昨年末位から、大量のスパム攻撃(大量の迷惑書き込み)を受け、見苦しい状況に
なっていました。 色々と対策をして来た結果、大体のスパムを防止できるように
はなったのですが、逆に、ここをご支援して頂いている方々の中から、読めない、
書き込めないなどのメールをいくつか頂きました。その都度対応はしているのですが
限界があり、ご迷惑をかけている方々には、お詫び申し上げます。
では、よいお年を。
こまりんぼさん。 こちらこそお世話になっています。
やはり、餅は餅屋ですので、片耳失聴などを親身に相談出来るところは、
「ムンプス難聴のお部屋」だと思います。 親がそれぞれの立場で情報を得ら
れればと思いますので、これからもよろしくお願いします。
それから、この書き込みで気付いたのですが、私のリンクに「ムンプス難聴の
お部屋」を入れときます(入れ忘れていましたすみません)。
ようこそ、ひまわりさん。返信が遅れてすみません。
聞える親として、子供が少しでも聴力を得られることを望むのは自然のことだと
思います。でも、それで障害が解消する訳では無く、新たに聞えにくいという
障害を持つことになります。どちらを選択するのかは、それぞれの考えにより
ますが、手術後が重要となります。
まず、担当している医療機関へ、「人工内耳をされた方々とお話しできませんか?」
とお願いされては如何でしょうか? 人工内耳は手術すれば終わりでなく、その
後の訓練が重要になります。 それが整っていない所での手術は、避けるべき
だと思います。 その医療機関とその後の教育機関との連携が密接に行われて
いるか調べてみて下さい。
ここは、私の考えで、聞えない子を持った親が得難い聞えない人々からの情報を
中心にしています。 聞える側からの情報は、通常、診断した所などから得られ
やすいからです。 聞えない人の中には人工内耳を否定的に見る人が少なからず
います。それが、何故なのか、これから色々と情報を得て理解して頂きたいと思
います。 それが、自分の子の将来を知る上で重要だと私は思います。
先ほどの「片耳失聴にも辛いことはある」に関連していますが
>寝たきり高齢者の介護、医療、年金にどれほどの経費が掛かるか、考えたことがありますか?(中略)家族にとって植物人間同様の高齢者でも年金のため死んでは困ります。
・・は言い過ぎではないでしょうか。じゃあ金をかけずに死なせろとか、オムツを替えずに早死にさせろという訳にもいきませんよね。介護をされている家族には胸をえぐられるような言葉だと思います。
様々な支援は、最終的には老人なり障害者なりが自立して自分の人生を楽しめるように・・という論点で議論されるべきです。手厚い支援が老人の自立を阻む、もっと安価で本人のためになる支援があるというなら、先に話題になった聴覚障害者への支援と同じレベルで話せるかも知れません。
自分は辛い、自分は傷ついた、と思いながら他者の苦労や他人を傷つけたことに目が向かないことは私も多々あるのであまり偉そうには言えないのですが。
管理人さん、今年も大変お世話になりました。
昨年の秋に片耳失聴が発覚した娘に関してご相談した時には色々と情報を戴き有り難うございました。
また、先日は私たちが作成している「ムンプス難聴のお部屋」をご紹介戴き有り難うございました。
片耳が全く聞こえないと言っても、残っている耳があるからいいじゃないかと医師に突き放され、希ではありますが難聴者や難聴のお子さんを持つ保護者の方にも同じような言葉をぶつけられることもあります。
しかし雑音の多い場所や大勢での会話にはついて行けず、残った耳の聴力低下に怯えるなど、ムンプス難聴患者にもその親にも悩みはあります(*)。私たちのサイトは患者さんやその家族を子供時代から就職や結婚を含めた生涯に渡って支援出来るようなサイトにしたいと願っています。
*このような悩みはムンプス(おたふく風邪)以外の原因で片耳を失った方にも多いようですので、皆さん心に留めて戴けると嬉しいです。
色々あってこの掲示板には投稿しづらくなっていますが、これからもムンプス難聴と思われる方がご相談に見えたらこちらのサイトご紹介して戴けると有り難いです。
もうすぐムンプス難聴のお部屋は新しいサイトに引っ越します。
現在のサイトより少し内容を増やすことが出来ましたが、これからも皆様のご意見など伺いながらサイトを充実させていきたいです。
> こちらの可能性はありませんか。
>
ご心配ありがとうございます。教育の目的は普遍的なものでしょうが、その手段は多様であると思っています。結果的に、それが過去を否定することになるとしても、それは仕方のないことでしょう。確かに、聾教育の歴史を見れば難しい問題もあるかもしれないし、うちの学校の「自称専門家」の先生方は卒業生に対し「卒業しても一番の楽しみは母校の行事だ」とか「予定が変わると卒業生はそれが理解できない」なんて平気で言っていますから、本当に卒業生のレベルがそんなに低いものであれば、大きな方法の転換に対して非難も強くあるかもしれません。でもまあ、いくら何でも一年間で一番楽しみなことが母校の行事なんていう寂しい人生の人は限りなく少ないでしょうし、年間計画の変更が理解できないような重複障害の卒業生にはそれを支える環境があるでしょうから、非常識的な反発はないと信じています。
