]: ちょっと質問です 投稿者:nog 投稿日:2007年12月24日 (月) 14時15分

arataさん回答ありがとうございます。
いまいちすっきりできませんでした。


[13599] Re[13598]: ちょっと質問です 投稿者:arata 投稿日:2007年12月24日 (月) 10時11分

> arataさんに質問です
> 聞こえる社会で不自由はないそうですが、何ゆえここに?
> 具体的に回答してもらえるとすっきりします。

広い意味で難聴だと言うことで関心を持ってきました。


[13598] ちょっと質問です 投稿者:nog 投稿日:2007年12月24日 (月) 08時49分

arataさんに質問です
聞こえる社会で不自由はないそうですが、何ゆえここに?
具体的に回答してもらえるとすっきりします。


[13597] Re[13596][13594][13593][13585]: 質問の意味 投稿者:arata 投稿日:2007年12月24日 (月) 00時58分

> 同じ第二言語でもマジョリティの英語習得は奨励され、マイノリティの手話は
> 排除の構図は偏った社会といえないだろうか?

お気持ちは分かります。しかし私が問題と感じたのは人工内耳適応者に限定して書かれて
いるように感じたからです。難聴に生まれた人だけが、手話を学ぶという過負荷を
課されなくてはならないのでしょうか。義務教育に組み込み全ての人が学ぶのなら
一つの考えですし理解できます。人工内耳の適応訓練や適応後も管理の手間を
課せられている人が、さらに健聴者が学ばない手話を課せられては不利が拡大します。

障害者が第一に目指すべき事は、生活の自立です。当座必要のないことまで無理に
学ぶ時間があるなら(興味を持ち趣味として自発的にやるのは構いません)他に
やることはいくらでもあるはずです。

多分、折角手話に接点を持ったのだから辞めないで続けてほしいという、素朴な気持ち
なのでしょうが、軽度とはいえ難聴である私からすると当事者の負担を無視した理想論に
感じます。豊かになりたい途上国の人に豊かさは諦めて自然を守って下さいと、我々が
言うのと同じような気がします。


[13596] Re[13594][13593][13585]: 質問の意味 投稿者:しずか 投稿日:2007年12月23日 (日) 23時37分

> 但し前提に人工内耳でほとんど不自由しないと考えているというのがあります。
>>人工内耳が障害のない人と完全に同じではないとしても、日常生活を手話を使わず
>>に過ごすのであれば、学ぶ必要はありません。大半の人は使えないわけですしから。

人工内耳装用する前に手話・指文字を使っていたならそのまま使ってもよいが、発語、
読み書きが出来るようになってから、新たに覚えることはない、と考えている医師や
STさんはいますね。
同じ第二言語でもマジョリティの英語習得は奨励され、マイノリティの手話は
排除の構図は偏った社会といえないだろうか?
今後もなんとしても聞こえない子(人)は存在します。
積み残して発車オーライは、競争社会の行きすぎの象徴のように思えてならない。
現在、人工内耳が不適応の場合に脳幹インプラントの研究が行われています。又、
水面下で内耳再生医療の研究も進んでいるようです。まだ、臨床応用されるかは
分からないですが。
このような研究と同時に、
弱い立場の子(人)たちも取り残されることなく社会参加できる環境を考えること
ももう一方の軸として大切ではないかと思うのです。競争、共存という言葉を
使ったのもこのような意味においてです。

医学、工学の進歩は早く、ろう教育もこれらに絡み、非常に複雑な問題を内包して
いてちっとやそっとでは寄り付けない。

直感的に、手話を覚えて使えるならそれもいいのではないでしょうか?


[13595] 比較検証のことなど 投稿者:沈める寺 投稿日:2007年12月22日 (土) 19時43分

 ととさん
 みぃママさんの13日のご質問[13558]については、私も似たような疑問があり、ととさんのご回答を待って何かあれば書き込もうかなと思っていたところですが、現時点で幸か不幸かご回答がありませんので、連休のひまに乗じて私からも一言触れさせていただきます。

 “聞えない子のバイリンガル”と“かなり聞えている子の聴覚口話”でのリテラシー
獲得を比較する意味は無いとありますが、そもそも何のために比較するのかというと現在の/今後の子供たちのためではないかというのが私のその前の問いの趣旨でした。
 そうすると、聞こえていないことがわかった子供についてどういう方法で育てていくのかを考える際に、「聞こえない子」、「かなり聞こえている子」というのは補聴(人工内耳でも補聴器でもよいのですが)前の聴力で考えることになるはずです。例えば、110デシベルの子供が人工内耳で言葉が聞き取れるようになった場合、その子は「聞こえない子」、「かなり聞こえている子」のどちらになるのでしょうか。私の理解は「聞こえない子」です(もし「かなり聞こえている子」となるのであれば、考え方として矛盾が生ずるはずです。)。
 もちろん50デシベルの子を聴覚口話法で教育する場合と110デシベルの子をバイリンガルろう教育で教育する場合とを比較する意味はあまりないと思いますが、110デシベルの子を人工内耳・補聴器を使用して聴覚口話法で教育する場合とバイリンガルろう教育による場合を比較検証し、広く情報提供する意味は大きいはずです。「“聞えない子のバイリンガル”と“かなり聞えている子の聴覚口話”でのリテラシー獲得を比較する意味は無い」という言い方では、今の2例の違いをあいまいにしてしまいます(金澤貴之氏あたりが知れば喜んで使いそうな便利なフレーズではあると思います。)。

 お忙しいでしょうから、時間があるときにみぃママさんあて回答される際に、上記のような趣旨も踏まえてご回答いただければありがたいです。

 なお、私がこの点についてこだわるのは、比較可能な分野についての情報開示が進んでいないことこそ、ろう教育界(聴覚口話法であれ手話法であれ)に幅広く見られるパターナリズム(簡単に言えば、「学校の言っているとおりにすればいいのだ」という態度)と表裏一体ではないかという問題意識によるもので、ろう教育を少しでもよくしたいという想いからです。ととさんを困らせようなどという意図は全くない(これは多分みぃママさんも同じだと思いますが)ことを付言しておきます。

 では、どうぞよいクリスマスを。


[13594] Re[13593][13585]: 質問の意味 投稿者:arata 投稿日:2007年12月22日 (土) 00時21分

誤解があるようなので、説明させて下さい。

但し前提に人工内耳でほとんど不自由しないと考えているというのがあります。
ここは対面なら問題ないと言われている方が、ある程度の年齢にならないと、
答えは出ないと思います。この前提はご理解下さい。

> ハンディを持ちながら健聴者と互角に生きていこうとするのは<競争>ですね。
> 一方、仲間として同障者と交流していこうとするのは<共存>です。
> 競争と共存、バランスよく生きていくのがノーマルでしょう。

軽だからなのかも知れませんが、健聴者は競争相手で共存相手はないという発想に
驚きました。私は過去の書き込みで分かるようにネットの世界を除けば健聴者の
友人しかいません。学生時代はもちろん健聴者とクラブ活動を共にするなどそういう
世界で生活してきました。100%を求められる仕事の世界ではないので、何のストレスも
なく普通に共存してきました。そもそも人は障害の有無に関係なく時に競争し時に
共存します。就職を障害者枠でする人ならむしろ障害者が、競争相手です。

最初の前提で考えているので、ことさら区別すれば健聴者と違いはあるが日常生活に
おいては区別するほどではないという発想です。しずかさんは、人工内耳をつけても
越えられない一線があり遊びのレベルでもそれは意識させられると言う事なのでしょう。

> もちろん手話は使いたくないならそれはあなたの自由ですが、「日常生活を
> 手話を使わずに過ごすのであれば、学ぶ必要はありません。」と、あなただけ
> 又は一部の人だけに通用する偏った見方を全体であるかのように言うのは
> どうかなと思います。ご一考ください。

私には逆に日常生活に必要なくても手話を学べそれが当たり前だと言われている
ように感じました。当人の自由選択だお考えなら私の誤解か、説明不足の
どちらかでしょう。私には何とも言えません。


[13593] Re[13585]: 質問の意味 投稿者:しずか 投稿日:2007年12月21日 (金) 23時32分

軽いとはいえ、難聴のハンディを持ちながら一所懸命生きてこられたことは
よくわかります。ただ、独特な人生観を持っている人だなと感じます。

>人工内耳が障害のない人と完全に同じではないとしても、日常生活を手話を
>使わずに過ごすのであれば、学ぶ必要はありません。大半の人は使えないわけ
>ですから。

ハンディを持ちながら健聴者と互角に生きていこうとするのは<競争>ですね。
一方、仲間として同障者と交流していこうとするのは<共存>です。
競争と共存、バランスよく生きていくのがノーマルでしょう。
もちろん手話は使いたくないならそれはあなたの自由ですが、「日常生活を
手話を使わずに過ごすのであれば、学ぶ必要はありません。」と、あなただけ
又は一部の人だけに通用する偏った見方を全体であるかのように言うのは
どうかなと思います。ご一考ください。


