このホームページをはじめて、4回目の年越しです。
我が家は毎年、同じパターンで大晦日は私の実家ですごし、一日は、近所の神社へ
お参り、夜には、家に帰り、二日はかかさんの実家へ。 共に車で10〜20分くらい
の距離にあります。子供が幼いころは、とても助かりました。 今は、ジジババの
所へ行くと言っても、すぐには付いて来ません。
今年は、仕事の関係で出張だらけでした。そのため掲示板の管理がおろそかになってしまい
みなさんにはご迷惑をかけました。申し訳ありませんでした。
また今年も、新しい人が多く来てくれました。その中で感じたのですが、AABRの
影響か、聞こえないと判明する時期がとても早くなったように思います。 そして、
その後のフォローが不足しているのは、昔も今も変わらないのが現状のようです。
その手助けが少しでも出来ればと思っています。
みなさん、これからもよろしくお願いします。
今年はこのサイトに出会えてよい経験をさせていただきました。
いろいろな方に不愉快な思いをさせてしまいましたが、本当に勉強させていただきました。
特に、根気強くお相手をしてくださったちひねこさん、ありがとうございました。
ととさん始め、皆様にも大変お世話になりました。
よいお年をお迎えください。
みーは、昨年に比べて比較にならないほどの手話環境につかり、
その中で多くの出会いを通して、ずいぶん成長もしたなと思います。
みーにとっては、すばらしい1年でした。
ととさんをはじめ、掲示板の皆様には大変お世話になりました。
皆様、良いお年をお迎えください。
手話を学び始めて一年半になる者です。
常に、手話の奥深さには悩まされているのですが、
最近、特に気になるのが、手話を母語とする人と日本語を母語とする人とのアイコンタクトの違いです。
目で合図して互いに意思を伝え合う手段が異なるように思えるのですが・・・
みなさんは、そういった違いをどのよにお感じなっているのでしょうか??
よければ、ご意見をお聞かせください!!!
桃象さんとお話なんてうそみたい。いつもちひねこさんたちたいへんだなー、よくひねくれないなーと感心していたのですが。頑固親父の屈折した愛情表現、というより、子供の頃から好きな女の子泣かせちゃうタイプではないかと。わたしはもういい年だから面白がってみてますけど。でも、若い聾者の男子はあまりここ来ないですね。印象に残らないだけかな?全部読んでるわけじゃないですけど。
> ささくれきのこさんが言われたようなことは,聾者たちはまず言わないと思いますからね〜。
何ででしょう?わたし、ほんとわからないんです。自分が変なこといってるらしい、ってことしか。
> 私は自分の子供を聾学校に通わせていません。聾学校の改革の当事者となることから逃げたわけです。そういう私が聾学校の中で頑張っておられる方にあれこれ言う資格なんぞないも考えてます。
わたしも公式な話し合いの場では発言した事ありません。わたしが何か言うと、ぶち壊しになるか他の母らに取り押さえられるか、どっちもかでしょう。母たちは当事者ですから、下手な先生より、ましてや校長、教頭先生よりははるかに知識と理論を持っています。その上で、「いま可能な事を少しずつ」「決して今までのやり方や学校、先生を否定せず」闘う事が当然のコンセンサスになっています。(はたで見てると実際はけっこう暴走してるけど。何で私ばっかり。)
どうしてこんなハンデを自ら課すのか理解できません。そういう縛りで、要求の根拠が弱くなるんです。ほとんど骨抜きです。
私は、「科学的に研究され、検証されたあるべき姿、自然な、まっとうな聾教育」を提示して、根本的な発想の転換を図ったほうがすっきりすると思うんです。現状の否定は避けられないと。聾学校は今のままでそれなりにちゃんと機能している、という前提を認めてしまうと、話が先に進まない。
「出来るわけがない、無理に決まっている」と一笑に付される「理想像」の方が、実は一般社会から見ても常識的で説得力を持つと思うんです。現状がいかにかけ離れているか、その落差を指し示す事を禁じられているうちは、口をはさむ事はできません。みんなの迷惑になりますから。
先日市役所の福祉課に行く機会がありまして、たまたま珍しく聾学校の事情に明るい人に当たりました。ウチの県は遅れているから、と、お互いため息ついてしまいましたよ。無駄話する場所ではなかったんで、それだけですが。近しい人とすれ違ったり、思わぬ人とふれあったり。いろいろです。
>「それにアメリカは人工内耳大国です。」その方は本当にアメリカにおられたので
>しょうか?
