このホームページをはじめて、3回目の年越しです。 今実家で、紅白を
見ながら。典型的な日本人の大晦日を過ごしています。
実家と言っても車で15分くらいの所ですが。 毎年同じパターンです。
今年も色々ありましたが、1年目の盛り上がりが少し落ち着いた、2年目。
続ける事の難しさが段々分かって来たようにも思います。
親の顔ぶれも変わってきましたね。
今年一年お世話になりました。 よいお年を。
P.S.
しょうこママさん、お久しぶりです。しょうこちゃん大きくなりましたね。
最近ここを見ている親御さんでは、知らない人も多いかと思いますが、
とても素敵なHPですので、いちど尋ねて見て下さい。
お久しぶりです。
今年ももうすぐ終わりですね。
世界的には暗いニュースの多い年でしたが、我が家的には
大きな事件もなく平穏に過ごせたことを感謝しています。
皆様、来年もおすこやかに心穏やかに良い年になりますよう。
楽しいお正月をお迎えください。
これから実家に帰りますので(広島の方じゃありませんよ〜)
しばらく潜っています。
昨日は大掃除でした。ひとり暮らしだと、何もかも自分でやらなくてはいけないので、大変ですけどつい夢中になってしまったりして…
でもこれから実家に帰ったら。色々手伝わされるんだろうなぁ、とほほ…
今年も色々な悩めるお母さん達が来て、少しずつ元気になっていくのを見てあぁ、良かったなぁと思います。
来年も、悩める親たちの駆け込み寺的な掲示板目指して運営していただきたいと思っています。
ではみなさん、良いお年をお迎え下さい。
お久しぶりです。福祉関係の某新聞に、次のような記事を見つけました。
『日本は百年遅れている! アメリカの聴覚障害者専門大学』というタイトルです。
『アメリカ、ワシントンDCにあるギャローデット大学(Gallaudet University)は聴覚障害者を対象にした4年制の総合大学である。日本には聴覚障害者だけの大学はなく、一般大学で苦労して勉強する人が多いだけに、なんともうらやましい話である。
同大学と大学院にはアート、生物学、化学、物理、語学、文学、数学、社会学、心理学など一般の大学と変わらない専攻科目があるほか、聴覚障害者の歴史や心理などを学ぶ特別の専攻科目もある。
海外からの留学生も多く、学生総数の9パーセントをしめる。もちろん、日本からの留学生も受け入れている。
大学内のコミュニケーションは手話が中心。ただし、アメリカ手話のため、留学生のために入学後すぐ徹底的にアメリカ手話を学ぶ講座が開かれる。また、手話通訳もたくさんいて、他の大学からやってくる学生ボランティア通訳もいるという。聴覚障害者が安心して学べる体制が整っているのだ。
ここを卒業してからハーバード等の名門校に進む人も多い。就職を希望する学生も90パーセント以上が卒業後1年以内に希望の職種に就いている。世界の優秀な聴覚障害学生が集まる大学なのである。
正式の大学カリキュラムの他にサマースクール、手話講座、セミナー等が行われていて、年間3万3千人以上の人が参加している。
日本からギャローデット大学の情報を入手するにはインターネットが最も手軽で早い。興味のある人は同大学ホームページhttp://www.gallaudet.edu/を。』
何だか、すごいカルチャーショックです・・・。
今年も残りわずかとなりました。
今年は我が家にとって忘れられない年です。
年明けにみーの検査入院から始まり、療育センターへ通い始めて補聴器をつけて、
不安の日々が続きました。
夏頃にこちらのhpにであって、一気に不安が解消され手話への道を歩み始めました。
新しい世界に入って、たくさんの人たちと出会い、話ができました。
また、掲示板に投稿することでさらに出会いが広がってうれしい限りです。
今はみーのおかげで世界が広がり、私と兄たちが一番楽しんでいます。
夏以前のことがうそのようです。
来年もたくさんの出会いがあるといいです。そして、来年6月で2歳のみーの手話も楽しみです。(私もがんばらないと・・・)
笑顔で年が越せるのは、ととさんをはじめ私の書き込みにレスをしていただいた皆さんのおかげです。今年は本当にお世話になり、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
今日から実家に帰省しますので、しばらくお休みします。
皆様にとっても来年も良い年でありますように。
良いお年をお迎えください!