[13592] Re[13591][13590][13586]: 医療は日進月歩ですが 投稿者:しずか 投稿日:2007年12月21日 (金) 22時58分

>私は「生まれつき聞こえない子供」の事を前提に話をしています。中途失聴の
>方々とは当然問題の根っこが違いますよね。

下記の文面の、<軽度難聴から中等度難聴の方>とありましたからてっきり
大人の場合と読み違えました。 失礼しました。
文字だけのやり取りも難しいものがあります。


>>少人数での対面の会話に不自由しない軽度から中等度難聴の方、また人工内耳で


[13591] Re[13590][13586]: 医療は日進月歩ですが 投稿者:れんこん 投稿日:2007年12月21日 (金) 02時28分

しずかさん、
私は「生まれつき聞こえない子供」の事を前提に話をしています。中途失聴の方々とは当然問題の根っこが違いますよね。
また、成人してから手話を学ぶ困難は、私自身本当に身に沁みています。だからこそ、聞こえない我が子には「習うより慣れろ」が通用する幼いときから、手話の環境を用意してやりたいと願ってきました。手話を学習の対象として「教えた」事はありません。
その辺りを加味してお考えいただければと思います。


[13590] Re[13586]: 医療は日進月歩ですが 投稿者:しずか 投稿日:2007年12月21日 (金) 00時02分

>手話・サイン併用に前向きな所もあると聞きますが、逆にそうでない所も
>あるのでは?

幼い人工内耳装用児に、事前に手話、指文字、サイン習得が有効であることが
分かってきて、力を入れている病院が増えていると思います。もう少し長い目で
見ていてください。

> 私の立場からは、少人数での対面の会話に不自由しない軽度から中等度難聴の方、
また人工内耳でそういう状態になっている場合でも、健聴者になれるわけではない
のだか>ら、本人の人生を豊かなする為にも、やはり手話は大切だと言いたいです。

中途失聴者サイドから。
まず、たやすく手話は覚えられない。手話サークルに通いましたが、健聴者とろう
の人の交流の場であって途中で聞こえなくなった者にはそれこそ居場所がない。
指文字だけは何とか覚え、家で夫に伝授を試みましたが指は動かず、およそ覚える
気はなく諦めました。いうまでもなく同じ言語を相手も知らなければ会話は成り
立たない。周りが手話を知らなければ折角習得しても役に立たないのです。今も
片言手話にとどまっています。聞こえない間どうしていたかはこちらは話せます
から相手方筆談です。ろうの人たちとの会話も手話が通じなければやはり双方向
筆談になります。
中途失聴者の基調言語は幼いころより使っていた日本語音声で、手話を使うと
しても第二言語になり、第一言語(母国語)習得年齢よりは緩やかですが暦年齢が
関係してきます。ですから、手話関係者が思うほど手話習得は簡単ではないのです。
現在、日本の中で(否世界的に)、ろうの人と、中途失聴・難聴者と2系統あるのも
基調言語の違いによります。

>聞こえずに生まれた我が子をどう受け入れるかは、これからも新たに誕生する
>聞こえない赤ちゃんがいる限り、ずっと続くテーマなのだと思っています。

重い問いかけですね?
社会の在りように影響されますし、マジョリティに対するマイノリティはとかく
生きづらい。
人の心は変わらないというけれど、30年くらいの長いスパンで見れば、手話だけ
を見ても一時代前に比べれば社会に受け入れられつつあると思います。かつては
ろう学校で手話を使うと手をたたかれたりしたと実際に聞いています。



[13589] arataさんへのご回答 投稿者:新米ママ 投稿日:2007年12月20日 (木) 23時58分

ご質問をいただいていたので、私なりの考えを述べさせていただきます。

確かに、(うちの息子の場合に限ります。他の方のことは私にはわかりかねますが)人工内耳をすれば、静かな部屋での一対一の会話には不自由しません。また、多少ざわざわしたところでの会話も、一対一であれば、不自由は感じません。複数人の会話をどの程度聞いているのかは、現時点では、わかりません(まだ、子供が小さいので、質問したことがありません)。そういう点のみから考えると、確かに、必ず手話をしなければならない、というものではないのかもしれません。

しかしながら、難聴であることには変わりませんので、将来、聞こえる人の会話についていけないような場合が必ず出てくることがあろうかと思っています。(居酒屋で盛り上がっている大学生などを見かけると、必ず、感じてしまいます。Ryuが大人になったとき、この輪に入るのは、なかなか難しいだろうな、と)そういうときに、同じように聞こえない、もしくは聞こえにくい仲間と、(手話で)「聞こえる奴らはホントにぺらぺらしゃべりやがって、わかんないんだよね」と愚痴ったりする居場所があってもいいのではないか、と思っているわけです。
もちろん、そういう居場所が必要かどうかは、Ryuが判断することですので、(arataさんの場合は、そういう場所は必要なかったようですが)親の私としては、Ryuが必要としたときにいつでもそういう居場所を用意しておいてやりたい、と思っているのです。ですので、難聴児の集まる会に参加したり、手話を学ぶ機会を、これからも確保したいと考えています。

精神的な面からだけでなく、実際、お風呂に入っているときやスイミングなどのとき、大声を出そうと全く聞こえませんので、手話が本当に役立つわけです。座って・立ってなどの指示だけでなく、「さっき、スーパーでお父さんに何を買ってもらったん?」みたいな、普通の会話も成り立つわけです。私は、手話で、Ryuは口で返してきますけどね。


[13588] 自分の居場所 投稿者:ととさん 投稿日:2007年12月20日 (木) 15時51分

新米ママさん、お久しぶりです。 出遅れてしまいましたが…
もう、すっかり“ベテランママ”さんの領域に入っているようですね。
ここまで、しっかりとした考えを持っての選択ですから、私は安心です。

これから先、私の願いは、Ryuくんに聞えない仲間と遊ぶ機会も確保してくれる
ことです。 どちらが、Ryuくんの居場所になるかは、分かりませんが、それは、
自然とRyuくんが選択すると思います。どちらも、居心地の良い場所となれば、
すばらしいですね。


[13587] 便利です 投稿者:nog 投稿日:2007年12月20日 (木) 13時22分

共通の手話やサインはとても便利です、聞こえに関係なくみんな使えばいいのに
ガラス越しでも、遠くでも通じるし。


[13586] 医療は日進月歩ですが 投稿者:れんこん 投稿日:2007年12月20日 (木) 09時42分

しずかさんのおっしゃる事、わかります。手話・サイン併用に前向きな所もあると聞きますが、逆にそうでない所もあるのでは?医療側の認識不足だけでなくニーズもあるのだと思います。その違いは病院だけではなく、学校・教育機関、各家庭という個人のレベルに至るまであるのではないでしょうか。

私の立場からは、少人数での対面の会話に不自由しない軽度から中等度難聴の方、また人工内耳でそういう状態になっている場合でも、健聴者になれるわけではないのだから、本人の人生を豊かなする為にも、やはり手話は大切だと言いたいです。でも、いくら私の様な意見に接しても、全く心の動かない人達もいるんですよね。試しに手話の世界を覗いてみることもない。自分の子は今のままでOK、手話は必要ないと言う。それがどうしてなのか、不思議でなりませんでした。
ご自身も聞こえない子を育てた事で知られる先生とお話しした機会に伺ってみたら、やはり無意識の部分で聞こえない事を拒否しているからだろうと、ご自身の経験からおっしゃっていました。多分そうなのだろうと思っています。

私が勝手にそういう事を考えている一方、人工内耳をして一般の学校に子供を通わせているお母さんからは、うちの子が手話をして聞こえない世界にいること、聞こえるお友達が少ない事を逆に心配される始末です。どこまで行っても平行線。でも選択の自由が誰にでもありますから(実際には、本人にはないに等しいのですが)他者の心にまで踏み込む事はできません。

先日ろう学校で小さな子供達をを見かけた時、うちに聞こえない子が生まれて大騒ぎした後も、後から後からこんなにたくさん聞こえない子が生まれたんだなあ、この子供の数だけ大騒ぎがあったんだなあと、感慨深いものがありました。医療は日進月歩ですが人の心は今も昔もたいして変わらないようです。聞こえずに生まれた我が子をどう受け入れるかは、これからも新たに誕生する聞こえない赤ちゃんがいる限り、ずっと続くテーマなのだと思っています。


[13585] 質問の意味 投稿者:arata 投稿日:2007年12月20日 (木) 00時29分

以下は手術前の話です。

私は伝音性で補聴器をしていました。幼少の頃つけていなかったこともあり、発音の是正で難聴学級に数年間、母校から週一で通っていました。ここでは個人指導なので、同等の障害の方と会話したことはありません。同等の人と交流しなければならないとしたら私の人生は間違っていたことになります。そこに拘りを感じて質問したわけです。私は当然ですが、風呂に入るときや寝るときには補聴器を外しましたから聞こえは悪くなります。温泉では大声になります。でもこれを同等の方と共有して確かめたいと思ったことはありません。