話は変わりますが、つい最近も「もっと耳を使わせなければダメだ!」と『自称専門家』の先生が文句を言っていましたが、そういう言葉を聞く度に「ああ、この先生は、何かの本の受け売りだけで、自分の考えはおろか、目の前の子供がどうすれば限られた時間の中で効率よく学ぶことができるか」っていう、教育者の基礎的な考え方ができないんだなぁ」と、哀れに思うようになりました。
ひまわりさんへ
この掲示板は聾問題についていろいろ学べるところですが、人工内耳や聴覚活用などについては大変感情的な反応をする方もいらっしゃり、中立的な助言をお求めならばよそをお捜しになることをお薦めいたします。余計なお世話かもしれませんが、経験から申し上げました。
こんばんわ。私には1歳半の高度難聴の娘がいます。
ここに投稿したのは、人口内耳のことで今悩んでいます。病院からは補聴器の機能に関して厳しすぎると言われています。
そこで、子供さんが人口内耳を行い今現在の想い、考え、感じたことなどの意見をお聞きしたいと思っております。
宜しくお願いします。
↓arata さんの「さん」が抜けていました。すみません。
横から失礼致します。
>私は教育の分野は何も知りませんが、中途以外の方でまともな発音をする人を見たことが ありません。
素人考えですが、聞こえない人がまともな(会話になる)発音を出来るように なるとは思えません。
私はこの文章の中の「まともな発音」という言葉にすごく引っ掛かったのです。
「まともな」という表現は、対象を非難する時に多く使われます。
「まともになるとは思えない」という言いまわしは、
対象となる人をかなり強い意味で非難したり侮蔑する時に使うと思うのです。
arata にそういうつもりが、あったかなかったかという問題ではありません。
そういうニュアンスが込められていると、感じる他者がいると言いたいのです。
「正確な発音」とでも言えば無難だったのかも知れません。
細かい事かもしれませんが、人間関係ってそういう細かい事の積み重ねが
大切ですよね。
もっとも、ご承知の上で書いているのなら、
私の余計なお世話ですから、お気になさらないで下さい。
聴覚障害だけで、子供に合った教育が保障されるならば、必要な援助は、手話通訳・要約筆記・ノートテイクなどで事足ります。いわゆる介護は、必要ありません。
聾重複障害では、子供に合った教育が保障されても、手話通訳とともに、介助や介護が必要になります。就労も困難が伴います。支援法の応益負担で作業所に通うにも、経費がかかり、通所をとりやめた人が全国で200人と聞きました。また、従来の作業所が通所者減と運営費用削減で経営難に陥るところもある中、聾重複障害者のための施設建設も打撃をうけています。(コミできる作業所がないのにです。)
皆さん募金運動に出会ったら、よろしくお願いいたします。
寝たきり高齢者の介護、医療、年金にどれほどの経費が掛かるか、考えたことがありますか?オムツをして(オムツ交換に介護師二人が望ましい、5、6回/一日・夜中も交換)、経管栄養やベッドから二人がかりで長いすのような車椅子に移乗して全介助の食事、機械で入浴(介護師二人必要週2,3回)などなど。しかも、介護はすべて施設にお任せで高齢者の年金をあてにして生活している家族もいるといいます。家族にとって植物人間同様の高齢者でも年金のため死んでは困ります。施設に対する注文は厳しいはずです。何かあれば即入院です。珍しい話ではないそうです。そんなお年よりへの支援費一ヶ月分で両耳のデジタル補聴器が充分購入できると思います。
また、聾学校の校長先生は、聾教育などまったく素人の退職前の方が2~3年勤めて辞められるケースが多いです。なぜかというと、特別支援校で働くと、退職金・年金に手当てが加算されるからだそうです。
ここまで、書きたくなかったけど、暮れの挨拶もしてしまったけど、本当に困っている所に支援が行ってないよ。ということでした。
それと、聾学校の生徒が音楽会で歌を歌うは、ひどいですね。楽器の演奏にしとけばまだよかったのに。なにがしたいのだろう?だれが喜ぶのだろう?
ただ、発音ノウハウは、聾学校で蓄積されているし、楽しく無理なくできる先生もおられるので、それは、きちんと子供に授けてほしいと私は思います。
聴者とのコミ手段が筆談、あるいは音声通訳のみという聾者もおられます。
でも、一般的には、手話の読み取りが下手な聴者と会話するとき、声で話すか手話に声を付けたほうが、コミがしやすいので。
インテするのと聾学校に行くのと、ケースバイケース、子供の能力・家庭環境・学校の力など、個々の子供により違うので、どちらが良いと言えないそうです。進学・就職など実績からも。我が子に合った教育環境を親が選んだり、整えるのは、どんな子も同じ。
もしも、学校が頼りなかったら、塾やフリースクールや通信教育なども活用しながら、家庭教育を充実させるか、転校するか?
