>あのぅ。ここで聞こえない子供を育てている親御さんは、ろう社会にすんでいませんよ。
>手話通訳者も、ろう社会には住んでいません。
また、やれやれです。いのししの娘さんとの「すれちがい」にはガックリです。
親御さんは聴覚障害者をのぞいて「聞こえない社会・ろう社会」を知りません。
私は、同じ社会に住む君に対して忠告しているのです。
君は海外事情にくわしいようなので、伊藤政雄先生の例にならって、ご自分の
ページをもって、得意な分野で才能を発揮されたほうが素敵だと思いますよ。
ここは君のような才能豊かな人が来るところではありません。
>はじめまして 毎日拝見しています。が、はっきりいいます。なんか・・・最近 この
>掲示板つまんないです。昔は 白熱した意見交換にはげまされ、奮起したものでが・・
>・少し 時間をおいてから またきます。
掲示板は皆の手で作っていくものではないでしょうか。常連たちだけではちょっと限
界はあると思いますよ。
>「手話通訳者だから、聴覚障害者団体に批判的なことをいうな、そうすれば干される」
>と言っておられますが、それもある意味正しいかも(^^;;; 心配されてそういわれてい
>るのでしたらわかります。
そのようなことができるろう協自体が少ないと思いますよ。(苦笑)
>全国そうだというわけではありませんが、独裁的な協会もあれば、保守的な協会もある
>し。かというと、寛容で開放的なところも(案外少なかったりして)あるし…。
寛容で開放的なろう協なんか本当に少ないと思いますよ。私のいる県の県レベルのろ
う協も実に様々な人間関係があります。
>生粋のろう者でなくても言うことは言ってほしいと思います。そんなこといわれるとろ
>うでない人は書き込みしにくくなるし、聴親の皆さんもさらに言いにくくなると思いま
>す。
大丈夫。(笑)んぢゃ。
聞こえない子をもつ親さん!同感です。
私も そう 思っています。
はじめまして 毎日拝見しています。が、はっきりいいます。なんか・・・最近 この掲示板つまんないです。昔は 白熱した意見交換にはげまされ、奮起したものですが・・・
少し 時間をおいてから またきます。
だっこちゃんの
>そして、「聴覚障害者は大変だ。」と訴える聴覚障害者関係・手話通訳者関係の団体の態
>度が社会への偏見を作っていると思います。
>医師が「ろうならろうとして育てなければ」と言い、ろう学校がきちんと手話で教え、
>ろう団体が「ろうに誇りを持て」と言えば、ろう児をとりまく問題の多くは解決できる
>のではないでしょうか。
「手話通訳者だから、聴覚障害者団体に批判的なことをいうな、そうすれば干される」と言っておられますが、それもある意味正しいかも(^^;;; 心配されてそういわれているのでしたらわかります。
全国そうだというわけではありませんが、独裁的な協会もあれば、保守的な協会もあるし。かというと、寛容で開放的なところも(案外少なかったりして)あるし…。
だからといって、手話通訳者だから聴覚障害者団体に批判的なことをいうな、という論理、私には理解できません。「手話通訳者はなんでも黙っておれ、もし言うなら組織の中で」ということでしょうか。でも、組織の中でも外でも言っていいことは言っていいと私は思います、上記の文章のようなものでなら。それが許されないのなら、これこそ言論の自由を奪われた状態にあると思います。
だっこちゃん、こりずに思ったことをこれからもどんどん書いてくださいね。
もう終わりにしましょう。私も正直疲れました。生粋のろう者でなくても言うことは言ってほしいと思います。そんなこといわれるとろうでない人は書き込みしにくくなるし、聴親の皆さんもさらに言いにくくなると思います。
(聴者)親がステーキがぐつぐつ...と聞こえるとうまそうにと思うが、(ろう)子供がしゅわと煙が出るのを見てうまそうに思ってしまうような感覚の違いで、お互いに共通の感覚をうまく表現できなくてがっかりしているとのことですが....。
親子とも共感を得られることが、生活周辺から幾つか見つけられるかもしれませんよ。
例えば、取れたてのキャベツ。
そこに青虫がくっついている、或いは、虫に食われて跡だらけだとする。
最初、子供が、気持ちが悪がるかもしれないけど、スーパーで売られているキャベツを食べたことがあるなら、キャベツのうまみを話して、実際に食べさせてあげれば、子供自身は初めて青虫がついているキャベツが美味しいと理解できる。
そうして、この経験によって、子供自身の頭には、「キャベツ+青虫=おいしい」という式ができあがるのですね。
この式は、親の頭にも既にあるのですね。親子ともこの共通の式があって、共感できますね。
そのように、身の周りには幾らでも、経験共有や共感できるものはあるかもしれませんので、親子ともに作って見てはいかがでしょうか?
めるしーぽーくー
いのししの娘さんも、同じろう者社会に住む人間なら、
「経験が大きな説得力をもつ」ぐらいはわかっているはずです。
あのぅ。ここで聞こえない子供を育てている親御さんは、ろう社会にすんでいませんよ。
手話通訳者も、ろう社会には住んでいません。
経験はもちろん大切ですが、それをもとにして「ああしろこうしろ」というのは辞めていただけないか、といっているのです。
失敗したって良いじゃありませんか。私達はこれから色々経験していくのです。
やってみないと分からないことだらけで、それをしてみる前に「こういうことがあるからこうしなさい」と
横から口をはさむのはやはりやりすぎだと思うのです。
もう少し、暖かい目で見てあげていただけませんか??