人工内耳が手話に頼ることが全く必要ないのであれば、無理に学ぶ必要はないはずです。たまたま難聴に生まれたゆえに必要のない手話を学び続けさせられたとしたらそれはおかしな事です。その時間を他のことに使う権利があるはずです。学力で勝負したい子供なら、学科の勉強に充てても良いはずです。手話の社会的地位の維持や専門の学校の維持のために、学ばされるようなことがあってはならないはずです。

人工内耳が障害のない人と完全に同じではないとしても、日常生活を手話を使わずに過ごすのであれば、学ぶ必要はありません。大半の人は使えないわけですしから。

因みに私は中度難聴です。手術をしていない方は50db以下です。


[13584] Re[13577]: 昔の名前で出てみました 投稿者:しずか 投稿日:2007年12月19日 (水) 23時52分

<医療は日進月歩>

折角若いママさんたちで盛り上がっているところを私が割り込んではまずいな、
と思いつつ、疑問を感じたところを・・・。

> 通常、病院では、日本語獲得=人工内耳=手話否定=ろう学校否定=インテグレーションという発想ですが、

前にも書いていますが、小児人工内耳オペでリーダー的存在の、ある病院では、
聴覚障害があると分かった時点からサインや手話を使い始め、装用後は一時的
に音声言語獲得に集中しますが、このときでも、就寝時、入浴時、騒音下、
電池切れ、プール(水泳)等、人工内耳が使えないときは手話、サイン等を
つかって良いとしています。
病院によってはいまだ古い方法をとっているところがあるかもしれませんが、
手話・サイン併用の方向にあります。

このことも前に書いていますが人工内耳は、よくいっても軽度難聴であり、
標準は中度難聴です。又、身体障害者手帳等級は手術前と同じ等級になり
ます。このことからも分かるように健聴にはなれません。
さらに制約があります。
健聴者なら聞くことの出来る、カクテルパーティ効果ー雑談の中で、自分の聞きたい
人の声だけを抽出して聞き分ける能力は人工内耳にはありません。それどころか
ちょっとした騒音にも聴取力はぐっと落ちますし、人の声の聞き分けも健聴者に
比して低い。音楽を聞くのも難しい。
もっとも、幼いころからの装用児は大人になってからの装用者より適応能力があり、
これよりもう少し成績はよいかもしれないですが、大幅には変わらないでしょう。
聞き取りという点では補聴器と変わりません。

なお、☆従来は手術年齢の上限は2歳でしたが 1歳半 になりました☆
暦年齢が早い程効果がありますから。


[13583] みなさん、コメントありがとうございます。 投稿者:新米ママ 投稿日:2007年12月19日 (水) 23時32分

れんこんさん、arataさん、みぃママさん、コメントありがとうございます。

> 人工内耳を最大限に活用して聞こえる人とは音声で自由に会話でき、聞こえない仲間とは手話で語り合える、盛り上がれる、そんなふうにRyuくんが成長したら素敵だなと思います。

本当にそうですよね。これが理想ですよね。

「人工内耳をしても、人工内耳の器械さえはずしたら聞こえない人」と思って手術をしました。将来、本人がいやなのであれば、手術ではずしたらいいやん、と思っていました。が、それは間違いでした。むしろ、人工内耳の手術をしたら「聞こえる人」=「聞こえに頼って生活せざるをえない人」になりました。親の判断で、子供は、生涯、器械に頼って生きざるを得ないことになりました。その責任の重さを常に感じると同時に、最高の耳を与えてやること(人工内耳を使いこなすこと)が、親の責任だと思っています。中途半端にしか聞こえない器械ではなく、耳をすませば相手の心の声まで聞こえるような、そんな器械になればいいなあと。
しかし、平行して、「聞こえない居場所」をどのように確保するのか、ということも非常に重要で、これは、Ryuが成長するにつれ、さらに重要になってくるのだと思います。

これからも、どのように育てていくべきかを、この掲示板からも勉強させていただきたいを感じています。よろしくおねがいいたします。


[13582] Re[13576]: 我が子の人工内耳装用 投稿者:みぃママ 投稿日:2007年12月19日 (水) 22時56分

> しかし、器械をつけたから万事OKではありません。器械をつけた日から、「聴覚活用」の始まりです。・・・机に向かうぐらいなら、外へ連れ出して、いろいろなものを見て、話す、説明する、経験させる、これをしていると、確実に言葉は増えるものと思います。逆にこれをきちっとできなければ、せっかくの人工内耳も活用できないものと思います。したがって、人工内耳をして効果のでないお子さんがいらっしゃるとすれば、親御さんがそこまでの努力を怠っている場合や、他に兄弟がたくさんいて、なかなか目をかけられない場合などの原因が考えられると思います。

子どもがことばを学ぶという偉業、それを手助けする喜び、それをこれだけ適切なことばですぱっと言い切る新米ママさんは、確かにもう「新米」ママさんではないですね。手話を使う使わないの差こそあれ、久しぶりに同志を得た気持ちがします。一方的にこんなことを言ってお気に障るかもしれませんが、本心です。

発音についてもわりと楽観視してらっしゃるようですが、お話のように発語が盛んなのであれば、自分で自分の発音を聞いて直していくという(明瞭な発音には不可欠の)フィードバック機能をも自然に身につけていかれるのではないかと思います。発音は発音指導で良くなるというのは迷信ですから。

一つだけ、蛇足ですが、「聞こえない子に大声で話しかけるしらじらしさ」は誰もが感じること。手話を使わずに聴能訓練をしてきた私も「聞こえているから話しかけ続けられた」と思っています。コミュニケーションが成り立たなくて辛かった、子どもに辛い思いをさせた、という経験は私もありません。結局、新米ママさんがおっしゃるように経験に根ざした生きたことばをかけることができれば(「心が動く瞬間を作ってことばを放り込む」、まさにそのとおり!)、子どもはスポンジのように吸い取って自分のものにしてくれるのではないかな、と思います。オーディトリー・バーバル法(聴能訓練による音声言語教育)の真髄もそこです。発音指導や語彙習得といった神話を柱としてきた従来の聴覚口話法との違いです。

>人工内耳は、発音が良くなるとか・・・、発声が増える、とかそういうやわなものではありません。聞こえを通じて自然に言葉を学ぶことができる、そういう器械です。

人工内耳はただの器械、大事なのは使い方です。人工内耳の話題がタブーであるような雰囲気で聴覚障害児のことはもう話せませんよね。そろそろその本質を知って、認めて、その上で子どもたちに最良の「教育」を求めていく、そういった段階にきている、そう新米ママさんに言われているような気がします。


[13581] Re[13576]: 我が子の人工内耳装用 投稿者:arata 投稿日:2007年12月19日 (水) 20時42分

新米ママさん、初めまして。
伝音性ではありますが、難聴なのでこの分野に関心を持っています。

3歳3ヶ月ではまだ分からないかも知れませんが、多分レベルで答えられるようなら
教えてほしいことがあります。人工内耳による会話は耳の障害のない人達と、普通に
会話をして社会生活上全く問題が起きないレベルに達していると思われますか。


[13580] 外国 投稿者:桃象 投稿日:2007年12月19日 (水) 14時53分

しばらくです。11月下旬から3週間に渡ってタイ,ベトナム,ラオスを廻ってきました。JICA短期専門家として臨んだ視察でしたので,堅苦しいことこの上なしという感じでしたが。

ベトナムでは,例のHign Education Project for Deaf People in Vietnam (ウッドワード博士らによるベトナムでの先進的な取り組みの現場を訪問し,Hoa先生といろいろ話し合うこともできました。スウェーデンと同じように,このプロジェクトの修了生たちの全国学力試験合格率が年々下がっているようですが,温かく見守っていきたいものです。

ドンナイ師範大学(ドンナイ省ビエンホア市)内で行なわれているプロジェクトの現場の視察に先立って,ホーチミン市で行なわれたワークショップにも,このプロジェクトで学んでいるろう学生たちが大勢参加してくれたのですが,ろう学生たちとの交流は本当に楽しく,そして刺激的なものでもありました。プロジェクト訪問の際,ドンナイ師範大学内の一教室でろう学生たちを相手に「ろう者としての誇りとベトナム人としての誇りの両方を身につけるように」と一説ぶってしまったのですが,今思うと赤面の至りです。

ラオスの方は本当に聴覚障害児教育がどうのこうのという以前の問題がいっぱい横たわっているという感じでした。とりわけ,サワンナケート市の特殊学校内にある聴覚障害児クラスの様子には,幕末期の寺子屋で学んでいたろう児たちもこういう感じだったんだろうなぁとの感慨を抱かずにはいられませんでした。