教員さん
そこまで凄いわけですか。世の中には教員さんと同じ考えの方から教育を受け成功して
いる人もいるでしょう。そういう人にお願いして直接説明してもらうしか方法は
ないのでしょうね。
ただもしかすると全く別の理由かも知れませんね。教員さんがきちんと説明しても
駄目と言うことは、理解できないのではなく自己保身をしている可能性はありませんか。
仮に新年度からやり方を変えたとします。多少の試行錯誤はあっても、数年後には
成果が出ると思います。それを伝え聞いた卒業生やその親はなんと言うでしょうか。
多分、怒りの声を上げるでしょう。やり方を変えて結果がでると言うことは、今まで
間違えていたと言うことを明らかにすることでもあります。自分の立場を危うくします。
こちらの可能性はありませんか。
> > 私は教育の分野は何も知りませんが、中途以外の方でまともな発音をする人を見たことが
> > ありません。素人考えですが、聞こえない人がまともな(会話になる)発音を出来るように
> > なるとは思えません。
>
> 失礼ですが、これはご自分の世界が狭いことを暴露なさっているようなのものですよ。時代は変わりつつあります。もう少し正視なさったら。
私は学校教育とは無関係の職場で仕事をしています。また子供もいません。社会の一員として
教育にも関心は持っていますが、現在の教育現場を見ていないわけですから、発言に
あたり正直に書いているわけです。知らない人間が知っているかのよう書くのは欺瞞ですからね。
また私自身は聾学校の系統に通ったこともないわけですから、なおさら情報がありません。
私は単に難聴者としての自分の経験と考えを書いているだけです。もしそんなレベルの人が
書き込むなとか、実体を見てから書けと言う意味でしたら、その考えはどうかと思います。
障害者、否障害者をとわず学校教育は広く社会の支持を得た成り立っているものです。
専門家や当事者だけで決められるものではありません。障害者支援もどこまでやるかは
社会全体の合意によります。
「聞こえない」(聞こえいにくいも聞こえないに変わりないと考えて)と言うことを、本当に受容するのならば、わざわざ聞こえに関係するところにこだわっていても仕方がない。訓練を受け口話が上手になったとかあるかもしれないけれど、それも「耳が聞こえない割に」という枕詞が必ずつくはず。健聴者の発音を基準にすれば同じレベルで発音できる聾者は一人もいないでしょうね。でも、それが当たり前。だって聞こえないんだから。
だから、音声言語ではなく視覚言語にする。手話も書き言葉も視覚言語。その事が、どれほど聾学校における矛盾を無くし、効率的な学習に結びつくかなんて事は、教育の専門家ならすぐに分かることです・・・・。
が、うちの学校の先生たちはまぁなんと言うか何なんだろうっていうくらい自分と異なる考え方を受け入れようとしない。しかもそれは、聾学校に長くいる教師や自称聾教育の専門家という教師に強く見られる傾向なのです。「聾学校なんだから、聴覚の活用は必要です」とか何とか言って一切耳を貸しません。中には、健聴者の音楽会に子供を連れ出す先生たちもいるくらい。しかも歌を歌うので、たいそう音痴です。それはそれで良しとしても、他の学校は頭声発声やらで音質や音響にまでこだわって出場してくる訳です。「(下手くそだけど)聞こえないのにすごいね」なんて言われることが何の役に立っているのかと言うことを考えようともしない。そういう教師は、『聞こえる耳はあっても聞く心がない』って感じです。わざわざわかりにくい方法で勉強させておいて、『9歳の壁』なんて言っているもんで、ますます何考えているか分かりません。そんなものは、伝達手段を変えるだけで確実にクリアーできるのにと思いつつ、今日も歯がゆい教育をしているその先生たちを遠目に見ています。
> 学校では、「視覚活用」をメインにし、目からガンガン情報を入れる。フラッシュ暗算・速読等。外国の映画の字幕は要約した内容ですが、完全に訳したものを流してもばっちり読みとれるぐらいの力は最低つける前提で。
> 手話も書き言葉も目から入る言葉です。インテグレして失敗していない生徒は、たいてい視覚活用で力を伸ばしていますよね。私が親なら、言語聴覚士でもない教師に、発音やら聴覚活用やらをお願いしようとは思いません。聴覚活用をして、聴力が上がったなんて話はどこにも転がっていないのですから。聴覚活用なんて事に時間を費やさず、聞こえない分視覚活用で補うことを認めている学校を探します。盲学校が聴覚活用するのを認めているように。
なるほど!教員さんのご意見に大賛成です。
私も、子供の難聴が分かった時、いろんな方から励ましの言葉をかけられ、「私は、こんな聞こえない人を知っているよ。話を聞いてみる?」と何人か紹介していただきました。
60歳を過ぎた聾男性は、とても独創的な製品を開発すると会社から評価されて、定年後も請われて仕事をしておられました。会社でも、一般の人と話すときも、すべて筆記でした。
また、中国語講座の講師をしている人から、「私の講座に補聴器つけてる青年が来ているよ。最初、彼が聞こえにくいと知らず、やたらじーっと見つめられて変に思ったの。でも、ほかの看護師している生徒さんが、彼、聞こえないから貴女の口の動きを見てるのよ。と教えてもらったの。」と右100db、左70db(息子と同じ!)で、普通の人と同じように生活し普通以上にがんばっている難聴青年を紹介されました。