世界の中で最も人工内耳臨床例が多いのは米国でしょう。そういう意味で人工内耳大国と書きました。
>友人に頼まれ、きこえないことに関する資料や、情報を集めていたとき、感じたり、
>研究に結果等にはそんなふうにはかかれてませんでしたが、、、日本にはそんなふう
>に伝わっているのですね。びっくりしました。私が見た限りでは、手話がベストでし
>たよ。手話がベストとわかっていながら聞こえる人の都合で声だけやって、子どもが
>辛い思いや生活に支障をきたすと裁判レベルになり、親権を剥奪するという例もあり
>ましたよ。むりやり、子どもの意思を確認もせず、人工内耳にするとなると子どもの
>人権を侵すことになるので、すすめず、むしろ、難聴(音を知っていることが前
提)、
>中途失聴がおおいですよ。参考までに。
そのような状況は日本も同じです。
日本ではそんなふうに伝わっている云々とおっしゃっておられるようですが,米国でまとめられた様々な研究資料をどう解釈するかも,人によって千差万別です。しかし,日本では米国で発表された研究資料を丁寧に読み込むこともせずに,丸のみする傾向があるようにも見受けられます。米国社会は違うことに寛容というような趣旨の書き込みが,この掲示板では少なからずあるようですが,その米国でも南部地方を中心にした地域で1960年代まで公然と有色人種差別が行われていた事実もありますし,米国社会もそんな単純なものではないとも思います。
むしろ,米国は手話大国である一方,人工内耳大国でもあるというような米国に住んでいる聾者,聴覚障害者を取り巻く米国社会の複雑さをしっかりと見つめることが大切なようにも思います。
==
かじめまして。私の友人の子どもがろうでして、興味があったし、アメリカにいたこともあって現場を知っている立場としては気になります。
「それにアメリカは人工内耳大国です。」
その方は本当にアメリカにおられたのでしょうか?
友人に頼まれ、きこえないことに関する資料や、情報を集めていたとき、感じたり、研究に結果等にはそんなふうにはかかれてませんでしたが、、、日本にはそんなふうに伝わっているのですね。びっくりしました。
私が見た限りでは、手話がベストでしたよ。
手話がベストとわかっていながら聞こえる人の都合で声だけやって、子どもが辛い思いや生活に支障をきたすと裁判レベルになり、親権を剥奪するという例もありましたよ。
むりやり、子どもの意思を確認もせず、人工内耳にするとなると子どもの人権を侵すことになるので、すすめず、むしろ、難聴(音を知っていることが前提)、中途失聴がおおいですよ。参考までに。
別にいいですよ。どんどん書き込んで下さい。でも,よくわかっていますね〜。おそらく,ささくれきのこさんが言われたようなことは,聾者たちはまず言わないと思いますからね〜。
私は自分の子供を聾学校に通わせていません。聾学校の改革の当事者となることから逃げたわけです。そういう私が聾学校の中で頑張っておられる方にあれこれ言う資格なんぞないとも考えています。
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>桃象さんは昔は私と同じような見方をしていたとおっしゃいました。何があって、
>今のような考え方になったんですか??
県レベルのろう協の三役レベルの理事になった後,いろいろな会議に出て,いろいろな聴者や身体障害者に会う機会が増えたからです。やはり,聾者の世界のソトにはいろいろな人がいます。聾者の世界は様々な世界の1つでしかありません。しかし狭い1つの世界がある人にとってはかけがえのないものであるわけです。それは聾者の世界に限ったことではないと思います。聴者の世界が浅く広いものかどうかも,これまた人それぞれでしょうね〜。
まあ,私は聾者の世界への憧憬はもう卒業したんですよ。ただ,聴者の世界への憧憬もとっくに捨て去っています。ここはどこ,私は誰,私はどこへ行くの?というような自省は程度の差はあれ,誰でも持っているものでしょうし,死ぬまで続くものなのでしょう。
==
ようこそ、ようママさん。
> 難聴学級に入れることを考えています(不安)
> 大勢の中に入っていって、耳に負担がかからないような補聴器、子音も聞き取り
> やすいような補聴器ということで、デジタル補聴器を検討中です。
親の思いとして、少しでも聞きやすい補聴器を求める気持ちは良く分かります。
私もかつてはそうでしたから。 そんな経験をした私からのアドバイスとしては、
まず、試聴することです。数週間装用して、子供の意見を聞くことが一番です。
子供が、十分に意思表示出来ない場合は、その様子を注意深く観察して下さい。
高価なものの方が、色々な機能がありますが、それが、その子に適しているか
どうかは自身にしか分からないものです。
それとは別に、入学予定のクラスに対して、聞きやすい環境を作る事の方が、
もっと大切になると思います。 FM補聴器もその選択肢になるでしょう。
さらに言うならば、どんな優れた補聴器でも、十分な聞こえを補償しては
くれません。 私としては、ろう学校の方を勧めたいところですが、それぞれの
家庭の考え方などもあるでしょうから、親として十分に検討して下さい。
そして、地域の学校へ行く場合も、現在のろう学校の友だち関係を続ける
ようにして下さい。 そして、手話の環境も続けて与えるようにしてください。
> > 生まれつき聴覚障害を持っていると赤ん坊がそりかえって抱きにくいと
> > 聞いたのですが、本当でしょうか?
うちの子もそうでした。1歳になるころまで抱きにくかった
同じ聾学校の同じ歳の男の子もそうだったと聞いています
そうじゃない子もいますが....
初めまして。いつも掲示板読ませていただいています。
県内の聾学校に通う子ども達と関わるようになって
4年目になります。
みーママさんの投稿を見て書き込ませて
いただくことにしました。
私の住む県ではほとんどの聾学校がキュード中心です。
私の知っている小学部5年生の子で、たくさんの言葉や
言い回しを知っている子がいます。
例えば
「ケンカっぱやい」「お昼御飯にありつける」「茶目っ気」
などです。
それをその子はすべてキューで表すんです。
同年代の子どもや私たちでも普段使わないような
言い回しをするので、楽しくてかわいくて
しかたありません!