厳しいことばかり言い過ぎると、かえって親たちも、若い私達も何もできなくなってしまいます。
また、個人に対して直接過ぎるものの言い方も控えていただけたら。と思うのですが。
いのししの娘さんも、同じろう者社会に住む人間なら、
「経験が大きな説得力をもつ」ぐらいはわかっているはずです。
経験のある人はリアリティでわかりやすいので、どこも講演にひっぱりだっこで、
書いた本も飛ぶように売れていますよね。
>孫悟空さんはこの掲示板で完全に浮いてしまっていますよ。
生粋のろう者でない薔薇さんにこんなことをいわれても気にしませんよ。
ときどきわけのわからないことをいう薔薇さんも、ろう者社会で完全に浮いて
しまいますよ。
だっこちゃんは手話通訳をされているような人なので、きつく注意したわけです。
手話通訳者がろう団体・ろう者に批判的あるいは干渉的な言い方をされるとあらぬ
誤解を受けるし、下手をすれば干されてしまいます。
こういうことは、しかるべき組織の会議で話し合う事柄であると心がけて下さい。
温厚なととさんと博識な薔薇さんにまかせておけば安心と思っていたのに、最近は
「脱線」がやたら目について、親御さんが腰をひいてしまいます。
そんなわけで「聴覚障害児教育」のテーマに限定した、会議室「寺子屋」を
開設しましたので、お越しをお待ちしております。
どこのページ・掲示板も表現の自由ですし、長所短所もあって、親御さんも
それらを選択する自由があります。
食べ物に関しては匂いを嗅ぐだけでもよだれが出る事ってありますよね。あっ、食べたーい!!みたいな。
例えば焼き鳥・・・・いつも匂いを嗅ぐと食べたくなってしまう。のですがお金がないときは一生懸命自分にストップかけてます(笑)
お好み焼きとか、もんじゃ焼きももしかしたら音が出ていてそれで食欲がそそられるのかもしれませんね。
でも、私は匂いと、そのどんどん焼け上がっていく様子に食指が動かされます。
テレビも、バラエティにはたいていテロップが出ますが、細かいことまでは分からないですね。
だけど、流れとしては分かることもあります。
前、サトさん宅におじゃましたときのことですが、ヒロ君が「ウルトラマン」か「仮面ライダー」かなんかだったと思うのですが、
一生懸命テレビに見とれて??ました。かわいかったです。テレビの会話とか、なんでこうなったのか細かいことまでは分からない
かもしれませんが、それを抜きにしても魅力があったのでしょうね。
ラジオは楽しめないけど、テレビはある程度楽しめます。
わたしは、年中クリスマスの日であって欲しいと思うほど、クリスマスが大好きです。
家では、(クリスマスツリーを飾らないけど)クリスマス・デコレーションを工夫したりしています。最近ブームとなっている「イミグレーション」は贅沢で、手が回りません....。
街中でクリスマス・ソングが流れば....という話。
わたしは、クリスチャンが多い町で生まれ育ったという事情で、クリスマスシーズンに、キリスト教教会の鐘がライトアップされたり、TVに映されたら、あぁクリスマスだなとわくわくと楽しみになってきます。
他に、夜の街中に、イミグレーションが初めて灯されると、あぁクリスマスだなとわくわくと楽しみになりますね。
筋が違ってしまいますが、世界各国では、「クリスチャンではないが」「キリスト教があまり好きではないが」を添えて、「クリスマスが好きだ」と言うろう者が多いことが事実です。
(聴者にはクリスマスソング、ろう者にはイミグレーション等、感覚的には違うが)家族全員で共感できる唯一の機会であることが、万国共通かもしれませんね。
ぼん、くりすます
めるしーぽーくー
薔薇さんの愚痴?情報は、ここ、親のページの「潤滑」として、親のページへの「ささやかな社会貢献」となっています。
薔薇さんをよくご存知の親の方々が、軌道が外れているとか、苦痛とかを訴えているとは、思えないのですね。
サニーさんの書き込み、読んでいて嬉しくなっちゃいました。ほんと、ろう者ってそういう感覚あるんだ、と再認識しました。
焼けているステーキから音が出ていることには私も目が点になりましたが、クリスマスソングについても昨年暮れに目が点になったことがあったので少し。世の中を反映してか、クリスマスツリーやネオンが少なくなっていて、いまいち盛り上がりに欠けるなあと知り合いの聴者に言ったら、クリスマスソングがあまり流れていないのに気づいたの?って。こちらもびっくりしました。
私は実はウニが大好きなんです。海からとったばかりのウニを割って海水の入っているボウルに落とすんですが、ぷっくりしていて色がつやつやしていてつるんと落ちていく様子に食指が動かされてしまうんです。うにを落とすときに水がはねるでしょ、そのはね具合が、ぷっくりしているほど大きいんだよね。だから…。それで、ステーキの話を読んでいて、もし私が聞こえていたらボウルに落ちるときの音でよだれを流しそうになるかもしれないなあと思ったのでした(^^;;;