1月20日は、身障者の団体ともに御殿場市で太鼓演奏します。
是非、出かけたいと思いました。場所と時間を教えて頂けたら・・と思います。
みなさん、来年もどうぞ宜しくお願いいたします。
よいお年をお迎え下さい。
今年もあと少し。毎年この時期になると、寂しさと楽しさが入り混じってて何となくせんないですね。来年から、HN変更を考えています。「桃系」ばっかりとの指摘が有りましたので、今、考えています。この「桃」は、手話劇の「桃太郎を待ちながら」から取ったものです。
ろう者太鼓団体として、来年は1月9日から港区赤坂近辺で太鼓演奏を始めます。
又、1月20日は、身障者の団体ともに御殿場市で太鼓演奏します。
年始早々からの演奏は気持ちいいものです。
照れくさいので、詳しくは載せません、ごめん。
では、良いお年を。
==
昨日は娘と2人で「ちゅらさん」総集編を観ました。私がこのドラマを観て強く思った
のは,人間は自分が生まれ育った世界の元へ還っていくのが一番幸せなんだな〜という
ことでした。現在(いま)のような世の中では,子どもが故郷を持てるようにしてあげ
ることも,親の大切な責務の1つなのかもしれないとも思いました。それにしても国仲
女優は可愛いですね。私の娘もあんな可愛い娘にならないかな〜。
では皆さん,良いお年をお迎え下さい。
==
おはようございます〜
今日から会社、冬休みです、うふうふ。
ととさんが、しょうちゃんの様子を書いてくださいましたが、
私は実は転職して今新しい会社に通い始めているのですが、そこでは情報の伝達はおもに筆談です。(前の会社とは大違いだ…)
筆談を色々な社員としていて思うのですが、普段から文章に書き慣れていない人は聴者でも多少文法が変だったりします… やはり、話し言葉とちがって、書き言葉はある程度の修練が必要なんだろうなぁと思いました。
会社の友達と仕事後、夜にチャットのやりとりもしていますが
「目を見ているのに、読唇も出来るなんて凄いね〜」といわれました。
要するに、私は長年の癖で読唇する時は唇だけじゃなくて顔全体も自然と視野に入っているので視線は正面を向いたままなんです。
友達は私とよく視線がバチバチッと合うので、唇で読みとっているんじゃなくて補聴器で聞こえているんだろう、と思ったらしいのです。
あ〜なるほど、聴者はこういう風に感じてるんだなぁ、と思いました。
だから、実際は補聴器よりも読唇による割合が口話力のほとんどを占めていたとしても、「聞き取れているんだ〜」と勘違いされちゃうんだろうなぁ、と改めて思った次第です。
しょうちゃんの国語の宿題です。
下のことばを かんがえて 書きましょう。
・
・
うんどうじょうを 何回も 走ってまわったので(つかれた。)
・
いっしょうけんめい べんきょうを したので(ぼ〜〜となりました。)
・
・
なんと、あいつらしい答えというか・・・
20問あったのですが、正解が5割、文法的ミス3割、文の解釈ミス2割
まだまだの状態ですが、やっとここまで来たか。との思いもあります。
(1年前ならば、ほとんど出来てなかったでしょうね)
これからも、日本語の読み書きの道は続きます。
両親が聞こえない、二人のお子さんが聞こえる。 そこへ、聞こえにくい3番目の大君が
生まれた。 この大君は、聞こえない親と、聞こえる子を繋ぐ大切な架け橋として、
産まれて来たのではないでしょうか? そんな運命的なものを感じました。
今までの、難聴児教育は、早期教育で、聴覚活用を最大限に利用し、音声日本語の実力を
つけて、聞こえる人の中で鍛えて行こうとするものでした。 それで上手く行く子も
いましたが、聞こえにくいが為に、色々な情報を聞き漏らし、身に付けるべき力を十分に
得られない場合も多々ありました。 それを補うためにも手話が必要だと考えられるように
なって来ています。
まず、ご夫妻のコミュニケーションは、手話ですか? それと、子どもとの場合は?
