こんばんは。いつも読ませて頂いてます。
こないだ新聞で『小指のおかあさん』読みました!
いのししの娘さんだったんですね!(いや、お会いした事もない者がすみません)
大阪であった近畿ろう教育フォーラムに、お手伝いで行ってたのですが、その時に講師でこられていたのが桃象さんだったと事も後でこのHPで知ったのです。そのこととあわせて、なんだか不思議な感覚を覚えましたので・・・。
インターネットってすごいですねぇ(^^)
こうもりさん はじめまして。
書かれていることが、琴線に触れましたので、果たしてうまく書けるかどうか
判りませんが、書き込みさせてもらうことにしました。
私の聴力は、ご指摘の70−100dBにあります。70−80dBと90−100dBでは訳がちがうようです。私の聴力をもうちょっと申し上げると、右耳が80−90dBで、
左耳が90−100dBです。両耳に補聴器をつけて働いています。最近のことです。
70−80dBの聴力であれば、言葉の聞き取りはできるでしょうね。90dB以上にな
ると言葉の聞き取りは難しくなるのではないでしょうか。私のかみさんが聴力レベルで
はワンランク上なんですね。補聴器は音の弁別に使っています。
しかしながら夫婦の会話は、手話対応日本語なんですね。日本語に手話をつけてかみさ
んは私に話しかけてきます。ところが家では私は補聴器を外しています。かみさんの声
は聞き取れませんし、彼女の手話は30代半ばから、私が仕込んだものですが、上手じ
ゃない。今も遅い夕食を食べながら、守秘義務って手話でどう表すのという話から、
ややこしい、結局分からずじまいの話をふっかけてきたんですね。
手話抜きの夫婦の会話は考えられません。
そういう二人の会話に母親も息子も入ってくることはできませんし、こちらも母と息子
の会話に入れません。
ろうの子どもがいる家庭って、そういう問題を抱えることになるのではないでしょうか。
そんな場合、視覚言語としての手話を使う親子の関係が築けるといいなと思います。
でもろう児はともかく、親がそれなりの手話を身につけることは簡単じゃありません。
日本手話がどういう手話か、よく分かりません。ろう児にとって今必要なことは、通じ
合うといったコミュニケーションの成就体験でしょう。親がなんとか習い覚えた手話で
語りかけて、なんか通じたというその体験を豊かにしていくことが大事でしょう。
私も30歳の頃にろう者と一緒に手話を習ってきました。そんな大昔は、日本手話とい
う言葉を聞いたこともなかったです。
親が習おうとしている手話が、どういう手話であろうとも、手話を認める心やろうの子
どもに手話を使おうとする姿勢を評価したいです。
長くなってごめんなさい。
次女と長男がアトピーです。
特に次女が一番重くて、米、麦、卵、魚の一部、大豆、牛乳
がだめでした。大らかにアバウトに家族全員で愉しんで除去してきたお陰で、
その次女も生卵以外は食べられるようになりました。この5月に4歳になります。
どんな名医でもどんな療法でもやっぱり、相性というのがあって、
次女には一番合っていたのでしょうね。97センチと16キロありますよ。
民間療法ではアトピーは治らないと、思っています。
今、長男の除去に取り組んでいますが、これが一筋縄ではいかないんですよ。
除去しているのに出るんですよ。
アトピーかなと思ったら迷わず、皮膚科の戸を叩くこと。これに尽きます。
音声情報が多少残っている(70から100dB?個人的に差はありますが)子供にも手話が有効だということはよくわかります。その時の「手話」は音声と同時に使うことになるわけですが、日本語対応でもかまわないと思われますか?「でも」と使ってしまうといかにも日本語対応的な手話が「日本手話」とくらべて言語として−のイメージを与えてしまいますが、そのあたりのニュアンスはどうでしょう?それともこういう場合は「日本語対応手話」を「手段」としてそのままに認められますか?大人ではなく教育の段階にある子供に、口で音声日本語を話し、手話を併用する、それはOKですか?二重否定や曖昧な表現・・・それを単に「日本語対応手話」でなく、口で音声言語を話しながら「日本手話」で表現するのは、手話の高度な技術がいりますか?それとも多少なりともそれでも手話を単語のレベルでも付けてたら、その子は後に自分で選択するようになると思われますか?「自然」にまかせられますか?指導者としてはある道筋をもっていたいなあと思いながら、そのへんのところ、ここの常連の方はどうお考えか、知りたいなあと思っています。
私がお答えできるのは、体の発疹のことだけですが、レスさせていただきます。
素人判断ですが、多分アトピー性皮膚炎だと思われます。
私の長男もアトピーで、痒くて痒くて、ぐずってぐずって寝ない子でした。
その時は私も、どうして泣いてばかりで寝ないのかわかりませんでした。
いつも顔をかいていて、顔は血だらけ。
手には手袋をさせていましたが、抱っこすると私の胸に顔をこすり付けてかいていました。
6ヶ月の時に、有名な先生を紹介してもらって、東京から高知まで治療に行きました。
それまでほとんど寝ない子が、薬を塗ってもらった日からぐっすり寝るようになりました。
日本にいらっしゃたらご紹介するところですが、無理なので、とりあえずすぐに皮膚科へ連れて行ったほうがいいですね。痒みをとってあげることが、最優先です。
痒いって我慢できないですからね。
お子さんは4ヶ月とのこと。
アトピーがなくても、夜の授乳があってママは大変だと思います。
育児は体力勝負ですから、ママが寝不足だと体も弱るし、イライラもしてくるし、前向きな気力も失われてきてしまいます。
ご主人がお休みの日は、是非、育児を変わってもらってママは睡眠をとってくださいね。
睡眠が足りないと、物事を悪いほうへ悪いほうへと考えがちになります。
私の3番目の長女が聞こえないとわかったときに、主治医に「原因はわかりませんが、原因がわかったところでどうしようもないですから、これからのことを考えていきましょう。」と言われました。
親としては原因を知りたいところですが、主治医の言うことになるほど〜と納得できました。
誰のせいでもないんです。
子供の持って生まれた運命です。
子供の持って生まれた運命に、最善の道を探して模索しながら一緒に歩んでいくのが親であり、家族かなと思います。
自分を追い詰めないでくださいね。
ボンジュルさんが詳しいことを話して下さるものと思いますが,私も思うことをひとつ述べてみます。
まず,ドイツのろう教育事情は日本と大差はありません。手話言語学で優れた成果を上げている研究室もあることはあるのですが,日本よりも聴覚口話法が巾をきかせていると言っても過言ではないと思います。
さて,これからどうするか。
まず家族がドイツに永住する予定だったのならば,お子さんはドイツのろう学校に入れる方がベターでしょう。子供の耳が聞こえないがゆえに,家族の計画を変えたと言うようなことはできる限り避けるべきであると私は思うからです。ドイツのろう学校も比較的手話に理解があるところ,バリバリの聴覚口話法の所などいろいろありますから,調べてみるといいと思います。
数年間はドイツに留まり,いずれは日本に帰る予定であったならば,取り敢えずは日本人子弟対象の学校等にお子さんを入れることをお勧めします。あとは家庭の中ではなるべく手話を使うように心掛けた方がいいでしょう。ロンドンには日本人のSTが1人いますが,ドイツにも1人はいるかもしれません。これも日本人学校,日本語補習校等を通して探してみるといいと思います。また,ドイツにはドイツ人(聾者)と結婚した日本人聾者が1人います。可能ならば,この方とコンタクトをとってみるのもいいでしょう。
また,ロンドンには聴覚障害児を抱えている日本人家族が1つ,ベルギーにも1家族います。これらの家族にもコンタクトをとってみるのも一つの手かもしれません。何と言っても同じ立場にあるんですから,親身になって話を聞いてくれると思いますよ。欧州各地の日本人学校に連絡を取ればすぐ判ると思います。最近はこういう例もかなり増えてきており,帝京大学の小児耳鼻科がそれなりにこの方面に関する情報を持っています。
では,くれぐれもご自愛のほどを。
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日本とドイツではいろいろと医師の対応とかやり方が違うのだと思います。日本では飲み薬の睡眠薬を使って、乳幼児の検査をすることは一般的にやります。どちらが良いというのではなく、きちんと説明を要求して下さい。言葉の面で通訳が必要ならば、要求するくらいの気持ちで。要求がのめない、あるいは嫌がる医師なら、医師を替えましょう。患者の家族に説明を十分するのは、医師の仕事です。それは日本でもドイツでも同じと思います。
私は高齢出産だったので、羊水検査も必要かもと言われました。でも、生まれる前にわかって、何ができるでしょう・・せずに生ませてくれる医師を選びました。そして、生まれた長男は聞こえませんでした。わかっていたら、生むのをやめたかなんて、考えたこともありません。考える前に長男は目の前にいました。りんままさんのお子さんほどではないけど、とても大変な子育てでした。今も続いています。でも、やっと、今の息子をありのままに見てやれる気になっています。時間がかかるかもしれませんが、少しずつ、前へ進むはずです。ご主人と協力して、気長にお子さんをみてあげて下さい。私は、息子が生まれてすぐ、障害がわかったため、純粋に子供を愛すということが出来なかった時期がありました。将来への不安が大きすぎたのかもしれません。でも、子供の可能性はすごい。それは医学でわりきれるものではないと思っています。
いろいろな人の助言を聞いて、落ち込みすぎないようにしてくださいね。
ようこそ。
ちひねこです。
お子さんが今、大変な状況みたいですね。
お母さんが今すぐやったらいい事は、
1.検査のとき、何故麻酔を避けたいのか、その理由を医者に説明してもらう事。
今の状況では、お医者さんと信頼関係が築けていないように思いますので。
リンままさんも納得いかない状態に見えます。
2.体にある発疹については、皮膚科をたずねられましたか??