孫悟空さんには参りましたね。孫悟空さんはこの掲示板で完全に浮いてしまっていますよ。
まあ,何も若い人に無理に合わせることはないと思いますし,孫悟空さんの人生経験に基
づいた書き込みはとても含蓄があるものとも思うのですが,そろそろ終わりにしましょう
よ。
この掲示板では、性別・年齢・社会的地位等に関係なく自由に発言できる場であってほしいと思います。(ととさん、違っていたらご指摘下さい)
例えば「あなたは若いから社会的経験がない、だから、わかっていないのだ」といったような相手を威圧する発言は控えていただきたいと思います。
>あなたはしょせん、ろう者のほんの一部しかわかっておりません。
>もういちどろう者といっしょに活動しながら勉強をやり直して下さい。
>聞こえる人が一方的にろう者に「こうしたほうがいい」というのはダメです。
これもちょっと行き過ぎではないでしょうか。
ろう者のやることに干渉するな、とか一方的に指示するな、というのは、私も同感です。
けれども、だっこさんの書き込みを読んでみると、そういった一方的な指示内容は書いていないと思います。
だっこさんは、感じたことや意見を述べただけなのに、それに対して「ろう者のほんの一部のことしかわかっておりません」というのはいきすぎだと思います。そういわれた人は、それだけでも委縮してしまうと思います。
本当に議論したければ、「ろう者のことはろう者しかわからないのだ」という『殺し文句』は使わないと思います。そういわれれば、ろう者でない人は返す言葉もありませんから(^^;;;
薔薇さんの愚痴?による情報提供もあっていいと思います。(笑)
それから、社会貢献も、目に見えない貢献ってありますよね。家の前の落ち葉を拾う、これもささやかな貢献だと思います。
けれども、障害者は社会貢献しなければ、という発想には違和感を感じます。
私は、社会に貢献する、というのは
目的ではなく、結果ではないか、と思っているのです。
それは子育てにも同じ事が言えますね。
どんなに立派な人間に育って欲しい、ろう者に育って欲しいと思っても、今すぐには成果が出ないのですから。
目標を持つのは大切な事です。目標とは何かをやり遂げようとするときの道しるべです。
その道しるべを歩いている過程で、小さな失敗もあればよいこともあるでしょう。
オリンピックの選手を例にあげていましたが、彼らも最初から注目されていたわけではありません。
全く無名の頃から積み重ねてきて今があるわけですよね。田村選手に至っては2度金メダルを逃していますね。
巨人の長島さんも経済効果があるし、色々な人を楽しませていますが、彼も社会に貢献する!!とかは思っていないかもしれませんね。
むしろ「野球がとても好きで、見に来てくれるお客さんに楽しんで欲しい」という気持ちの方が強いのだと思いますね。
社会に貢献は、何かを頑張った結果におまけとしてついてきた、というくらいに考えれば気が楽だと私は思っています。
「結果的に子育てが上手くいった」ならそれはそれで良いではありませんか?
子育てが上手くいく、ということは子供に合った良い育て方が出来たという事なのですから。
あと、こういうろう者の集まりがあったよ、こういうことがあったよ、ぐらいの報告はある程度良い
のではないでしょうか??
「あぁ、そういうことがあったのねぇ。」で終わりますから。
私が心配したのは「聞こえない親が書き込みにくくなる」議論に発展する場合のみです。
「ろう者は大抵こうだ、あんたはおかしい、間違っている」みたいな言い合いの雰囲気になると
それを見ている親御さんが辛くなるのではないでしょうか??それがさらに発展し、個人に対しての批判みたいに
なるともっと辛いですよね。
過去のログを見てみると分かります。大抵が自分と比較して他人やその他のことを批判していることが多いですよ。
これはここだけに限らず、ネットの世界において全ての掲示板に言えることですね。
おはようございます。
私の書き方が、ことば足らずだったようで申し訳ありません。
私は、ちひねこさんが書かれているとおり、
積み重ねが結局、社会に貢献するという結果になればいいな、と思っています。
オリンピックの高橋選手、田村選手も、
「社会に貢献するため」に優勝したわけではないでしょう。
自分の道を着々と歩んでいった結果が、
「オリンピックで優勝」=それがたまたま「社会に貢献」することに
なったのではないかと思います。
私は、社会に貢献する、というのは
目的ではなく、結果ではないか、と思っているのです。
初対面の人に対してカキコするときは少し柔かい言い方をしたほうが
よいのではないでしょうか?
いろいろ活躍されているような立場でいらっしゃる孫悟空さんの心情も
わからないではないですが、
たまにはだっこちゃんのような方に対する見方にも注意してはいかがでしょう?