日本での聴覚障害児教育すらままならない状況なのに,外国の聴覚障害児教育の支援などおこがましいという考えもあることでしょうが,何らかの支援ができればと思わずにはいられませんでした。

そして日本の聴覚障害児たちも書記日本語,音声日本語,そして日本手話を身につけるだけではなく,書記英語や国際手話(アメリカ手話)を身につけて,世界の様々な現場で活躍して欲しいものだとも思いました。

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[13579] 新米ママさんへ 投稿者:れんこん 投稿日:2007年12月19日 (水) 10時20分

新米ママさんの頑張っていらっしゃる様子、Ryuくんの様子を読ませていただき嬉しくなりました。

私の子供は補聴器装用ですが、家庭で取り組んだことは新米ママさんと同様です。手話を意識的に使わず日本語の獲得に力を入れた事も、幼稚部の一時期にありました。
我が子の場合もおしゃべりが自由になるのに伴って手話の表出は減っていき、現在は家族との会話に本人は手話を全く使いません。もちろん手話を捨てたわけではなく、家族の側からは手話を表しています。成長に伴い話す内容が複雑になりますし、小学高学年からは、子供向けに言葉を選ばず私が使いたい言葉(つまり普通の大人の会話)で話すよう意識しましたので、その際やはり手話が役立ちました。

我が子のろう学校にも人工内耳の子供が随分増えました。周囲は中等度難聴の子供と同じ様な感じで接しているようです。当たり前の事ですが、日本語を獲得できたから子育てが解決するわけではありません。周囲との協調性、教科学習など大きくなればなったで小さい時とは別の課題が見えてきます。そうした成長に伴う新たな課題に向き合った時には、補聴器か人工内耳かという手段の違いはは余り大きな問題ではないように感じられるこの頃です。

アクトさん
>通常、病院では、日本語獲得=人工内耳=手話否定=ろう学校否定=インテグレーションという発想ですが、問題は日本語獲得だけでなく、子ども同士の関わりの中で社会性を身につけたりきこえない子どもの中で精神的な安心感をもつことの大切さ、どこに自分の居場所をもつかといった問題が引き続き起きてきます。そういう長期的かつ広い視点から今後の成長を見守っていけるとよいと思います。

アクトさんのおっしゃる通りだと思いました。身近に、人工内耳をして幼稚園から聞こえる子供の中で過ごしている子と、ずっとろう学校に通っている子がいますが、伝え聞くエピソードや直に私が接する際の印象などから、色々思うところ心配する事などがあります。落ち込むようなエピソード(重要な示唆を含む)に限って親の耳には届かないという事実も、もどかしいです。
Ryuくんのろう学校が、人工内耳で言語獲得順調、じゃあはい普通の幼稚園へというパターンを勧めるのは、インテ礼賛の時代のなごりなんでしょうか。もちろん、メリット・デメリットを考えてろう学校に行かない選択をする可能性は誰にでもあると思うので、一概には否定できませんが。

人工内耳を最大限に活用して聞こえる人とは音声で自由に会話でき、聞こえない仲間とは手話で語り合える、盛り上がれる、そんなふうにRyuくんが成長したら素敵だなと思います。ろう学校の先生との交渉、頑張ってくださいね。Ryuくんにとって最前の道が拓けますようお祈りしております。


[13578] コメントありがとうございます。 投稿者:新米ママ 投稿日:2007年12月19日 (水) 00時35分

アクトさん、お久しぶりです。コメントいただいて、本当にうれしいです。私も全く同感です。

Ryuの言語力の根底にあるものは、「手話」だと思っています。2歳になるまで、きっちり、手話に基づく言語力・コミュニケーション力をつけられたからこそ、今があると思っています。

進路については、来年度はろう学校の幼稚部の年少にあがろうと思っています。しかしながら、指導のレベルがRyuの言語力にあっていないこともあって、今の段階で、ろう学校の方から、Ryuは在籍最長1年、といわれています(場合によっては、年度の途中で退学し、普通幼稚園に入園しては?と。)。なにも、親のほうからそれを望んだわけではなく、私としては、Ryuに聴こえない子供の環境を与えてやりたいと思って、ろう学校への通園を希望していたのですが、なにしろ、カリキュラムが決まっているのか、予定外に言語獲得が進んだ子供への対応ができないのかわかりませんが、個別対応していただけない状態です。これも、どうなん!?と、若干怒っております。人工内耳の装用児が増加する一方で、ろう学校が時代にそぐわない対応。これじゃ、みんなろう学校を離れてしまうのは、仕方ないのかもしれません。なんとか、個別対応してください、と校長に直訴する予定ですが、こんな親なら、入学さえ認められないかもしれませんね。


[13577] 昔の名前で出てみました 投稿者:アクト 投稿日:2007年12月18日 (火) 23時01分

> お久しぶりです。久しぶりに掲示板を見て、びっくりしました。
いやはや、本当に久しぶりにこのハンドルネームをみつけて、懐かしい友人にばったり出会った気がして私もついつられて投稿してしまいました。
もう2年くらい投稿していないと思います。アクトという名前で出ていました。
最近めちゃくちゃに忙しくて、そして、人工内耳の話題ばかりでちょっとそれにも抵抗感があって時々この掲示板もみる程度でした。

新スクで難聴が発覚し、もう3年3ヶ月が経ちました。

新スクって実は私がつけたネーミングなんですよね。それが今は全国的に認知されたようでこのことばを使う人を時々みかけて一人でほくそ笑んでいます。まあ、どうでもいいことですが。

今日、新米ママさんが書いておられることは非常に貴重な内容で、おそらく、今後の聴覚障害教育の典型的なモデルになるだろうとさえ思うからです。

 まず、手話から始めるのは母子関係を早期から安定してつくっていく上で非常に大切なことですから、人工内耳に至るまでにどんどん使っていくのがよいと思います。そのことは新米ママさんが述べておられる通りです。

問題は日本語の獲得。Ryuちゃんは2歳で人工内耳を装用していて、すぐにその効果がみられ始めていますが、これはそれまでに獲得していた言語=手話がそのベースになっていることは間違いありません。手話が2歳で200語というのは知的レベルは高いほうかもしれません。また、お母さんとかなりコミュニケーションが密にとれていたことが想像されます。こうした複数の要因が人工内耳の効果が早くあらわれたことと関係しているように思われます(なんらかの発達障害がある場合は効果はかなり遅れるか、ほとんどないケースも珍しくありませんが、現実にはそうしたこととは関係なくどんどんやられています。病院の営業上の問題や医師の技量維持など表には語られない要因があります)。

>言葉についても、手話と音声が結びついたものから、家庭での手話の使用をやめ、音声のみに切り替えて行きました。

 これは私は一時的に必要な時期と考えています。手話を捨てるわけではありません。聴覚シフトの時期が必要なのだと思っています。これは手話だけを用いて、日本語の習得をめざす場合も、一時的に日本語モード(文字・指文字)にシフトするのと同様です。もし、指文字も使用しないというのであれば、文字を生活の中で徹底的に「筆談」的に用いるしかありませんが、文字は即興性がないので子どもとの会話で常時用いるのは不向きです(やれないわけではありません、そのような実践例もありますから)。いずれにしろ、一時的に日本語モードにシフトしないと、児童期になって日本語を机上で文字から獲得するのはほとんど困難といってよいと思います。
世界的な流れとしては、人工内耳で音声シフトというのがおそらく主流になってくるのだろうと思います。

>心が動く瞬間を作って言葉を放り込む、絵日記を書いて言葉の理解を深める、絵本の読み聞かせをする、一つのことをいろいろな言い回しを使う(たとえば、片付ける・しまう・ナイナイするなど)、ここでは言い切れませんが、これは、難聴の子供に聴覚を使って言葉を獲得させるときに使用する方法と同じ方法が使われるものと思います。

これはろう学校でもそのように指導していると思います。今は、生活やあそびの中でのことばの獲得という方法が中心です。ただ、ちがうのは、3歳で幼稚部に入ってからの子ども集団の中でどのようなことばを使うかという問題です。これはさまざまな子どもがいますから当然子どもどうしのやりとりは手話が中心となります。そして、手話を使って子どもどうしで会話しながら日本語だけではないさまざまな力をつけていきます。
 
そしてまた、その次には、小学校以降の問題もあります。
 通常、病院では、日本語獲得=人工内耳=手話否定=ろう学校否定=インテグレーションという発想ですが、問題は日本語獲得だけでなく、子ども同士の関わりの中で社会性を身につけたりきこえない子どもの中で精神的な安心感をもつことの大切さ、どこに自分の居場所をもつかといった問題が引き続き起きてきます。そういう長期的かつ広い視点から今後の成長を見守っていけるとよいと思います。