原因が分からなくても、状態くらいは分かると思います。アトピーなのか、じんまじんなの
か。そして、その状態に合わせた塗り薬や対処方法などを教えてくれると思うんですけど。
3.自分に原因があるのでは、と思い悩まない事です。子供は産まれてみるまで分かりません。
そして、生まれたときから耳が聞こえなかったり、目が悪かったり、麻痺があったりする
その状態を本人は当たり前の状態として受け止めて成長していくと思うのです。
お母さんが暗くなっていたら、赤ちゃんも不安になりますよ。
4.子供を喜ばせる遊び方は、私には分かりませんが、無理に遊ばせて喜ばせたりするより
お母さんにやさしくそっとなでられたり、触れられているだけで安心するものだと思いま す。それが出来なくて辛いんでしょうね。でも、長い間抱っこするとか言うのではなく、
子供がかゆがったらそのかゆいところをそっとさすってあげる、それだけでもいいと思う
んですよ。赤ちゃんに必要なのは、親に見守られているという安心感でしょうから・・・
5.同じような重複の障害を持った子供を持つ親御さんはいます。
ここのリンクに貼ってあると思うのですが、しょうこママさんのHPがあります。
「CAHRGEのしょうこの物語」です。ぜひたずねてみてください。
以上です。ドイツのろう者達やろう教育の情報にはあまり詳しくないんですけど、世界各国を回っているボンジュルさんならある程度知っているかなぁ??どうですか?ぼんじゅるさん(とふってみるちひねこ)
ごめんなさい。慣れないもので・・・
赤ちゃん用の絵本を見せてました。すると結構抱かなくてもすみだしましたよ。でもそのころの私は晴は聴覚障害があるなど夢にも思ってませんでしたが・・・
スミマセン。晴が起きたので、終わります。
皆さん、いろいろありがとうございました。
みーママさんの言われる通り相変わらず、晴を比べてます。同級生の一人が指文字を使いだしたのに晴は指文字を使うと、目が泳ぎだす始末・・・仕方ないんですね。。。
同級生でも一人っ子は晴だけですから、、、晴が甘え過ぎず、私も過干渉にならないよう努力してみます。またヨロシクお願いします。
りんママさん
私はここにカキコされる方ほど、しっかりと考えは持っていませんし、晴は聴覚障害だけだから参考にならないかもしれませんが、晴が4ケ月の時、腱鞘炎になったので晴を抱かない為に
こんにちわ、初めて書き込みします。(MU沖縄さんありがとうございました)
私は昨年10月個々ドイツで第二子(長男)リンを出産しました。出産後4日目の検診で音に反応しないといわれ、その後何度かの検診で恐らくは聞こえていないことが分かってきました。家で様子を見ていても、まず聞こえていないと思います(耳に口をつけて大声で叫んでも何の反応もないです…)この火曜日にABR検査を試みたのですが、じっとしていることができず、検査できませんでした。このドイツの大学病院の先生に「麻酔はできるだけしたくないんです。なぜ朝からミルクを飲まさず、眠らせずに来なかったんですか?ミルクを飲んだら眠たくなって、じっとしているだろうから麻酔なしで検査ができたのに」などといわれてしまいました。こんな赤ちゃん(4ヶ月)にそれはあんまりにもあんまりだと思うのですが…そもそも、日本でABR検査を行うときは、麻酔(眠らせる薬?)を使うんですよね。そんなに問題になるようなものなのでしょうか?
この長男ですが、心臓にも問題があります。体に痒そうな発疹もできていて、毎日つらそうに泣いてばかりいます。私と主人はここや他の親のホームページを見て、耳の問題に関しては、前向きに明るくやっていこう、手話で接しようと手話ビデオなどを親の会の方に送っていただいたりしているのですが、機嫌のいいときは一日のうちほんのわずかで、あとは泣いてばかり、いつも顔をかきむしろうとするリンを見ていると、本当につらくてたまりません。原因はまだ分からないのですが、原因が明確にわからないということはやはり私に問題があったのか、とか毎日そんなことばかり考えてしまいます。毎日、「前向きに明るくやっていこう」という気持ちと、「つらすぎる。もう限界…」という気持ちの間でぐるぐる回っています。
過去ログを見ていると、生まれてすぐに聴覚障害が判明した赤ちゃんを持つ方々、皆さん、耳が聞こえなくてもお子さんは元気でかわいらしい様子が伝わってきます。泣いてばっかりなんて、ないですよね?どうしてリンは…どうしてやればいいんだろう、何をしてやればこんなに泣かさないでいいんだろう(こういうときに、声がかけてやれないのはつらい、誤解を恐れずに言えば)。
せめて、機嫌がいいときだけでも、何か楽しく遊んでやれないかとこちらはダンスをして見せたり、適当な手振りで歌を歌ったりと自分なりに一生懸命遊んでやろうとするのですが、ちょっとしか持ちません。
そこで、耳の聞こえない赤ちゃん・お子さんをもたれた親御さん方に質問なのですが、馬鹿な質問かもしれませんが、何か子供を喜ばせられるようなよい遊び方はないかと…何でもいいんです、子供とどんな遊びをしてきたか教えていただけませんでしょうか。
あと、私は今主人の仕事の都合でドイツにいるのですが、今後の生活をどうしていけばよいのか迷っています。やはり日本に帰るべきなのか、タイミングはどうすればいいのか、など…自分で決めることではあるのですが、やはり日本で日本の聾社会に触れさせるのは早ければ早いほうがよいのでしょうか。
どなたか、ドイツ(やアメリカ)の聾者の社会や、聾教育などについてご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか。
長女(4歳、健聴児)の事もあり、心臓の病気の事もあり、何をすればよいのか、どう動けばよいのか、どちらを向いても壁という感じで途方にくれています…
思いつくままに書いた乱文、自分の悩みだらけになりましたが、アドバイスをいただけたらと切に願ってます!よろしくお願いいたします。
みーママさんと同じ学校なら、ここで、色々言う必要はないでしょうね。
でもこれは、基本的な(あたり前の)事が出来るようになった状態でしかないとも
言えます。 そこの学校には、次のステップへと進んで行って欲しいと望んでいます。
その為にも、親御さんは、今の状態に満足するだけではなく、もっと上を目指して
下さい。 そして、その実績が、他のろう学校が変わっていく原動力になると思います。
話が逸れてしまいましたが、晴くんは、これからが、ワンパクざかりですね。
最初の子はどうしても、過干渉になりがちです。我が家の場も同じでした。
しょうちゃんの時は意識していなかったのですが、おーくんと比べるとずっと手を
かけていました。(ン? これは、単に二番目で手を抜いているだけか?)