みーママさんの書き込みを見て、
私も子どもの、なんともかわいらしい大人の
部分を見たことがあったので
投稿してしまいました。(手話ではないのですが…)
私は聞こえない子をもつ親ではありませんが
このページが大好きです。
そして聞こえない、聞こえにくい子が大好きです。
これからも立ち寄らせていただくとおもいますが
よろしくお願いします。
初めて投稿します。1月で5歳になるようのママです。
1歳3ヶ月で難聴とわかり、それからずうっと聾学校に通っています。
平均聴力95から100dBで、手話、口話、指文字、いろいろ取り混ぜながらコミニュケーションをとっています。(親が健聴なので口話中心かな)
最近単語を並べるしゃべり方から、助詞が入って文になり、日本語らしくなってきました。難聴学級に入れることを考えています(不安)
大勢の中に入っていって、耳に負担がかからないような補聴器、子音も聞き取りやすいような補聴器ということで、デジタル補聴器を検討中です。
誰か詳しい方教えていただけませんか
みーの手話です。
*オムツ替えの時でした。私が「重たいね〜」と手話ると「見せて」とするので
オムツの中を見せました。すると、みーが「重たいね」と手話るので
「違う、違う」とオムツをみーの手にのせました。
私が「重たいでしょ」とするとみーは「なるほど!」って。
*朝の着替えの時です。ズボンをはかせたらズボンが長くて足が出ませんでした。
「すべって危ないから折り曲げようね」と折り曲げて、足が出てきたら「ホッ!」って。
私は思わず笑っちゃいましたが、2才半で「なるほど」とか「ホッ」なんて
みんな使うんでしょうか?
みーはやっぱりおませなのかな?
> 「入ってこない」と言われると親は考えていないように取れるので
> 考えをお聞きしました
話自体に入るとかじゃなくって、書き込み自体をしにくい雰囲気になったらご迷惑だろうと。
「親は考えてない」と言っているように取られたなら、大変失礼しました。
手話のことを私が言うのはおこがましいのですが、指差しはその時々で使い分けていると思いますよ。
他人のことを話す時、読み取られたくない時は、周りからは見えないような合図の仕方、目配せ、足の辺でのサイン、話し相手の側の顔をちょっとゆがめる、とか裏技があるようです。
時々教わりますが真似できません。
と、今日はパソコンに向かう時間が多かったので、ちょこちょこレスしましたが、明日からはあまり来ないと思いますので、レス頂いてもお返事できなかったら済みません。
>みすずさん
私が入らない理由は、まず話しが二人の微妙なやり取りで
ニュアンスが難しくなって来ていると感じるからです
それと少し感情的になってるかな?とも思うし
あと単純にカキコミのスピードが合わないと言うのもあります
「入ってこない」と言われると親は考えていないように取れるので
考えをお聞きしました
私が経験した事をひとつ、
以前ファミレスへ聾者の皆さんと食事に行った時
私の前の聾者が違うテーブルに座った友達を振り向きもせず指差すんですね
間には他のお客さんがいて,,,ビックリしますよね突然指差されたら、
でも私達の様子を見てそのお客さんもなんとなく分った顔してました
私が後でその聾者に「あの時指差したから驚いてたよ」と教えたら
「ゴメン」と素直に分ってくれましたよ
その後やらなくなったかどうかは分りませんがその場で出来る事は
それくらいですよね
だからって聾者全員がいきなり指差すとは思わないですよ
ですので私の考えは聾者とか聴者関係なく
気になる事は「その場その場で言うなり訪ねるなりする」です
これでは単純すぎるかな?
ささくれきのこさん、「安に」は「安易に」でした。思い込んじゃうと自分では間違えに気が付かないものですね。ついでに、ドラマは「名もなく貧しく美しく」で、これも間違えでした。
ちひねこさん、たびたびのレス、ありがとうございます。もう無視されるかと思いました。
やはり言葉の違いは難しいです。言葉の違いと思考の違いは関連する、というのはウォーフの研究だったかな?だからすれ違いはなくならないでしょうね。でも少しでも距離が縮まればいいと思います。
今、たまにお手伝いに行く精神障害者の作業所の忘年会から帰ったところです。私はろう者との付き合いは遅く、作業所のほうが長い付き合いなのもあるのでしょうが、構えずに付き合えるのは、例え聞き取りにくかったり内容が不思議だったりしても言葉が共通だからなのかなあ、と思いながらしゃぶしゃぶバイキングで楽しんできました。
だいさんへ。
どういう考え、っていうより、実際にそうだからです。今までも聞こえない方達との行き違いがありましたが、その時に加わる親御さんはいなかったです。関連しないことでも、書き込みが少なくなる気がするのですが。。思い過ごしでしょうか?
「こういう話しになると入って来ない」と言うのは
どう言う考えからの発言でしょうか?
> 安に、「電話代なんていいですよ」って言わないように注意しろ、ってことです。
安に-->暗に の間違いかな? 安直に、って意味かな?