電話で青年に取材〜♪ 電話口から、ポピュラーミュージックみたいなのも聞こえてきました。就学前に聾学校で通級指導を受けただけで、あとは普通に進学・就職した。
スポーツや、趣味も多彩で、夢に向けてさらなる努力もしていて、なんか痛々しい感じすら漂ってくる。そんな彼が最後に言ったのは「あなたがた(親や先生)はね、人が一生懸命話ているのに、何度も何度もやり直しさせないでほしいんです。」という事でした。
「はい、わかりました。肝に銘じます。」そう思いました。きっと、今までずっと訴えたかったのでしょうね。受け止めることができて、よかったです。
聾児は、記憶ができない 。とされて、そのためか絵日記など、やたら書かされ。
「ちょっと待って。子供の書きたい気持ちに先走りしてやらせて、書くことが嫌いになったらどうするの!」と言いたいときもありました。
聾児は、記憶ができない、というのは嘘で、視覚的に実によく覚えていて、記憶を言葉に乗せられるようになったとき、「えっ、そんなこともあった!?」なんてことが、よくあります。だから、漫才のものまねネタは、めちゃ笑えます。実によく見てます。
やっぱ、笑顔の数だけしあわせがあるでしょう。
なにごとも、心おだやかに喜んでやりたいものです。
今年も、皆様のおかげでよい年になりました。
ありがとうございます。どうか、よい、お年を。
> 私は教育の分野は何も知りませんが、中途以外の方でまともな発音をする人を見たことが
> ありません。素人考えですが、聞こえない人がまともな(会話になる)発音を出来るように
> なるとは思えません。
失礼ですが、これはご自分の世界が狭いことを暴露なさっているようなのものですよ。時代は変わりつつあります。もう少し正視なさったら。
日常会話でのやり取りには手話は欠かせないでしょうね。聴覚障害者同士で自由にコミュニケーションできるのは手話をおいて他にはないでしょう。いちいち書かなくても、しっかり読みとれるし、日常会話で専門用語なんてそんなに使わないし。
それに、健聴者の立場でも、知ってると便利な事もある。騒音の中でも伝わるし、便所なんて、声に出して言いたくない場所もあるでしょう。また、数字は片手ですべての数字が表せてしまう。こういう面からの歩み寄りが双方にあると、少しはバリアフリーも進むかもしれませんね。
私は教育の分野は何も知りませんが、中途以外の方でまともな発音をする人を見たことが
ありません。素人考えですが、聞こえない人がまともな(会話になる)発音を出来るように
なるとは思えません。会話というのは殆どの場合、キャッチボールで意味をなします。
一方的に話しても仕方ありません。となると読唇も身につけなくてはなりません。
そんな時間があるなら学力向上にあてるべきでしょう。障害というハンデがあるのですから
他の分野でさらなるマイナスがあってはとんでもないことになります。聞こえなくても
きちんとした日本語の文章が書けて、専門的知識があればいくらでも仕事は有ります。
健聴者でも秀でたものがないと、まともな仕事がない時代です。教員さんの書かれた状況で
あるとしたら、福祉で食べることを前提に自立を放棄しているとしか思えません。
但し学校で教えるかどうかは別として、手話は重要だと思っています。生きて行くだけなら
井戸端会議的雑談はいりませんが、それではストレスが溜まり結局駄目になってしまいます。
手話が流暢に使えれば、限られた相手とはいえ、雑談を楽しむことが出来ます。聾者の
忘年会に呼ばれたときに楽しく会話されているのを見て、その大切さを理解しました。
「なお私のご縁のある全く聞こえない方々は、皆、真面目に仕事をしたり家事をされて
います。おかしな方はごく一部だと信じたいですね。」
結局は、その人なりなのでしょうね。ちょっと大げさかもしれなかったですが、何しろ私の周りには尊敬できない使い方や考え方を持つ方が多いものですから、やはり感激はしました。
「第一、フェアプレーじゃないから。やってて面白くないんだけど。なにが楽しくて「聴覚口話〜!聴覚口話〜!」なんだろう???」
確かに私の学校も聴覚口話法。こればっかりはどうしようもありません。手話(日本手話)の必要性も分かります。で、手話(対応手話)を使っている職員もいます(あんまり理意味無いけどその先生はそれで満足みたい)。
で、手話云々の以前に、問題視したいのは、「聴覚活用を強制すること」ではないかと、最近思っています。聴覚活用?聾学校なのに?それって、聞こえないことを否定している事ではないでしょうか?っていうか、発音指導とかにえらい時間をかけていますが、所詮教えるのは素人です。言語聴覚士でも何でもありません。
