[10215] 今年もあと2時間 投稿者:ととさん 投稿日:2003年12月31日 (水) 22時02分

このホームページをはじめて、5回目の年越しです。

今年は、仕事を変わった関係でバタバタとしていて、掲示板の管理が昨年に引き続き
おろそかになってしまいました。みなさんにはご迷惑をかけ、申し訳ありませんでした。
掲示板の運営で問題も多かったのですが、常連さんや、他の方々の助けがあるから、
この掲示板は続いていまようなものです。
みなさん、これからもよろしくお願いします。


[10214] いちご大好きさんへ 投稿者:ととさん 投稿日:2003年12月31日 (水) 10時36分

ようこそ、いちご大好きさん。 ここの管理人をしているととさんです。

今はショックの方が大きいので、マイナスの面ばかり考えてしまうでしょうが、ちょっと
発想を変えることも大切です。
「どうして、お子さんは、いちご大好きさんの家庭に生まれて来たのでしょう?」
世の中は健常者と言われる人ばかりではないですよね。何百人に一人とか、障害を持った
子供は生まれます。 それは、生物としては、避けて通れない事だと思います。 そして、
どの家にその子が生まれるかを、どうやって決めるのでしょうか? それは、神様が
「この家庭ならば、この子を任せても大丈夫。」って、考えているのではないでしょうか。 
そう! いちご大好きさんが、そして家庭が任せられるようなすばらしい家庭だから
ではないでしょうか。 自信を持って下さい。
今の時期は、お子さんにとって一番大切なのは、お母さんの笑顔です。
その笑顔を見て、子供は安心して
スクスクと育ちます。 楽しい子育てを続けて下さい。 


[10213] いちご大好きさんへ 投稿者:ゴジモンママ 投稿日:2003年12月31日 (水) 08時13分

はじめまして。

アクトさんが丁寧に書かれていたので、もうそれでいいのかなと思いますが、少し気になるところがあるので、一言だけ。
大きな手術をしたとのこと、どのような手術かわかりませんが、知り合いの親子で、心臓病の手術をしたあと、聞こえなくなったケースを2例聞いています。また、先日行われた新生児聴覚スクリーニング京都シンポジウムで報告された例では、新生児期の検査ではパスだったのに、重度の感染症治療のためにゲンタマイシンを含む抗菌化学療法を行ったあとで、聴覚障害となっていたというお子さんが出ているそうです。
もしかしたら、聞こえていたお子さんだった可能性もあるのではないでしょうか。お母さんが気づかなかったことで、ご自分を責めるようなことはしないでくださいね。今のお子さんをどうぞそのまま受け入れて、そしてその親であるご自分もどうぞ自責の念などに苦しめられることなく、大事になさってください。
聞こえていても聞こえていなくても、乳幼児期の子育ては同じ、いくつか注意すればいいことがありますが、基本は同じですよ。大丈夫、今までのお母さんでいいのですよ。
周りの人の助けを上手に使いながら、楽しい子育てをしてください。


[10212] れんこんさんに納得 投稿者:アクト 投稿日:2003年12月31日 (水) 00時52分

れんこんさんのおっしゃっていることは私もよく理解できます。日本語の獲得は、幼児期後半になったらかなり意識的にやらないといけないと思います。聞こえない子は日本語は自然言語として獲得はできないですから。その時期を逃すとあとから追いつくのはかなり難しいですね。これもある種の「臨界期(最適期)」かもしれません。「日本語は日本語として」というのもそう思います。獲得している手話との翻訳というか変換も必要だと思います。いわゆるChain Method。

日本語の音韻の獲得に聴覚を使える子供は使えばよいし、それはひとつの有効な手がかりとなるとは思いますが、130dBスケールアウトの子供でも文字・指文字という音節レベルの記号を使って日本語の獲得はできますから、絶対的な条件ではないでしょうね。

バイバイ教育に関しては、日本語リテラシーの獲得(あるいは英語リテラシーでも)についての実証的な論文は見たことがありませんので(知っている方がありましたらぜひご紹介ください)、なんともいいようがありません。


[10211] いちご大好きさんへ 投稿者:アクト 投稿日:2003年12月31日 (水) 00時31分

題名を書いていたら送ってしまいました。「いちご大好きさんへ」と書くつもりでした。ローマ字入力は間違いです。


[10210] itigo 投稿者:アクト 投稿日:2003年12月31日 (水) 00時29分

始めまして。アクトと申します。お子さんは今まで難聴だと気づかなかったとのことですね。きっかけは、ご主人の祖父母の方からの「聞こえていないのでは?」という一言と「言葉の遅れ」ということなのですね。しかし、「今までは頼んだことなどなんでもしてくれた」とのこと。こうした状況から推察するとお子さんは2歳くらいなのでしょうか? そして、聴力は中等度でしょうか? あるいは高音急墜型の聴力型なのでしょうか? 「頼んだことを何でもしてくれた」というのは、「言葉だけで」なのでしょうか? それとも言葉だけというより、日常生活の中で、ものごとの文脈やその場でのなんらかの視覚的な手がかり、あるいはお母さんの無意識的なしぐさ、ゆびさし、目線、表情などが手がかりになっていたのかもかもしれませんね。とっても感のいいお子さんかなという気もします。
補聴器を装用し始めて「前より声を出して笑ったり怒ったりするようになった」とのことですから、一応、病院のドクターやSTからの指導は受けていらっしゃって、今のところ、補聴器のフィッティングの状態も悪くはなさそうですね。
さて、詳細についてはこれ以上わかりませんので、あまりもうしあげることもないのですが、まず大事なことは、これまで気がつかないできたこれまでの自然なかかわりをそのまま大事にすることだと思います。お母さんとしてはおそらく、「難聴である我が子」に驚かれ、また、手術などのこともあって我が子を苦しめてきたのではないか・・・と自責の念にかられていらっしゃるのではないかと思いますが、決してそうではないと思います。お子さんは十分にご両親の愛情を感じて育ってきたのではないでしょうか。お母さんの頼んだことを何でもしてくれる、というところにお子さんとお母さんとの信頼し合った関係をみることができるように思います。ですから、自信をもってこれまでと同じように育ててください。その上で、難聴ゆえに配慮しなければならないことがあります。とくにことばの獲得に関してですね。それは、今、いっておられる病院?療育機関?学校?どこかわかりませんが、そこでよく相談されればよいと思います。ただ、ひとつだけ大事にしてほしいこと。それは、中等度でも高音急墜でも音声言語だけで十分ということはないことです。視覚的な方法たとえば手話とか指文字というのがとても大事です。それをあわせて使うアプローチがよいと思います。
 


[10209] 初めて投稿します。 投稿者:イチゴ大好き 投稿日:2003年12月30日 (火) 03時17分

皆様初めまして。イチゴ大好きな2人の子を持つママです。
私の子、長女は生まれてすぐ大きな手術をしたりと色々な試練を乗り越えてきました。その長女が今年の10月に難聴だという事が分かりました・・きっかけは言葉の遅れなどで・・旦那の親に呼んでも振り向かないから聞こえていないのでは?と言われたのも1つです。今まで私が頼んだ事など何でもしてくれていたので、難聴と聞いても初めはしんじられませんでした・・長女を苦しめてばかりの最低なママだと自分を責めたりもしました・・
今月に入ってようやく補聴器を付けられるようになりました(^v^)前より声を出して笑ったり怒ったりするようになりました。長女は自分なりに聞く事を覚えようと頑張っている中、私は何をしてあげたらいいのか分かりません・・正直焦っています。
誰か教えていただけないでしょうか??


[10208] 日本語学習 投稿者:れんこん 投稿日:2003年12月30日 (火) 02時42分

私は聞こえない子をもつ親で、当然一般論ではお話できませんが、私が考えてることを書かせてください。

何年か前になりますが、トータルコミュニケーション研究会の大会で、鳥越先生の講演を聞きました。聴覚障害児の手話言語獲得について話されましたが、その時先生が研究の対象にされていたのは、祖父母世代からのデフファミリーのお子さんでした。

常に完璧な日本手話が家庭の中に溢れているデフファミリーと、片言の手話しか話せない私達聞こえる家族。
バイリンガル教育について考えた時「日本手話を母語として与える」という絶対必要条件を聴者家庭において整えることは、非常に難しい、というか、はっきり言ってできないと、当時個人的には限界を痛感していました。

ろう者家庭と聴者家庭の決定的な条件の違い、その辺りのことが曖昧なまま、バイリンガル教育が語られることについて、私としては不安を覚えます。
バイリンガル教育を成功させるには、極端な話、聞こえない我が子をろう者家庭に里子に出さなきゃならないのでは、と言った人もいて、私もその時は「そう考えたくもなるよな〜・・・」と思ったものです。

いくら頑張ったところで、私の手話はせいぜい日本手話っぽい日本語対応手話でしかなく、子供もフリースクールに行ったところで、手話言語力については英会話教室に行くようなもの、デフファミリーの子とは比べようもありません。
そんな状況の中で、果たして親である私は、日本手話で日本語を、日本語の読み書きを、教えられるのか、身に付けさせられるのか?