だっこちゃん、こんにちは。
>ろう団体が「ろうに誇りを持て」と言えば、ろう児をとりまく問題の多くは解決できるのでは
>ないでしょうか。
こういう意見をいうのも自由であると思いますが「抽象論」ではどうにもなりません。
ろう団体の運動は、手話通訳とか情報提供施設など「目に見える」ものでないと説得力が
ありません。
あなたはしょせん、ろう者のほんの一部しかわかっておりません。
もういちどろう者といっしょに活動しながら勉強をやり直して下さい。
聞こえる人が一方的にろう者に「こうしたほうがいい」というのはダメです。
送信しようと思ったら、一回では多すぎて無理と言われてしまいましたので、続きを・・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ろう児についてですが、
私は一年前、ろう児を集めてろう者の若者が一緒に遊ぶという企画に参加しました。
その時のことです。すぐになくろう児がいました。年は1歳半ぐらいだったと思います。
その子は母親(聴)と参加していました。しかし、この母親が問題でした。
あえて問題と言わせてもらいます。
彼女はこどもに後ろから音声で話しかけます。こどもにはもちろん聞こえていませんので
言われていることがわからない、だから好き勝手をします。
彼女はそんな子にまた、音声で怒るのです。
その顔はほんとにこわいものでした。
こどもにとってみれば、母親は何故かわからないが怒るものなのです。
自分が動くとおこるのです。こわいものです。
わからないけど、いつも怖い顔しておこっている。
なので、泣く、するとまたおこる。
手話とか口話以前に、これがよいものでないことは誰の目から見てもあきらかでしょう。
ろうにはろうの方法がある、それは事実です。
個人的には私はろうと結婚して生まれた子がろう児だったらいいなあと思っています。
(まだまだそんな予定があるわけではありませんよ。)
この考えは時にいろんな聴者からたしなめられるものでもありますが、
私自身は、一般に「女の子がいいな」とか「男の子がいいな」とか思うのに似ていると思います。もちろん生まれた子が聴であろうとろうであろうと男であろうと女であろうと
無条件にかわいいだろうけど。
ただろう児を持つ親がうらやましい人間がここにいることも知っていて下さい。
ただ私がこう思えるのは多くのろうの友人達のおかげであって、
私もろうの世界を知らなければ、このことは思ってもいないでしょう。
問題はやはり最初の医師の診断での「お子さまは残念ですが聞こえません。補聴器をつけて聴へ近づける訓練をしなければいけません。」という言葉にあるでしょう。
そして、「聴覚障害者は大変だ。」と訴える聴覚障害者関係・手話通訳者関係の団体の態度が社会への偏見を作っていると思います。
医師が「ろうならろうとして育てなければ」と言い、ろう学校がきちんと手話で教え、
ろう団体が「ろうに誇りを持て」と言えば、ろう児をとりまく問題の多くは解決できるのではないでしょうか。
初めて投稿します。私は某市で手話通訳をしています。聴者です。
まだまだ勉強中の身でわからないことだらけですが、3年前にろうの世界を知り、その魅力にはまっている一人です。何故自分はろう者じゃなかったんだろうと思い、ろうの集まるところならどこでも行きたいと思っています。ろう協にも入りたいくらいです。
ここではろうについてのことを少し書きたいと思います。
「欠陥種」という言葉が気になりました。ろうは欠陥なんかではありません。
ただの「違い」です。聴者は空気を振動させることでコミュニケーションをとりました。ろう者は手と顔など(言語学では非手指副詞と言う考え方もあるようですね)を動かすことでコミュニケーションをとりました。それだけの「違い」です。
ただ、聴者が何故か圧倒的に多い社会であるが為に、ろう者が不利益を被っている部分があります。それは聴者が社会を、言い換えれば政治を支配してきたからであって、外国人が日本社会で住むときに容易でないことと似ています。
では例えば外国人は「社会に貢献」しなければその存在が認められないのかというと
そうではありません。しかし単一民族(と思いこんでいる、本当はアイヌや琉球・在日の人々など日本は隠れた異民族が多く暮らしている場です)の日本では自分と異なるものを認められない人が大勢いるのも事実です。
ただろうの世界においては、自分と異なるものを認められないのは、残念ながら他でもない手話通訳者や社会福祉のプロとよばれる人たち、多くのろう学校教師、教育関係者、耳鼻科医、などろうの近くにいる人たちなのです。彼らの多くはろうを聴に近づけようとします。
そして、それらは決して悪気があってのものではありません。
みなよかれと思ってやっているのもまた事実です。悪気がなければいいとは思いませんが。
時には自分の名誉欲(福祉に関わるのはすばらしいという風潮が日本にはありますね)の為にやっている人もいますがね・・・。
その他のろう者を知らない聴者はろう者に対してろう者に合わせた方法で近づこうとします。
確かにろうには社会的貢献が求められます。それは聴者が求められるのと同じ事であり、外国人が求められるのと同じ事です。ろう故の社会的貢献などありません。逆に日本社会の法律・言語・習慣・価値観は全て聴者のそれらに基づいて定められており、日本人聴者はどの民族(ろうを含む)以上にこの社会に社会的貢献をしなければなりません。
間違わないで下さい。これはろう者が社会的役割を放棄できるという意味ではありません。