これからは、友だちの世界が広がって行く時です。 口出ししたい時は、一呼吸おいて
「これは子供のためになるのか?」って考えてから。行動して下さい。
家でパソコンが出来るようになって良かったですね。
晴くんとみーは同じ学校といっても、学年が違うのでなかなか会う機会もなく、面と向かって言うことも難しいのでレスさせていただきます。
晴ママは「過保護」というか、晴くんが一人っ子なので晴くんの行動が全て目に入ってしまってついつい口がでてしまうんですよね。
我が家はご存知のように3人兄妹なので、3人の行動全てが目に入るわけもなく、必然的に誰かが泣いてくるまでほったらかしです。
小さい子を泣かしたとか危険な遊びをしている以外は、少しぐらいほったらかして見ていたほうが、思いがけずに子供のおもしろい行動を見ることが出来ますよ。
少しずつほおって見ていられるようになってきたみたいですね。
これからも、もっともっとほおって見ていてくださいね。
あと、晴くんと誰かを比較して「晴はできないんだから・・・」と言うのはダメですよ。
最近は言ってないのかな?
子供の成長は、まちまちです。比較しても仕方がないことです。生活環境が違うわけですから、
成長も全然違います。
おしなべて、長男・長女はゆっくりです。
下にいくにつれて、見本が多くなるわけですから成長も早いです。
これも、みんながみんなそうではありませんが・・・
4月からの晴くんの幼稚部入園が楽しみですね。
子離れのいい機会かも・・・
のんびりといきましょうね。では。
みーがまだまだ小さくて私の自由な時間がなかなか持てないので、リアルタイムなレスができなくてすみません。
愛依のママさん、明日は明日の風さんへ
ここの掲示板に投稿されて良かったですね。
ご自分とお子さんのことを見つめなおされて、目の前の霧が少しずつ晴れてきていらっしゃるように感じます。
ここにいらっしゃるみなさんは、少なからず同じことを経験されてきているので、お互いの気持ちがわかるし、顔が見えない分はっきり言えちゃうのかもしれません。(笑)
私もととさん・ちひねこさんと同じく、お2人には聞こえない人(大人も・子供も)と会って、友達になることをお勧めします。
今日、学校での出来事です。
今月からみーのクラスに新しく女の子が入りました。
その子の親は聴なので、親子とも手話はできませんし、まだまだ彼女は補聴器も嫌がります。
先生には慣れてきて、手を引っ張って遊びに誘いますが、他のママたちには一切しません。
今日、集団指導が終わったあと、私たちと彼女たちとフリースクールのスタッフの聞こえないお姉さんが来て、一緒にお弁当を食べました。
女の子は、お姉さんに見向きもしなかったのに、お姉さんの耳に補聴器を見つけたらジーッと見てるんです。
補聴器を見終わったとたん、お姉さんの手を引っ張って遊びに誘ったのです。
私は驚きました。
私の手を引っ張ったこともないのに、初めて会ったお姉さんの手を引っ張っていくなんて。
やっぱり、自分と同じものを感じての行動かな?と思いました。
聞こえないお姉さん・お兄さんに会うことは大事だと思いました。
人それぞれなので、すぐに反応を表す子ばかりではありませんが、必ずや何かを感じ取るはずです。
また、ママさんたちも何かを感じるはずです。
そして、きっと世界は広がりますよ。
返事アリガトウ!!! 聞こえないって解ったとたん娘への沢山の愛情が
責任感とかいう自己満に近い感情に変っちゃったんだ。。。。。。
でもここでいろいろ訊かせてもらって考えました。いつも娘の可愛い(本当カワイイのよん)
笑顔を見ていたい!!! 夫とは仲直りできるよう作戦ン??を考えています。
感謝です。 そして、、、、自分の世界が広がる期待感でドキドキしています。
ありがとうございます。
私の言えなかった言葉を代弁していただいているようで・・・
そう「頑張っているね」「すごいね」が逆に「頑張りなさい」「強くいなさい」なんて言われているようで、いつも人と話をする時は強い口調になってしまったりして・・・
何で私の周りには皆さんみたいな方がいないのかしら?
見つけに行かない私がいけないのでしょうけど・・・
やっぱり私のこのサイトの皆さん好きだなぁ〜
はっきり言ってくれる、気持ちもよくわかってくれていて、そして何よりも違うことは違うと言ってくれる所が好き。
どうして私の誰にも言えない気持ちを分かるの?どうして私には分からない娘の気持ちがよくわかるのだろうかと不思議に思うくらいです。
同じ体験をしたり、同じ障害を持った人たちだからなんでしょうね!!