ちょっと思いつくままに書いてみました。舌っ足らずのところもあるかもしれないですが。


[13576] 我が子の人工内耳装用 投稿者:新米ママ 投稿日:2007年12月17日 (月) 23時19分

お久しぶりです。久しぶりに掲示板を見て、びっくりしました。思わず、10月ぐらいの過去ログから見てしまったのですが。。。専門的な話についていけず、情けないやら。。。

新米ママというハンドルネームもそろそろ恥ずかしいでしょうか、我が子Ryuは、3歳3ヶ月を過ぎました。新スクで難聴が発覚し、もう3年3ヶ月が経ちました。当初から、この掲示板にお世話になり、「子供には手話!」というととさんの教えに従って、ろう者に手話をならったり、本やビデオやTVで手話を勉強し、まだ首もすわらない我が子に手話・ベビーサインで話しかけ、育ててきました。子供も1歳2ヶ月を過ぎたころから、手話が出始め、本当に、親子間のコミュニケーションになんの不都合を感じることなく毎日が楽しく過ぎていきました。本当に、難聴を宣告された辛さを救ってくれたのは、手話だったと思います。そういう意味でも、いま、早期に難聴を宣告され、涙にくれておられる親御さんたちには、自信をもって手話をすすめます。たとえば、手話をすれば日本語ができなくなるのでは?などという情報に迷ったりすることもあるかもしれませんが、(少なくとも乳児期の早い段階では、)全く問題ない、と私は個人的な感想として、思っています。むしろ、難聴でありながら、乳児期に人(特に母親)とコミュニケーションをとることに問題がありませんので、その後の言語獲得によい影響を与えるものと考えております。

人工内耳については、メリット・デメリットを私なりの様々な観点から検証したうえで、今から1年3ヶ月前(Ryuが満2歳0ヶ月のときです)に人工内耳手術を受けました。人工内耳に関して発言することは、この掲示板ではややタブーなのかも知れませんが、「聴こえない子をもつ親のための掲示板」というタイトルを勘案し、今日、初めて、ここに訪れたかもしれない、親御さんのためにも、私の短い経験談を話させてください。

うちの子は、110〜120dBの難聴ですので、人工内耳装用前は、常時補聴器をつけていたものの非常に厳しい状況でした。また、長い間中耳炎を患っていたことや、聴こえない子供に対し、大声で話しかける白々しさに耐えられず(お気を悪くされるかたがいらっしゃったらすみません)、手術前は全く音声が入っていなかったとお考えください。手術時に、手話で200語程度の理解がありましたので、手話で日常のやりとりが行われていました。

術後すぐから(2週目ぐらい)音声や環境音に対する顕著な反応が見られました。言葉についても、手話と音声が結びついたものから、家庭での手話の使用をやめ、音声のみに切り替えて行きました。4ヶ月経過したころには、理解していた手話の数(200語)を優に超えて、音声での理解がどんどんすすんでいきました。発声(意味のある言葉の発生、自発的なもの)は、2歳8ヶ月(術後8ヶ月)ぐらいからで、初めての言葉は、なぜか「とんぼ」でした。。。本人も発声・発語と比例して、手話の出現も減り(これはさみしいことです。子供の手話は本当にかわいいですので)、音声中心のコミュニケーションにシフトしています。手話は、お風呂に入っているとき・スイミングに通っているとき・遠くに離れているとき、電源OFFのとき、に活用していますので、基本的に24時間本人は親子間での不自由は感じていないと思われます。

3歳を越えた頃から、つまり、人工内耳装用1年経過したころから、威力を発揮してきました。近頃は、ものすごい量の言葉を話します。「一回おうちに帰ってから、○○のテレビをみて〜、おばあちゃんのおうちに遊びに行くの。」とか、「Ryuはライオンで、おじいちゃんと、おばあちゃんと、お父さんと、お母さんを、みんな食べる。」「Ryuは眠いからお目目がぐるぐる。しゃべったらあかん。」とか、ひたすら言葉がつながって出てきます。発音こそ未熟で、まだまだ私以外の人に十分に伝わるものではないですが、立派に日本語を駆使して話しています。その姿を見ていると、「言葉」は本当に「思考能力」を支えるものなのだ、ということを実感します。人工内耳は、発音が良くなるとか(すみません、うちの子はまだまだ良くないものですから実感がありません。)、発声が増える、とかそういうやわなものではありません。聞こえを通じて自然に言葉を学ぶことができる、そういう器械です。

しかし、器械をつけたから万事OKではありません。器械をつけた日から、「聴覚活用」の始まりです。同じことを理解するまで繰り返し聞かせる、心が動く瞬間を作って言葉を放り込む、絵日記を書いて言葉の理解を深める、絵本の読み聞かせをする、一つのことをいろいろな言い回しを使う(たとえば、片付ける・しまう・ナイナイするなど)、ここでは言い切れませんが、これは、難聴の子供に聴覚を使って言葉を獲得させるときに使用する方法と同じ方法が使われるものと思います。しかし、従来のろう学校と違うのは、そういった勉強を机上でするのではなく、経験として使うということです。ろう学校などでは、よく「訓練」という言葉が使われますが、少なくとも、人工内耳を使用する場合、そのような机上の訓練は不向きかと思われます。机に向かうぐらいなら、外へ連れ出して、いろいろなものを見て、話す、説明する、経験させる、これをしていると、確実に言葉は増えるものと思います。逆にこれをきちっとできなければ、せっかくの人工内耳も活用できないものと思います。したがって、人工内耳をして効果のでないお子さんがいらっしゃるとすれば、親御さんがそこまでの努力を怠っている場合や、他に兄弟がたくさんいて、なかなか目をかけられない場合などの原因が考えられると思います。


[13575] かなママさんへ 投稿者:ととさん 投稿日:2007年12月17日 (月) 21時13分

このような、書込みがあると、この掲示板をやっていて良かったとつくづく思います。
アドバイスは、先輩ママさんたちからありましたので、おやじからは一言。
是非、2人で子育てを楽しんで下さいね。


[13574] かなママさんへ 投稿者:れんこん 投稿日:2007年12月16日 (日) 10時33分

かなママさん、検査結果が出てこれからの事を具体的に考えられるようになって良かったですね。
今時の補聴器はとても良くなっていますから、片耳80〜100db聞こえているのでしたら充分聴覚活用もできるようになります。私の子供はもう大きいですが、周りの子を見るとその位の聴力なら、初対面の人にでも充分通じる発音でおしゃべりできるようになっています。おっしゃるように、せっかく早期発見できたのですから、このままにせず、補聴器も早く準備してあげると良いでしょう。ろう学校の先生に相談すれば解決すると思います。
そして、赤ちゃんには一杯ベビーサインや手話を使って話しかけてあげてください。気持ちが通じ合えば赤ちゃんもママも日々の生活が楽しく安定します。それがまずとても大切な事で、そういう中で、赤ちゃんは補聴器を通して聞く音と意味とを結びつけることができると思います。
どうぞ、赤ちゃんとの生活を楽しんでくださいね。


[13573] Re[13572]: ととさんへ 投稿者:MU@沖縄 投稿日:2007年12月16日 (日) 09時42分

9ケ月目というと、もうお座りができる頃ですね。
『ベビーサイン』で会話をチャレンジしてみては、どうでしょう?
今アマゾンでも入手できますよ。
聞こえるベビーに対しても、意思相互ができると言って、聞こえる親の間にも好評らしいんです。

まずは親子で『今』楽しんで、心を通わせてください。
それが大事だと思いますよ。

図書館に行けば、少なくとも数冊は『聞こえない子ども』に関する本がありますよ。


[13572] ととさんへ 投稿者:かなママ 投稿日:2007年12月16日 (日) 01時46分

お久しぶりです。紹介して頂いた本読みました!今家族中で読んでいます。ありがとうございました。
先日、検査の結果がでました。やはり聞こえが悪いことがわかりました。左はほとんど聞こえてなくて右は80〜100デシベルという状態だそうです。先生の説明ではあまり理解できず、それがどういう状態なのかはっきりいってよくわかりません。
半年後にまた再検査をすることになりましたが9ヶ月になっています。それまでなにもしなくていいのでしょうか?せっかく早期発見できたのになにもしなくていいのかと疑問に思います。
次の月曜日にろう学校に相談&見学に行ってきます。少しワクワクしています!以前のように落ち込んでいません。ただ私のろうに対する知識が薄いことが悩みです(泣)勉強しなくては!
これからも色々、報告させてください。読んで頂いた方からアドバイスなど頂けると嬉しく思います。


[13571] Re[13569][13567][13557]: 沈める寺さんへ2 投稿者:arata 投稿日:2007年12月16日 (日) 00時21分

拘る理由が分からないと思うので補足させて下さい。

そういう意図はないかも知れませんが、人工内耳が良く適応し、結果として専門の学校が
成り立たなくなってしまい困るという話は、裏を返すと人工内耳の広がりは困ると
言うことになります。さらに言うと人工内耳に頼って専門の学校や手話を必要と
しなくなる人は迷惑な存在となってしまいます。