ろう者がその言語と文化でもって社会的役割を果たせる社会になっていないということです。そして、この社会にそのことを伝えていないのは先ほど挙げた多くのろうに関係する人たちです。専門家とは恐ろしいものです。ろうを阻んでいるのは、一番ろうを世に知らしめる人たちだっていうのは皮肉なものですね。
>雑談でも結構と,上の所に書かれています
薔薇さんは、よくおわかりでないようです。
最近、ここの掲示板は「脱線気味」でいやになってしまったという親御さんが
多いそうですから、気をつけましょう。
ここ日本の国は、憲法で保障されている「思想・言論・表現の自由」があるところです。
投稿されたものを削除するときは、まず相手の抗議があって、書いた本人の了解があった
うえで行なって下さい。
いかなる理由であっても一方的で予告なき削除は「言論の弾圧」になってしまいます。
私のところにも、ととさんの対応に不満な意見が寄せられています。
私も孫悟空のおっしゃることに同感します。
社会人は社会に貢献する能力と態度を備えているべきですから。
学生だと、まだピンとこないのがあるのも自然なことと受け止めてもいいんじゃないですか。
大体が社会に出てから次第に自覚と能力を身に付けていくのが一般的な流れでしょう。
しかし、ろう学生のなかにはなかなか自ら社会的責任を認識し、実行に移すことが
できない人も多いです。
そこもろう教育の課題のひとつでしょうね。
といっても、最近話題になっている成人式をご存知のように、
教育全体の課題ですな。
>あれあれ、薔薇さんはどうも書く場所を間違えてしまったようです。
???。別に間違えてなんかいませんよ。雑談でも結構と,上の所に書かれています
し。
>ここは「聞こえない子をもつ親」掲示板です。
>親としてどうしていいのか、意見を交換しあうところではないですか。
そうですよ。それがどうかしましたか? 今,聞こえない人がろう運動,特にろう団
体活動でどのようなことをしているのかを聞こえない子を持つ親たちに少しでも知っ
てもらいたいとも思っていますので。まあ,愚痴と言う形になってしまいますが。
>昨日は○○県手話通訳者養成講座・手話通訳士養成講座運営委員会がもめ,延々7時間も
>の会議になりました。地域のエゴむき出しの会議になり,心底疲れました。私は県南地域
>にいるんですけど,やはり県都がある地域(県央地域)の人たちが「県庁がある市でやる
>べき」なんて言うと,カチンときますね〜。(苦笑)会議がこれだけもめたのは,県都の
>ろう協がだらしがないからだろうか(怒)。
あれあれ、薔薇さんはどうも書く場所を間違えてしまったようです。
ここは「聞こえない子をもつ親」掲示板です。
親としてどうしていいのか、意見を交換しあうところではないですか。
>でも私は社会に貢献するために生まれてきたわけではないし
>私は私の道を行きたいと思います。
>全ての聴覚障害者がそうあるべき、というようなニュアンスの書き込みは
>カチンときますので遠慮いただけたらと思うのですが・・。
おやおや、りなおさんのようなお若い人には「社会に貢献」という言葉が大き過ぎて
ピンとこないのだと思います。
オリンピックで金メダルをとったQさんやヤワラさんも「社会に貢献」だし、北海道の
スキージャンプでろう者の高橋竜司選手の活躍も立派な「社会に貢献」です。
身近なところでは、職場で与えられた仕事を周囲の期待以上にこなすことも「社会に
貢献」といえます。
成長を続けている企業ほど盛んに「事業を通じて社会に貢献する」といっています。
その意味するところをよく理解しないと、就職活動で苦労することになるでしょう。
もし、自分の道が行き詰まったときはどうするのでしょうか。
昨日は○○県手話通訳者養成講座・手話通訳士養成講座運営委員会がもめ,延々7時間も
の会議になりました。地域のエゴむき出しの会議になり,心底疲れました。私は県南地域
にいるんですけど,やはり県都がある地域(県央地域)の人たちが「県庁がある市でやる
べき」なんて言うと,カチンときますね〜。(苦笑)会議がこれだけもめたのは,県都の
ろう協がだらしがないからだろうか(怒)。
>だから私はやっぱり道を歩くのはとてもあぶないことなのだ、とずっと思っていたので
>す。
それはそうでしょうね。私が学生だった時,「視覚障害学生の問題を考える会」のメンバ
ーと定期的な交流を持つ機会があったのですが,初めは面喰らうと言うか,ナルホドね〜
と思うようなことばかりでしたから。私達聴覚障害者たちだって,視覚障害者の生活につ
いては,ほとんど知らないわけですよね〜。ちひねこさん,りなおさん,サニーさんのよ
うな方がいてくださると,ホントに助かります。ありがとうございます。
サニーさん、ちひねこさん、車の音に対する具体的なお話をありがとうございます。
書き込みを読んでいて、以前、聴導犬についてやっていたテレビ番組を思い出しました。その中で、なぜ聴導犬が必要かと言うと、道を歩いているとき、後ろから近づいてきた車の存在に気づかず大変危険だからだ、という説明がありました。もちろん聴導犬の仕事はそれだけではなく、他の仕事も紹介されていましたが、だから私はやっぱり道を歩くのはとてもあぶないことなのだ、とずっと思っていたのです。
人それぞれとは思いますが、報道の作り手が誇張し過ぎたあまり、事実がゆがんで報道されてしまったのかなあ、とサニーさんやちひねこさんのお話を読んで思いました。
ところで、先週の金曜日、仕事で難聴の人たちに1時間半ほど説明をすることがあったのですが、終わってから参加された方に「とても聞き取りやすい話し方だった。なぜだろう」と言ってもらうことができました。息子に感謝!の瞬間でした。
「人間ってものはどこかしらいい加減に生きている部分があります。」