私には分からない娘の気持ちを教えてくれるサイトでもあるので、今の私にとっては大切な場所であり、唯一弱くなっても良い場所を見つけた感じです。
いや〜、次々と新しいママさん達がいらっしゃいますね。
晴ママさんへ
ようこそ、いらっしゃいました。首長くして待っていましたよ(笑)
広島ではお世話になりました。
あれからもう少し、背も伸びたのでしょうね。
いいお友達を得られてよかったですね。やはり、小さいうちは友達の影響はとても大きいですね。
子供同士のルールを作るからでしょうか、大人とは違ったやり方でルールを決め、その中で遊ぶ。そして、他人を気遣ったり、思いやったりする力が生まれます。それは、親だけでは教える事が出来ないものです。そうやって少しずつ、少しずつ大人になっていくんですよね。
今の私があるのは、結局は幼稚部の3年間が大きかったと思っています。
協調性や、社会性、人を思いやったり、誉めたりしかったり色々な基本を、友達との関わりの中で身につけられたのだと思います。
愛依のママさんへ
愛依のママさんだけでなく、一般的に障害児と、障害児を持った家族は「がんばっている」とか「頑張らなくてはね」とか「すごいね」という言葉に囲まれて生活してしまいがちですね。
周りの人は確かに悪気はないんでしょうけれど、いわれている方にはたまったもんじゃないですね。
本人は普通にやっているつもり。でも周りの人から見たら「すごい」
私もね、過去にかなり悩みました。聞こえないだけで過大評価や過小評価される。なかなかありのままを見てもらえないなって。
でも、それは自分から頑張ってしまったり、卑屈になりすぎてしまったりした時、その時の自分が鏡のように相手の反応となって返ってしまう事もあるのかなって気がつきました。
愛依のママさんは最初の頃かなり強気の投稿でしたよね。
でも、今は少しずつその硬さが取れてき始めてますね。
みんなそんな風にして変わっていくんだと思うんです。
「楽しく、明るく、楽にね、」って口では言っていても心が休まっていなければ相手にはそれは伝わりませんし、自分で自分に暗示をかけているようなものです。
ととさんもいっていますが、同じようなお母さんを見つけてください。地元にはなかなかいないかもしれませんけれど、この掲示板でなら見つかると思います。みーママさんとか、いろんなママさんいらっしゃいますから。
娘さんを楽にしてあげようと思う前に、お母さんが楽になってください。
芯の強い娘さんです。お母さんの柔らかくなっていく姿を見たら、多分少しずつ楽に気持ちを吐き出せるようになっていくと思いますよ。
大丈夫です。皆様の話は私にとってプレッシャーを与える言葉ではないですよ。
今まで皆から「頑張っているね」とか「すごいね」などと言われてきて、弱音をはく場所が1箇所しかなかったし、その人(言語教室の先生)からのアドバイスしか聞けなかったので色々な考え方がある事を改めて知ることが出来たし、なぜか素直に「そうなんだよね」って思える内容が多いのです。
まだ娘が難聴と分かった頃は、色々な関係者の方に会って話を聞きたいと思い、大勢の方々にお会いして話を聞きましたが「難聴児には無理よ」とか「自分の子供だけがよければいいのよ」なんて言葉ばかりで前向きな話が聞けず、的確なアドバイスがもらえなかった事もあり地元の関係者の方たちと会うことも無くなってしまいました。
偶然同じ保育園に難聴児さんが居たのですが、娘より年下であり聴力も娘よりずっと良いので愚痴を言うというより、弱いところを見せてはいけないような気がして素直に言えなかった事が多くて・・・
でもこのサイトに投稿していらっしゃる方たちは、本心を書いてくれて率直に返答をくれて私にとっては、素直になれるところです。
だから、どんどん言って下さい、そして沢山分からない事を教えて下さい。
今後もよろしくお願いします・・・(毎日勤務先から読ませてもらっています)
初めてカキコします。3才8ケ月の男の子のママです。みーちゃんと同じろう学校に 通っており、4月から幼稚部に入園します。晴は100db位です。みーママさん程は無理ですが、ボチボチと手話で会話しております。
このHPは、時々主人がプリントしてくれるものを見てましたが、やっと家のパソコンで見ることができるようになりました。
家がろう学校から見えるマンションで(昨年、引越しました)、同じマンションに幼稚部の子が住んでいるので、晴はよく遊んでもらっています。先日もおばあちゃんに、 「晴ちゃん、最近明るくなったっていうか、積極的になったね。」
とお褒めの言葉を頂きました。学校が手話を使っているせいもありますが、この子と遊びだして本当にノビノビとしだしたように思います。感謝!晴は一人っ子だから助かります。
いつも先生に[過保護」と言われ干渉しすぎる私ですが、この子がとても優しいことも あり、おもちゃの取り合いを始めても、様子を見てると、追いかけっこをして、いつの間にか遊びに代わっているなんてことも・・・だから私が手を出しすぎて、子供の芽を摘みとっていたんだなーと教えられる今日この頃です。
これからも、ノンビリと楽しく子育て出来たらなーと思います。まあ、ドンヨリと落ち込むこともしばしばありますが・・・
ここで、色々と言うと、返って、愛依のママさんを追い詰めてしまいそうで・・・
難しいですね。
お子さんもそうですが、お母さんも、仲間(同じ聞こえない子をもつ親)を見つけて下さい。
愚痴をこぼしたり、バカ話しができるような仲間が今は必要のような気がします。
これも、やっぱりプレッシャーをかけることになるのかな?
まずは、肩の力を抜いて。 そこから始めましょう。
ここでは、手話、手話と言っていますが、耳を使う事や口話をするなとは言っていません。
この点を勘違いしないで欲しいのです。 ABRで70dBならば、多分障害者手帳が
出るか出ないか位の聴力だと思います。 (60dB前後くらいかな?) このくらいの聴力
ならば、口話の訓練も効果があると思います。
ここで、注意して欲しい事は、 手話の環境を与えることです。 聞こえがかなりよくても
聞こえる人から比べれば、やはり聞こえにくいのですから、取りこぼす事が、たくさん
あります。 それを補うためにも手話は必要です。 古い考えの人で、「手話を与えると
口話の上達が阻害されるから、手話はダメ。」 と、言う人がいますが、それは、明らかに
間違いです。 感覚としては、手話で通じるから、困難な口話を憶えなくなると言われれば
なんとなく納得するかもしれません。 しかし、口話だけしていると、たくさんの事を聞き
逃します。 それを捨てて行くと・・・ 将来はどうなるか、想像がつくでしょう。 そこを補う
為に母親が頑張ると言っても、限度があります。 結果として、音声日本語は不十分。
かといって、手話も出来ない。 自分の気持ちを相手に伝える手段を持っていない人に
なってしまうのです。 この状態を避けるためにも手話は必要です。
もし、お子さんに口話訓練を続け、手話も与えた結果、自分の耳を使い、声を使った
方が、人とコミュニケーションが取りやすいと判断すれば、手話は使わなくなるでしょう。
逆も当然あります。 ですから、最初は、安全策として、両方与える事が大切だと思う
のです。
今、家族内で議論しても、それは、架空の議論でしかないと思います。 ちひねこさんも
言っていますが、まずは、なるべく多くの聞こえない人たちと会って下さい。 そんな
情報の収集が今は大切だと思います。 (子供と遊ぶのが一番大切ですが)
明日は明日の風がふくさんへ
家族は今混乱の真っ直中にいるのでしょうね
思うのですが《普通》って一体なんなのでしょうね
70dBなら相当に聞こえにくいのではないでしょうか
ととさんの例えを借りれば相当度の強い眼鏡をかけてもそれでもぼやけて見えると言った具合でしょうか
そんな状態の子供に2m先の小さいアリを見つけてみろと言っているようなものですね
それを毎日やれ、といわれたらつらいでしょう
残存聴力を生かしたい気持ちは分からなくもないですが、そればかりに気を取られていると子供をマイナスの視点でしか見ることができなくなってしまいますよ
あれこれ頭の中で考えるより同じような聞こえない大人たちと会ってみてください
彼らは普通ですよ
違うところと言えば声を使わないで手で話す術を持っていることかな
ご主人とともに聞こえない大人たちと会ってそれからどうするかを考えてみることをおすすめします
ご無沙汰しております。
子ども未来賞に「小指のおかあさん」が選ばれました。
タイトルをみて意味のわかる方は、手話のできる方だと思います。
内容もとてもいいです。
URLは下記のとおり。http://www.yomiuri-you.com/you_c/possibility/news/experience/experi_030216.html
先日ABR検査をしました。右が少し(70くらい)残っているということで 今まで娘のことで話し合って無理に 訓練などしないという考えだったはずの家族が残存聴力はいかすべきと、やれ 針だ 気功だ 手術!?だと 普通が一番と話してるのを見てこの掲示板、本など見せたのですが 人は人。口話中心で手話を使わないほうがいいという風になっていろんな話から脱線してお互い相手の欠点つついたりと最近夫とはケンカばかりです。こんな時こそお互い頼りたいのだけれど。。。。。。
皆様の優しい気遣いありがたく思います。
私はいつも「そんなに頑張らないで・・・」と色々な方に言われます。
きっと自分自身では気づかないのですよね。
私が気づかぬうちに頑張ってしまっているのを小さい頃から見ていた娘は必死に答えようとしてしまっているのでしょうね。
娘が難聴と分かってから必死になっていた時期があったのは確かです。
皆様の言うと通り、強制をしていた時期もありました。
でも、離婚をした頃気づいたのです。
「頑張って、頑張って」だと疲れてしまうことに・・・
その頃から、娘と楽しく過ごそうと思えるようになりました。
今は、「頑張りすぎると疲れちゃうから、ゆっくりで良いよ。楽しいが一番だもんね」それが我が家の口癖です。
頑張りすぎているのかも知れません。でも大丈夫、娘に無理をさせたり、自分が無理をしたりしていないから・・・
しかし、がついてしまいますが、知らずに娘に頑張らせてしまっているのかも知れないです。
小さい頃「頑張って」と言いすぎたせいです。
娘から「疲れた、もういやだ」と言わせてあげられる母になりたいと思ってしまいます。
学校を一度も休みたいとも言わず、私が寝込んでいると食事の用意もしてくれる娘・・・
娘の居心地の良い場所ってどこなのでしょうか?