私は、聴者家庭のうちの子について言えば、無理ではないかと懐疑的にならざるを得ませんでした。

子育ての始めの何年かは、うちの子は聞こえないとわかってすぐ手話を始めたんだもの、先行きは明るい。うちは手話をやってるから楽しく豊かにコミュニケーションとれてると、大船に乗った気持ちでいました。環境を与えれば、手話が身につくというのは、子供を見てて実感できました。

けれども日本語の獲得についていえば、幼稚部の半ばごろ、壁にぶつかったと感じました。成長するにつれて、手話で説明するだけでは、内容はつかめても、日本語としては理解させられない事が増えました。そうした状況に至って、聴者の私が子供に身に付けさせようとすれば、日本語は日本語で教えるしかないと思うようになりました。

東京で流行りの手話教室では、ダイレクトアプローチ(ナチュラルアプローチ)で手話を教えていますよね。私は、日本語だって充分力を付けるためには、日本語によるダイレクトアプローチが必要なのではないかと考えるようになったのです。

今我が家では、たわいもないおしゃべりはさておき、生活の中の色々な場面で、日本語ならこう言うんだよと教えたい時は、目に見える日本語として対応手話・指文字・キュード(これは学校で使ってるので仕方ない面もあり‥)を使っています。それらの内容を日本手話ならどう表すのが適切か、それは母語話者ではない私には、正直わからない事の方が多いのです。それで、教えたい日本語の意味がそのままではつかめない場合は、私なりに日本手話的に説明するという方法をとっています。

もし興味がおありの方がいたら、『聴覚障害』誌12月号に載っている、長南浩人先生の「聴覚と手話の併用」を読んいただけたらと思います。聴覚活用や口声模倣は、音を聞かせたり発音をさせることだけが目的ではなく、日本語の音韻表象を子供の脳内に形成する効果があり、子供にとっては、より楽に日本語を獲得できるというようなことが述べられています。また、聴覚活用と手話使用は、対立するものではなく、むしろ双方を使用することが日本語発達に貢献するとしています。

子供が幼稚部の時、日本語の音韻(リズム)を身につけることが、その後の日本語力の伸びに大いにプラスになると、アドバイスしてくれた人がいましたが、その事と重なってなるほどと思いました。念の為言い添えておきますが、この場合日本語力とは、声で話す事ではなく、読み書きを中心とした日本語力を指しています。

日本語の音韻と言ってもピンと来ないかも知れませんが、私は簡単に言えば、いわゆるごろが良い、ごろが悪いなどと感じられる感覚のことだと理解しています。子供が小さい時は、よく『ぐりとぐら』のかるたを使って遊びました。このかるたは、言葉は簡単なのですが、どれもすごくごろが良いので、聞こえる上の子も大好きでした。

うちの子は両耳平均聴力120dbなので、会話の際音声はほとんど役立ちません。(家では補聴器ははずしっぱなしです。)それでも日本語の音韻が多少なりともつかめていることが、読み書きだけでなく、読話をも助けているのではないかと感じています。

祖父母のの代からのバリバリのデフファミリーという人を何人か知っています。それぞれ幼稚部の時から日本語教育に熱心です。「手話をやってれば大丈夫」なんて、甘いもんじゃないと、実感としてわかっているからでしょうか。(聞いてみたことはないけど‥)
鳥越氏のいうバイリンガル移行論も、私の知ってるその人達についてなら当てはまると思っています。

ところで‥
インテグレーション教育を目指した親子が、10年15年たって、こんなはずじゃなかったと来た道を振り返り見る。そして、なかなか知られることのなかったサイレントマジョリティーの存在。それに、いつまでたっても進展のないろう学校。
そうした状況はあるけれども、私は、振り子が反対側に振れた形の、バイリンガル教育論がやはり、と言うかどうしても、心配になってしまうのです。こんなはずじゃなかったって事に、どうか誰もなりませんようにと、願ってやみません。

我が家では、上農先生がおっしゃるように、とにかく毎日の地道な努力の積み重ね以外に、日本語リテラシー能力獲得の道はないと、時に子供を叱り飛ばしながらも(もちろん手話で)こつこつ地味にやってます。

或いはご批判も多くあるかとは思いますが、小さなお子さんの教育方針について考える時、頭の片隅にでも引っ掛けていただけたらと思い、長々書かせていただきました。


[10207] はじめまして 投稿者:あや 投稿日:2003年12月29日 (月) 15時13分

こんにちわ。
現在、医療・福祉系の大学で勉強中の「あや」といいます。
わたしは、「聴覚障害学」などの講義を受けるうちに、「聴覚障害児は耳が聞こえないというだけで知能に問題はないのに、どうして適切な教育が受けられないまま、聴者と同じ音声言語を身につける努力を強いられるのだろう」と疑問を持つようになりました。
聴覚障害児にとって、誰とのコミュニケーションが重要なのか、そのためには、どうするのが良いのか、悩み、考えている学生です。
いろいろな意見を聞かせてください。よろしくお願いします。




[10206] 読書 投稿者:桃象 投稿日:2003年12月27日 (土) 22時48分

上農氏の著作「たった1人のクレオール」を改めてじっくり読む機会に恵まれました。鳥越氏のバイリンガル移行論に批判的な箇所が散見されましたが、実際のところはどうなのか、更なる検討が望まれるとも思いました。

絵本の読み聞かせについても、上農氏は絵本については「語り」よりも「絵」そのもの方に意味があるのではないかと、大変示唆に富む見解を述べておられますが、この辺りを聞こえない子を持つ親たちがどう受け止めるかも、書記日本語学習の1つの鍵になるのではなかろうかとも考えました。

上農氏の文に触発されて、改めてヴィントゲンシュタインの本を読み直す決心をした桃象でした。

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[10205] ととさんへ 投稿者:桃象 投稿日:2003年12月27日 (土) 22時42分

[10198]の件ではご迷惑をかけ、恐縮の至りです。今後も忌憚のないご鞭撻の程をお願いいたします。

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[10204] みーママさんへ 投稿者:あお 投稿日:2003年12月27日 (土) 14時58分

くわしくお知らせいただきありがとうございました。

うちは、手話での会話は、まだ成り立っていません。
声も、身振りも、表情も、使えるものは何でも有りの会話です。
それでも、子供の成長を楽しみながらの会話は、できているのでは?と
自分では思っていますが、手話がうまく使えていないために
抜け落ちているところはたくさんあると思います。
少しずつでもと思いながら、手を動かしています。

冬休みは、たくさんの楽しい行事があるので、また、みーちゃんの様子
聞かせてくださいね。
ありがとうございました。


[10203] Re:[10200] 実名にする正当性 投稿者:ととさん 投稿日:2003年12月27日 (土) 13時29分

> いのししの娘さんは、フリースクールを単に「と聞きます」とか「おそらく・・・でしょうね」と
> 伝聞や推測に基づいて言っているに過ぎないのに、それが「褒めているから実名にしていい」と
> いうのは、とても安易過ぎる受け止め方だと思いますが、いかがでしょうか。

確かに「褒めているから実名にしていい」というのは安易な書き方でした。
この点は、お詫びします。 以下に私の考え方を示します。

例えば、
1、A 病院はすばらしかった。
2、B 病院はすばらしいと聞いた。
3、C 病院はひどい所だった。
4、D 病院はひどい所だと聞いている。

これを書いたのがEさんだとすると、この文章には、常に
「Eさんにとっては、…であり、他の人がどう思うかはわからない」
であり、
「たまたま、Eさん(が聞いた人)の病気に対して良い(悪い)対応だった」
が入っている場合もあります。
ですから、それを発信側、受信側双方が注意しなければならないと思います。

では、実名をどこまで認めるかですが、私は、2までは構わないと考えます。
それは、病院を探している人にとって有益な情報になり得るからです。
受け側は、この情報を鵜呑みにするのではなく、上述の「」内のことを注意
しなければなりません。 発信側は、自分が経験したのか、人伝なのか、
はっきりさせなければならないし、その病院が実名を出して欲しくない場合も
ありますから、それら諸々の点を注意する必要があると思います。

要は、インターネット上の情報の捕らえ方だと思います。 インターネット上の
情報は、誰でも簡単に発信できる代わりに、チェック機能が薄いと言う問題を
持っています。ですから、

*れんこんさん*
> だって手前味噌的発言と、それに基づく推測でしかない可能性もあるわけですから。

の可能性は常にあります。逆に言えば、手前味噌であるとの前提のもとで、情報を
受ける必要があるとも言えます。 当然、発信側はそうならないように注意しなければ
なりません。 しかし、あまり制限をすれば、情報が動きにくくなり、インターネットの
特性を生かせなくなる場合があります。

結論を言えば、ケースバイケースなのですが、一応を線を引くならば、わたしは、
2と3の間だと考えています。 ただし、これは私の考えということで捕らえて下さい。


[10202] Re[10196]: みーちゃんって いいなぁ 投稿者:みーママ 投稿日:2003年12月27日 (土) 10時50分

> みーちゃんが、話した「寝ている時に・・・」のところは、どう手話ったのですか?
> 私にもわかるように、「寝る」「時」「サンタ」って感じで
> 教えていただけないでしょうか?