私はこの言葉を見る度にどこか救われたような気分になります。
私は社会に貢献するために生きてきたという意識はどこにもありません。
社会、というにはあまりにも大きすぎて複雑です。
そう云うことよりも、身近な人間に「私はこうやって生きているんだよ」と自然に示すことの方がはるかに難しくて、
それだからこそ生きている意味があるのだと思っています。
そういう積み重ねが大きくなって「社会に貢献するのだ」という結果になったのならそれはそれで喜ばしいです。
聞こえないことで起こるハンディをある程度克服する努力も大切ですが、それが人生の目標になっては、疲れるだけだと思うのです。
子供の人生は必ずしも親のためにあるのではありませんし、親の人生も子供のためだけにあるのではありません。
血のにじむような努力の結果、私のような親子が沢山生まれてきたという過去も忘れないで下さい。
何事も、やりすぎはどちらか一方に負担がかかるだけだと思います。
今は、昔と違って親が情報をある程度収集して選べる時代に突入しつつあります。
そのうえで「こうしたい」という考え、気持ちは尊重した方がいいです。
私達の立場では、いたずらに「こうしたほうがいい」と言える立場ではない、と改めて思う日々です。
貴重な体験談ありがとうございました。 やはり、当事者から聞く話が、親にとってはとても
ためになるようで、いろんな反応がでていますね。 親として、とても安心と言うか、子供の
将来を不安視していた気持ちを晴らしてくれるものだと思います。
度々は出てきてくれないかなぁ? って感じましたが、不安を抱えた親の為に、
今後ともよろしくお願いします。
再度登場して頂きありがとうございました。
書き込みの内容から、すでにしっかりした考えを持たれている方のように
感じました。 きっと、ペンギンさんのような親が、今のろう学校を変えて
行く原動力だと思います。これからも同じ親としてよろしくお願いします。
返事が遅くなり申し訳ありません。簡単ですが、回答してみます。
難聴児通園施設は、そもそも、「母と子の教室」(現、トライアングル)や帝京大学の
ホームトレーニング、などで行っていた、補聴器を使った聴覚口話により、早期に
母親が中心となり、難聴児を訓練し、音声日本語を獲得する為の機関がありました。
それによる教育成果が出てきたのを見て、ろう学校での教育に見切りを付けた親たち
がその地域に働きかけ、作って行った施設です。その地域に通園施設とろう学校が
ある場合は、一応のスミワケとして、難聴は通園施設、高度難聴、ろうはろう学校とは
なっているようです。(あくまで建前として)
指導法方は、それぞれでしょうが、およそ、週2回くらいで、1回は個人指導、もう
1回はグループ指導をしているようです。 基本的に就学前までに、音声日本語の獲得し
その後は地域校に行くことを目指しています。
> このような方法は、聴覚障害児が聴覚障害児の集団から学ぶということを
> 奪うような方法だと聞きましたが、本当なのでしょうか?
と言うか、今までに、「聴覚障害児の集団から学ぶ」と言う考え方が無かったと言った
方が良いと思います。その為に出てきた問題点が多数あり、それを現在の教育にフィード
バックさせる必要があると思います。
施設の中には、HPを持っている所もありますので、手始めにそこから、調べるのも
手だと思います。 しかし、実態を正確に知る為には、りなおさんが言うように、実際
にそこへ行く事を薦めます。
レスありがとうございます。
》 だから、そのために「社会に貢献すること」が人生の目的になるわけです。
なるほど、孫悟空さんの人生の目的は「社会に貢献すること」なのですね。
でも私は社会に貢献するために生まれてきたわけではないし
私は私の道を行きたいと思います。
全ての聴覚障害者がそうあるべき、というようなニュアンスの書き込みは
カチンときますので遠慮いただけたらと思うのですが・・。
>「欠陥種でないことを証明する」のは、目的ではなく結果であるべきだと思います。
その通りでよろしいです。
だから、そのために「社会に貢献すること」が人生の目的になるわけです。
「自分の聞こえない子供は欠陥種ではない」と思っているのは家族だけであって、
周囲の目・世間の目はそんなに甘くはありません。
「社会に貢献する」ことが周囲の評価と理解につながると思います。
今日、地元の聴障協のろう者劇団が「泣いた赤鬼」の手話劇を行うので、
しょうちゃんと見に行ってきました。
小さな会場でしたが、ろう者や手話学習者で満員。しょうちゃんは見やすいように
一番前の席へ、偶然一緒になった幼稚部時代の同級生と一緒です。
私とその子のお母さんは、3列離れたななめ後に座りました。こどもたちは、
クリスマスやお正月にもらったプレゼントやお年玉のことでもりあがってました。
・・で、劇が始まると、見ながら自分の感じた事などを振り返って私達に言って
くるんです。手話だと離れていてもお話しできるんですよね。便利だなと
思いました。しょうちゃんは、「赤鬼と青鬼は、別れてかわいそうね〜。」と
思ったそうです。
今度、絵本を借りてきて青鬼がどうして村人を襲ったのか?の部分をくわしく
読んであげようかな〜と思っているんですけど、私の手話じゃ 今日の内容まで
逆に分からなくなるかも・・。
ところで、私もサニーさんの話を読んで「なるほど」と改めて思いました。
それで以前から 聞きたかったんですが、聴者は、昔の流行歌を聞いた時
「あー、この歌が流行った時は、中学生でクラブ活動にもえていたなー。」とか
歌で昔のことをおもいだすんですけど、ろう者の場合は、映画とかTVドラマ
とか映像で思い出すんですか?