私は娘にとって、マイナスになるような事を沢山しているのではないでしょうか?
普通小学校を選択したのは私、この選択があっていたのか・・・
娘は何も言いませんが毎日、毎日こんな事を考えてしまいます。
我が家は地元の聴覚に障害を持った方たちとの付き合いはほとんどないので娘はほとんど知らないのが事実です。
沢山の選択する道がある事をそろそろ教えてあげなくてはいけないですね。
皆さんみたいにストレートに言って下さる方が回りにいたら、良いのになぁ〜。
手話さまさまさんと同じく、挨拶が送れてすみません。
愛依のママさんの書き込みを読んで、思ったのですが、
頑張りすぎていませんか?
それが、ご自身へのストレスとなり、さらには、そのまま鏡となって、お子さんに
プレッシャーを与えてしまうように思うのです。
かつての(今もそうですが)聴覚障害児の母は自分がどうにかしなくては!
との思いで、必死に子育てをして来ました。 (それを推奨したのが聾教育です)その結果、
成績の優秀な子も出てきましたが、反面、多くの問題点も出てきたのです。 それは、
桃像さんやちひねこさんが言っているようなことです。 そんな、諸先輩方の経験を生かして、
今後の子育てに役立てるべきだと思います。
「もっと、肩の力を抜いて」これが、愛依のママに今一番必要ではないでしょうか?
限られた時間を大切にしようと思うあまり、やりすぎていませんか?
ことばを増やそうとか、考えずに、子どもと楽しく(自分が楽しいと思えなくてはダメです)
遊んで下さい。 それが、全部では困りますが、1週間の内、何時間かでもそんな時間を
作ることからはじめたら如何でしょうか?
本来、最初に返事を書くべき、管理人の挨拶が遅れてすみません。
> 聴力が比較的残っている中等度難聴のこどもにとって、手話はじゃまなものなんでしょうか?
> 中等度どうしは、あいまいな発音とあいまいな聞き取りで本当に分かりあっているのですか?
> 聴者の人に分かりにくくても?
しょうちゃん(我が子)が補聴器を付け始めのころ、親として必死に付けさせようとしましたが、
補聴器を付け忘れても何も言いませんでした。 ところが、目が悪くなり、眼鏡をしたとたん、
毎日つけています。 分かりますよね。 人間、自分にとって必要なことはします。
音だと、目に見えないくて分かりにくいので、“目”と“耳”を入れ替えて説明します。
中等度難聴の子は近眼の子と同じです。 ハッキリ見える眼鏡は存在しません。 ボヤけた
画像が大きく見える眼鏡があると思えば良いと思います。 そこに、“声”で会話する方法を
教えれば、どうでしょう? 多分、飛びついて来るでしょうね。
“声”の存在を教えなければ、声を使う事は永遠にないでしょう。
“声”を少ししか与えなければ、それが、会話する道具だと理解できないでしょう。
その結果、ぼやけた風景、ぼやけたお母さんの顔、ぼやけた友だち、 そんな世界が全てだと
思い込んで育って行くってどう思いますか?
手話の不足した幼稚部だけを見れば、不安になりますよね。 でも、
その幼稚部の子が、給食の時、小学部のお兄さん、お姉さんが楽しそうに手話で会話を
している姿を見て行けばどう思うでしょうか?(しょうちゃんの通う聾学校は、全員が食堂で
給食を食べます) そんな先輩の姿を見て、手話って広がって行くのだと思います。
本当は、先生自らがつたない手話でもいいですから、どんどん使って行けば、もっと加速度的
に世界が広がって行くと思うのです。(聞こえる子と同じくらいに)
まず、子どもの世界を広げる事が一番大切です。 幼児期に世界を広げるのは、遊びです。
そこに、自然な会話がうまれ、ことばが育ちます。 親が教えるには限界があります。
聞こえにくい場合、音声による会話は阻害され、広がりにくい世界となってしまいます。
どんなに頑張っても聞こえるようにはならないのですから。
> 手話をすると声がでないと言われました。 私には、それは手話のほうがわかると子供が
> 言っているだけ、のような気がするのです。だれか、教えて下さい
手話と日本語は別言語ですから、同時にすることは困難です。
(日本語を書きながら、英語でしゃべるようなものです)
でも、しょうちゃんの育つ姿で、イヤというほど思い知らされましたが、 ことばを憶えるには
その意味を理解しなければ、効率はガックと落ちます。 聞き取りにくい音声でいくら教えて
も内容までは、中々理解できません。 そこで、見て分かる手話を使えば、すぐに理解
出来ます。 その手話を生活の中で使って行けば、自然とその意味が身に付きます。
そこから、音声なり、文字に置き換えればいいのです。 しょうちゃんの場合、中々、自発語
が出ませんでした。 でも手話を使い出して、その意味が分かってくると、うるさいほど声を
出すようになりました。 まずは、“分かる”こと、それが大切だと思います。
ずっと以前からこのページは毎日拝見しておりましたが、
初めて発言させていただきます。
ろう学校に勤務する聴者です。
愛依のママさんの娘さんのお話を見て、
10年以上前のうちの学校の職員会議での一場面を思い出しました。
当時、実習助手としてろうの年輩の先生がひとりおられたのですが、
職員会議でもどんな時でも、
その方に対する情報保障は全くと言って良いほどありませんでした。
その先生に関係のあることだけ、親しい先生がメモをして渡す、というだけでした。
数年間はその状態をどうすることもできなくてそのままだったんですが、
ある重要な協議事項があった時に、手話をつけて発言してみたんです。
会議の後、その先生は、
周りの人に「迷惑だ!」と怒ったおられたそうです。
手話なんか使うと、みんなが自分に注目してしまう。
押しつけがましくするな!
特別扱いをするな!