手話単語だけを並べると「寝る」「時」「サンタ」「来る」「内緒」「プレゼント」
「目覚める」「驚く」「喜ぶ」です。
単語以外に“うなづき”“表情”“目線”“動き”“指差し”などがあって[10195]のように読み取りました。

私も手話まだまだです。
がんばって可愛いわが子との会話を楽しみましょうね。


[10201] Re[10200]: 実名にする正当性 投稿者:れんこん 投稿日:2003年12月27日 (土) 02時34分

> いのししの娘さんは、フリースクールを単に「と聞きます」とか「おそらく・・・でしょうね」と伝聞や推測に基づいて言っているに過ぎないのに、それが「褒めているから実名にしていい」というのは、とても安易過ぎる受け止め方だと思いますが、いかがでしょうか。
私もそう思います。私もちょっと引っかかってたんですよ。
だって手前味噌的発言と、それに基づく推測でしかない可能性もあるわけですから。
これから小さなお子さんを育てていこうとしてる親御さんの、冷静な判断を
惑わす危険性がないとは言えません。
自分の目で見て確かめたことを、この場で褒めるのとは区別したほうがよろしいのでは?
どのフリースクールにも頑張ってほしいという気持ちは私も同じですけどね。


[10200] 実名にする正当性 投稿者:風の又三郎 投稿日:2003年12月27日 (土) 00時51分

>フリースクールに関しては、褒めているのですから、実名を出しても
>伏字にしても、構わない と、私は考えます。 

いのししの娘さんは、フリースクールを単に「と聞きます」とか「おそらく・・・でしょうね」と伝聞や推測に基づいて言っているに過ぎないのに、それが「褒めているから実名にしていい」というのは、とても安易過ぎる受け止め方だと思いますが、いかがでしょうか。


[10199] 伏字 投稿者:ととさん 投稿日:2003年12月26日 (金) 23時44分

H聾学校については、批判的な意見を書いているのですから、伏字の方がいいと
思います。フリースクールに関しては、褒めているのですから、実名を出しても
伏字にしても、構わない と、私は考えます。 ここでは、聞こえない若者達が
聞こえない子供たちと触れ合う場を作っているフリースクールを応援しています
ので、どのフリースクールも頑張って欲しいと思っています。 ですから、宣伝
になる事の書き込みは、歓迎します。 親たちは、それを読んで、実際に行って
みて、自分の子の為になるかどうか判断すればいいのですから。 


[10198] 追記 投稿者:桃象 投稿日:2003年12月26日 (金) 23時22分

龍の子学園がいかに優れているかを宣伝したいのならば、某サイトですればよろし。聾学校の名前を伏字にしているのですから、同じように某フリースクールと書けば事足りるはずです。まあ、賛同する方はほとんどいないでしょうけどね。

==


[10197] 宣伝 投稿者:桃象 投稿日:2003年12月26日 (金) 23時00分

ことさら龍の子学園の宣伝をすることもないでしょう。

==


[10196] みーちゃんって いいなぁ 投稿者:あお 投稿日:2003年12月26日 (金) 18時40分

お久しぶりです。みーちゃんと同級生の聞こえない子を育てているあおです。
みーちゃんのお話、いつ読んでもいいですね。ほほえましいです。

と、そういうところに、お堅い質問で申し訳ないのですが
手話初心者の私に教えてください。
みーちゃんが、話した「寝ている時に・・・」のところは、どう手話ったのですか?
私にもわかるように、「寝る」「時」「サンタ」って感じで
教えていただけないでしょうか?
うちも、昨日サンタが来て、その話は今日も続いています。
参考にしたいので宜しくお願いします。




[10195] みーのクリスマス 投稿者:みーママ 投稿日:2003年12月26日 (金) 14時56分

一大イベントのクリスマスが終わりましたね。
みなさんのクリスマスはいかがでしたか?プレゼントは?

我が家に来るサンタさんは、子供の希望通りのプレゼントはくれません。
何をくれるかはお楽しみなんです。

今年、みーはサンタさんがいることを知りました。
12月に入った頃からずっと「サンタが来る」と楽しみにしていました。
ろう学校のサンタにフリースクールのサンタといろいろなサンタに会って
プレゼントをもらっているにもかかわらず、
「寝ている時にサンタが来て、そっとプレゼントを置いていくの。朝起きてプレゼントを見て驚いて、喜ぶの。」とみーのなかにクリスマスのシナリオができていました。

そして今朝、起きてきたみーの手にはプレゼントがしっかり握られていました。
私にプレゼントを見せて『ニヤ〜』
ろう学校の日記帳に早速サンタの絵を描いていました。

親にとってクリスマスはなかなか大変ではありますが、子供の喜ぶ顔を見るとやっぱりうれしいですね。


[10194] 雑感 投稿者:いのししの娘 投稿日:2003年12月26日 (金) 14時25分

冬休みモードにつき、この時間に書き込み。

ちひねこさん、御意。

桃象さん、この掲示板の趣旨、御意。

しかし、今年一番印象に残ったことは、親子間のコミュニケーションは成立していると思い込んでいる親がおられたなあと思ったこと。カンチガイ親ですねえ。H聾学校PTA主催の講演のあとの食事会で「対応手話よりは日本手話の方が、自分の子どもだけでなく、成人ろう者とのコミュニケーションができるようになりますよ」と軽く言っただけなのに、「いや、ウチの子は対応手話で十分、口話もあれば、もっと通じます」と言われたんですよね。(私の手話を親の方は読み取れないので、同伴した手話通訳者が通訳。そして、親の方達は自分で対応手話で話し、それでも表現しきれない部分は声だけになるので、その部分も含め、通訳者がフォロー通訳....といった感じでした。)その後、その親の方達が自分のお子さんと話している場面を何度か見たんですけど、チグハグな感じがして、なんかしっくりしない。ということがありました。
多分その親達はこの掲示板の必要性も感じていないのかも。そのことも含め、考えていきたいですね。

フリースクール龍の子学園に子どもを数年も通わせている聞こえる親の方の中には、手話で成人ろう者と議論ができるまでに成長していると聞きます。その親のお子さんはというと、えてして精神的に(情緒的に)安定し、のびのびと育っているという状況になっているそうです。読み書きのリテラシーもおそらく優秀でしょうね。

久しぶりに雑感を書き込みました。それでは。


[10193] 通りすがり2さんへ 投稿者:みみりん 投稿日:2003年12月26日 (金) 06時18分

ろう学校に企業から「聞こえる人をお願いします。」と言って来るとありましたが、それに対して学校側は、企業に対してどんな対応をされているのでしょうか?また、生徒にはどんな指導をされているのでしょうか?
どうも最近の進路指導は、腑に落ちないことが多く、我が子はまだまだ先の話なのですが、とても不安です。


[10192] 雑感 投稿者:桃象 投稿日:2003年12月26日 (金) 00時35分

ここは聞こえない子、聞こえにくい子を持つ親たち、特に聞こえる親に、親子や家族の間のコミュニケーションの大切さを訴えるために設けられた掲示板であることをお忘れなく。


[10191] うへぇ 投稿者:ちひねこ 投稿日:2003年12月26日 (金) 00時23分

なんだか雰囲気悪くなっているけど…

うーん、結局は聞こえないことがマイナスだから、聞こえるようにしよう、とかいってるようにしか聞こえない。

聞こえる人が確かに多数を占める社会だけど、だからといってぜーんぶ「聞こえる人」の視点で社会を決めちゃっていいもんかなぁと。
もっと言い換えれば五体満足な人の方が多数を占めていて、そうじゃない人はやはり少数派な訳で。
でも、だからといって五体満足な人たちだけが住みやすい、生活しやすい世界のまんまでいいんでしょうかね。

どうやっても人とはちょっと違った子供は生まれるんです。確率は低いかもしれないけど、やっぱり生まれるのは事実。それをそのまんま何で素直に見られないかなぁ、と思うんですが。

社会には色んな人がいます。色んな存在感を放つ人たちがいます。
それらを否定し、見ないようにするのは簡単なのですが、逆に受けいれて見るようにするのは難しいことなのかもしれません。良心に訴える、訴えないではなく自分がどの様に物事を捉えているのかを振り返ることこそが大切ではないでしょうか?


[10190] Re: しょうがない 投稿者:いのししの娘 投稿日:2003年12月25日 (木) 23時09分

> >「あなた達は私達のような存在を好ましく思っていないのか」と指摘していることもお忘れなく。
>
> これって相手の良心にを利用した巧妙な罠ですよね。

「相手の良心を利用している」とお考えになっている。
 良心に訴えるということですかね。
 私はそうは思わないです。
 事実をさしているだけですから。
 否定する側、否定される側、どっちにしても、
 この問題は良心を天秤にかけて議論する事柄ではないと思います。


[10189] くおんさんへ 投稿者:いのししの娘 投稿日:2003年12月25日 (木) 22時33分

10179の書き込み、読みました。

あなたの思想はよくわかりました。
ろう者より聴者がいい(=聞こえないよりは聞こえる方がいい)、でも、聞こえる人間になれないろう者は、ろう運動を通じて自分達を社会的に認知されるためにしているのだとお考えになっているのですね。
そういう考えを持つろう者がいてもいいんですよ。くおんさんみたいにね。

(突き詰めれば優生思想の問題になるけど、ここではふれないことにしよう)