私は補聴器が適応する難聴のため、難聴学級にはほんの短期間、週一で通級した
だけです。難聴学級の存続にはほとんど貢献していません。このような人は
好ましくない人だというように、感じる書き込みでした。それが拘っている
理由です。意図はしていないと思いますが、私にはそう感じたという事です。


[13570] ごんぎつね手話付DVD 投稿者:チマコロン 投稿日:2007年12月15日 (土) 20時08分

標記の件がNHK教育「ろうを生きる難聴を生きる」で紹介されていました。
絵と文(字幕)と手話を並べて見られるDVD教材が熊本県で初めて開発され、
熊本ろう学校で授業に試用中だそうです。
TVに映った子どもたちの表情が明るく楽しそうで、良かったです。
既に次の教材も作成が始まっているとのこと。
巷には『洋画・吹替ドラマで学ぶ英会話』のような教材が溢れているのですから、
こういう教材が今までなかったのが不思議ですね。
中度難聴や中途失聴の大人向けにも、こういう手話教材が増えると良いなあと思います。


[13569] Re[13567][13557]: 沈める寺さんへ2 投稿者:arata 投稿日:2007年12月14日 (金) 23時45分

直接の話ではないですが、少し関連するので書いてみます。

遺伝的な要素なのか外国のある島では、聾の方の比率が極端に高く、聞こえる人も
日常生活で意識する状況にあったため、意思疎通にも配慮がなされていたという
事例があるそうです。聾の人が移転し集中居住すると同じ状況を作れるなと
思ったことがあります。

なお学校の問題は聴覚口話法の適応対象者が増えてきたら、正直寄宿舎方式を
検討するしかなくなるでしょうね。


[13568] Re[13566][13563][13561][13557]: 沈める寺さんへ 投稿者:arata 投稿日:2007年12月14日 (金) 23時37分

沈める寺さん

> 個々の子供について見た場合、特別な配慮が全くいらなくなる可能性もあるし、必要な場合も生じうるでしょう。先のことはわかりません。それらを含めて「思春期以後に手話が真価を発揮する場面は十分あり得る」と書いています。

全く配慮が必要ないのなら、健聴者が手話を学ぶのと同じと言うことであり、
ことさら真価をと書く必要はないですよね。人間誰しも保有している時間は
平等です。手話が必要ないのならそれを学ばず他のことに時間を使うというのは
自然なことですよね。


[13567] Re[13557]: 沈める寺さんへ2 投稿者:沈める寺 投稿日:2007年12月14日 (金) 20時31分

 前回のととさんの質問について、本質的な意図を誤解していたと思い直し、補足します。
 専門性だけでは他の障害と同様なので単独維持ができないという質問ですね。

 特別支援教育における学校の再編は「財政の論理」が強くはたらいていますので、どうやっても単独維持できない場面は出てくると私は見ています。ただ、これではみもふたもありませんから、補足してみます。

 素人考えですが、単独維持のためには、次の3つの条件が必要と思います。
1 専門性
2 実績
3 聴覚障害児のうち多くがろう学校を選択している実態

 ただ、1の専門性というのは手段であって、「こういう専門性が確保されていることによって、これだけの実績をろう学校は上げています」と説明する必要があると思います。もちろん、どういう指標で実績をとるかが難問なわけですが、実証的に説明していかないと、都道府県の教育委員会段階では存続が納得されても都道府県の財政当局を突破できないのではないでしょうか。その意味では、1,2のうちで2がいえれば1の説明はあまりいらないと思います。
 またいくら専門性が高くても、「聴覚障害児(または保護者)の多くはろう学校を選択していない」という実態があれば、それだけで単独存続は難しくなるような気がします。(ろう学校を選択していない子がこれだけ困っているという証明があれば別ですが、それが表に出てくることは少ないと思います。現にここを本格的に分析したものは上農正剛氏の著作までほとんどなかったくらいです。)仮に私が県の財政課長なら、真っ先に教育委員会に対して「聴覚障害児のうちろう学校を選択している者の割合」の資料を求めます。ろう学校サイドとしても単独存続の想いは同じだと思いますが、それなら聴覚口話法も教育にしっかり位置づけ、「catch all」に努めることが得策だと考えます。手前味噌のようですが。


[13566] Re[13563][13561][13557]: 沈める寺さんへ 投稿者:沈める寺 投稿日:2007年12月14日 (金) 20時10分

個々の子供について見た場合、特別な配慮が全くいらなくなる可能性もあるし、必要な場合も生じうるでしょう。先のことはわかりません。それらを含めて「思春期以後に手話が真価を発揮する場面は十分あり得る」と書いています。


[13565] Re[13564][13562]: 回想と雑感 投稿者:ささくれきのこ 投稿日:2007年12月14日 (金) 17時53分

> 人によってはそれが理由で、自分の殻にこもってしまう人も出てくると思います。
>
誤解されているようですが、自閉症は先天的脳機能障害です。発達障害の一種です。
自分の殻に閉じこもっている状態というイメージは当てはまりません。


[13564] Re[13562]: 回想と雑感 投稿者:arata 投稿日:2007年12月13日 (木) 22時39分

聞こえにくければ、再度お願いしますと頼むわけですが、そうそう繰り返すのも
失礼だと思いますので、自分で適当に想像して補ってしまいます。私も補聴器は
片方にしかつけていませんでしたから、立ち位置によっては聞き漏らしていました。
人によってはそれが理由で、自分の殻にこもってしまう人も出てくると思います。


[13563] Re[13561][13557]: 沈める寺さんへ 投稿者:arata 投稿日:2007年12月13日 (木) 22時33分

沈める寺さんへ

人工内耳の技術が進歩して、使い方を子供(適応者)がきちんとマスターする前提で、
特別な配慮が全くいらなくなる可能性は近々あり得るのでしょうか。沈める寺さんは
その可能性はないと判断して「思春期以後に手話が真価を発揮する」と書かれて
いるのですよね。


[13562] 回想と雑感 投稿者:ささくれきのこ 投稿日:2007年12月13日 (木) 21時20分

小児科の主治医に「(難聴児の)うちの子は自閉症の傾向があるのでは?」と質問した
ことがあります。
「ええとね、自閉症っていうのは聴覚情報処理の障害なんです。だから聴覚障害児と
自閉症児は同じ症状が見られます。お宅のお子さんは自閉症ではないけど、そういうことです。」
「では自閉症児への対応の仕方は、マニュアルとか出てますけど、息子にも効果ある
んでしょうか?」
「そういうことになりますね。でもまあ今までどおりじゃないですか」

記憶にある限り正確に書いたつもりですが、怪しいのは勘弁してください。
精神医学的素養がない人間には理解することは出来ないし先生も大忙しで余分な話が
できる状況じゃなかったので。
療育の手順としては、両者とてもよく似ています。

というわけで私は発達障害と「聞こえにくいこと」は地続きと認識しています。
もちろん端っこの方ではほとんどその気配がないということもあるでしょう。
でも無縁ではありえない。
だから人工内耳に反対、と言っているのではありません。ひとつの事実です。
会話の処理速度がわずかにずれることの意味を、親は心に留めておく必要はあります。
実際にはむしろ「ゆっくり考える」ことが難しい状況にさらされる事の方が問題なよ
うな気がします。音声の入力と頭の回転の速度がうまくかみ合わないような。
これは「聞こえるけど頭のゆっくりな、周囲についていけない親」から見た表面的な
印象なので、根拠はありません。

いろんな考え方があるのと同様、いろんな脳みそがあることもまた楽しいのです。
一方、鬱には治療が必要だし、「認知の歪み」や「強迫観念」も生活に支障をきたす
ようであれば周囲の介入を受けることになるでしょう。性格とは限りませんから。

なるべく切り分けて単純に考えようとしても、その一方で幾重にも「でも」を重ねて
しまう私は、思索にも議論にも不向きなのでこれは独り言です。
論理的な話の流れにはのれませんが、ほんの少し経験を積んだ親から見た今の風景を
挟んでおきたいと思いました。


[13561] Re[13557]: 沈める寺さんへ 投稿者:沈める寺 投稿日:2007年12月13日 (木) 20時39分

 特別支援学校についてご質問いただきましたが、結論から言うと、聴覚口話ろう教育が選択肢として位置づけられたとしても、必要なものとして残すべきと考えます。
 今後の聴覚障害児教育でどういう手段がどの程度選択されていくかはわかりませんが、私としては親子に応じた手段が保障されるべきというのが基本的なスタンスです。聴覚口話法(単感覚法も含め)もろう学校で位置づけてほしいと希望していますが、手話による教育も当然保障されるべきものでしょう。全ての子にとって聴覚口話法が有効なわけでもありませんし、高度難聴児に人工内耳手術を選択しない自由(さらには医学的に選択できないケース)もあります。