ということだったらしいのですが。
でも、飲み会の時には、
口話時代のろう学校の中で、自分がどれだけ大変な思いをしてきたか、
理解のない同僚にどれだけの不満を抱いてきたか、
エンドレスで語ってくれるんです。
私が出会うまでの長い間には、
様々な背景や思いが積み重なっていたのでしょう。
そういう、その先生の胸中を無視して、
聞こえない人には情報保障をするのが当然、という
一面的な思いこみと勝手な判断でやってしまったことを
反省しました。
その後、もうひとり若いろうの先生が入られて、
職員会議での手話付き発言は当たり前になっていきました。
年輩の先生も、そのうちに慣れてくださって、
自ら情報保障を求められるまでになりました。
しかし、その若いろうの先生も、
強い態度で情報保障を求めるのは嫌います。
「一人一人の先生が、さりげない配慮をしてくれるのが、
一番ありがたい」
と言っています。
みんな、さりげなく、当たり前に、というのを
望んでいるのかもしれません。
情報が保障される、ということが「対等」であることの条件であると同時に、
目立たず普通にお互い負担無く、というのも、
その人にとっての「対等」なのかもしれないな、
と感じさせられています。
ろう学校に良い風が吹いたようで良かったですね。
あきらめないで言い続けることの大切さを見たように思います。
中度難聴の子にとっての手話については、邪魔にはならないと思うのですが・・・
としかお返事できなくてすみません。
これからもがんばってください。
言葉って教えられるものではありませんよね。
親なら誰もが経験していると思うのですが、ただ寝ているだけの赤ちゃん時代にも、
オムツを替えるとき、ミルクをあげるとき、お風呂に入れる時など話しかけていますよね。
そして、指さしが始まった時は親が代弁して「○○が欲しいのね。」とか「○○があるね。」など話していますよね。
この積み重ねを経て、子供は言葉を覚えて話し始めるんですよね。
親と1対1の会話から始まって、第3者との会話、複数の友達との会話と会話が広がることによってどんどん言葉が増えていきます。
これは、どの子も教えられたわけではなく、日常的に自然に行われていることですよね。
愛依のママさんは、強制的ではないにしてもがんばって、がんばって言葉を教えてあげたい。
言葉を何とか増やしてあげたいと思ってこられたように感じます。
そして、普段は音声言語なのに言葉を教えたい・増やしてあげたいと思ったときに手話もでてくる。だから、手話が娘さんにとって特別な教えられる言葉になっているように思います。
娘さんは、お母さん思いの優しい、人を気遣う子ではありませんか?
お母さんが私の為にがんばって・がんばって教えてくれようとしていることをひしひしと感じていると思います。
子供は親が自分の為にがんばっていると思うと、期待に応えようとがんばるでしょう。
そこで、娘さんにとって言葉というものが自然に覚えるものではなく、がんばって覚えていくものになってしまって、苦痛が生じてきているのではないでしょうか?
「お母さん、私の為にそんなにがんばらないで。無理して手話を使わないで。私だけのための特別な手話なんていらない。」と訴えて手話拒否になっているのではないでしょうか?
手話を使ったがために親子のコミュニケーションに影響がでては大変なので、手話を使うことはお休みしたほうがいいかもしれませんね。
でも、娘さんにはやっぱり音声言語だけでは足りないと思うので、自分の言葉として自然に手話を使っているお姉さんやお兄さんに、さりげなく会わせる機会だけは作ってあげて欲しいと思います。
近くにフリースクールはありませんか?是非、参加をお勧めします。
愛依のママさんも少〜し肩の力を抜いてみてくださいね。
娘さんは愛依のママさんだけの影響を受けて成長しているわけではありません。
学校の先生・友達、近所の人たち、娘さんと会う人みんなの影響を受けて成長しています。
愛依のママさんががんばりすぎてつぶれてしまったら、娘さんはもっと自分の責任だと感じてしまうでしょう。
長〜い人生です、突っ走る時・歩く時・立ち止まる時いろいろあっていいと思います。
わかったようなこと書いて、失礼だったらすみません。
がんばりすぎないでくださいね。
頑張って頑張って、ここまでこられたのだろうと思います。お子さんは女の子でしたね。早い思春期でしょうか?自分がなんなのか、どんな存在なのか、悩む年頃になり、成長した証拠かもしれません。なぜ普通校か、わからないので、的外れかもしれませんが、難聴の少し年上の人や同年令の子と十分交流する場に連れていってあげてはどうでしょう。息子はまだ幼く、みーママさんの悩みがよくわかります。弟が聞こえるので、つい声だけでやりとりして、後で兄に簡単に説明したり。これでことばが増えるはずがない。私もみーママさんを見習って、会話に全て手話をつけるようにしま
愛依のママさんへ
さらに詳しい状況を書き込んでくださり、ありがとうございました
いま、娘さんと手話の関係が不自然なものになっていると思います
つまりですね、「自分一人のためにみんなが手話を使おうとしている」のが重荷になっているんだと思うんですよ たぶんお友達は口に出して言ったりはしませんが「使ってあげている、合わせてあげている」という雰囲気がどこかに生まれてしまうんですよ
これが普通校に通う難しさの一つです
あと、きついようですが手話を歌を教えるときに使いすぎると抵抗も生まれやすいかも
歌のときだけ手話なの?って
お聞きしたいのですが聾学校または難聴学級を見学したことはありますか?
もしまだなら一度は尋ねてみてください
いまのままだと心が突っ張ったままになってしまいます
どこかに逃げ場所と言うか、ほっとできる場所が必要ですよ 子供のうちは自分の感情とかどんな状態なのかを把握仕切れないし、コントロールも難しいです
母子家庭で大変かも知れませんがあまり頑張りすぎないでくださいね
そうなんです。言葉の情報量が少ないのが現実なのです。
我が家は母子家庭なのでどうしても二人の会話が中心になってしまいます。
手話サークルに通ったり、保育園の頃は歌を全て手話で教えていました。
現在通っている小学校でも手話を取り入れてくれて、校歌をみんなで手話で憶えてくれたりしましたが、小学校に入学してから本人が手話を使う事を極端に嫌う様になってしまいました。
自宅でもスマップの歌や長渕剛(私が好きなので)の歌などを手話で教えようとしましたが、私が手を動かすと「やめて」と嫌がってしまいます。
母子家庭・週の3日は勤務後病院通いですが、娘とのコミュニケーションだけは大切にしたいと毎日考えております。
今後もお互い助け合い生きる喜びの中で楽しい毎日を送って行ける様頑張って行きたいと思います。
落ち込んだり、悩んだりの日々を今後も繰り返すと思いますがまたみなさんに話を聞いて頂きアドバイスをもらいたいと思います。
またよろしくお願いいたします・・・
3連続ですみません。
最近、私が話すときは全て手話つきでとがんばっています。
*先日、次男が服を脱ぎっぱなしにしていた時の事
次男に怒り口調で「脱いだ服は自分で洗濯機に入れてきなさい。」と手話つきで言いました。
すると、みーがオロオロしだしてキョロキョロ。
私に「洋服、ない。」と手話ってきました。
みーも脱ぎっぱなしにしていたのですが、私が洗濯機に入れていたのです。
みーに「自分で洗濯機に入れに行きたかった?ごめん。ママがしちゃった。」
みーは「うん、うん」とホッとした顔。これで私は怒られないとでも思ったのでしょう。
聴児は兄・姉が親に怒られるのを見て・聞いて、「あ〜、これをしたら怒られるんだ」と学びますよね。
*昨日の出来事
長男の下校時刻は13:30だったのに、ランドセルを背負ったままで、帰ってきたのは16:30
。
毎日の悪行もあって、長男の顔を見たとたんに私はプッツン!
手話をつけるどころではなく、ランドセルをぶん投げてバーッと音声言語だけで怒鳴りまわしました。
次男は、そそくさと逃げてしまいました。
みーは、ランドセルを拾ってきて、私に怒りながら叩いてきました。(そんなに叱らなくてもといいたかったのか・・・)
私が「お兄ちゃんが悪いことしたから怒っているんだ。」と説明しました。(興奮していたので、何と手話ったのか覚えていません)
すると、今度は私の隣に仁王立ちになり、長男に向かって「バーバー、パーパー」と怒り出しました。(そうか、お兄ちゃんが悪いんだ・・・かな?)