ただね、私みたいに、また生まれ変わるとしたらやはり「ろう者」がいいっていうろう者もいることを、くおんさんが頭ごなしに否定するのはどうかと思うんですよ。んでは〜。


[10188] Re[10186]: 無題 投稿者:通りすがり2 投稿日:2003年12月25日 (木) 22時24分


> 人工内耳は国内で3000人の装用者がいるが、統計で調査するにはまだ十分な数ではないと言えるのではないか。

 3000サンプルあれば、一応統計的に有意な数字は出るのでは?
 まあ他にもいろいろパラメーターあるから、現実的にはもう少し先かもしれませんね。


[10187] Re 結局 投稿者:通りすがり2 投稿日:2003年12月25日 (木) 22時23分

> 親権者が親権をもとに幼児に手術を受けさせてるのも事実。

 そもそもですね、人間がその生涯に渡って全てを自己決定できるなんてあり得ないんですよ。夢のまた夢。我々は親を選べない。生まれる国を選べない。性別を選べない。受け継ぐ遺伝子のセット内容も選べない。ないないづくしなのです。それって当然というか、限定された手札しか配られないからこそ人間は人間たりうるんじゃないの? と言ったのがハイデガーでしたな。ま、ナチスに協力してた人ですけどな。

 人工内耳を巡る議論がスタックしたままなのは、反対派が自己決定権の及ぶ範囲を際限なく拡大して「将来なんで人工内耳入れたんだと言われたらどうする?」とかそういう袋小路で相手が答えられない方向に議論を引っ張ってるからのようにも思えますが。そんなのしょうがない。もう入ってるんだから諦めろ。人生全て自分で決めてやれるわけじゃない。それが人間ってもんです。そう言うしかない。

 親が親の判断で入れるか入れないか決める。それしかないですよ現実には。で、他人がとやかく言うことじゃねえっす。文句あるなら現金で3億積んで「あなたの人生買った。3億あれば生涯暮らせるだろ。だから人口内耳入れるな」とでも言えばいい。他人の人生、責任取れない奴が批判とかしてんじゃねえと。

 だいたいろう学校に企業の人事からどんな電話かかってくるか知ってます? 「聞こえる生徒さんをお願いします」ですよ。電話番号間違えてませんかってなもんですよ。聞こえないからろう学校なんだよ!! そんな企業でも、障害者枠で採用してくださる有り難い有り難い企業さんなのですよ。そんな時にろう文化がどうこう言ったって1週間前のパンの耳ほどにも役に立たないですよ。しかも。そういう企業に入ってろう文化ルール振りかざしてケンカして辞めるとか、頼むからやめて(涙)。後輩のこと考えてお願い。

> 仮に良くないものであるならこれだけ普及しつつあるのはなぜだろう?

 道具は道具でしょ。世の中残酷ですよ。便利なものは普及します。LPレコードも消えた。カセットも消えた。ビデオテープももうじき消えるでしょう。そんな時にLPの味とか言ってたってしょうがないです。冷笑を浴びるだけ。日本語だってテレビの普及でどんどん方言が消えてます。言葉は沢山の人が使ってる方が強いんです。そっちにお金が回るんです。どんな素晴らしい思想もお金が回らなきゃ枯れてしまうんです。人間、メシ食えてなんぼ。思想はその先。思想に殉じて餓死してミイラになれる人はほんの一握りっす。


[10186] 無題 投稿者:くおん 投稿日:2003年12月25日 (木) 20時55分

>「人口内見耳」と『内耳再生」の違いも正確に知りたいし、

内耳再生はまだ臨床研究段階で、実用段階に入っていない。
だから保健医療に認定されるまで数十年かかるかも知れないしわずか数年で認定されるかも。
このような状況ですので内耳再生に限って言えば
>手術後の、副作用も統計的にその事実を知りたい。

これは無理です。まだ臨床段階なのに統計的に推し量れるものではないから。
人工内耳は国内で3000人の装用者がいるが、統計で調査するにはまだ十分な数ではないと言えるのではないか。


[10185] こういう親もいていい 投稿者:MU@沖縄 投稿日:2003年12月25日 (木) 20時51分

テレビドラマですが、「ER」というアメリカドラマで、一人の医師が高度難聴の息子がいて、
やはり、人工内耳を受けるかどうかをおおいに悩むシーンがあり、
結果は手術を受けさせた訳ですが、かといって「ろう文化」を否定するわけでもなし、
要は彼は親として息子の為に、よい環境を与えてやりたい一心だった。
人工内耳を選んだが、同時に手話も与えている。
反対派、賛成派どちらにも与せず、両方の良い点を取り入れようという柔軟な考え方には
感動しました。

http://www.ne.jp/asahi/miadomo/estas/


[10184] 難しい問題ですね・・・ 投稿者:MU@沖縄 投稿日:2003年12月25日 (木) 20時43分

ん〜、アイワさんのおっしゃる通り、生まれつきの高度難聴を我が子を持つ場合、
親が変わって決断しなければならない。
しかも、一生に関わるだけに重い。

私は生まれつきのろう者ですが、30代初めに人工内耳の手術を受けました。
もちろん、自分の意思においてです。
結果はと言うと・・・今は人工内耳を使用してません。補聴器も捨てました。
「聞こえ」を捨て、ありのままの自分を選んだ、それだけです。
これはあくまで、私のケースなので、他の高度難聴児にも当てはまる訳じゃないので念のため。

http://www.ne.jp/asahi/miadomo/estas/


[10183] 統計としての事実 投稿者:アイワ 投稿日:2003年12月25日 (木) 19時57分

「人口内見耳」と『内耳再生」の違いも正確に知りたいし、
手術後の、副作用も統計的にその事実を知りたい。中途失聴の方は、聞こえていた感覚、話せていた感覚があるため、手術前後の状況を自分自身で比較することは可能と想像できます。
しかし、わが子の様に、生まれつき高度難聴ではどうでしょうか?
メリット、デメリットが明確にわからないし、副作用の状況も不明。
どこかのHPで調べる方法はないでしょうか?ご存知の方、お教え下さい。
たかだか、2,3人の医師にすすめられた程度で、また風潮や口コミレベルで「わが子」の
一生にかかわる問題を決めれないのは私だけではないと思います。


[10182] 結局 投稿者:通りすがり 投稿日:2003年12月25日 (木) 19時31分

人工内耳って認可された医療行為だから中途失聴で少しでも聴こえるようになりたい人は手術すれば健聴者と同等にはならなくてもそこそこ会話はできるようになるのは事実。
だからと言って元通りになるわけじゃないのも事実。
補聴器より有効なのも事実。副作用は10人に1人とかの確率じゃないのも事実。
電池が切れたり外に付けてる機器を外せば全く聴こえないようになるのも事実。
関係情報はたくさん蔓延しているが口コミや流言に近い内容が多いにもかかわらず、
正確なものを選別するだけの知識を得にくいのも事実。
親権者が親権をもとに幼児に手術を受けさせてるのも事実。
仮に良くないものであるならこれだけ普及しつつあるのはなぜだろう?
客観的に見つめる必要もあるのではないだろうか?
通りすがりのものでした。


[10181] まあまあ落ち着いて 投稿者:さまら 投稿日:2003年12月25日 (木) 17時26分

>ろうとしての誇り云々は詭弁にしか思えない

それはまあ言い過ぎの部分もあるでしょう(笑)。「ろう文化を理解しろ」とは言うけど、自分たちは一切聴者の文化を理解しようとしない、何か文句言われると「マイノリティの抑圧だ!」と騒ぐだけの方々がイメージ悪くしてるんじゃないのかな。今いろいろなところで左翼が叩かれているのも、昔むかし「ナンセンス!」「反動的!」という切り札を使って自分達の思想に疑問を出す相手を黙らせていたのの揺り返しのように思うし。


[10180] しょうがない 投稿者:さまら 投稿日:2003年12月25日 (木) 17時19分

>「あなた達は私達のような存在を好ましく思っていないのか」と指摘していることもお忘れなく。

これって相手の良心にを利用した巧妙な罠ですよね。
でも開き直って「その通りだが何か問題でも?」と言い返されたらどうするんだろう。
「少しでも聞こえた方が仕事があるんで食っていく為に人工内耳入れます。手話だけじゃメシ食えません」と言い返された時、どうするのでしょうか。より多くのお金が欲しいから、その可能性を追求して人工内耳入れます、インテしますっていうのは真っ当な考え方だと思う。経済的に貧しい国から経済的に豊かな国に移民しようとする人に「お前は愛国心が無いのか」と言ったって、「愛国心でメシ食えるのは右翼だけだ。それとも食っていけるだけの収入を私に保証してくれるのか?」と言われれば、それ以上は何も言えないんじゃないのかな。


[10179] Re[10178]:聞こえるほうがいい 投稿者:くおん 投稿日:2003年12月25日 (木) 17時08分

>しかし、ある世界的にも有名なろう運動家が「あなた達は私達のような存在を好ましく思っていないのか」と指摘していることもお忘れなく。

逆に、あなた達は望んでろうになったのか? と問いたいぐらいですね。
自分がろうだから仕方なくろう社会に身をおかざるを得ないに過ぎないでしょ。死ぬまでずっと。
だから、ろう運動なんてのは、所詮自分たちのいるろう社会をもっと社会的に認知され、扱いを良くして欲しいだけでしょ。
生活や人権にも直結する事だからね。おおざっぱに言えば人としての生き方。この場合はろうとしての生き方と言い換えよう。

私は前の書き込みでも述べたように、生まれつきのろうであるが、ろう社会の事は知ったことじゃないです。正直な話(笑)
だからろうとしての誇り云々は詭弁にしか思えないのだ。自分が障害者だから障害を盾にしてるとしか思えないからだ。
しかも障害を理由に逃げる事だってできるからねぇ。
私はそんなの嫌だから、出来うる限りの可能性を推進したいと思っている。人工内耳にしろ口話教育にしろね。