年末に20世紀の歌のような番組が沢山あって、見ながらととさんと、昔話で
もりあがったもので・・・・。
「見えてないのに」って書き方はちょっとおかしいですね。ごめんなさい。
お母さんの姿は見えなくても、やっぱりわかるんですね、としますね。
みっちゃん、こんにちはー。元気そうでよかった(*^_^*)
お子さん、すごく、勘がいいですねぇ(・_・ゞ−☆
見えてないのにやっぱり、お母さんのことはわかるんですね(*^_^*)
さて。デフファミリーですが、
「デフ」=deaf ろう者のことです。
デフファミリーというのはろう者だけの家族のことです。
親もろう、子どももろう、ということです。
それとは別に、親がろうで、子どもが聞こえる場合、
その子はコーダ(coda)と呼ばれます。
デフマウスは、、、聞こえないネズミですね、でもいるんですねぇほんとうに。
そういうことはあんまり考えたことがありませんでした(^_^;
皆さん、お久しぶりです。
サニーさん、心配していただいてありがとうございます。
元気にしています。
〔正確には、どうしようもなく沈む日もまだあります)
しばらくこのページに書き込まなかったのは、情報集めに頑張っていたからです。
でも、ずっと、ここはのぞいていましたよ。いろいろな意見参考にしてます。
ろう学校へも見学〔相談)に行ってきました。
疑問なことが山ほどあるので、近々質問させてください。
サニーさんの話をよんで、、、「なるほど」です。
大好きなクリスマスの時期に、街中でながれるクリスマスソングに
毎年私は、ウキウキしていたので、
これがきこえないうちの子は、かわいそうという一心でした
でも、これが生まれつききこえないのなら、それが普通なのですね。
歌は聴こえなくても、街中のかざりにウキウキするし、
きこえない子供にもサンタクロースはやってきてくれます。
ショックの為、「聴こえるもの」にこだわりすぎていたのかも、、、。
きこえないとほかのところでカバーするとは
まさしくそのとおりだと思います。
うちはまだ赤ちゃんですが、
医者から「日常の音はきこえません」といわれていても、
まだ信じたくない気持ちがあって、
大きい声ならきこえるかも、、、と思い
寝ている足元からはいつくばって、そーっと近づくと、まだ視野にはいってないのに
顔をみせたときのように、足をばたばたして喜びます。
「モー、何でわかるの?」と言うと
「あたりまえじゃん」といった表情をします。
赤ちゃんなので、偶然かとも思いましたが、
何度やっても見破られます。
布団に寝かせているので、振動で気づいているのか、
それとも、ママのにおいにきづいているのか、
どうしてなのかは、わかりませんが
とっても敏感です。
そんな感じで、将来車にもきがつくのかな?
書き込み読むまでは、車のことも心配のひとつで
出かけるたびについていかないといけないのだと思っていました。
先には死ねないと思っていたんですよ。(笑)
最後に今日は一つだけ質問です。
超初心者マークな質問で恐縮ですが、
「デフファミリー」とはどういう人をさすのですか?
ずっと疑問だったんですけど、本にものっていなくて、、、
「デフマウス」まででてきて、?????です。どなたか教えてください。
「インテグレーション」ですら、最近理解できたぐらいです。
近頃このページでは、私には口のはさめない高度(?)な話題が
多いのですが、こんな質問していいのでしょうか?心配です。
孫悟空さん、いつもお世話になっています。
ちょっと気になりましたのでレスさせていただきます。
》 努力をして、社会に貢献できる人間になって、自ら「欠陥種でない」ことを証明
》 しなくてはなりません。
聴覚障害児は、「欠陥種でないことを証明する」ために生まれてきた訳ではありません。
聴覚障害があるかどうかに関わらず、自分なりの姿勢で生きていけば
それが自ずと、周りの人に聴覚障害者のことを理解してもらう
きっかけになるのではないでしょうか。
「欠陥種でないことを証明する」のは、目的ではなく結果であるべきだと思います。
>デフ・マウスもいます。(薔薇さん)
大学で聴覚の研究をしていた頃のことを思い出しました。モルモット(ネズミの一種)の
耳音響放射などを測定する実験ですが、モルモットを持ってきて準備に2時間ぐらいかけて、
さあ聴力を測定しようと思うと、その反応がでないのです。実験は失敗。その次のモルモット
を持ってきて、また同じことをしましたが、また反応がでない。なんでなんだ〜。最初は
わからなかったのですが、耳の骨を削ると、そこから膿のようなものが。結局、中耳炎に
よる難聴だったのです。3匹のうち2匹は中耳炎でした。先輩に聞いたら、きっと不衛生
なところで、飼ってるから中耳炎になるのが多いんじゃあないかということでした。
事前に大きな音をたてて、音に対して反応するかどうかをよく見てから、実験を始めろと
さとされました。
それともう1つ、「聞こえないと後ろから来る車の音が聞こえなくて危ないんじゃないか?」という心配もよく聞くのですが、それも大丈夫。私たちにとっては車の音は初めからない状態なので、目を通して車に気をつけることが身についています。昼間の場合は対向車が見える方の歩道を歩くなどすればいいし、夜はヘッドライトで車が来ることが分かります。本当に聞こえなくて危ないのだったら、多くのろう者が交通事故に遭っているはずだしね。
そうなんですよ〜
私、車運転してますけど。最初は補聴器外して運転するのが怖かったんですね。
めまいのことがあって、試しに外して運転してみたらなんのことはない、前と変わりなく運転できちゃいました。
事故も今の所ありません。
ふと「聴者がこの事を知ったらひどくびっくりするだろうな」なんて思ったりします。
多分運転しているときは音にもかなり頼っているのでしょうから。
車はすぐに分かるんですけど、なかなか分からないのは自転車。ふらふらふら〜後ろから近づかれると分かりませんね。
しかも歩行者と同じ道を走っている場合も多い!!