やはり、家族の会話が見えるって大切だなと思いました。
私もちひねこさんと同じ意見です。
やはり、娘さんは言葉の情報量が足りないのだと思います。音声言語だけでは不十分なのです。
それに、言葉は1対1(親子)のおしゃべりだけでは広がりません。
娘さんはママが手話を使うのも嫌がるのでしょうか?
嫌がらなければ、是非、手話つきの音声言語でおしゃべりしてあげてください。
そして、出来れば家族の人が話すときも少しずつ手話つきに・・・
また、聞こえないお友達も本当に大切です。
娘さんに沢山の手話が目につくようになるといいなと思います。
たかさんへ
我が家も同じです。
主人が出来る手話は挨拶程度ですし、私もみーに話すときは手話ですが、兄たちに話すとき(特に叱ったり指示するとき)は音声言語だけになってしまいます。
先日、ろう学校で勉強会があり参加しました。
大阪の大学の先生を講師に招き講演を聞き、小学部の先生の実践発表があり、その後に講師の先生からコメントをいただきました。
どこのろう学校でも幼稚部から絵日記をかかせ、小学部では日記を書かせていると思います。
娘の通うろう学校の小学部の子が書いた日記を読んで、
「全体的に情報が入っている引き出しの数が少なくて、その少ない引き出しを一生懸命使いまわしているような感じがします。」
「インプット量が少ないのに、書け、書けと言うのは無理です。」
と、仰っていました。
聴覚障害児が日本語を覚える時に、聴児以上に書くことは大事になってきます。
自分の書きたいことを自由に書ける・自分の言いたいことを自由に手話るには、
やはり情報量の差で決まります。
語彙は教えてもなかなか増えません。日常の行動と会話が密着して覚えていくことのほうがはるかに多いと思います。
だからといって、聴家庭の聴者たちがすぐに手話ができるようになるわけでもなく、
家庭内の日常会話もすべて手話というのはなかなかできることではありません。
でも、そこであきらめるか、心にとめてできるだけ手を動かしていくかではかなり違うと思います。
最近になって、私も話すときはいつでも手を動かすようにと心がけるようになりました。
手を動かさないことには、手話は上達しませんしね。
人はそれぞれです。自分で自分なりの努力をされたらいいと思います。
聴力が比較的残っている中等度難聴のこどもにとって、手話はじゃまなものなんでしょうか?中等度どうしは、あいまいな発音とあいまいな聞き取りで本当に分かりあっているのですか?聴者の人に分かりにくくても?手話をすると声がでないと言われました。私には、それは手話のほうがわかると子供が言っているだけ、のような気がするのです。だれか、教えて下さい
なるほど同じ口話教育でも、私が受けた頃と今の口話訓練とは大きく変わってきたんですね。
それはそれで喜ばしいと思います。
私も必ずしも「口話」を完全否定してるわけではないので。
ただ、愛依のママ さんは今も悩んでいるとのこと。
それはしかたがないですね。親としての宿命のようなものですから。私も幼い娘がいますので分かります。
ところで今手話を覚えようとしません?少しでもいいんですよ。
それと、読書がお勧めです。
娘さんは本がお好きではありませんか?
なんでもいいんです。冒険モノでもミステリーでも漫画でも。
ん〜 何だか深刻になってきましたねぇ
手話をやったけれども娘さんの意思でやめた…
なるほど。娘さんは今、聞こえる友達と同じようにやり通そうとしているのかも知れません
おそらくかなり芯が強いのでしょう
ここは娘さんにいろいろな情報や言葉を与えるという意味で娘さんと話すときにだけ手話を使うのでなく、夫婦の会話など何でもいいです 手話をつかってみてください
それからもう一つ大切なこと
おなじ聞こえない友達を作ってあげてください。できれば手話を使うような子供たちと
ストレスのない会話、いろんなことが分かる会話を経験することが今の娘さんには必要だと思います
お母さん一人だけでは言葉を教えることはできません
まわりの大人や友達などとやり取りしたり、話を目にすることで言葉の力を蓄えていくのです
まわりのひとの力を借りながら娘さんを育てていってくださいね
私が書き込みをした次の日、聾学校の先生が見て話しあったそうです。私がいつも言っていた事なので、匿名のつもりがばれました。でも、先生が耳栓をして子供たちと遊んだり、聴覚障害の人が何を感じているかを理解しようとする事は大事な事だと再確認して下さったようです。息子はろう児です。今、口話教育だったら、完全なおちこぼれです。手話のお陰で手が喋ります。母の手話力に問題はありますが、お喋りでやさしい子です。息子がろうだと認めてやるまで、いろいろ悩みました。聴者の親は自分と違う子を認めるという過程が必要で、時間が要るのだと思います。
そうなんです。沢山言いたい事があるのにその言葉が見つからないみたいです。
私の教え方が悪いのかもしれないけど、言葉が見つからない・伝わらない事でいらだっていたり、諦めて言うのをやめてしまったりします。
手話・指文字も使ったりしたこともありますが、補聴器をすると「つ」「す」「な」「ら」「い」「き」「し」「ひ」「を」「お」など聞き取りにくい言葉は、言い間違えたり聞き間違えたりするのですが後は問題なく話をするので、本人の意思によって使うのをやめました。
もっともっと沢山言葉を教えてあげたい、そしてお友達とスムーズに会話させてあげたいと一人で泣いてしまったりしています。
強制せず言葉を教えて行くって難しいですね。どうしたらいいのでしょうね・・・
親子の会話は沢山しているつもりですが・・・
一番辛いのは娘・・・私はどうしてあげたらいいのでしょうか?