[10178] Re:聞こえるほうがいい 投稿者:いのししの娘 投稿日:2003年12月25日 (木) 16時48分

アイワさんの
----------------
私の考えは、「聞こえないより、聞こえたほうがいい」です。なぜなら、聞こえる人が圧倒的多数だからであり、その人達は音声によるコミを主軸としているからです。
----------------
という書き込みがありましたが、これは聞こえる人の正直な感想(気持ち)を代表しているのだと思います。
しかし、ある世界的にも有名なろう運動家が「あなた達は私達のような存在を好ましく思っていないのか」と指摘していることもお忘れなく。

http://deaftv.jp


[10177] 無題 投稿者:senna 投稿日:2003年12月25日 (木) 16時03分

こんにちは。わたしは人工内耳をつけて10年以上たちました。まず、人工内耳で聞く音と補聴器で聞く音は全く質が違うということは体験談的にハッキリと言えます。わたしは補聴器で聞く音(ただ音を増幅しているだけ)が絶えられなくて使ったことはありませんでした。人工内耳で聞く音はある程度慣れれば自然な音となって自分の耳のようになります。補聴器で聞く音とは全然違うのです。副作用としては味覚障害や顔面神経マヒなどごくまれに起こる人もいますが、確率はとても低いです。過去に聞こえていたのなら人工内耳で音を取り戻した時の感激は大きいと思います。お子さんに関しては親御さんの気持ちなど色々ありますので控えますが、上記の質が違うということからも音声言語を獲得してほしいと望まれるのなら、わたしが親なら人工内耳を選びます。人それぞれ望むものが違うので、今のままでいいじゃないと言う人はそれでいいと思いますが、人工内耳を使用しているものとして少し書き込んでみました。


[10176] 人口内耳等について 投稿者:アイワ 投稿日:2003年12月25日 (木) 14時06分

3歳の「聞こえない子」を持つ聴親です。現在、日本手話環境を出来る限り子供に提供し「手話」による子供とのコミに邁進する毎日です。「人口内耳、内耳再生」が今、現在、仮に完璧なものであったら、(他の神経麻痺の可能性がほとんどなく、聞こえについても聴者と同程度聞こえ、もちろん言葉も認識できる)おそらく、手術の道を再検討するでしょう。私の考えは、「聞こえないより、聞こえたほうがいい」です。なぜなら、聞こえる人が圧倒的多数だからであり、その人達は音声によるコミを主軸としているからです。しかし、現在の医学では、リスクがあまりにも高いと判断しています。


[10175] ささくれきのこさん 投稿者:くおん 投稿日:2003年12月25日 (木) 03時38分

>それとも純粋に人工内耳がスバラシイと思ってます?心臓手術と同列に扱えるほどに。

思ってませんよ。
だから、その程度でショックを受けたりするのか。と。

先月辺りにチラッと、人工内耳のために病院に行くような事を書きましたが
専門医の話を聞いて思ったのは、あくまでも「手段である」ということ。
「治療」ではない。 補聴器の延長上にあるようなものだと。 人工内耳といえども壊れたり電池が切れたりしたら単なる異物だからね。メガネと一緒。
だが、体内に埋め込んでほぼ半永久に一生付き合っていくようなものだから慎重せざるを得ないだろう…

内耳再生の方が「治療」と呼ぶに相応しいと思うが、どこまでできるかまだわからないのが実状なので敢えてコメントはしません。
もっとも脳の働きに関係しているから人工内耳と同様に成人になった聾には音の判別が難しいという問題はあると思う。


[10174] 私が人工内耳を選ばない理由 投稿者:みやび 投稿日:2003年12月24日 (水) 22時32分

少しだけ失礼します。

私は7才の失聴で現在34才です。人工内耳に興味を持ったこともヤジウマ的にあるのですが今ははっきり人工内耳の手術を受けるつもりがありません。
一つは、人工内耳で聞こえるであろう音は私が7才で聞こえなくなってからも暖め続けた聴こえの世界を越えられないと思うのです。私の考える聴こえの世界はパーフェクトに美しいものだから。そのため私は補聴器を殆どうけつけません。雑音に無性に腹が立つので聞き分けがつくまで身につけることができなかったのです。
もう一つは他の知覚神経を傷つけるということ。舌がマヒして美味しい味がわからなくなったり顔の神経がピクピク意志に反して動くなんてうんざりです。そうまでして取り戻したいほどすばらしい音の世界ではないようですし。

聞こえない、という部分だけを見ればとてつもない損失だと聞こえる親御さんには思えるかもしれませんが、他の神経だって大事です。


[10173] くおんさんへ 投稿者:ささくれきのこ 投稿日:2003年12月23日 (火) 20時30分

聾文化とか特殊な部分もあるけど、「メリットとデメリットを計りにかける」という点では
全ての医療行為と共通すると思う。判断を任されているからには、傍から滑稽に見えようと
無意味に見えようと、可能な限り情報を集めて検討するのが親の権利と義務。ここでつい「か
わいそう」と弱音を吐いたからといって、現実にめそめそよろけているわけではないからね。
どちらにしろ決断は冷静な損得勘定に基づいてるはず。親の利益も含めて。

私が十代の難聴者だとしたら。親に対して「自分は聴のクセに、辛気臭いことばっかいってん
じゃねーよ、可能性があるならぐだぐだ言ってないでさっさとやってやれ」という気になるか
もしれない。親に心配される事だけでもうっとうしいのに、自分の障害が原因じゃあうんざり
するよねえ。ここんとこ的外れ?それとも純粋に人工内耳がスバラシイと思ってます?心臓手
術と同列に扱えるほどに。


[10172] せなこさんへ 投稿者:ちひねこ 投稿日:2003年12月23日 (火) 12時50分

ごめんなさい。悲しい思いをさせてしまいましたか?

人工内耳の子ども達を、否定しているわけではないのです。
でも、どうしてもショック感はあります。
ショックを受けてしまう自分は何故なんだろうか?
人工内耳の子ども達を受け入れられないから?
色々と考えてしまいますが…。

多分、人工内耳の子供が受け入れられないのではなくて、子ども達の背後にある何かを受け入れられないのだと思います。
沢山悩んで考えて、涙を流しながら決断した方ももちろんいらっしゃるとは思いますが、
親の気持ちや願いを聞いてると、複雑です。私の心が。

「音を聞かせてあげたい」等々、親としての気持ちは至極当然なのかもしれませんが、私はひねくれている?もので「このまんまでは、ダメなの?」と寂しい気持ちになったりすることがあります。
難しいです。

私はインテをしてきましたが、ろう学校の子には「私インテなんて絶対出来ない」と言われることがあります。「インテの子は良くわからん」とかね。ずいぶん昔のことですが。だから私も必要以上にインテの話はしませんけれども。最近は「インテ??辛くなかった?勉強どうやってたの?」と聞かれます。
「正直に言えば辛かったし、勉強は黒板の情報だけで精一杯だった」と答えています。
ろう学校から大学に入った友達も「インテ生活ってすっごく大変なのがよく分かった」と「あの時は考えなしに言ってごめんね。やっと意味が分かった」

その人の置かれた環境と、その気持は完璧には分からないので、時々その立場の人にとって悲しい思いをさせるような書き込みがあるかもしれません。ごめんなさい。
返された反応によって「これはきついのか」と気づくことがしばしばです。

ショックを受けてしまう自分はどうしてなのか、私もこれからずっと問い続けていくんだろうなぁ、と思います。どうしたらショックを感じずに受け入れられるようになるのだろうか。いつその時が来るんだろうかと。答えを見つけるまでに時間はかかるでしょうが、じっくりと考えていきたいと思います。


[10171] 無題 投稿者:せなこ 投稿日:2003年12月23日 (火) 09時02分

なんだかとっても悲しい気持ちになります。


[10170] 人工内耳に対する反感 投稿者:ちひねこ 投稿日:2003年12月23日 (火) 00時36分

くおんさんが書かれたコメントですが、
過去にも似たようなことを聞いてきた方がいました。

人工弁や、人工肛門など機能的な欠陥を補わないと生活していけない、生命の危険があるものについては、可哀想とかそういう感情ぶっ飛びますよね。やらないと生きていけない、せっぱ詰まったものがあると思います。

でも人工内耳、全ての人が受けないと生きていけない程せっぱ詰まっているのでしょうか?せっぱ詰まっているのは親かもしれない、周りの人かもしれない。本人は本当に「受けないと大変だ!」と思っているかどうかも、一つの鍵ではないでしょうか?