国語辞典しまいこんでるし。変換間違いチェックしだしたら、どこのサイトもきりないし、意味ないけど、(医療系とかお堅いとこでさえけっこうあって笑える。)ここはみんなで校正しあいませんか?それなりに有意義だとおもう。水差すようですけど。
世界の狭さ、と、視野の狭さ、は別なんですね。差別意識(同情心や優越感や)と無知は、視野を狭くしますね。
ただ、聾者と聴者のすれ違いは「お互い様」ではないです。聾者は聴者の社会で生きているけど、私の場合だと、聞こえない子供を持つ前は、聾者は視野にありませんでした。どちらが嫌な思いをしているか、といえば、質、量、ともに言うまでもないでしょう。常にそれを意識している聾者の方が、はるかに高い次元で「あきらめ」ていると思います。そういう状況で、「実際聾者がこういったから」というのは、どうなんでしょ。そんなことはとっくにみなさんおわかりですね。
聾学校でさえ、生徒の顔を見ないで、横や後ろから話し掛ける先生いっぱいいます。
通じなくて、「聞こえないか、仕方ないな、」と吐き捨てるようにいっている場面に出くわして、どきっとすることにも慣れました。聾学校の狭さ、と、聾者の世界の狭さ、は、全く別物です。聾学校として機能している学校はまた別でしょうが。
世界の広さ、深さを頭数で判断するひとはいませんよね。本もネットもあるし。子供には、好きなように好きなだけ世界を広げて欲しいと思うだけ。めだかとまぐろ、どっちが幸せ?なんて意味ないですね。狭い水槽に押し込めるのはよくない。それだけ。
それよかねー、聾学校の卒業生、仲間内では見事な手話で話してるくせに、学校にくると声出して簡単な手話つけて話すのやめてもらえません?一生懸命声出してるの、先生達はサービスだと気づいていないの、知ってるでしょ?先生達、「一生懸命きいてあげてる」つもりでいる。どっちも大馬鹿だああ。
桃象さんへ。びしびし躾ればいいこだったらどんなによかったでしょう。家の子にはそれは禁忌。
無駄でしかない。害ありあり。ばかややこしい方法で手間ひまかけて躾するのはたいへんなストレスです。かっこ悪いし。でもセオリーどおり形だけ躾てる振りするだけじゃ聾学校のM教師と同じだから、と、妙な意地はって持ちこたえてます。(おおお、役たってんじゃん、反面教師)龍の子さんみたいな使えるテクニック大感謝。聾学校だと、「その都度(その場では手遅れだったり)わかるように(だからー!どうやって?!)丁寧に根気良く...」そして「ケースバイケース」。はいはいごもっともでございます。もちろん出来る限りそうしているつもりですが、限界もありまして。おやこともども。ほんとにそうやって教育して成果をあげている特殊能力の先生もいるし。これは才能としか言い様がないような。親としての才能が欠落している事は自覚しておりますとも。
やっぱり親は一般論には入らないほうがいいのかも。そういう分別のない私のようなものがうっかりかくとこうなります。みすずさん。あー私絶対校正される。してください。する気にもならないか。では。
は、
大学生の方がおっしゃっていた「異文化コミュニケーション」からですよね。
文化っていうと芸術とか美術とか生活様式の違いっていう目に見える形のものが文化だと、思われてしまいがちです。
生活様式、芸術などの文化は目に見えますが、それと合わせて言語特性やその国の環境
などによって形成される見えない文化があります。
その事について、この間の講演で話させていただいた文章があります。参考になれれば良いんですが。
「文化と称するものは、ある人間集団に特有の、親から子へ、祖先から子孫へと学習的に伝承されていく行動および思考様式上の固有の型」であり、連綿と受け継がれていくものなのです。そしてその文化は、目に見えないことの方がはるかに多いのです。
これには、本で読んだ文を一部引用していますが、(「」部)この文章を見つけた時なるほどと思いました。ならば、同じ日本という国に育っていてもろう者というある人間集団が形成された場合日本文化とはまた違った(土台は同じですが)文化が生まれても不思議はないわけです。親から子へ、祖先から子孫へ受け継がれるというあたり、ろう学校の場合はデフファミリーの同級生や先輩などから習得していっているのかな、と思います。学習して覚えたという感覚がないので、改めて「こう違う」という例を探すのは時間がかかります。今いろいろなところで日本語感覚と手話感覚、言葉の重さ、位置づけの違いを知ろうと情報を集め回っているろう者もいます。(ホントにごく少数ですが)そういう方と出会えた場合、今されたような質問をぶつけてみるの、良いかも知れません。
同様に、日本語話者である聴者も自分の持っている言葉で手話を使ってしまいがちなのですが、何が違うのか?はなかなか気づきにくいみたいです。
手話と日本語の間に存在する異文化コミュニケーションの場合、「行動及び思考形式上の固有の型」の違いが大半を占めるのではないでしょうか??