手話を使っているのならば、積極的に使って下さい。 聞こえにくい部分を手話は補って
くれるはずです。 そして、中度のままであり、聴覚活用が得意(補聴器で音声の聞き取りが
かなり出来る)ならば、無理に訓練をしなくても二人の姉に鍛えられて、音声言語は獲得
出来ると思います。 そして、両親の手話とでバイリンガルな子に育つと思います。
今は、ろう学校や、療育施設へ相談に行っているのでしょうか? まず、そんな場所へ行って
下さい。 そして、同じ仲間を見つけることで、精神的な安定(これが最も子育てでは重要な
事ですよね)が得られると思います。
復職の事ですが、以前は、仕事を辞め、子どもに付きっ切りで教育するが、基本でしたが
現状は、ドンドン変って来ています。 付きっ切りが為の弊害も問題視される場合があります。
とは言え、ほったらかしで、十分な実力を付けられるというものではありませんから、
子どもと接する時間を有効に使う工夫をする事で、仕事を続ける事も可能だと思います。
現にこの掲示板に来ている母親で働いている方もいますよ。
<ヒースさん>
> ととさんは、そういいたくなる気持ちを理解してくれと言う前に、
> まずはTQMさんが言っていることを気分悪くなってもよく理解しようと
> 努めて飲み込まないと。
ですから、私は
>> しかし、批判は批判として受け止めたいと思います。
と言っています。他の書き込みでも、否定はしていません。
どの程度の量を受け止めるかは、各親の自由だと思います。
> フリースクールの場合、援助者がろう者であり、利用者が親子なわけで、
> 相手がろう者だから、ボランティアだからといって遠慮する必要は
> ないんです。それが援助者の援助技術の向上につながり、利用者にとっても
> 良い環境を築くことに繋がるんですから。
前回は感謝の面だけを書きましたが、私としては、
前にも書きましたが、目に余る行為があれば、そこを去ります。
要望があれば、「今日はありがとうございました。 今度、もし可能ならば
○○なんかもして頂けるとうれしいです。」というような事は言います。
今は“育てる時期”だと考えています。 体力のないこの時期に、
あれもこれもと要求は出しません。 共に育って行こうと考えています。
これが“良い環境を築くこと”だと思います。
このような関係にある、いつも世話になっている人に対して、
知らない人からの批判があった場合、
>>「あそこのスタッフには問題がある。」
>> と言われても、
>>「そう言う人もいるかもしれないので注意しよう」
>> 程度にしか取れないでしょう。
となります。 批判を受けるような負の面もあるかも知れないけど、それが、
その人の全人格を決定するものではなく、汗を流して子供と遊んでくれている
面を持っている事を知っていますから。 ですから、頭の隅に留める事はしますが、
その批判だけで、そこを去ることはないでしょう。
もし、その批判者が、親を去らせたいと考えているのならばそれなりの“解”を
準備する必要があるのでは? と言ったまでです。
批判という北風を吹かせるのではなく、汗を流して子供と遊んでくれる人たち
と同等な、暖かい太陽が必要なのでは?
ヒースさんへ
[6573]の最後の部分を削除しました。
個人(ハンドルネームも含む)を批判するならば、ルールとして、
・相手の真意を確かめる
・どの部分に問題があるのか、指摘する。
・自分の意見を述べる。
のステップを踏んで頂きたいと思います。
あの書き込みだけでは、何を批判しているのか分かりません。
ですから、個人攻撃としか、取れませんでしたので削除しました。
私たち夫婦は両方とも重度の感音性難聴です。夫は生まれつきの難聴で、小学校の真ん中あたりで急速に聴力損失、わたしはカナマイシンによるし失聴です。
我が家の長男、大が4ヶ検診で引っかかって、彼の眠らせてする脳波検査の結果50dbの中度の難聴との事。上に姉が2人いて、何れも健聴者です。子供3人で一番夫に面差しも生き写しである長男ですから、もしや聴覚の異常も受け継いではいないかとある程度予想していました。第一印象は、「困った」でした。そんなに悲観的にはなっていないんです。50dbの中度の難聴の子を私たちの経験に照らし合わせて、育てることは出来ないでしょう。第一、中度の難聴者との付き合いもないし、とにかくモット詳しいことがわかる8ヶ月まで中度の難聴に付いて勉強がしたくてネットサーフィン中にこの掲示板を知りました。
私の聴覚障害者としての経験から鑑みて、一番強く思うのはdb云々よりも聴こえ方、聞き分けの力を育てることの重要性なのです。とにかく、耳の近くでの音は聞こえているらしいので積極的に上の姉2人を使って歌を歌ったり、いろいろ働きかけてみているはいます。
中度難聴に付いてもっと勉強がしたい、難聴児を抱えて来春4月からの復職は可能なのかを探っていきたく思っています。