盲学校に「視覚活用」なんて時間は存在しません。盲学校では聴覚を活用して能力を伸ばしていきます。ならば、聾学校では、聴覚活用ではなく、「視覚活用」ではないでしょうか?これならば、言語聴覚士の資格がなくとも、教師であれば、授業中にしゃべる分板書しまくり、子供はそれをノートに書きまくることができます。一切音がなくとも、授業できるし、話し合いも書くことで密度の濃い話し合いができます。いちいち前に出てしゃべらされ、「今の○○君の意見聞こえた?」なんて、いちいち確認していく授業の10時間分ぐらいの話し合いが30分ぐらいでできます。しかも、書いていくので、記録にもなるし、文章の間違いも指摘できる。これは健聴者の授業でも使っているやり方です。
手話がいらないとは言っていません。ただ、何とか頑張って手話を覚えて使っている程度では、手話で情報保障していると言いながら、自分の手話の語彙に合わせて言葉を簡単にして話しているだけなのです。これでは、勉強の場で言葉が増えるはずがありません。授業時に中途半端な手話を入れることにより、いつまでたっても小学校低学年程度の言葉しか使わなくなっているんです。中には、英語の授業で、日本語対応手話をつけながら進めていた馬鹿な教師もいるくらいです。
話がずれましたが、「聴覚活用」のために、幼稚部の子供は、小さい頃から何かにつけて音・音・音を意識させられます。小学部では「きこえたの?」とか「ちゃんと見てたの?」とかひどいときには「ちゃんと聞いてなさい!」って言われます。そんな場面を遠目に見るたびに「オイオイ、ここは聾学校だぞ。聞こえないからきてんだぞ」って思います。教える方も訳も分からずやらされる発音指導もそう。これらを、一切学校から切り離したらどうなるか?聴覚のケアや発音は、専門医に任せそれが有効である子の親が連れて行く。学校では、「視覚活用」をメインにし、目からガンガン情報を入れる。フラッシュ暗算・速読等。外国の映画の字幕は要約した内容ですが、完全に訳したものを流してもばっちり読みとれるぐらいの力は最低つける前提で。
手話も書き言葉も目から入る言葉です。インテグレして失敗していない生徒は、たいてい視覚活用で力を伸ばしていますよね。私が親なら、言語聴覚士でもない教師に、発音やら聴覚活用やらをお願いしようとは思いません。聴覚活用をして、聴力が上がったなんて話はどこにも転がっていないのですから。聴覚活用なんて事に時間を費やさず、聞こえない分視覚活用で補うことを認めている学校を探します。盲学校が聴覚活用するのを認めているように。
ぴたぱさん
>
> 障害者福祉のレベルにも地方により、格差があると思います。
> すごく、甘〜い、地域にお住まいなんですね。
私がご縁のある聾の方もこのような使い方をする人が目立つと、必要な支援まで受けられなく
なりかねないと危惧していました。別に珍しいことではないと思いますよ。
お返事遅くなってごめんなさい。なかなかパソコンに向かう時間がなくて‥。
ご質問ですが、2ヶ月頃は、おもちゃで遊ぶというか寝ている時間のほうが多かったですよ。今でこそ興味のあるものにはどんな方法を使ってでも進んでいきますが、きっとゆめさんのお子さんはこれからどんどん成長されることと思います。心配性の私が言うのもおかしいですが、のんびりやっていきましょうね。
> 自立支援法の改正もあり、いま障害者というくくりの中で、明らかに負担が増え明日の生活すら危ぶまれていたり、その失望感から自殺してしまった障害者の方もいます。生活自立の可能な障害と生活自立の不可能な障害があるのが事実。職場にも生活自立のできる障害者が勤務していますが、我々と同じ給料に加え障害者年金8万円が支給され、当然、補装具には補助が出ます。高速を使えば半額、電車も半額。勤務先に近い住まいなので通勤手当は出ませんが、「面倒だ」と言って、ガソリン高騰のこの折りにも車で通勤しています。その一方で仕事ができるかと言えば、すぐにテンパッてしまい「もう辞めたい」と何度も漏らします。もう少し、効率よくできるようにとか仕事上のことを経験豊富な方がアドバイスしても「自分の気持ちなど分かってくれない」と聞く耳持たずです。聴覚障害者は聞く耳こそ無いかもしれないけれど聞く心すらないのか?とさえ思ってしまうほどです。また、聴覚障害者の若者でスポーツをやっている団体がうちに来ていますが、皆若いのに良い車に乗り、改造もし装飾にまでお金をかけています。また、保護者の中には、自分の子供を送ってきたこと無いくせに、自宅の車を「送迎に必要」と偽って補助を受けたり、自分の子供のことなのに「補助がでないんならやらない」って言う同じ親として軽蔑せざるを得ないことを平気で言う親もいます。
> 障害者だから贅沢をするなと言っているのではありません。自力では歩くことも、食べることもできず全介助を必要としている障害者が、苦しんでいると言うことを言いたいのです。そりゃあもらえる物があるうちは、もらえた方が良いですから良しとして、本当にこの悪法が見直され、単一の聴覚障害は生活自立できるのだから年金はカットという事になったときに、それを受け入れるだけの器であってほしいなと思っていたのです。
障害者福祉のレベルにも地方により、格差があると思います。
すごく、甘〜い、地域にお住まいなんですね。
聾者が聾者として育ち生きる権利を保障していない、今の日本の聾教育は、
民主主義や福祉以前なんですけど。
教育方法も、独特に遅れたものですし。
第一、フェアプレーじゃないから。やってて面白くないんだけど。
なにが楽しくて「聴覚口話〜!聴覚口話〜!」なんだろう???