> 聴児と聴覚障害児の情報量(知識)の違いはここにあると思います。
> でも、聴覚障害児に手話を使えば聴児と対等です。
ここは、「聴覚障害児のいる家庭でも手話を使えば」ということですよね。
ご主人とみーママさんの会話の事例をもって手話を使えば聴児と対等というには、
その場にあるほとんどの情報が手話で提供されるということが必要で、
目下、我が家でも(というか私の手話力が)課題です・・・。
まぁ、でもあまりこだわらず、できる範囲でやっていこうと思ってます。
僕と奥さんの会話のなかに(正しくはないにしても)入っている手話を見て、
娘が興味があれば「何の話?」と聞いてこれる状態になっていることが
まずは必要かなと思います。
幼稚部の頃の母の発音訓練は、そりゃあすごいものだったらしいです。
帰りのバスの中でも一生懸命音声だけで話せるように私と話しまくっていたとか。
でも覚えてないんですよねぇ。あんまりいやな記憶だったから、削除してしまったのかもしれません(苦笑)でも、周りの人は引いてたみたいです。「バスのなかまででやるの??」ってね。
でも、これだけは覚えてます。小学校にあがる前の春休みに、母が必死の形相で私にキューを使うのを止めさせようとした事は。
キューを使わなくても話す事が出来るように、手が動かないようにってびしびししかられました。
愛依のママさんへ
ちょっと気になるところがあるので、レスします。
>娘が話す事・聞く事を嫌いにならないことが一番だと思っています。
キチンと向かい合って話すと言うのは、喧嘩をしてしまったときなど「聞きたくない」と言って補聴器をOFFにしてしまった時や、話を聞いてほしいのに聞いてくれない時や娘が自分の気持ちを上手に言い表せなくてやけになってしまった時などです。
ここです。
愛依のママさんは、娘が聞く事、話す事を嫌いにならないように、とおっしゃいました。
でもたぶん、もっと話す事が好きになれるような言葉をまだ身につけていないのではないかと思いました。つまり、自分の言いたい事がちゃんと言える言葉です。自分の頭の中にインプットが容易に出来て、その使い方も分かるような言葉。聞くという作業も、自分の中に言葉が沢山詰まっていないと理解できないものです。
誤解のないように言いますが、ここで言う「聞く」というのは音声を聞くのではなく、人の話を理解する、受け止めるという意味の聞く、です。
けんかをしてしまったときとか、補聴器をオフにするわけですよね。音声なら分からないや、と思って。私もそういう時ありましたよ。聞きたくないって。何でかというと親の言っている事が自分にとっては理不尽だったりする事があるから。そんなの聞きたくない!!って。
娘さんが、自分の気持ちを上手く表せなくてやけになるのなら、自分の気持ちを上手く表せる言葉を与えてあげてください。やはり音声だけでは不十分なのです。
楽しく、明るくをモットーに生きていこうと思うのなら、手話も取り入れてください。多分娘さんは変わっていくと思います。手話なら、強制にはなり難いし、ここにきているほとんどの方は手話を訓練の手段としてではなく「楽しく会話する為に」使っています。子供の為でもあるし、同時に自分の為だからですね。
あなたは多分、思うようにならないもどかしさって言うのを体や心で分かっている方だと思います。そして、今の娘さんの状態だと、同じようにもどかしい思いを抱えている事があるのではないでしょうか??それを軽くしてあげられるのは、親の役目だと思います。
すみません。訂正です。
> しかし、「青い空に、母親の楽しい空」ってありません。 「天井に、母親の厳しい顔」です。
しかし、「青い空に、母親の楽しい顔」ってありません。 「天井に、母親の厳しい顔」です。
私は、発音訓練すること自体に反対しているのではないこと、予め断っておきます。
顔を真っ直ぐ向けさせて、発音させ、読み取らせることは、強制です。
私の親も、ろう学校教師の言われる通り、(強制的に)私の顔をまっすぐ向けさせました。
数えてもきりがありまっせぇん。
今になって思えば、悲しいことに、「青い空に、母親の楽しい顔」という記憶がありません。
私には、ろうの姉達がいます。
ろうの姉達との記憶の中に、「青い空に、姉達の楽しい顔」が沢山詰まっています。
しかし、「青い空に、母親の楽しい空」ってありません。 「天井に、母親の厳しい顔」です。
子供がそんな風に見ながら、「記憶」が育まれて行くのです。
ぼんじゅる
私の書き込みを読んで頂きありがとうございます。私は書き込まれているような口話訓練や勉強を強制的に座らせておこなっててきたことは一度もありません。娘が聴覚に障害があると分かってから沢山の本を読み、強制的にやらされる事の苦痛さも自分なりに理解していたので訓練も勉強も楽しくがモットーです。追いつけ追い越せでやらなくたって良いと思っています。娘が話す事・聞く事を嫌いにならないことが一番だと思っています。
キチンと向かい合って話すと言うのは、喧嘩をしてしまったときなど「聞きたくない」と言って補聴器をOFFにしてしまった時や、話を聞いてほしいのに聞いてくれない時や娘が自分の気持ちを上手に言い表せなくてやけになってしまった時などです。
健聴者でも、相手の顔を見ないで話をする人が多いのですが、顔を見て話をしたいと思いませんか?触れ合って気持ちを分かり合って生きて行きたいと思いませんか?
私自身が勉強を好きな方ではなかったので、強制的には絶対にさせません。
ご安心下さい。我が家は訓練や勉強より遊びに熱心な家庭かなぁ・・・
だから単語が少ないと言われるのかも知れませんが、生きているのが楽しく思える人生を送ってもらいたいと思っております。
私自身が足に障害を持っており、おまけに癌と言う病気も経験しているので「毎日楽しく生きる」それが私の思いです。
娘の人生は娘が決めれば良いと思っているので、何事も娘の意見が優先しています。
訓練も大切・・・分かっています。でも私には強制は出来ません・・・
<子供の顔を真っ直ぐ自分に向けて心が伝わるように何度も何度も話しましょう。私もそうして
<きたし、今後もきっと両手をつかんでこちらを向かして真っ直ぐ話していくと思うから・・・
それは桃象さんも書き込みされてるように、強制は止めましょう!
というのも、私が4才の時からずっと教師や母に強制的に両手で顔を掴まされ、真っすぐ相手の
顔に向かわせて、口話訓練をさせられたクチです。
もう、イヤでしょうがなかった。
4才といえば、イスに5分もじっと座らせるのは無理があるでしょう。健聴児と違って、何も
情報が入ってこない状態でじっと座るわけですから、苦痛なもんですよ。
それを私の場合、ろう学校でも家庭でも訓練させられたんですよ!
母も当時かなり若く、体力もあったから、しかも先生の言うことに盲信しており、暴走して
ました。まさに拷問でしたよ!
それをブレーキ役になってくれたのが私の父でした。
父がいなかったら、私の心はきっと壊れていたことでしょう。放任主義な父でしたが、今では
別の意味で感謝してます。
どうか、強制的に顔を両手でつかんで向かわせるくらいなら、あなたが少しでも手話を覚えて
お子さんがストレスなくコミュニケーション取れるように、なさいませんか?
どうか、私たち親子の轍を踏まない為にも、お願いします。
>両手をつかんで,こちらを向かすぐらいなら,手話を使ってみてはいかがでしょうか。
「両手をつかんで,こちらを向かせるぐらいなら」ですね。
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聴親と聴覚障害児が音声でも手話でもいいのですがコミュニケーションをとれるようになりました。
では、コミュニケーションがとれるようになれればすべてがO.Kなのでしょうか?
コミュニケーションがとれるということは、親が持っている情報が子供に伝わるということも含まれると思います。
情報というと難しいように感じてしまいますが、普段の日常会話が全て情報だと私は考えています。
聴児は自分に関係ある・なしに係わらずいろいろなことが耳にはいってきます。
そして、自分に必要なことを自分で取捨選択しています。
例えば、我が家のことですが・・・
日曜日に、主人の実家にお雛様を持っていって飾りました。
主人:「ここの社宅には飾る場所がないね。」
私:「うん、壁がないからね。どこに飾っても邪魔になるよね。」
主:「やっぱり実家へ持っていって飾るか。」
私:「でも、車にのるかな?」
主:「オデッセイだから3列目を倒せば大丈夫だよ。」
と、何気ない夫婦の会話に聴の長男と次男は
「オデッセイって何?」
「家の車の名前だよ。」
こうして聴児は日常会話から自然に、車には名前があること、車のシートを倒すことができること、毎年自分の家に飾るお雛様を今年はおばあちゃんの家に飾る理由などを情報としてインプットされたわけです。
聴覚障害児が音声でコミュニケーションできるようになったからといって、このような情報が聴児と同じように自然にインプットされるでしょうか?
何気ない家族の会話が耳に入ってるでしょうか?
私は、NOだと思います。
では、親ががんばって1対1で向き合って家族の日常会話を伝えますか?
聴児と聴覚障害児の情報量(知識)の違いはここにあると思います。
でも、聴覚障害児に手話を使えば聴児と対等です。
何気ない日常会話が視覚言語で見えるわけですから。
コミュニケーションも大事です。知識や生活の知恵を聴児が自然に習得していく過程を聴覚障害児にも与えることも大事です。
>今後もきっと両手をつかんでこちらを向かして真っ直ぐ話していくと思うから・・・
おやめなさい。
両手をつかんで,こちらを向かすぐらいなら,手話を使ってみてはいかがでしょうか。手話を使えば,子供は見る必要があると思うときはちゃんと親の顔を見るものだと思います。
と言っても,これが結構難しいんですけどね〜。(苦笑)
==