ととさんは、そういいたくなる気持ちを理解してくれと言う前に、
まずはTQMさんが言っていることを気分悪くなってもよく理解しようと
努めて飲み込まないと。
それと、
感謝するのは良いことだが、ボランティアであろうと、援助者と利用者
の関係は対等であるというのがその種の世界での基本中の基本なんです。
聴障者と通訳者の関係を考えてみればわかるでしょう。
利用者が、感謝するために援助者に不平不満を何も言わずにいたら、援助の
質が上がらないんです。おかしいことはおかしいと、こうして欲しいとか
そういった希望は伝えていった方がいいんです。
フリースクールの場合、援助者がろう者であり、利用者が親子なわけで、
相手がろう者だから、ボランティアだからといって遠慮する必要は
ないんです。それが援助者の援助技術の向上につながり、利用者にとっても
良い環境を築くことに繋がるんですから。
TQMさんがいうことは、より優れた援助体制を築いていくために
必要なことであり、基本なんですよ。
1・2・3さん
ご指摘の件、いやぁ、全部ありのまま書かなくて、後は、それぞれ、お楽しみに
と思いましたが....。
実際に見た人が、私の投稿を読めば、わかるはずですが....。
> 上記にあります「人工内耳の宣伝」
> 「人工内耳を受けるためのセミナー」
> というのは正確ではないと思います。
> 人工内耳の為に、大金を持ってセミナー会場へ
> 行かせる病院・メーカーがあるとはさすがに思えません。
「大金を持って」とは、どうしてわかったのですか?私にはわかりませんでしたけ
ど....。「セミナー」と書いたのは、美栄子が戸惑う入り口のところに看板があった
のですね。何とか云々のセミナーと書かれてあったと思うけど....。
> ドラマ中の怪しいチラシで
> そのへんは おわかりいただけると思いますがいかがでしょう。
「怪しい」かどうか、ここで議論してもあまり意味がないと思う。
ドラマTVの作り方では、画面に登場してくるものも台詞も、皆、オーバーに、大袈
裟にすることが、視聴者を引き込むポイントになっているので、あのチラシが大袈
裟なづくりになったと思います。
知識がある方々から見れば、インチキ臭く見えているだけと思いますが....。
ボンジュル さま :
> 漫画とは違った展開となったのですね。
> 楽しみにと、映画やTV内容を黙っておくべきという掟を破ります。
>
> 人工内耳の宣伝を見て、夫、娘の声を聞きたいと思うようになり、完璧でないこと知り
> ながら、ファックスで申し込んでしまう。
> 誕生日に、一人で内緒である場所へ出向く。ある場所とは、人工内耳を受けるための
> セミナー。
> セミナーの入口で、美栄子に、ふと、海の香り....。この香りには、海辺で夫からプロポ
> ーズされた時の思い出が詰まっているものだった。その思いに引きつられて、過去の
> 一つ一つ、蘇ってくる。
>
> 「『聞こえない』ことは、美栄子の個性。その個性が好きなんだよ。」と夫
>
> 「かわいそうとは思っていない。当たり前と受けとめ、育てられてきた。」と娘
>
> 聞こえさせてやりたいと思う気持ちで駆け回った過去とは違って、今の方がいいと思っ
> ている両親
>
> それぞれ一言の重みを改めて考え、人工内耳の選択を迫って来る中で、思い悩む。
> 決心したのは、今のありのままで生きて行くことであった。
こちらに 投稿させていただくのは初めてですが
取り急ぎ用件だけ・・・
上記にあります「人工内耳の宣伝」
「人工内耳を受けるためのセミナー」
というのは正確ではないと思います。
ドラマにでてきていたのは
いわゆる 怪しげな、サギと思われるような
団体 ではないでしょうか???
人工内耳の為に、大金を持ってセミナー会場へ
行かせる病院・メーカーがあるとはさすがに思えません。
本当の関係者で、いくら欲深い人達だったとしても(^_^;)
ドラマ中の怪しいチラシで
そのへんは おわかりいただけると思いますがいかがでしょう。
> 私は「ちゅらさん」総集編を見ていました。沖縄はいいな。そう言えば,来年の全国
> ろうあ者大会は沖縄で開かれる予定です。
ハイ、私も娘を連れて参加する予定です。
皆様のお越しをお待ちしてます。
> 私は「ちゅらさん」総集編を見ていました。沖縄はいいな。そう言えば,来年の全国
> ろうあ者大会は沖縄で開かれる予定です。
来年の目玉といえば、アジア大洋州の各国から、ろう若者を招く予定であり、何かの
特別な企画があることですね。
本当に楽しみです。
ぼんぬ、あんね(まだ早いけど)
どこかのフリースクールのスタッフを指して、うぬぼれてるとか、威張ってるとか、問題態
度を指摘している投稿が出ていますが、指摘批判してるだけの言動態度は、理解できま
せんね。
なぜ、一緒になって、評価・批評し合わないですか?