人工内耳に抵抗があるのは、やはり見慣れないからかと。
ここまでならいいけど、ここからはどうしてもだめだ!!っていうの、ありませんか?
私なんかは、自分も耳にピアスの穴をあけていますけれど、自分がピアスのアナあけてるくせに、唇や鼻にピアスあけてる人を見ると「うわっダメだ。そこまで出来ない」と思ってしまいます。でもあけてる本人は平気だったりする。のかな。

確かに、「聞こえないまんまがいい」はろう者として生きることに納得していてから出来る考え方ですよね。そういう考え方に至る環境に置かれている場合、ですから「ろう者としての誇り」=ろう者としての自分を大切にする。
この考え方も、一つの価値観として残しておくべきだと思います。
一方で今まで聴者として生きてきたか、あるいはかなり聴者に近い環境で生きてきた方の価値観も、いきなり変えられるものではありません。
価値観の多様さが、これからも広がっていくと考えられます。
ただ、そこで大切なのは「おかしいじゃないか」というのではなくて
「こういう価値観もありなのか」と冷静に見つめられるようになることでしょう。
冷静に見つめられるようになるためには、それなりの情報が必要ですし、自分を見つめる作業も必要ですね。
冷静に見つめてもどうしても「おかしい」としか思えなかったら素直にそれを言ってもいいかも。

今まで、聞こえないことが「傷害されていること」であり、医療的な視点から見れば「障害は直すか、軽減するべきである」だったと思います。ただ、その為には手術なり、投薬なりが必要で精神的な苦痛や肉体的な制限も受けたりします。
優性遺伝として、「ろう」が受け継がれているデフファミリーもいたりしますので、それも「直すべきだ」っていわれたら「ろう」としてずっと生きてきた彼らもあんまり気持ちは良くないのでは?とも思います。

聞こえないまんまの姿のままで社会を変えていく、例えばバリアフリーの整備
将来的に、どんなに健康であっても年をとるごとにどこかの機能が失われることもありますし、事故によって傷害されることもあるでしょう。
もしかしたら人工内耳をやろうとしても間に合わないかもしれない。
聞こえなくなったとき、目が見えなくなったときなどに何が必要になるかと言えば、やはり環境が十分整備されていること。聞こえなくなっても、視覚的な文字情報などが提供されたりすること。聞こえないことに対する不安要素が、軽減されることが望ましいですね。

車いすの場合は、段差をなくしたり、車いすが通れる場所を増やしたりとかだし。
心のバリアフリーや、身体的なバリアフリー。
障害者が暮らしやすい社会が、結局はみんなにとっても暮らしやすい社会になるのでは、と思います。いずれは年をとって、身体が動かなくなる可能性は誰にでもあります。直そうと思ってもそれだけの体力が持たないかもしれないことを考えれば、機能的な障害を抱えたままでも十分生活出来る環境を作っていくことも大切だと考えています。


[10169] くおんさんへ 投稿者:ととさん 投稿日:2003年12月22日 (月) 23時35分

> ただ、子供の耳の事で狼狽してる親達が滑稽に思えただけです。

子供のことを真剣に考え、悩んで親に対して、余りに失礼なことば使いだと思います。 このような表現は今後、控えて下さい。


[10168] Re[10167]: 人工内耳に対する反感 投稿者:ゴジモンママ 投稿日:2003年12月22日 (月) 16時33分

> >(人工内耳)手術をするのが可哀相?
> >なら、心臓が生まれつき弱くて人工弁やバイパス術を受けるのも可哀相って言える
> >の?命に関わるから? そんなの詭弁ですよ。 
>
> この問題については,私も随分考えてきましたが,未だに結論は出ていません。身体障害やその他の障害と,聴覚障害はどこがどう違うのか? 

まず、病気・疾患と障害とは違うのではないですか?心臓バイパス手術を受けなければ明らかに死んでしまうことがわかっているのに、たとえば宗教上の理由で手術拒否をするのと、人工内耳を拒否するのとは全然違うと思いますよ。
人工内耳は病気を治療するものではなく、障害を軽減するためのものですよね。言ってみれば、肢体不自由の方のための車いすのようなものではないのでしょうか。電動車いすでとてもいいものが発明された。軽くて早くて、階段も上れる、しかも腰のところに手術で埋め込むことができる。どうだい、手術するかね?と聞かれたら、手術する人もいるし、しない人もいるのではないでしょうか?

> 将来内耳再生技術が完成されたときは,いったいろう社会はどのような反応を示すのか? でも,おそらくその頃私はこの世の中にはいないことでしょう。私達が残せるものはいったい何なのか? その1つに「人工内耳を選択しない生き方」もあるのではないかとも思うのですね。それこそが,「人工内耳に対する生理的な嫌悪感」を呼び起こすものなのかもしれないとも考えています。

「人工内耳を選択しない生き方」について考えるなら、やはりそこにろう者としての誇りというものが大きく関わってくるのでしょうね。聞く人としてではなく、見る人としての自負心、しかしそこに聞こえないことを欠陥、障害として見る社会が厳然として大きくある。医療や福祉ではなく、文化人類学や社会学的な見方から紐解いていかないとなかなかそうしたことを明確にしていけないのかもしれません。

どうして日本では小児の人工内耳手術がアメリカに比べて爆発的に増えないのか、アメリカでは補聴器を使って一生かかる経費と人工内耳の手術をした場合とを比べると圧倒的に人工内耳の方が安いのだそうです。コストパフォーマンスを考えての選択というのもあるのかなと考えています。
日本では親からもらった身体に傷をつけるな・・・などという身体感なども影響があるのでしょうか。プチ整形がはやってきている日本ですから、人工内耳に抵抗感がある世代もどんどん少なくなっていくかも知れません。美容整形や歯科矯正などアメリカから入ってきて隆盛をきわめているものがいろいろありますね。アメリカ、アメリカと私はこのごろ少々うんざりしてきました。

人工内耳をめぐる医療現場の問題は山のようにあります。それは人工内耳の選択如何に関わらず小児難聴をめぐる医療の問題でもあるのです。医療の質の向上、患者の選択権や十分な情報開示、そうした一つ一つのことを地道に解決していくことが将来的に聞こえない子とその親の幸せにつながるのだと思います。


[10167] 人工内耳に対する反感 投稿者:桃象 投稿日:2003年12月22日 (月) 14時40分

>(人工内耳)手術をするのが可哀相?
>なら、心臓が生まれつき弱くて人工弁やバイパス術を受けるのも可哀相って言える
>の?命に関わるから? そんなの詭弁ですよ。 

この問題については,私も随分考えてきましたが,未だに結論は出ていません。身体障害やその他の障害と,聴覚障害はどこがどう違うのか? 聴覚障害という概念とろうという概念はどこが違うのか? 私自身が人工内耳に対して感じる「生理的な嫌悪感」は何に起因するものなのか? 

将来内耳再生技術が完成されたときは,いったいろう社会はどのような反応を示すのか? でも,おそらくその頃私はこの世の中にはいないことでしょう。私達が残せるものはいったい何なのか? その1つに「人工内耳を選択しない生き方」もあるのではないかとも思うのですね。それこそが,「人工内耳に対する生理的な嫌悪感」を呼び起こすものなのかもしれないとも考えています。

==


[10166] 苦笑 投稿者:くるくる 投稿日:2003年12月22日 (月) 07時46分

>私としては、ご自分の考えに信念を持っておられるくるくるさんが
掲示板を作られることを、期待しております。

「あんたの方が、俺とは違う信念を持っているのだから、掲示板でも作って
こっからでてけ」ってことですね。

かがりさんに対する責任転嫁ぶりをみれば、尊敬できなくなったし、
わかりました。苦笑。


[10165] Re[10159]: 投稿者:くおん 投稿日:2003年12月22日 (月) 04時22分

Akiさん
> それなら、自分が聴こえないろう児の身になったとしたら同様の事が言えますか?

悪いけど、私自身も生まれつきの聾ですよ?もちろん同様の事が言えますよ。
だから、あのような発言をしたまでのこと。

> 今の時代に立つ、人工内耳手術を受ける道を選ばざるを得なく
> なったろう児の運命・現況をしっかり考えて頂きたいです。

私が生まれた頃は日本ではまだ一般的ではなく全く話題にも出ていなかった時代です。
だから運命・現況など知らないんですけどね。
ただ、子供の耳の事で狼狽してる親達が滑稽に思えただけです。手術をするのが可哀相?
なら、心臓が生まれつき弱くて人工弁やバイパス術を受けるのも可哀相って言えるの?
命に関わるから? そんなの詭弁ですよ。 その子のために決まってるでしょう。違うなら手術をしないで死なせるという選択肢もあるはず。違いますかね?Akiさんが言ってるのはこういう選択肢もある、ということなんですよ。


[10164] 管理人の立場 投稿者:ととさん 投稿日:2003年12月22日 (月) 00時58分

今回、Akiさんの書き込みから始まった問題についてですが、Akiさんが取った、
掲示板の話題を他へ持って来ることは、褒められたことでは無いとは思います。
しかし、削除された場合についてはどうでしょうか? 掲示板に書き込むのは
広く、自分の考えを知って欲しいからであり、それを閉ざされたのですから、
判断は分かれると思います。(当然、内容として、誹謗中傷でなく、正当な
意見であると言う前提です)

管理人の立場から言わせて頂ければ、かがりさんの対応にも問題があると思います。
原因は、ここへ転載したAkiさんにあるとは言え、その掲示板の管理人が、
ここへ、ご自身の意見なり、弁明を書いた時点で、この話題は、この掲示板に
移ってしまいます。 本来ならば、自分の意見は一切書かずに話題の中止を
お願いすべきだったと思います。

ともあれ、Akiさんもかがりさんも冷静な書き込みでしたので、私は静観する事に
しました。

*くるくるさん*
> その理由に納得できないのであれば、ご自身で「人工内耳・内耳再生に反対する掲示板」
> でも立ち上げ思う存分意見を述べればよろしいのです。
> そいった経験をすれば、管理者が書き込む立場よりはるかに労力をつかって運営している
> ことが理解できるでしょうし、管理者の判断が絶対的であることも静かに受け止めることが
> できるようになるはずです。