そうそう、聾者・難聴者のいわゆる「成功事例」の話は、たくさん聞きますし、講演も勉強会もありますし、書物もたくさんあります。聾者の運営するフリースクールもある、
難聴児を育てたお母さんの「教室」にも通いました。昔は口話のみで育ててこられたのですが、今は子供は手話教室の講師もしているし、お母さんも手話を習得しておられます。筑波大学に対抗して文系の聾者のための大学も計画されています。
そういえば、
人工内耳の方の「成功事例」のお話は、まだ聞いたことないです。
がんばって下さい。
教員さん、さすがに大げさですよ。私は親も含めて生活苦でもなく、会社員として
人並みの稼ぎがあります。補聴器を買うくらいのお金はあります。ただパソコン同様
ほいほい買えるものではないと言うだけです。まあ今は必要ないので楽ですが。
私も音声会話が不可能な方と若干ご縁があります。コミュニケーションが、スムーズに
取れないと言うことは大変なストレスのようです。障害者への補助は生活の不便を取り
除くためだけでなく、精神面の負荷に対しても配慮されているのだと思います。
私は補聴器を使えば普通に電話も使えていましたし、今は手術で補聴器さえいらなく
なっています。私とお書きになっておられる例の方を比較するのは適当ではありません。
また、補助を申請すれば法的に障害者と言うことになります。障害者と認定される
事に抵抗感がなかったと言えばウソになります。
要は精神的、負担をどこまで考慮するかだと思います。但し障害の制限はあっても
出来る範囲で最大限努力して頂くことは必要だと思います。障害者自立支援法で
生活が苦況に追い込まれたという話も聞きます。教員さんが書かれた不適切な使い方を
している人の分を削り、苦境に追い込まれている人に回すことはいずれ話題に上ると
思います。
なお私のご縁のある全く聞こえない方々は、皆、真面目に仕事をしたり家事をされて
います。おかしな方はごく一部だと信じたいですね。
聞こえない人や聞こえない子って何故呼ぶのか?
それが聞きたい。
そういう方もいらっしゃったのですね!大げさかもしれませんが、感動しました。人は誰だって助け合いの中で生きています。私も、足を怪我して歩くのに不自由になったときに、障害者スペースに駐車させてもらいました。で、障害者スペースだからといって歩くことに何の不自由もない者(障害者含め)がそこに駐車することに対し、憤りを感じます。
自立支援法の改正もあり、いま障害者というくくりの中で、明らかに負担が増え明日の生活すら危ぶまれていたり、その失望感から自殺してしまった障害者の方もいます。生活自立の可能な障害と生活自立の不可能な障害があるのが事実。職場にも生活自立のできる障害者が勤務していますが、我々と同じ給料に加え障害者年金8万円が支給され、当然、補装具には補助が出ます。高速を使えば半額、電車も半額。勤務先に近い住まいなので通勤手当は出ませんが、「面倒だ」と言って、ガソリン高騰のこの折りにも車で通勤しています。その一方で仕事ができるかと言えば、すぐにテンパッてしまい「もう辞めたい」と何度も漏らします。もう少し、効率よくできるようにとか仕事上のことを経験豊富な方がアドバイスしても「自分の気持ちなど分かってくれない」と聞く耳持たずです。聴覚障害者は聞く耳こそ無いかもしれないけれど聞く心すらないのか?とさえ思ってしまうほどです。また、聴覚障害者の若者でスポーツをやっている団体がうちに来ていますが、皆若いのに良い車に乗り、改造もし装飾にまでお金をかけています。また、保護者の中には、自分の子供を送ってきたこと無いくせに、自宅の車を「送迎に必要」と偽って補助を受けたり、自分の子供のことなのに「補助がでないんならやらない」って言う同じ親として軽蔑せざるを得ないことを平気で言う親もいます。
障害者だから贅沢をするなと言っているのではありません。自力では歩くことも、食べることもできず全介助を必要としている障害者が、苦しんでいると言うことを言いたいのです。そりゃあもらえる物があるうちは、もらえた方が良いですから良しとして、本当にこの悪法が見直され、単一の聴覚障害は生活自立できるのだから年金はカットという事になったときに、それを受け入れるだけの器であってほしいなと思っていたのです。
そんな中、arataさんのように、自ら「しかし安くは無いとは言え払えない額ではなかったので、申請しませんでした。世界には明日の生活にも事欠く人が居ます。お金はそちらに回してもらおうという考えでした。」と考える聴覚障害者の方がいらっしゃることを知りました。本当に尊敬します。
私自身、給料には不満がありますが、もっと苦しんでいる人のためにできることにはもっと力を注いでいきたいと思います。
お返事ありがとうございました。とてもうれしかったです。
そうですね、しつこく聞いたほうがいいですね。
目の前にとてつもなく高い言葉の壁がありますが、がんばってみます。
息子に難聴の疑いがでた頃にインターネットでいろいろと情報を探し回り、このサイトと出会いました。どのコラムもとても読みやすく、息子と私たち家族にとって何が大切かをじっくり考える事ができ、とても感謝しています。ありがとうございました。
これからもどうかよろしくお願いします。
私へのコメントでしょうか。そう理解して書きますね。私は何らかの手段で、健聴者と全く
同じレベルで生活できるようになった時のことを想定して書いています。聾文化を守るとの
発言を、手術を受けさせないようにしてとか、全く手話は必要としなくなっても教えてとか
そういう形で何が何でも残していくのだと解釈しました。手話が有効な状況で使ったり
覚えたりすることを否定しているのではありません。
ボランティアの人からお手伝いしてくれるとわたしたちにとってとても助かります。
そして、こどもたちと関わってみて、将来のことを見据えて、体験してみませんか?