 これを前提に、以下、聴覚口話ろう教育に限定して話を進めますが、例えば小学校入学時点でかなり聴覚活用の効果がある子供でも、年齢が上がるにつれてコミュニケーション面で厳しさが出てくる可能性が大きいというのが今までのろう教育の経験が教えるところだと思います(今までのろう教育の経験は、現在では技術の進歩に伴い重視する要素でなくなったものもありますが、これは重視すべき要素と思います。)。幼児期に既にぺらぺらしゃべっているような人工内耳の子供についても、思春期以後に手話が真価を発揮する場面は十分あり得るのではないでしょうか。
 また、聴覚口話法自体も実は専門性を要する方法だと思います。これが普通学校になると、「ゆっくり、大きい声で、板書しながらではなく」といった最低限の配慮すらされない可能性が割とあります。
 さらに重要な問題として、子供同士のコミュニケーション・子供のよりどころとしてのろう学校という意義があります。日本聾話学校や聴覚口話法時代のろう学校を思い出せば一目瞭然なわけですが、子供にとっての同障者集団の重要性は聴覚口話法をとったところで変わらないのではないでしょうか。付け加えれば、私が主張するような同じ学校の中で個々に応じた方法がとられた場合、例えば放課後や休み時間の子供同士のコミュニケーションは手話で行われることになる可能性が大ですが、それはそれでいいと思います。

 日本では北欧の例がよく注目されますが、私がこの分野の研究者だったらイタリアに目をつけますね。イタリアは法律上、統合教育が原則となっており、ろう学校、盲学校などでの教育が原則としてとられていないと聞きます。ここで統合教育において聴覚障害児にどういう配慮がなされ、逆にどういう課題があるのか、これを学べばいろいろと重要な示唆が得られそうな気がします(なお、イタリアの方法が必ずしも良いと思っているわけではありません)。


[13560] Re[13555]: コンサート会場で補聴器はしんどいですか? 投稿者:しずか 投稿日:2007年12月13日 (木) 15時01分

> 音楽が大好きな子なので

音楽の種類によりけりですが、普通、補聴器を通して聞くと繊細なメロディ
や、バイブレーション等はひずんで聞こえます。ですから、リズムが分かる
程度に補聴器の音量を初めから下げ、お子さんの表情やしぐさを見ながら
反応がないようなら少しずつあげていく、という方法はどうでしょうか?


[13559] Re[13555]: コンサート会場で補聴器はしんどいですか? 投稿者:mori 投稿日:2007年12月13日 (木) 10時53分

 こんにちは。
 補聴器ではマイクの音をきつく感じるし、会場の音響も大きくしてあるので、いつもよりは小さめが良いのではないでしょうか。最初はベストよりもベターで。
 お母さんと一緒のファミリーコンサート…後半になると、パパママも盛り上がって来て、子供だけでなく親の声がけもどんどん出てくるそうですよ。楽しんでいらしてください。^^ 


[13558] Re[13557]: 沈める寺さんへ 投稿者:みぃママ 投稿日:2007年12月13日 (木) 08時43分

> “聞えない子のバイリンガル”と“かなり聞えている子の聴覚口話”でのリテラシー
> 獲得を比較する意味は無いと思います。

ととさん、私へのお返事でないことは存じていますが、この部分が理解できかねますので説明をお願いできますでしょうか。これがまず一点。

もう一つととさんに。
私も名指しで批判されましたので重ねて申し上げますが、私は数字を読む側の姿勢のことを言っているつもりです。「日本ではまだ試してもいない段階なので検証できない」とおっしゃるならば、わざわざ鳥越氏が私たちの税金を使ってスウェーデンに長期滞在して報告なさる意味もなくなります。これから氏がご自分の結論を出され、日本への提言などをなさるにしても、それはそれです。私が引用したのは報告書からの孫引きではありますが、スウェーデンの公の機関が公表している公の数字です。そこには「40%」ではなく、年々低下をたどる合格率が示されています。それをどう読むか、という私たちひとりひとりの姿勢を云々することがなぜ失礼にあたるのか、理解しかねます。

お忙しいようなので、いつでも結構ですから、お返事をお聞かせいただきたく存じます。


[13557] 沈める寺さんへ 投稿者:ととさん 投稿日:2007年12月13日 (木) 03時02分

鳥越先生は、日本でのバイリンガル教育の推進者の一人ですから、その方が、先進国での問題点を紹介している途中の
“崩壊”と言う発言でしたし、日本のバイリンガル教育者の姿勢を批判していましたので、その中に鳥越先生も含んで
の発言と勘違いしてしまいました。 申し訳ありません。 沈める森さんの引用部分は削除致します。ただし、私への
戒めの為にも[13551]は残します。
また、私は管理人ではありますが、この掲示板のために使える時間は、限られております。早く書き込みたかったの
ですが、遅れてしまいました。 重ね重ね申し訳ありません。

> 1 スウェーデンのバイリンガルろう教育の検証の比較対象ですが、前にととさんは、「聴覚口話時代と、同等以下の
> 結果などと出ていれば、崩壊と言えるでしょう」とお書きです。私としては、検証は今の/今後の子供たちのために
> やるものなので、あくまで現在の聴覚口話法と比較すべきだと考えておりますが、いかがでしょうか。

助け舟の先生も書かれておりますが、聴力のある程度ある子に対しては、聴覚活用が威力を発揮してきた事は事実です。
それは、今後も変わらないでしょう。“聞えない子のバイリンガル”と“かなり聞えている子の聴覚口話”でのリテラシー
獲得を比較する意味は無いと思います。日本でのバイリンガル推進者たちも“手話を希望する子に対して手話での教育の保障”
と言っています。 逆に言えば、かなり聞えている子に対する聴覚口話を認めています。

> ただ、いずれにしても子を思う親の気持ちは共通ですから、少なくとも聾教育に携わる人にはどういう方法を選択しても、
> 精一杯の、公平な共感を持って子供に接してほしいと願っています。

まったく、その通りだと思います。私の立場から言わせて頂くと、子供の手話を読み取れる。子供が理解できる手話を使える
そんな教師の少ない(ほとんどいない)のが現実です。


話しは変わりますが、沈める寺さんへ質問があります。今、特別支援教育に変わり、その中で聾学校は、単独校を希望すれど、
生徒数の減少で、他障害の学校と統廃合される状況にあります。単独校を要望する根拠は、手話言語によるコミュニケーション
集団の確保にありますが、聴覚口話が多数を占めれば、その根拠が失われ、聾学校が消滅して行くと思います。 専門性の維持
だけでは、他障害と同様ですから単独維持は困難とも思えます。 私としては、聾学校存続は、是が非でもしなければならない
と考えていますが、沈める森さんとしては、どのように考えておられるのでしょうか? 時間があるときで構いませんので
ご回答を頂ければ幸いです。


[13556] Re[13555]: コンサート会場で補聴器はしんどいですか? 投稿者:ととさん 投稿日:2007年12月13日 (木) 03時00分

ようこそ、すずりんさん。

その場で、子供の様子を見て判断するしか無いと思います。
嫌がったりしているようなら、補聴器を外すとかボリュームを下げる。
会場では、振動で楽しむ場合もありますから。 逆に、ご機嫌のようなら
そのままで大丈夫だと思います。

まずは、補聴器を調整している先生に相談して下さい。調整量はその先生が把握
しているはずですから、会場の音量を考えて、ボリューム変更の有無を判断して
頂けると思います。

本人が好きそうな事への体験は、たくさんさせてあげて下さいね。

[このような普通の質問が来ると何故かホッとする今日この頃… (^_^; ]


[13555] コンサート会場で補聴器はしんどいですか? 投稿者:すずりん 投稿日:2007年12月12日 (水) 23時02分

1歳半の子供の新米難聴児母です。
ここでお聞きしていいものかどうか迷ったのですが、よろしければ教えてください。
近いうちにお母さんと一緒のファミリーコンサートに行く予定なのですが、
会場では補聴器を使用していると音がしんどいでしょうか?
本人は裸耳で60〜70デシベルで補聴器は40〜50に調整してあります。
使用の補聴器はニュートーンプラスの軽度〜中度用でボリュームは3で使っています。

本人がまだ小さいので聞いてもわからないので困っています。音楽が大好きな子なので
ベストな状態で楽しませてあげたいと思っています。
お知恵をお貸しくだされば嬉しいです。よろしくお願いします。


[13554] Re[13552][13545][13538][13533][13532][13521]: 優生思想 投稿者:arata 投稿日:2007年12月12日 (水) 22時57分