くるくるさんが、このような考えをお持ちだとは、知りませんでした。
私としては、ご自分の考えに信念を持っておられるくるくるさんが
掲示板を作られることを、期待しております。


[10163] 投稿者:Aki 投稿日:2003年12月21日 (日) 18時57分

昨晩に書き込みを入れた時点で、人工内耳に対して疑問を持っていた
事をBBSの場で様々な立場の意見を伺えたのはよかったと感じています。
とと管理さん、終始静観の立場だったかと思いますが、失礼致しました。

再度内耳再生BBSに問い合わせしょうと思っても取り消される
可能性が高いのではないか?収容がつかなくなるのでは?と感じた
のですが、この場でかがりさんとの本音を直接聞けてよかったです。
かがりさん、有難うございました。

人工内耳などの手術に関して、親御達の感じ方・反応は様々ですが、いろいろ意見が聞けて
よかったし、人工内耳などの医学治療手術に関しては親御とろう児とがしっかりと意思疎通を
行っておいた方がよいと痛感しますし、そういう意味で一石を投じてよかったと思っています。
私自身この書き込みを通して、ろう成人もろう団体も人工内耳に対して直接関わりのない
問題だと思わないで、現在起こっているろう児に対する人工内耳問題についてしっかり
把握し、親御達にも医師達にもしっかりと意見を伝える必要性があると思っています。
そういう意味で、ゴジモンママさん・ちひねこさんの意見はとても大切だと感じています。
(海外などの情報はとても参考になりました。本当に有難う!!)
ろう成人達にとって、どう伝えていけばいいのかピンと
来ない、まだ程遠い出来事だと思っているかもしれません。
それだからこそ、ろう児を持つ事になった親御達も成人ろう者に問い掛けて
、成人ろう者側からも把握して状況を訴えていく任務があると感じています。

今まで様々な意見を有難うございました。 m(_ _)m


[10162] それがいいよ 投稿者:くるくる 投稿日:2003年12月21日 (日) 12時29分

>このままでは、イタチごっこですので、私はもう書き込みをしませんね(^^;


Akiさんへ

Akiさんが他の掲示板のご自身のアクシデントを、よその掲示板で訴えるという方法をとった時点で、私はノンタッチを決め込んでました。
そうでないと終始がつかなくなる可能性が高いからです。
この掲示板に持ち出された以上、かがりさんの立場としても、そこで弁明せざるを得なくなります。
その内容の是非はともかく、Akiさんのそういうやり方は配慮が足らず、間違っていると私は思います。
悔しい気持ちは充分わかりますけれど、削除された理由を、かがりさんに直接問い合わせをすればいいことでしょう。その理由に納得できないのであれば、ご自身で「人工内耳・内耳再生に反対する掲示板」でも立ち上げ思う存分意見を述べればよろしいのです。
そいった経験をすれば、管理者が書き込む立場よりはるかに労力をつかって運営していることが理解できるでしょうし、管理者の判断が絶対的であることも静かに受け止めることができるようになるはずです。
このようなことをされても、この場で冷静に対応していたかがりさんに感謝すべきです。

かがりさんへ

かがりさんのサイトは、かがりさんのものなんだから、かがりさんが自由にしていいと私は思います。
でも、他の掲示板とリンクさせるような内容のものは転載しない方が、かがりさんの為にも、ととさんのためにも、双方のサイト管理者にとって無難だとアドバイスさせていただきます。


[10161] やはり 投稿者:かがり 投稿日:2003年12月21日 (日) 11時10分

ずずっと前にここへ書き込みをさせていただいた時もそう感じましたが、ここの掲示板のポリシー上人工内耳や内耳再生の書き込みはあまりふさわしくなく、読まれて反感を買う方がいらっしゃるのだと思います。

このままでは、イタチごっこですので、私はもう書き込みをしませんね(^^;
ととさん、どうもお邪魔いたしました


[10160] 医療側の認識 投稿者:ゴジモンママ 投稿日:2003年12月21日 (日) 08時45分

新生児聴覚スクリーニング関係でいろいろな医療者の書かれたものや実際に意見や感想などを聞く機会が多い者です。

まだまだ医療者側の認識、その医療を実際に受ける当事者に対する認識は足りな過ぎると思っています。
シンポジウムなどに足を運んでくれる熱心な医療者でさえ、ろう者の意見や親の話を聞き、いかに自分たちが医療サイドからの一方的な判断しかもっていなかったかという感想をもらしています。人工内耳しかり、内耳再生しかりです。
かがりさんの医療者はそうした反対する意見があることはもう知っているというお考えにはそれは違うと思います。反対する人達がいるということはご存じなのかも知れませんが、それはそのことをちゃんと理解しているということではないのでは・・・と思います。これからの医療は当事者への本当の意味のインフォームド・コンセントが必要になるのだと思います。医療側がよかれと思ってやることが、本当に生活し生きていく当事者にとって、真のQOLの向上につながるのか、当事者の意見を十分すぎるくらい聞くことによって初めてそのスタートラインに立てるのだと思います。
フランスでは幼児の人工内耳の選択に当たり、必ずその保護者にろうの成人と接する機会をもつことを義務づけているという話を聞いたことがあります。
聞こえない子の先輩は、中途失聴や音声語をメインとする難聴者ではないのですね。どうか、医療者とろうの成人、聞こえない子の保護者とろうの成人、そうした出会いを広げていってほしいです。その中で医療や教育が選択できるようでなってほしいです。

今は、医療、保健、療育、ろう教育、当事者である本人や親との垣根をはらった十分な話し合いが必要なのだと思います。新しい医療がどのような考えの基に開発されていくのか、大事な事だと思います。お互いにがちがちになってはいけないのであって、柔軟に豊かに考えを深めていけることを願っています。


[10159] 投稿者:Aki 投稿日:2003年12月20日 (土) 21時31分

Akiです。
ちひねこさん、わかりやすく説明をして下さって本当に有難うございます!

>実績作りの為に沢山手術予定を入れるような方もいるのです
>「聞こえていた方がいいだろう」これは善意からくるものかもしれませんが

>ここで、それであるならば何故人工内耳の子供が増え続けているのか??なんですよね。
>やはり手術したがる先生とか、人工内耳を売りたいメーカーとかいるからなんでしょうけど。
>だから、私としては闇雲に人工内耳や内耳再生を聞こえない人達に薦めようとするのではなく
>きちんとニーズと、その対象者となるような人をある程度決めておいてからにしてほしいな、と
私もその様に強く受け止めています。
聴こえない事が判った時点で人工内耳を薦めるケースが多くなって
いて、ちひねこさんの書かれているコメントと同様に強く感じていますし、
できるだけたくさんの医師に実情を伝える事も大切だと思っています。

>我が子が聞こえないと判断されたときに、まず出会うのは先生
>先生の言葉が最初に頭にインプットされるといっても過言ではないです
>その時に、先生の口から適切な情報が紡がれていればいいのですが、
>「とにかく治す事」だけしか言わないようであれば、親も「治す事しか選択のしようがない」状態に
>人工内耳や内耳再生と、聞こえない事を受け入れて生きているろう者達。かなり相反する要素
>ですが、子供が聞こえないと分かったときに、まず必要なのがその「相反する情報」なのだと思います
>そのような情報提供がなされないまま進んでいくのではないか、という危惧があります。
>ろう者達も、人工内耳や内耳再生に対して知識を得て賢くならないと、軌道修正が
>利かないかもしれない。そんな時期にきているのですね。今回の事でそれを強く感じました
聴こえないという判断をまず下すのは大抵が医師であり、その時に
親御達も我が子の為に治療にすがる様な気持ちになるのでしょうね。
私の親もろう仲間の親御達も必死であちこち治療に一生懸命動き回って下さった事を思い出します。
人工内耳について相反する意見も、親御達にもろう児
にもしっかり把握しておく権利があると感じています。
ろう団体も早急に解決しなければならない問題だと動き始めていますし、
医師側とよく話し合ってお互いよい方向性に持っていって欲しいと思います。

このHPを拝見して心強く感じると共に、ろう児を持つ事になった親御達に対して、
聴こえない人やそれらに関わる健聴仲間(手話サークルとか)とも関わりあって、
聴こえなくでも自らの可能性を見出し、聴こえない事を受容して手話や周りの人間関係を
広めて積極的に動いている聴こえない仲間がいる事を垣間見てくれたらとても嬉しいです。
私たち聴こえない仲間達も後に続く聴こえない後輩達の為に、“周りの状況”を
変えていける様に時間がかかっても少しずつでも前向きに努力していきたいです。


かがりさん、説明を有難うございます。
>内耳再生や人工内耳を望まない聾者の意見は以下のページで紹介していますので
http://star.endless.ne.jp/users/kagari/genomu/repo/latter.htm
>知ってもらうため、、ならこれでいいのではないかな、、と思います
これについてですが、聴こえる様になりたいという事に後ろ向きではなくて、聴こえなくでも手話と
いう言葉を持っているし、手話通訳や字幕運動など少しでも周りの状況や理解を得る様に動いて
いける様に周りに働きかけていったらよいと思うのがろう者の大部分ではないのでしょうか?
そこに至るまでのプロセスに様々な葛藤があるかもしれませんが。
会長さんからの伝わり方が不十分なのはよくわかりますが、そこまでして医療的な
解決法でやる必要があるのか?と受け止められたのではないのでしょうか?
(もちろん、かがりさんの納得いく様にとことこん直接話し合ってもらいたかったですね)