挨拶の時はお辞儀だとか、箸を持って食べるだとか、靴は脱いで上がるとかはもう日本にいる人みんなやってますよね。
「異文化」ってびっくりしたり感心したりすることの連続だと思うんです。中には「理解しがたい」のもあるかも知れませんが。そういう異文化が身近にある、っていうのが今まではあんまり考えられてきていませんでした。
本当だったらほかにも琉球文化やアイヌ文化(言葉も違うらしいですね)もちゃんとある筈なんですが、それをあんまり知らないで育って来ちゃったのかなぁ、と思うんですよ。学校でも習わないし。アイヌに関しては「ユーカラ」があるって位しか知りません。
手話は世界共通じゃないの??っていうくだりは、ずっと前にやっていた「ここが変だよ日本人」で司会の方がいっていたのと同じですよね。
もしかして手話をジェスチャーだと勘違いしている??と一瞬思った記憶があります。
でも、手話が世界共通って難しいですよ。だって日本手話も日本語とある程度結びついているし、日本に住んでいる以上そこに合った手話になっているんです。アメリカはアクションの豊かな国ですよね。身振り手振り交えて話す。アメリカ手話もアメリカにあった形で形成されてると思います。その国にあって、他の国にはないものも沢山あるわけですから手話だけ世界統一なんて難しいですよね。音声語ですら統一出来ないのに。ジェスチャーはある程度世界共通かも。
参考になるかどうか分かりませんが、私からのコメントです。
堅い話ばかり続かせてしまってすみませんでした。
>あのような書き込みをしたのは、ちひねこさんのお話しを読んでいると、ろう者は「清く正しく(ドラマでは「貧しく」でしたけど)美しく」って印象を受けたからです。でも実際はそうじゃないのでは?って思ったのです。
そうですか(苦笑)
でもあのように書き込んだのはやっぱり良くなかったですよ。反面教師にするためにはいい材料なのかも知れないでしょうけどね。
清く正しく美しいろう者ですか。私自身が彼らを好きだからか、そういう風に書いてしまったのかも知れませんねぇ。勿論、そんな人ばかりでないのも体験的に知っていますよ。でも、そういう人たちとは深入りしない、距離を置いて付き合うようにしています。まぁ、付き合うにしても自分の保身を第一に考えながら付き合っちゃいますねぇ。何か問題を起こしたとしても、ろう者だからではなくその人がたまたまろう者であったというとらえ方をしています。いろんな人がいるうち、たまたまごく普通の常識的なろう者にあったり見たりする機会が、私には多かったということです。
「注意する」について、わかりました。私のいっていることとそんなに違わなかったみたいですね。
サークルで、そういう自分たちの態度に気を付けよう、っていうことですよね。
ただ、いくら気を付けていてもある程度のズレは出てくると思うのでそれは頭に入れておいていただけるとなお良いかと思います。
聴者の世界、広く浅すぎるような気がするんですね。日本だけなのかも分かりませんけれど………。
前の投稿にも書きましたが、「違う」ということに慣れていないというか違うことが悪いような、そんな感じを受けるんですよ。違いを認めてこそ、もっと世界の巾や深さが広まるとは思うんですけどね。
そういう意味で言えば、ずーっとろう者だけで固まっているように見えるろう学校は狭い、と桃象さんが思っていても不思議はないですが。
例えばろう者が聴者が知ってて当然の常識を知らないとか、そういうことを見る機会が、桃象さんには多いのかも知れない。
ろう者はどうしても人数が少ないから、世界の幅も狭いように見えるのかも。
桃象さんは昔は私と同じような見方をしていたとおっしゃいました。何があって、今のような考え方になったんですか??
ゆうさんへ。
おっしゃるとおりだと思いますが、こういう話しになると親御さん達って入ってこないです。
だからちょっと。。。ご助言、ありがとうございます。
ちひねこさんへ。
>文化や自分の持っている価値観というのは、改めて説明がしにくいものです。
そうでした。「聞こえる世界を説明しろ」と言われれば難しいかも。日本文化だってたいして紹介できないですからね。
あのような書き込みをしたのは、ちひねこさんのお話しを読んでいると、ろう者は「清く正しく(ドラマでは「貧しく」でしたけど)美しく」って印象を受けたからです。でも実際はそうじゃないのでは?って思ったのです。
ちょっと、異なった捉え方をされてしまった部分を訂正させてください。
「注意する」って、ろう者に注意を促すという意味ではなく、ちひねこさんのいうような「曖昧な態度」をとらないように自分達が注意する、という意味なんです。前のログを読んでいただければ通じると思ったのですが、勘違いされる書き方でした。
手話のスキル以前に、知らない人に注意なんてことは常識的にできません。子どもだったら「自分でお金を出すのよ」って言えますけど。
安に、「電話代なんていいですよ」って言わないように注意しろ、ってことです。
つまり「最初からお金なり、テレカなり入れさせろ」というちひねこさんのおっしゃるような行動をしなさい、変に「聞こえないから気の毒だからいいわ」という考えで行動してはいけない、ってことです。
「仕方がない」のエラーは私のサークルではないです。ろうの先生がやる通りに表してますから。「あの人は○○だから、○○でも仕方ない」って使うんじゃないでしょうか?