ローズさん

ご質問の件で書き込みを躊躇っていたわけではないので、気にしなくて構いませんよ。

ローズさんを初めとする皆様を不快にさせる可能性が高いですが、質問にはきちんと
答えるポリシーなのでご容赦頂いて書かせてもらいます。

私は会社において迷惑をかける存在です。それを意識して仕事に注力して来た
つもりです。結果として少なくともマイナスをゼロにするだけの成果を仕事で
出せたと思っています。結果を出したと思っているので、深刻に悩むことが
ないのです。これは私の障害が軽度であったためでもあると思います。配慮が
必要なやつだが、結果を出しているから良いかと考えてもらえるように努力
してきたつもりです。同僚や上司がどう思っているかは分かりませんが、私は
何とかなっていると思っています。昨今は障害の有無に関係なく、日本中
厳しいので大変ではありますが。


[13553] どこに焦点を当てるか 投稿者:arata 投稿日:2007年12月12日 (水) 22時38分

まだ話が続くようなのでもう少し書きます。

“きこえにくいお子さんのためにー聴覚障害サポートハンドブック軽度・中等度難聴編”
この本が伝音性難聴の軽度や中度も想定しているのかを直接質問しているところです。
該当するなら私の経験と照らして読んでみたいと思っています。

で本題です。
人工内耳が不適応に終わった場合には手話は重要ですが、適合した場合は必ずしも
必要ではないと思います。適合するのに手話まで学べば、学力向上の効率を落と
してしまいます。人工内耳が適応したとしても、訓練は必要ですし、機器の扱いに
ついても勉強しなくてはなりません。これだけでも耳の障害のない人と比べて
ハンデとなります。そこに加えて手話の負担まで追加されたのでは大変です。
人工内耳の力を得て聞こえる人に近いチャンスを得られる子供達に、酷なことに
なります。手話を早くから行うと言うことは、人工内耳の適応性が悪い人には
良いことですが、適応する人にはマイナスだと言うことです。どちらの子供に
焦点を当てて考えるかでしょう。

沈める寺さんの2−(1)の疑問の答えが手遅れになる前に対処できていると
なるようにする方法を確立すれば、この問題は解決するのではないでしょうか。


[13552] Re[13545][13538][13533][13532][13521]: 優生思想 投稿者:ローズ 投稿日:2007年12月12日 (水) 22時29分

arataさん、お返事ありがとうございました。

> > 聴覚障害者に対し、相手が健聴者であれば必要ないこと(席を代わる・筆記する・ゆっくり話すetc)をやらなければならない立場に立ったとき、それはarataさんにとって「迷惑」なことなんですね?

> 私に限れば手間ではありますが、迷惑という言葉にはなりません。

そうですよね。私も同じです。
だから、逆に支援を受ける立場になっても、手間をかけて頂いたことを感謝こそすれ迷惑をかけているとは考えません。
なので、

> 迷惑をおかけしている立場なので、自分が出来ることはして当然と思うからです。

なぜ、ここで「迷惑」という言葉が出てくるのか理解に苦しみます。
論理的に破綻しているというか・・・arataさんの中で矛盾は感じないんでしょうか?

それから、これはarataさんの文面から受ける印象なので間違っていたら謝りますが、ご自身を「迷惑な存在」と言う割には、その点を深刻に受け止めていないというか悩んでいるご様子が感じられないんですね。そこに違和感を感じます。

私も今でこそ、こんなこと書いていますが、始めからこういう考えだったわけでなく、20代のころは、arataさんと同じように考えて、「相手に負担をかける存在」「周りに迷惑をかける存在」の自分に悩みました。
(ちなみに、幼児期からの感音性難聴です)
苦しくて、つらかったです。2年ほど引きこもりのようにもなりました。
その後いろいろあって、徐々に自分を立て直して、今にいたります。

そんな私から見ると、
「周りに負担をかけている存在であることは常に意識してきました」
というarataさん・・・
苦しくないのでしょうか?つらくないのでしょうか?
不思議です。

さて、私は今まで“障害者は迷惑をかける存在なのか?”という疑問から「(自分は)迷惑をかける存在である」と感じていらっしゃるarataさんにいろいろお聞きしてきました。
お返事も頂きましたし(納得はできませんでしたが)、今までのarataさんの書き込みを読ませて頂いても、私とはビミョーに感覚がズレている気がして、これ以上話し合っても、不毛な展開が予想されます。

arataさんも書き込みをためらっていらっしゃるようですし、この話はこれで終息させようと思います。お返事も無理になさらなくても結構です。

管理人様、皆様、お騒がせいたしました。


[13551] Re[13546]: 鳥越先生の報告書(1) 投稿者:沈める寺 投稿日:2007年12月12日 (水) 21時02分

 名指しでご批判をいただきましたので、書き込ませていただきます。

> <沈める寺さん>[13492]
> >「全ての又は多くの」子供にとって成果を上げていないというのがバイリンガルろう教育側から従来の聴覚口話法への批判であった以上、
> >「いわゆる失敗例を隠す」という同じ轍を踏んでいないか、検証する姿勢もあってよいのではないでしょうか。
 これが日本の状況について指摘したものであることは、私の書き込みを読んでいただければわかると思います。現にととさんご自身も11月25日のレスで「前の説明のように、検証するまで行かせてもらえない状況ですから、隠すも何もあったものではありません。(後略)」と書かれており、中身についての議論はさておき、日本の状況についての指摘であることは当時認識されていたはずですが、なぜ2週間以上たって今回のような激しいご批判をいただくのか、ちょっと首をかしげております。付け加えれば、私の書き込み全体もスウェーデンのバイリンガル教育についての一スウェーデン人の見方について議論しているわけで、スウェーデンの状況を淡々と報告しておられる鳥越先生の論文を批判しているわけではないことはおわかりいただけるはずです(蛇足ですが、こういう貴重な論文をネットで公表している鳥越先生の姿勢は高く評価しています。)。

 なお、これに関しては念のため次の点を付け加えておきます。
 まず、「バイリンガルろう教育」という言葉ですが、私は「聴覚は言うに及ばず、対応手話も否定し、日本手話なりスウェーデン手話による教育法」ととらえて使っています。言葉の使い方にずれがあるといけませんので、念のため。
 これと関連しますが、私はバイリンガルろう教育に懐疑的なだけで、手話の使用自体に否定的なわけでは全くありません。ここは誤解されているように感じます。私が人工内耳の子供の親なのでそう思われる面があるかもしれませんが、リテラシー獲得と他の子供等の対等なコミュニケーションとを「二兎を追う」ためには手話の活用には十分理由があると考えています(だからこそ、必要以上に人工内耳の子供を統合教育に追いやるような言説は適切ではなく、ろう学校で人工内耳にも適した形で聴覚口話ろう教育もきちんと位置づけてほしいと願っています。)。

 さて、せっかくですから、前回も一部指摘しましたが、次の点について触れておきます。

1 スウェーデンのバイリンガルろう教育の検証の比較対象ですが、前にととさんは、「聴覚口話時代と、同等以下の結果などと出ていれば、崩壊と言えるでしょう」とお書きです。私としては、検証は今の/今後の子供たちのためにやるものなので、あくまで現在の聴覚口話法と比較すべきだと考えておりますが、いかがでしょうか。これについては、鳥越先生の論文全体が出てから教えていただくことでかまいません。

2 助け舟を出された方のご意見を拝見しましたが、次の点に疑問を持ちました。
(1) 日本の聾教育の世界では、聴覚口話法の機関で人工内耳の子供を教育する場合でも、聴覚のみで厳しいと思ったら積極的に手話を活用しています。現実に6歳とかまで手話が入力されず手遅れになるというオーストラリアの方が言っているような現象が果たしてどの程度あるのでしょうか。また、人工内耳の子の親も多くが手話活用には柔軟な姿勢です。これは人工内耳友の会あたりの集まりに出席されればすぐわかることです。
(2) 発達障害の先天聾の子供に人工内耳が適さないことは耳鼻科の常識で、東海大学に来たケースは手術した医師の見識が問われかねない「論外な例」だと思います。心理面での非常に複雑な問題を抱えると予想されることが示唆されるなどという以前の話ではないでしょうか。
(3) 現実の聾教育の現場を見ると、心理・社会・対人関係的な面の育ちという軸から人工内耳を批判する意見(特に人工内耳の是非についての意見)は多く見られるように感じるのですが、一方、人工内耳を装用した後の子供たちの幸福を周囲の大人がどう全力でバックアップするかという議論がやや乏しいように感じます。ま、これは感想ですが。

 以上、助け舟を出された方のご意見をさらに伺ってみたい気もしますが、もちろん単なる所感ですから、聞きっぱなしで結構です。
 ただ、いずれにしても子を思う親の気持ちは共通ですから、少なくとも聾教育に携わる人にはどういう方法を選択しても、精一杯の、公平な共感を持って子供に接してほしいと願っています。
 この最後の一文が真に言いたいことです。