突き放されたら、同意できる仲間と一緒になってフリースクールを作らないのですか?
この行動を明示しなければ、単に、足を引っ張るだけの言動に過ぎないものです。
一人だけかもしれぬの問題を誇大させて、フリースクール全体の問題となって、批判して
いるという書き方が、正直に言わせれば、気に入らないものです。
ろう学校にも、うぬぼれや、威張りの先生がいますよ。
昔、権威的な雰囲気がまだ強かった時期までは、威張る先生が結構多く、口話でのコミ
ュニケーションができず児童生徒を『劣等生』と決め付けて、多くの親や聴者の前で、「あ
の子供は、口話ができませんよ。ほら、皆さんが見てもわかりませんね。あの話し振りで
は、世間の目ではどう思われようか、恥ずかしいですし、社会に出ても通用しませんよ。」
と。
集団の中で、うぬぼれや威張りの存在がいた方が、スタッフ間や、子供自身が理想的な
行動とは何かと考えていく過程で、よりよい刺激の材料となっています。
権威的な雰囲気がまだ強かったろう学校の中で、威張る先生を見て、「あのような態度
の大人にはなりたくない」「皆に好かれるような、平和的な大人になりたい。」と考え、今
の道を歩んで来たわけであり、あの存在がなければ、今の私自身はどうなっていたでし
ょうか?
海外へ行って、金ばらきだけ威張っている、ろうおじさんになっていたかもしれません。
問題態度のスタッフがいようかいなくても、親はわかっていることです。嫌になれば、親
が別のフリースクールを探して移してもいいでしょう。その事実を知れば、フリースクール
自体に何かの問題があるかとスタッフ自身で見直して、フリースクール全体を改善向上
させるという、いい機会となります。
それは、あらゆるフリースクールのためにもなります。
ぼんぼやじゅ
>>原作とは違って、人工内耳は最後まで出てこなかったそうです。
>>漫画原作では、人工内耳埋め込みを選択し、ハッピーエンドでおわる筋書きになってい
>>ましたが、ドラマではそうならなかったようです。
へ〜。ドラマ作製の裏側ではいろいろあったのかもしれませんね。
私は「ちゅらさん」総集編を見ていました。沖縄はいいな。そう言えば,来年の全国
ろうあ者大会は沖縄で開かれる予定です。
==
年賀状を書きながら見ていました。
> フォローです。私はまだ見ていないのですが、ドラマをみた友人からメールがありました。
> 原作とは違って、人工内耳は最後まで出てこなかったそうです。
> 漫画原作では、人工内耳埋め込みを選択し、ハッピーエンドでおわる筋書きになっていましたが、ドラマではそうならなかったようです。
>
> 私の書き込みとは相違した結果になりましたので、いちおうお知らせまで
漫画とは違った展開となったのですね。
楽しみにと、映画やTV内容を黙っておくべきという掟を破ります。
人工内耳の宣伝を見て、夫、娘の声を聞きたいと思うようになり、完璧でないこと知り
ながら、ファックスで申し込んでしまう。
誕生日に、一人で内緒である場所へ出向く。ある場所とは、人工内耳を受けるための
セミナー。
セミナーの入口で、美栄子に、ふと、海の香り....。この香りには、海辺で夫からプロポ
ーズされた時の思い出が詰まっているものだった。その思いに引きつられて、過去の
一つ一つ、蘇ってくる。
「『聞こえない』ことは、美栄子の個性。その個性が好きなんだよ。」と夫
「かわいそうとは思っていない。当たり前と受けとめ、育てられてきた。」と娘
聞こえさせてやりたいと思う気持ちで駆け回った過去とは違って、今の方がいいと思っ
ている両親
それぞれ一言の重みを改めて考え、人工内耳の選択を迫って来る中で、思い悩む。
決心したのは、今のありのままで生きて行くことであった。
きびすを返し、軽やかに駆け出す足。
ささやかな風にふかれて、なびく髪。
冬空の太陽に一杯照らされた微笑み。
こんな内容でした。
<ヒースさん>
> 何が強引だと思ったか。
>「違う方向を主張している」のに、
> フリースクールをゼロから作り出すための、資金、労力、経営能力、を
>「聾学校に向ける厳しい目をフリースクールにもろう者にも向けてください」
> と意見した一介の聴障者である「TQMさん」に簡単に軽く要求していることです。
ヒースさんも、フリースクールは簡単には、作れないと考えていますよね。
手話を求めている親の目になって下さい。 簡単に出来ないことをしてくれた
ろう者に感謝しています。 フリースクールに参加すれば、もっとよく分りますが
その運営が大変なのも実感できます。そんな、彼らを批判されれば、
「では、あなたは何をしてくれたの?」と言いたくなる親の気持ちも理解して
欲しいと思います。