兵庫を中心に活動していますが、県外からの参加者も多々来ています。
たくさんの参加、スタッフ一同心よりお待ちしております。
ボランティアも募集しています。ボランティアしたい方はURLをご覧下さい。
ボランティアの仕事の内容は、
・写真・子どもと一緒に遊ぶ・準備・健聴の方は、通訳
など色々あります。
1日目
14:30 集合・受付・はじめの会
15:00 お正月の遊び(子ども)
17:00 夕食
18:00 ひみつの遊び(子ども)
19:30 お勉強(小中高)&入浴(幼)
20:30 入浴(小中高)&就寝(幼)
22:00 就寝(小中高)&交流会(親)
2日目
07:00 起床
07:30 朝食
08:30 掃除
09:00 ひみつの遊び(小中高)&受付(幼)
10:30 お勉強(小中高)&からだであそぼう、絵本読み聞かせ(幼)
11:30 おわりの会
12:30 解散
※時間の都合により、変更する場合があります。
ご多忙のこととは存じますが、ふるってのご参加お待ちしております。
こんばんは。
Deaf Kids Free School「かもめ兵庫」の事務局・チョビのり☆です。
毎日寒い日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
さて、1月の企画のお知らせです。
詳しくはURLのとおりです。
URLをクリックすれば、詳細、参加申込が出てきます。
ろう児または難聴児(乳幼児〜高校生)、CODA児、ろう児または難聴児、CODA児を持つ親御を対象にしています。
兄弟姉妹の参加も可能です。
兵庫を中心に活動していますが、県外からの参加者も多々来ています。
たくさんの参加、スタッフ一同心よりお待ちしております。
確か、国家予算の25%が社会保障費用でそのうち70%が年金・高齢者医療費・介護など高齢者関係です。子供と障害者に充てられる福祉予算は微々たるものです。
それと、だれでも年をとると障害者になるんですね。
人事ではないんですけどね。
同じ予算の使い道ということからも、手話なるべく使わないで聾者は除外して!?とゆう日本の「前近代」聾教育は、とても効率が悪い。
デンマークでは聴覚障害児の80%(70〜90?とにかく高率)が人工内耳にするが、
国家により聞こえる親に対しても手話習得の利便が計られ保障されています。
難聴でも人工内耳でも幼少期、手話併用が自然で教育効率もいいと思います。
聴覚中心で育てるか、手話中心で育てるかは自由なはずです。
どちらも誰からも強制される事ではないはずです。
USでの診断後のフォローの充実は(と言うより日本での不十分さですが)聞いて
います。家族でアメリカ手話をはじめられた事、すばらしいと思います。
これからも頑張って下さい。
補聴器の早期装用についてですが、不安ならば、担当医師や言語聴覚士などに、
しつこく聞くべきだと思います。 私の知っている範囲では、無理な音
(聞える人にとって大き過ぎる音)を入れれば、耳を傷めます。騒音の中で
長時間過ごすと難聴になるのと同じです。 その為に、幼児のフィッテイング
は、慎重の上にも慎重さが必要となります。 また、赤ちゃんのデリケートな
肌に密着したイヤーモールドを入れますので、耳穴の中が密閉状態となります
ので、中耳炎などへの注意も必要です。 ですから、専門家のアドバイスを
常に受けながら、装用する必要があります。 音の機能が残っている場合は、
早期装用は効果的ですので、これらのバランスを考えて進めて下さい。
関西ダイバーさん、
取るに足らない事なんですよ。
その記事、とっくにミクシィやSNSでも話題にもなってますが。
記事を読んだ時、一瞬、「いつの時代の話」だよ?