「けれども」はのエラーはありますね。わかっているんだけど、ついやってしまうんです。これは通訳者にも結構見られます。口話で育った難聴者も文章に釣られてよくやってます。「けれども」を使ったら次には必ず前文を否定する話しをしろ、って言われます。「質問なんですけど〜」という時には「でも」の手話はおかしいんですが、話しながらとか例文を読みながらだと使っちゃうんですよね。。。
>みすずさんの健闘を祈っています。
ありがとうございます。でも健闘はしません。人との付き合いで健闘するのは不自然だと、この何日かの皆さんとのやりとりで感じました。
私はろう社会で生きるわけではないので、健闘して入り込む必要はないと思います。
サークルの2人のろうの先生を見ていても、全然考え方が違うし、表現方法も違います。メンバーにはろう学校で全然手話を使わなかった人もいます。だから「ろう文化」は深く考えず、その人個人と付き合えばいいや、と思ってます。
>
> そして,私は聾者の世界はやはり狭いと言う,不謹慎な価値観を持っているわけです(笑)。ごめんなさいね。
>
うん、不謹慎な発言を許してもらえるのならば、聴者のほうが閉ざされた世界なんだなあと思ってます。(笑)
聞こえない子を持つ親たちにはちょっと不愉快な書き込みだったかなとも思いますが,
聞こえない子に対する教育では,聞こえない,聞こえにくい子だけの集団の大切さをきちんと理解してそれを保証してあげる必要があります。しかし,それと同時に,聾者の世界の狭さというものも十分に自覚した上で,いのししの娘さんが言われるような内容の教育も行っていく必要があるとも思うのですね。これはあくまでも私個人の考えです。まあ,こういうことは言わずもがなの類なのでしょうが…。
==
>何をもって狭いとするかはその価値判断によって決まると思います。
その通り。
そして,私は聾者の世界はやはり狭いと言う,不謹慎な価値観を持っているわけです(笑)。ごめんなさいね。
==
ろう学校は生徒の数が少ないからとか、ろう学校にいると視野が狭くなるからというのはよくいわれていることなんですけど、わたし的には、ろう者のほうが行動範囲がすごく広くて、ネットワークも聴者のそれとは比較にならないくらい広いだと思うんです。
聴者の大多数は、自分のソトの世界を知らないまま、生涯を終えることが多いんじゃないかな、と思うんです。うちの聴者の親戚たちをみているとホントそう思います。
ろう者はつねに言語の違う世界(つまり聴者の世界)と接しているから、他者との違いも無意識的にあるいは意識的に認識しているし、言葉が通じないのは国内も海外も同じだから、ろう者のほうが気軽に海外に出ていけるし、宗教を通じて世界各地に知り合いがいるというろうの牧師もいるし。
何をもって狭いとするかはその価値判断によって決まると思います。
みーママさんへ
私も母に怒られるときはしっかり目をあわせてからです。
母の「こちらに座りなさい」と言われたときの気持ち、想像して下さい。「あ〜、ばれちゃった」、「何か悪いことしたかなあ」、「ヤバい」などと思ったものです。母の目を見ないでいようとすると、こちらを見なさい!と言われちゃうんですよねえ。それから、手話でお説教されてしまいます。目をそらしたりすると反省の意志なしということになっちゃうし、反抗しているという意味にもなっちゃう。だから、顔は下を向けているけど、目は相手を見ているということになっちゃって。小学低学年の頃の話です。
もっと小さいときの話となるともう記憶にないから覚えてなくてスイませんです。
みーちゃんの成長ぶりが楽しみですね。
だから、教えてくれって言うのはわかりますよ。
でも、もう少し別のいい方があったんじゃないでしょうか??
ろう者に「おしえて、おしえて」って聞き回ったり、向こうから教えてくれるのを期待しているだけじゃ、難しいと思います、
ろう者の行動やルールみたいなものはろう者が聴者と向き合った時、そういうものは見えにくくなってしまうからです。
私がそうだったんですが、バリアというか警戒心みたいなものが自然と働いてしまって必要以上に見せない、という面がもしかしたら働いてしまうのかも知れません。
また、文化や自分の持っている価値観というのは、改めて説明がしにくいものです。
>ちひねこさんのおっしゃっていることは私の言っていることと違っていますか?
私もそう書いたと思いますけど。
うーん、違うと思います。
私はろう者にも遠慮なく厳しくしろ、というのではなくろう者も含めた障害者に対して適切な態度をとれるかどうかを、まず聴者達に振り返ってみて欲しいのです。
ある時は甘くて、ある時は厳しい、ってころころと変わったらお話になりません。
何が適切なのかどうかは、その人をちゃんと理解出来ていないと調節出来ないことですよね。「こうだろう、ああだろう」と自分の物差しで態度を変えることがないかどうか、ということです。
あちこち変わると、「どっちが本当なわけ??」って混乱する人もいるでしょうから。
>だから注意しなさい、とサークルで話しに出たと言うことです。
注意するにしても、相手が納得する明確な理由を説明してからでないとこじれると思いますよ。そのとき、手話スキルがあまりに違いすぎるともっと摩擦が起きる、ということもあり得ますが。
>でもそれが「ろう者への教育」ととられてしまったようですね。
ろう者が言うと「そうだ」で聴者が言うと「偉そうだ」になったしまうのっておかしくないですか?