> TQMさんは、聾学校に向ける厳しい目を、自分の子どもの為に
> フリースクールにもろう者にも向けるべきだ。
> そうでないと、聞こえない子にとっての良い環境とは思えない。ということを
> おっしゃっていると僕は思ったのですが。
聾学校は言うなればプロです。 それで飯を食っているのですから。
その人々に対する目と、ボランティア的に活動しているフリースクールのスタッフ
に対する目は、やはり違ってきます。私としては、同列には扱えません。
ですから、こんな目を持っている親に対して、
「あそこのスタッフには問題がある。」
と言われても、
「そう言う人もいるかもしれないので注意しよう」
程度にしか取れないでしょう。 さらには、批判されても、そこには解がないのです。
批判するならば、何らかの解(それが、他にもフリースクールがあればよい、になります)が
必要ではないでしょうか? でないと、親は納得しないと思います。
しかし、批判は批判として受け止めたいと思います。
ヒースさんが、“この話はこれで終わりにします。”
と書かれていたのですが、振られた私が何も書いてないのは拙いのか?
と考え一応書かせてもらいます。
<ヒースさん>
> 差別されているといっているのに、「考え方の違い」で片付けられたら、差別される
> 側においては屈辱的だろうな・・・と、僕は思った。
TQMさんへの返信[6539]で、ヒースさんが言われるように、“簡単に片付けた”のは、
TQMさんが受けた差別に対して、差別した側は批判されるべきでしょうが、なぜ、その
ような事が起きたのか、までを含めた背景を理解しないと、正当な評価は出来ないと
思うからです。
ですから、この議論を始めれば、永遠に続くと思われるような状態になりそうで、
ここでは(親の掲示板として)、これ以上深く議論したくないとの考えからです。
もし、ヒースさんが言われるように、TQMさんが屈辱的に思われたのならば、
謝ります。
**************************************
親として、これについて、知りたいと思われた方は、
『ろう文化』 現代思想編集部編、2000年、青土社
を読んでみて下さい。
『現代思想』1995年3月号に掲載された「ろう文化宣言」に端を発し、
『ろう文化』1996年4月臨時増刊号が出て、ネット上などでかなりの議論が交わされました。
それを単行本で出したのが上記の本です。
しかし、これは、かなり前のものなので、その後、ここでも紹介されましたが、
『聾の経験』東京電機大学出版局 ハーラン・レイン 編/石村多門 訳
の中の特別掲載で「ろう文化宣言以後」までを読んで頂ければと思います。
ドラマみました。
確かにインチキくさいところはたくさんあって、聴覚障害について全く知らない人たちが誤解してしまうことも多いと思うけど、聞こえない世界がどんな感じなんだろうって興味を持つ一つのきっかけにはなるんじゃないかな、と思いました。
ドラマで見たことが正しいかどうかはその人が今後いろいろな経験を通して知っていけばいいことだと思うし・・・。
フォローです。私はまだ見ていないのですが、ドラマをみた友人からメールがありました。
原作とは違って、人工内耳は最後まで出てこなかったそうです。
漫画原作では、人工内耳埋め込みを選択し、ハッピーエンドでおわる筋書きになっていましたが、ドラマではそうならなかったようです。
私の書き込みとは相違した結果になりましたので、いちおうお知らせまで。
>
> さて、テレビ朝日系で、今夜9時〜11時半、2001年末感動スペシャルドラマと銘打っての「君の手がささやいている 最終章」がオンエアされます。自分の子どもに人工内耳を装着させる道を選んでハッピーエンドというお粗末なドラマ仕立てになっています。聴者の価値観が見え隠れし、さきほどの「日本賞」を受賞した「音のない世界で」とは雲泥の差の作りです。いちおう、ビデオ録画を予約してるんだけど、見てるときっと気分悪くするだろうなあ。それか、気持ちをいれかえて、三流のメロドラマ仕立と同系と見て、お涙頂戴ドラマを楽しむことにするか…ちょっと複雑ですねえ。
> フリースクールT学園のクリスマスに米内山明宏サンタクロースが登場したという話を
> 人づてに聞きました。立派なおひげをたくわえている米内山氏のサンタクロース姿、私
> もひとめ拝見したかったなあ。T学園の子ども達はラッキーかも、と思った私はミーハー
> でしょうか。そういや、米内山氏も無報酬ボランティアで学園活動に協力しているので
> すね。敬意を表します。
同じく敬意。
来年の七夕祭りに、1年ぶりに再会する二人(名前は忘れた)の一人として
登場したらいかがですか?