それだけ。
その元校長が現在、何をしてるか?というと、
どっかの専門学校の非常勤の講師に過ぎません。
> びたぱさんの全国PTA・・の話驚きました。
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> 読売新聞でお読みの方もいると思いますが、元北海道小樽聾学校校長が「聾学校では手話よりも読唇を」という文章を書いています。
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> これにも驚きました。
> 国連では手話が権利として認められようとしている、この時代に。しかもろう学校の(元)校長やPTAの関係者の意見だなんて、、、
>
私は補聴器を長年していました。お世話になった先生方は、補助の申請を勧めて
下さいました。しかし安くは無いとは言え払えない額ではなかったので、申請
しませんでした。世界には明日の生活にも事欠く人が居ます。お金はそちらに
回してもらおうという考えでした。私は医学的には難聴です。今でも片方は
治してませんから悪いままです。しかし法的には障害者ではありません。
限りある支援を何に使うかは意識すべきでしょう。聞こえるように出来る
時代が来たら、そのようにして頂き、支援はまだ不便が治せず続く方に
回すべきだと思います。
私は今の時点で最適な教育が何であるかは当事者でも専門家でも無いので分かり
ません。当事者であるお子様に最適な教育が、なされるように政府もして欲しいと
思います。この話と手術の話は別です。人工内耳だけでなく細胞レベルでの再生
医療も研究が進んでいます。報道から感じる感覚論ですが、今世紀中に相当数の
難聴が治る時代が来ると考えています。
世の中の変化で自分だけ拘っていてもどうのも成らないことが、たまにあります。
聾文化の問題もその一つかなと思います。
びたぱさんの全国PTA・・の話驚きました。
読売新聞でお読みの方もいると思いますが、元北海道小樽聾学校校長が「聾学校では手話よりも読唇を」という文章を書いています。
これにも驚きました。
国連では手話が権利として認められようとしている、この時代に。しかもろう学校の(元)校長やPTAの関係者の意見だなんて、、、
ロサンゼルスからこんにちは。4歳の女の子と8ヶ月の男の子の母です。
長男は3ヶ月早く生まれた超未熟児で両耳に高度難聴があります。
出産直後は息子や家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいで、一人で泣いてばかりいました。思う存分泣いたのが良かったのか、ある時から息子と家族のこれからの事にフォーカスすることができるようになりました。
退院時に難聴の疑いが出たときも、自分でも不思議なくらい冷静に受け止められました。4ヶ月近い入院生活の後でやっと家族みんなで生活できる嬉しさの方が強かったのだと思います。
退院してからも耳に限らずいろんな検査を受ける日々が続きましたが、息子は日に日に健やかに成長していきました。最近はあやすとよく笑います。子どもの笑顔は最高のご褒美ですね。つらい気持ちも吹っ飛びます。
私たち家族は2ヶ月ほど前からアメリカ手話を勉強しています。娘は家族みんなでやる手話の時間が大好きで覚えも良いです。そのうち日本手話も始めたいと思っています。
政府の早期介入プログラムのおかげで補聴器も持っているのですが、今は着けていません。耳の専門家は早く着けていろんな音を聞かせなさいと言うのですが...
息子は当初の出産予定日から数えると5ヶ月になったばかりです。早期の着用でかえって耳に負担がかからないか悩んでいます。
お久しぶりです。arataさんと同じ難聴児の親です。息子は今は聾学校に通っていますが、いずれ普通の人たちと同じように、進学・就職しなくてはなりません。
arataさんのお気持ちもよくわかるつもりでおります。
しかし、今の日本の聾教育では、聾者が日本手話を言語とする少数民族として育ち、生きる権利を保障しておりません。むしろ侵害しています。
たとえば、一昨日、息子が「全国ろう学校PTA連合会会報」を持ち帰りましたが、山東昭子会長以下「親(聾の親は除外されてます、会議を撮ったDVDには、字幕がなく、手話通訳が映っているのもごく一部)は苦労するが、聞こえる子のように話せて読唇できる大人にそだてましょう!― 人はみな、涙の数だけ幸せになれる ―エイエイオー!」って感じです。私と息子には聾家族の友達がいるので、とても耐えられません。
表題の本を知っていますか? 聴覚障害関連では、とても有名な本です。
<本書紹介文より>
ボストンの南に位置するマーサズ・ヴィンヤード島。
遺伝によって耳の不自由な人が数多く生み出されたこの島では、聞こえる聞こえ
ないに関わりなく、誰もがごくふつうに手話を使って話していた。
耳の不自由な人も聞こえる人と全く同じように大人になり、結婚し、生計を立てた。
* * *
1900年頃までの話しなので、島のお年寄りへのインタビューと言う調査方法で
研究したものです。 その中に、Aさん(聴者)へ隣に住んでいたBさん(ろう者)
についてのインタビューで、Aさんは、「Bさんは魚とりが上手くて・・・」などと
答えていました。 最後にインタビューアがAさんへ「Bさんはろう者でなかった
ですか?」と聞いたら、「そう言えば・・・」と答えたそうです。
(現本がないのでうろ覚えですが)
ここでは、聞える聞えないは重要な問題ではないし、19世紀のことですから、
障害者への福祉は存在していないでしょう。 では、現在と何が違うのか?
ろう者の割合だけではないでしょうか。(と言っても確か20〜30%程度だった
と思います。正確には本書の中に書いてありました。)
マジョリティ(多数者)が自分の都合のよい社会を作って行く、
その中でマイノリティ(少数者)は不便な生活を強いられる。
しかし、現実には多数者が優先してしまいますから、その不足分を少しでも
補うのが福祉だと思うのです。
多数者側は“生活できないから養っていると”考えてはならないと思います。
少数者にとって生活できにくい状況を作ったのは、多数者側ですから。
また、少数者側としても、不便さは主張するとしても、それを改善してもらった
ならば、“少数者のためにしてくれてありがとう”と言う気持ちを持って欲しい
と思います。現実に少数者に為に多くの労力や金額を出さなければならないの
ですから。
そうすることで、両者が納得する社会が実現していくと思うのです。
聞こえるようになったら、ろう者の資格を捨てるつもりか。