はぁ、その逆もあるんですけど…。お互いおかしいことだらけです。そんなモンなんですよ。おかしいと言うより、どうしてそうなるのか私には不思議なだけです。
その理由の1つに、手話のエラーというのがあげられると思います。サークルでもよく見かけますよ。
例えば「仕方ない」という手話。
ろう者の場合は「そういうことがあるのか、仕方ないなぁ」とどちらかというとある事柄に対しての評価で使いますが、サークルに通っている聴者が使うと、なぜか「あなたって、しょうがないわねぇ」みたいな感じになってしまうんですよ。本人にはその気はなくても、言われる方はあんまり気分が良くないですよね。
また、ある時は指差しの強さ。聴者の場合はこれの調節がなかなか難しいようで下手をすると「命令」の指差しになってしまいます。これもよーく見かけます。指差しは手話の命??の1つなのでこの使い方を間違えると………
こういうちょっとしたエラーに気づけるかどうか??です、ろう者の反応が変だったらエラーしたと思って間違いないです。私も良くされましたから…
いろいろ教えてもらうのは良いことですが、大切なのはそのあとです。それを実行出来るかどうか、ですね。
ろう者が言うと「そうだそうだ」っていうのは言語的に通じてるからです。エラーがない状態で通じてるからだと思いますよ。
逆に言えば、ろう者にだって、日本語のエラーは結構あると思うんですよ。言いたいことは聴者とそんなに変わっていないんだけど、例えばですよ、日本語で話そうと思うとちょっと真意が伝わりきらない。そんなことはありますし。
こうしたちょっとした違いを知ることによって余計な摩擦は減るだろうとは思います。ですが、こういうのは教えてもらうばかりではなく「ん???」と感じる時があった、そういう経験も必要ですね。経験と知識が組み合わされれば言うことないと思います。
みすずさんの健闘を祈っています。
> 生まれつき聴覚障害を持っていると赤ん坊がそりかえって抱きにくいと
> 聞いたのですが、本当でしょうか?
全員がそうではありませんが、中には、そう言う子もいます。 実際に私の子が
そうでした。 しかし、私の周りには、聞こえない子でそりかえる子はいませんでした。
> 話しかけても振り向かないなどの他になにかめだった症状はないでしょうか?
近くで掃除機を使っていても起きないとか? ありましたね。でも、聞こえる子でも
そんな子はいます。 聞こえていないのでは? と言う目で見れば、そう見える行動
も見つかるでしょうが、普通に接していると、これと言った特徴は少ないですね。
過去のログをずっと見せていただきました。みすずさん、別に失礼する必要はないと思いますよ。ここは、色んな人が書いていい掲示板で、親だけしか書かなかったら、その考え方しかでない、そして、それが常識として捉えられがちになってしまいますよね。色んな人が来て、色んな考えを書き込んで、みんなで考えを広げていってはどうでしょうか?だから、他の人の意見を否定的に受け取るのではなく、こういう意見もあるんだなと捉えていけるといいと思います。
ここは親御さん達の掲示板なのに、余計な書き込みでお騒がせしてしまいました。
部外者でしたね。失礼しました。
今、前のログや紹介頂いたサイトを覗いていました。で、戻ってきたら下の書き込み。。
先ず、「有料サイト」という言い方は違ってました。サイト自体が有料なわけではないですから。済みませんでした。
別にそのことを非常識だとは言ってませんけど?ろう者からの発信がなければわからないのにサイトの紹介だけで、聴者→ろう者の図式を指摘されても、と思ったのです。
確かに「有料ですけど」とあったので、サイトに行くだけでも有料なのかと思ってためらいましたが。
お聞かせいただけないのは残念ですけど、よく考えたら「ろう文化のマナー」は身近なろう者との付き合いの中で覚えていけばいいことですね。
> でも先日「例えばろう者のマナーってなんですか」とお聞きしても、有料サイトを教えてくれただけでしたよね。
これって、私が非常識だといいたいのかな?
だったら、おちおちと紹介できなくなりますねえ。
改めてお答えの書き込みをしようと思ったんですけど、その気持も失せてしまいました。では、失礼。
いのししの娘さんのようなご意見が書かれることは承知の上で書かせていただきました。
手話サークルでの電話の例は、聴者とろう者がお互いに気持ちよく付き合えるための付き合い方の1つの例で、別にろう者を教育しよう、などということではありません。
実際にろう者の先生も同席での話しです。
>電話の代金がどうこう言ってもいましたが、公衆電話だったらまずろう者に自分のお金なり、
>テレカなりを入れてもらえばいいんですよ。
>「やってあげる」とかそういう気持ちを持ったまま通訳とかしてしまうとどうしてもそういう
>雰囲気が出てしまってそれに慣れてしまうろう者もいるでしょう。
>そういう甘えた雰囲気が出てしまうのは何もろう者だけの問題じゃないです。
>障害者を特別扱いしてしまう、土壌の問題だと思います。
ちひねこさんのおっしゃっていることは私の言っていることと違っていますか?
私もそう書いたと思いますけど。
だから注意しなさい、とサークルで話しに出たと言うことです。
でもそれが「ろう者への教育」ととられてしまったようですね。
ろう者が言うと「そうだ」で聴者が言うと「偉そうだ」になったしまうのっておかしくないですか?
今日も、サークルの帰りにろうの先生が電話を頼んだら、本人がカードを出しているのに財布を出そうとした人がいました。そういうのって逆に失礼ですよね?そういうことをお互いに勉強していけばいいのではないですか?
聴者→ろう者の図式はろう者から変えていったらどうですか?