ミーハーな私も、一目拝見したいものです。
相手は誰がしてくれるでしょうか? 桃象さん?
うーん、何ともコメントのしようがありません。
半年くらい前??本屋さんの新刊コーナーで「人工内耳をつけた!!」という帯見出し(かなぁ?忘れた)をみて「なんでこういう方向に行くんだ〜??」と思ったのを覚えています。作者の人が、実際に人工内耳を装着した人(成人聴障者だったと思いますが)と会って、その時に感じたことを漫画に投影したらしいですが。
手術やその後のメンタルケアについても一言で片づけられない問題なだけに、ドラマでは慎重に扱ってほしいなぁと思うのですが、難しいでしょうねぇ…
あのドラマで、人工内耳がどういう方向に取られるんでしょうか?
先ほどの「音のない世界」とはちがった視点で人工内耳を描くわけですから、余計に混乱を与えることになりはしないかとちょっと心配です。
ちひねこですか??みないと思います…
目を覆ってしまいます(苦笑)
★の金貨も、目を覆ってしまいましたモン(苦笑)
いのししの娘さん、ひさしぶり
ももぐまさんも、久しぶり←冬眠って、早くないっすか??
子供って、可愛いですよね。赤ちゃん手話っていうんでしょうか、慣れるまではちょっと大変ですけど可愛い手話をどっさりみせてくれますね。
ろう学校の知り合いやろう協の若いろう者が子供を次々??につれてくるので最近は子供と出会う機会が多いです。彼らの様子を見ていると、いいモデルっていうか「こういう風に接してれば大丈夫なんだなぁ」と教わることが多いです。
桃象さんが娘さんに対して骨抜き??になるのも分かるよーな気がします(笑)
私も子供ができたらどうなるんでしょうねぇ。骨抜きにされるんでしょうか?(謎)
ある夜、東京駅地下改札口の真向かいにある店で忘年会をしていたときのこと。家庭でのコミュニケーションは手話でという家族も参加していました。親は聴者、3歳になる男の子はろう児。ろうの子ども達と一緒にいる機会のあまりない私、3歳児とたわいないおしゃべりを楽しみました。
その男の子のいう一番こわい人は、フリースクールT学園のA先生だそうです。子ども同士の喧嘩では、自分のほうに非があるのをその先生に見抜かれて、手話でしぼられてしまうからなんだそうですね。ろう学校では年上の子が叱られ役になるし、先生の言うことがわからないから怒られても何のことかわからないから平気なんだそうだけど、T学園のA先生の手にかかってしまったら、ごまかしのしようがない、ということなんでしょうか。
時間が過ぎ、退屈してきた男の子は店の入り口付近で一人遊び。お手洗いに行こうとする私を目ざとく見つけて「どこに行くの?」。「トイレに行きたいんだけど、どこにあるかわからなくて」と私。すると男の子は、「ボク知っているから、案内するよ」とトイレの見える場所まで誘導してくれました。確かにトイレは改札口の左手にありました。
お手洗いから戻ると、その男の子「トイレ、大丈夫だった?」とかわいい手話で聞いてくるんですよ。気配りができるなんて、すごいなあと思いました。きっと家庭内での手話コミュニケーション密度が高くて、充実しているからなんだろうなあと思いました。ちょっと嬉しい体験でした。
前月に更新したばかりというのに、又更新致しました!
「アイデア」「放送大学・番外編」
特にアイデアは新たなに3点を加えました。
ぜひご覧になってみてね!