「後ろ向きな考え方を持った」
「ネガティブな考え方のままで」
医治療を求める方から見たら相反するかもしれませんが、聴こえない事を受容し、
手話などで周りに理解を広め、あるがままの自分で生きているろう者から見たら
非常に不本意的な言葉であり、この表現は替えた方がいいのではないでしょうか?
とても明るく生きているろう者達がたくさんいる事は事実なのです。


>ととさま、この場をお借りしてすいません!
>内耳再生BBSの方にこの経緯を転載、、できるかな
初めは内耳再生BBSに、ろう者としての本音なりを直接カキコした積り
でしたが、かがりさんファンさん発言も入れて内耳再生を推進するHPであり、
相反する様な意見を直接書き込みはできないという事情をよく理解できた上、
私がカキコした文章を転載なさるのを受け入れる気持ちには一切なれません。
かがりさん、申し訳ありませんが、転載についてはご遠慮をお願いします。


>[10154] あれですね 投稿者:くおん 投稿日:2003年12月19日 (金) 22時13分
>しかし、同じろうであってもこれほど面白いのがいるとはね。
それなら、自分が聴こえないろう児の身になったとしたら同様の事が言えますか?
軽々しく言って貰いたくはありません。
今の時代に立つ、人工内耳手術を受ける道を選ばざるを得なく
なったろう児の運命・現況をしっかり考えて頂きたいです。


[10157] こんなページが・・・ 投稿者:酔民 投稿日:2003年12月20日 (土) 10時08分

6歳の聞こえない娘を持つ親です。はじめまして・・ではないのですが、随分と休眠
しています。(4.5年ぶりくらいでしょうか・・・)娘は手話だけで育てています。
すでに娘の手話にはついていけずに、おろおろすることが多いですねぇ(笑)本当に
色々な事を手話で話すようになりました。
今は、サンタさんが持ってくるプレゼントの話が・・・。
「サンタさんにはキックボードを持ってきてもらうのよ!」
「キックボードなんて、もう流行ってないよ」
「流行って無くても構わないわ。それとプレステの太鼓のゲーム!**ちゃんもサンタ
に貰うって言ってた。」
「サンタさんのプレゼントは1つだけだよ。」
「**ちゃんはいっぱい貰うよ」
「お金持ちのうちには、お金持ちのサンタが来るんだよ。うちには貧乏なサンタさんが
来ることになってるから1つだけ。」
「・・・!」
こんな感じの会話で盛り上がっています。

そうそう、今回書き込みしたのは、とっても素敵なホームページを皆さんにご紹介したかったので。知り合いのフリーライターが個人的に作ったページです。ライターという立場で「聞こえない」ということを、優しく、それでいてとても深〜く見つめた内容です。たつの子学園や、ろう学校の見学の感想、ろうの方たちのインタビューもとっても面白いですよ!是非ご覧になってください。

http://www.geocities.jp/freehandshp/


[10156] うれしい事 投稿者:みーママ 投稿日:2003年12月19日 (金) 22時18分

今日、長男の小学校の個人面談がありました。
担任からうれしい話を聞きました。
以前、学年のPTC活動で車椅子の女の子がサッカーをがんばるお話しの
「がんばれ明日香ちゃん」という映画を見たそうです。
その日はみーの学校行事と重なり、PTCにはおばあちゃんに出席してもらったので
私は内容を詳しくは知りません。
映画を見終わってからクラスごとに別れて感想を話し合ったそうです。
その時に息子が自ら挙手をして
「僕の妹は耳が聞こえません。だから、手でお話をします。僕も妹と話をするために
手話をがんばって覚えています。明日香ちゃんもサッカーをがんばって欲しいです。」
というようなことを発表したようです。
PTCなので保護者も同席していて、先生もお母さんたちも息子の発表にジーンときたそうです。
その後も時々、帰りの会で息子はみーの話をみんなにするようです。
(みんなに何を話しているのか聞いてみたけれど、「忘れた〜」という返事でした)
同じクラスに自閉症気味の子がいるのですが、息子の話はその子のためにも力強い発言だと
先生が言っていました。
まだ2年生では「耳が聞こえない」と聞いてもクラスの子たちは「ふ〜ん」という反応だそうですが、障害を特別なこととして受け入れるのではなく、自然に受け入れられているようです。

息子が人前で堂々と耳の聞こえない妹のことを話せる。
私はこの話を聞いてとてもうれしく、涙がでそうでした。
世の中にはろう者も聴者もいる、肢体が不自由な人もいる。いろいろな人がいる。
それが世の中なんだと自然に受け止めていけることが大切ですよね。


[10155] 追記 投稿者:くおん 投稿日:2003年12月19日 (金) 22時14分

>自らの目的に不利益をもたらす主張に門戸を開く義務はないでしょう。


その不利益な事を無視したり排除したりしたおかげで利益を失った。なんてことも有り得るんですけどね。


[10154] あれですね 投稿者:くおん 投稿日:2003年12月19日 (金) 22時13分

とある宗教者の家族が宗教上を理由に手術を拒否するのと似たようなものですな。

これを「ろう文化」に置き換えてみたら… なんて滑稽な事なんでしょう!
まぁ、ショックな気持ちはわからんでもないけど医学的な根拠として、3才ぐらいの子供に施すのが「望ましい」のだから。

しかし、同じろうであってもこれほど面白いのがいるとはね。


[10153] 掲示板のモラル等 投稿者:かがりさんファン 投稿日:2003年12月19日 (金) 19時43分

>内耳再生に遠回りながらも反対意見を持つ立場のカキコはどんどん排除されてもよいという事なのでしょうか?


結局、掲示板管理のモラルの問題になると思います。
個人が運営管理している掲示板では、管理人には書き込みを削除する自由があるはずです。また、聴覚障害問題に限らずはっきりした主義主張を持った掲示板では、それに相反する書き込みを放置しておくと荒れて収拾がつかなくなることは珍しくありません。その結果、廃止に追い込まれた掲示板をいくつか知っています。
かがりさんは内耳再生推進という目的のもと、個人の責任でホームページを運営されているのです。自らの目的に不利益をもたらす主張に門戸を開く義務はないでしょう。


>>あの〜、、何度も書きますが大学の先生方も、
>>人工内耳などのような手術を望まない聾者の方がいることはすでに知っているのです。

>ここで、それであるならば何故人工内耳の子供が増え続けているのか??なんですよね。

「望まない聾者がいる」ことを知っていても、先生方はやはり人工内耳は良いと思うから研究推進しているのでしょう。根本的な意見が違うのです。

これは私の勝手な書き込みであり、かがりさんの本意とは異なるかもしれないことをお断りしておきます。


[10152] 間違えたぁ 投稿者:ちひねこ 投稿日:2003年12月19日 (金) 12時43分

論理問題じゃなくて倫理問題

徹夜続きで、頭の中に花が咲いているちひねこでした。


[10151] かがりさんへ 投稿者:ちひねこ 投稿日:2003年12月19日 (金) 12時42分

お返事どうもありがとうございました。リンクされていたページに飛んでいって読みました。
うーん、読んでみての感想になりますが、「経過されたやり取り」を紹介しているのですよね。
本当に知ってもらう為だったら、なおさらリアルタイムでの意見も多少は載せておいた方がよかったのかもしれません。でもそうすると荒れる恐れがあるわけですよね。

今回の経緯を、そちらのBBSに転載、ですか?
それだったら、一つのページを作って転載した方が荒れないと思います。
真剣に難聴治療に取り組んでいる方々からしたら反対されているようで、あまりいい気分はしないのかもしれませんが、私達にとっては、論理問題などが関わってくるように思います。

難聴を治したい、と真剣に研究を続ける一方で、
実績作りの為に沢山手術予定を入れるような方もいるのです。
「聞こえていた方がいいだろう」これは善意からくるものかもしれませんが、
人によっては「聞こえていない自分を否定されているようだ」と感じる事があるのもまた事実です。

私が引っかかったのは

<あの〜、、何度も書きますが大学の先生方も、人工内耳などのような手術を望まない聾者の方がいることはすでに知っているのです。

ここで、それであるならば何故人工内耳の子供が増え続けているのか??なんですよね。
やはり手術したがる先生とか、人工内耳を売りたいメーカーとかいるからなんでしょうけど。
だから、私としては闇雲に人工内耳や内耳再生を聞こえない人達に薦めようとするのではなく、きちんとニーズと、その対象者となるような人をある程度決めておいてからにしてほしいな、と思っています。

我が子が聞こえないと判断されたときに、まず出会うのは先生。先生の言葉が最初に頭にインプットされるといっても過言ではないです。(うちの母も明確に覚えています)
その時に、先生の口から適切な情報が紡がれていればいいのですが、「とにかく治す事」だけしか言わないようであれば、親も「治す事しか選択のしようがない」状態になります。
人工内耳や内耳再生と、聞こえない事を受け入れて生きているろう者達。かなり相反する要素ですが、子供が聞こえないと分かったときに、まず必要なのがその「相反する情報」なのだと思います。
そのような情報提供がなされないまま進んでいくのではないか、という危惧があります。
ろう者達も、人工内耳や内耳再生に対して知識を得て賢くならないと、軌道修正が利かないかもしれない。そんな時期にきているのですね。今回の事でそれを強く感じました