「ろう者が聴者のマナーを講じることはない」・・講じていってください。
私は年配のろうの先生から「若い人は我慢しなさい」とか「年配者を優先しなさい」とか言われますよ。
でも先日「例えばろう者のマナーってなんですか」とお聞きしても、有料サイトを教えてくれただけでしたよね。
確かに一部のろう者の欠点を論ったのは失礼なことでした。気分を害されたことはお詫びします。
聾者の世界は狭いのか?と,聞かれたら,今の私なら,何のためらいもなく,「狭いに決まっているじゃないの」と答えますね〜。ただ,どのような世界にせよ,その世界に無限の可能性と奥行きをどれだけ感じられるかは,結局はその人の心構えや体験次第だと思います。
ちひねこさんが言われることもよくわかります。私自身がかつてそのように考えていましたからね〜。インテ出身者の問題もまあわかりますよ。いのししの娘さんが言われることもよくわかります。聾者の不作法問題だけが殊更取り上げられることへの腹立たしさは,よくわかりますよ。
まあ,ちひねこさんやいのししの娘さんが言われたことを肝に命じて,聾団体の役員活動に勤しむことにします。ご助言ありがとう。
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生まれつき聴覚障害を持っていると赤ん坊がそりかえって抱きにくいと聞いたのですが、本当でしょうか?話しかけても振り向かないなどの他になにかめだった症状はないでしょうか?
いのししの娘さんへ
ありがとうございます。
私も龍の子の方から聞いて「ダメ」は親指を立てるではなく、両手でバツを作っています。
でも、そういえば「悪い、お終い」のほうが子どもにはわかると言われましたね。
すっかり忘れていました。
思い出させていただいてありがとうございました。
みーは今、親の顔色を見て「ここまでだったら許される・ここまでしたら叱られる」を
学習しています。
自分のしたいことを自由に何でもやりたいという自我が強くなっています。
そこには、順番があったり、他人の所有物があったり、危険があったり、迷惑があったり
することを1つずつ経験しながら身につけていっているところだと思います。
だから、聴・ろう関係なく、どうして悪いのかの理由付けは大切ですね。
お友達をたたいたら「○○ちゃん泣いてるよ。痛い、痛いよ。たたいたらいけないよ。」
お友達が持っている物をとったら「○○ちゃんが持っていたでしょ。貸してするのよ。」
横入りをしたら「みんな並んで待っているのよ。順番よ。」
などなど、生活の中でいろんな状況があります。
親としては、すぐに「ダメでしょ!」となりやすいのですが、ぐっとこらえて説明するように
心がけています。
そして、諭してもする場合には「オーラ」の登場です。
でも、今思うと上の子2人の時は(今でもですが)音声言語どうしなので、諭すのもいきなり
大声で怒りモードですね。
いけない、いけないと思いつつ・・・ 家事をしながらとか、顔も見ないでとかで叱ってしまいます。
みーの場合は、何かしながらでは私が手話できないし、顔を合わせないと手話が見えないし。
時間がかかってイライラするときもありますが、3人目にして初めて目を合わせて話しているなと思います。
みすずさんへ
非常識な人は聞こえる、聞こえないに関係なく存在します。
ただ、その非常識さを「ろう者だからねぇ」「ろう者はこれだから」と平気でのたまう手話学習者もいること、ご存知ですよね?
聞こえる、聞こえないに関係ないといいながら「ろう者だから」って片づけちゃえる。不思議ですよ。
なかには非常識でない行動もあるかと思うんですよ。一つの行動を見て全部「非常識だ」ってひっくるめてしまえる神経はどうか、とも思ったことがあります。
たとえばの話になりますけれど、良く年配の方が「最近の若者は非常識だ」とか「何考えているのか分からない」とかいいますよね。でも実際にきちんと見てみると彼らなりのルールや価値観があったりということが分かってきます。遠目から見てああだこうだ、というのは誰でも出来ますよね。本当に相手をきちんと認めるという作業になるとしんどいから出来る人はかぎられてくるのかも。
電話の代金がどうこう言ってもいましたが、公衆電話だったらまずろう者に自分のお金なり、テレカなりを入れてもらえばいいんですよ。
「やってあげる」とかそういう気持ちを持ったまま通訳とかしてしまうとどうしてもそういう雰囲気が出てしまってそれに慣れてしまうろう者もいるでしょう。
そういう甘えた雰囲気が出てしまうのは何もろう者だけの問題じゃないです。
障害者を特別扱いしてしまう、土壌の問題だと思います。
「できないんだろう、かわいそうだな」こういう感情が悪いとはいいませんが、時と場合、程度によると思いますね。
みーままさんへ
みーちゃんが反抗期とのこと、大変でしょうねぇ。でも、その時期にしっかりやっておけば「何がよいことで、何が悪いことなのか」を判断する力が身につくと思いますよ。
子育てって、かわいいだけじゃないんですよね。時には憎たらしくなることもあるらしいです。
確か、子供ってこの時期にいろいろやって、親の反応を確認しているんだということを本で読んだことがあります。
前にもテレビでやっていましたけど、子供のうそとか。子供がうそをついたとき、頭ごなしにしかるのはよくない、と言っていましたね。それも5歳くらいまでです。5歳を過ぎたらある程度の判断力があるので、しかってもいいらしいですが。
いつも書いているデフファミリの例ですが、子供(4歳)がばたばた走り回ってうるさかったり、いたずらしたりわがままを言ったりするとき、両親二人とも威厳たっぷりに??感情的に怒るでもなく、「みんな、順番。あなただけのものじゃないのよ」とか「○○ちゃん、痛いでしょ?泣いてるでしょ?痛いのいやでしょ?ごめんなさいは?」と諭してますよ。
怒るときの顔も「メッ」て感じで。アメとムチが上手いなぁ。と感心してます。
子育てって、意外とアメとムチの使い分け。そんな事の繰り返しなのかなぁ?見てると勉強になります。