『放送大学・番外編」は現在通っているデザイン専門学校のライスワークを
綴ったものです。やはり、ある程度の「情報保障」が欲しいと
切実に思います。
フリースクールT学園のクリスマスに米内山明宏サンタクロースが登場したという話を人づてに聞きました。立派なおひげをたくわえている米内山氏のサンタクロース姿、私もひとめ拝見したかったなあ。T学園の子ども達はラッキーかも、と思った私はミーハーでしょうか。そういや、米内山氏も無報酬ボランティアで学園活動に協力しているのですね。敬意を表します。
さて、テレビ朝日系で、今夜9時〜11時半、2001年末感動スペシャルドラマと銘打っての「君の手がささやいている 最終章」がオンエアされます。自分の子どもに人工内耳を装着させる道を選んでハッピーエンドというお粗末なドラマ仕立てになっています。聴者の価値観が見え隠れし、さきほどの「日本賞」を受賞した「音のない世界で」とは雲泥の差の作りです。いちおう、ビデオ録画を予約してるんだけど、見てるときっと気分悪くするだろうなあ。それか、気持ちをいれかえて、三流のメロドラマ仕立と同系と見て、お涙頂戴ドラマを楽しむことにするか…ちょっと複雑ですねえ。
> 桃象さんの投稿では、今まで、最後行に、
>
> ==
>
> と、記しているのを見たことがなかったのですが、それは、何を暗示しているもの
> でしょうか?
> 「ここで止まれ」という暗示?
終わりという意味です。本当は半角なのですが,まあ,ここは日本語の世界ですか
ら,全角でも構わないか…と言うことにしています。
==
些細なことで、気になったことがあるもんで.....。すみませんね。
桃象さんの投稿では、今まで、最後行に、
==
と、記しているのを見たことがなかったのですが、それは、何を暗示しているもの
でしょうか?
「ここで止まれ」という暗示?
めるしー
> 桃象さんが書いた通り、「村長」はお飾り物同様とか、世襲だからとか、まだ見ぬ
> 者或いは実際に交わされたことなき者の大ボラ/吹聴だったそうです。
何とも言えません。現在,ろう者の歴史の研究が盛んになっていますが,戦前時代の
聴者の社会の中でかなりの地位にあった聾者・聴覚障害者はやはり横尾村長と奥元帥
ぐらいしかいなかったのではとも思っています。奥元帥はおそらく進行性難聴者だっ
たものと思われますので,やはり横尾村長の存在はひときわ輝いているようにも思わ
れます。(ろう学校の校長を務めたろう者はここでは差し当たり省くことにします)
横尾村長が実際にどのような立場にあったのかは,人によって見方が分かれることで
しょうから,横尾村長はお飾りであったとか,実際に指導的な立場にあったとかとい
うことを論じるのはそれほど有益ではないようにも思います。肝心なのは,生っ粋の
聾者であった横尾氏が村長という地位にあったと言う事実です。もちろん,戦前と戦
後の行政の長の任命の仕組みの違いなどを考えていかなければならない面はあること
でしょうが,横尾氏がこれからのろう運動を担っていくであろう聾児・聴覚障害児た
ちに与えてくれるであろう勇気ははかりしれないとも思うのです。
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> 何が強引だと思ったか。
> 「違う方向を主張している」のに、
> フリースクールをゼロから作り出すための、資金、労力、経営能力、を
> 「聾学校に向ける厳しい目をフリースクールにもろう者にも向けてください」
> と意見した一介の聴障者である「TQMさん」に簡単に軽く要求していることです。
> その前に、そう考える自分自身が作るように一度、自分自身に要求してみて下さい。
> それが簡単にできることなら、聴障関係のホームページのように、
> 「それならフリースクールを作って」と軽く言われる個人にしてみれば、強引な
> 返答でしょう。
> まぁ、僕はそう思ったというだけです。
はぁ,なるほど。そのように受け止められたのですね。そう言う受け止め方もあるの
だということにしておきます。
TQMさんはあれだけのしっかりした意見を述べられており,書き込みから察する限
り,まだ若い人のように見受けられました。聞こえない子の教育に関わりたいと言う
気持ちを持っているのならば,あるフリースクールのスタッフとああだこうだと言い
合うよりも,いろいろ大変なことはあっても自分の仲間を集めて,自分の考えを実行
できるようなフリースクールを立ち上げてみた方がよほどいいのではないかとも思
い,ああいう返事を書いたわけです。
まあ,自分がやるわけでもないことを他人に軽々しく言うべきではないと言われれば
それはそうなんでしょうけどね,オジンが若い人にいろいろ,これをやってみたらど
うと言うことはそんなに悪いことではないとも思うんですけどね。(笑)