カンがいいかどうかは・・・
友達が遊びに来たとき、チャイムを鳴らしたんですが私はその時補聴器をつけていませんでした。
でも、私は誰か来たと思ってドアを開けました。
あまりのタイミングの良さに驚いて、さらに補聴器をつけていないと分かると「な、なんで分かるの??」と。
聞こえない分まわりの気配に敏感になっていると思いますし、注視力も強いと思います。
目からはいる情報がホントにダイレクトに脳に伝わる感じ??
聞こえなくても目がある。大丈夫です。
後ろから来る車に関しては少し大きくなれば、ちゃんと気をつけることができると思います。
子供が2歳の時、目をちょっと離したすきに道路に飛び出してしまって、青くなったことがあります。
ちゃんと車は止まってくれましたが・・・
良い雰囲気になってきましたね。よかった。
サニーさん、『聞こえない状態』を具体的に説明して下さりありがとうございます。
ステーキのお話、大変リアルでお腹が空きました。(^^)
車の音については、私も不安を感じていました。。。娘がもう少し大きくなって外で遊ぶようになったら、危険がいっぱいだと心配です。(ろう児に限らず親は心配しますが。。)
サニーさんがおっしゃる、聴覚以外からの情報に敏感になる。というのは現在の娘を見ても
感じます。
人の動きなどに、とても敏感に反応します。
空気の流れというのか、後ろでドアが開いたりするとすぐに分ります。
時々、聞こえてるのでは?と思う程です。。。(苦笑)
P.S みっちゃんは、元気ですよー。
お子様のことを一生懸命やってらっしゃいます。
この掲示板のお陰で、友達になっていただけました。。。
こんばんは、サニーです。
過去のログを見たら、クリスマスの歌の話をしたのは蜜柑さんではなくて、みっちゃんでしたね。間違えてすみません!みっちゃん、しばらく掲示板に出ていないようですが、元気でいるでしょうか?
ところでクリスマスツリーの話で嬉しい気持ちになってくれたそうで、私も嬉しいです。実を言うと、みっちゃんの書き込みを見るまでは、町じゅうにクリスマスソングが流れているってこと、知りませんでした。(^^;
それでもう1つ思い出したのですが、私はステーキが大好きで、肉がグツグツ煮えているのを見ただけでもヨダレが出そうになります。さらにステーキソースをかけると、たちまち立ち昇ってくるおいしそうなケムリ・・・もうたまんないです!(^^)。ある時、聴者が言ったんですよね。「ステーキからグッグッという音が聞こえてくると、食欲をかられる。ろう者の場合はグッグッという音が聞こえないから、おいしく感じないだろうね」と。私はステーキからも音が出ていたの?と目が点になりました。さらに、音が聞こえなくても、ステーキを見ただけで十分においしく感じられるのに、この人はグッグッっていう音を聞かないとダメなんだろうか?とも思ってしまいました。
多くの聴者がやってしまうことなんですが、聞こえる立場で聞こえないという状態を想像すると、「聞こえないことは大変で不便だ!」と感じてしまいます。でも、それは実際の聞こえない状態とは大きくかけ離れているんです。生まれた時から聞こえない人にとっては聞こえないことが普通になっているし、そうした状態の中でこの世界を楽しんでいます。先ほど、クリスマスソングが町じゅうに流れていることを初めて知ったときも、私は聞こえなくて悲しいとは感じなかったし、むしろ、聴者の文化を1つ知って面白いなあと思っただけです。
それともう1つ、「聞こえないと後ろから来る車の音が聞こえなくて危ないんじゃないか?」という心配もよく聞くのですが、それも大丈夫。私たちにとっては車の音は初めからない状態なので、目を通して車に気をつけることが身についています。昼間の場合は対向車が見える方の歩道を歩くなどすればいいし、夜はヘッドライトで車が来ることが分かります。本当に聞こえなくて危ないのだったら、多くのろう者が交通事故に遭っているはずだしね。
ということで・・・
>娘が、まだ赤ちゃんなので『聞こえない』という実感が私にも湧かないところがあります。
>今のところは、同じ月令の子とあまり変わらないので。。。
>これから娘と一緒に勉強していきます。
>私も、耳だけに頼らず『そよ風』を感じられるようになって娘と共感したいと思いました。
そうそう、その気持ちでね。お子さんを通して、この世界の視覚的豊かさを知り、一緒に楽しんでくださいね。
あのー、せっかくお話が終結したところすみませんが一言だけ
私もろう児をもつ聴者の母ですが、自分の子どもを欠陥種と思ったことはありません
それどころか、子どもの持っている能力にいつもびっくりさせらせます
だから今回のいのしし娘さんの投稿は「本当にそのとおりだなあ」と
見させていただいておりました
過激でもなんでもなく、事実を述べられただけにすぎません
いままで、私達親にはあまりに情報がなく偏った情報のみで
ろう児を聞こえる人間に近づける教育だけがなされてきたのではないでしょうか
だから、ろう児は本来の能力、力を発揮しづらかった
もう、親達は自分達で情報を得、判断する時代になってきたのだから
手話を信じて、ろう者を信じて、我が子を信じて育てる聴親が出てきてもおかしくないでしょう
私もそれに気づいてから、当たり前の親子関係をと心がけています
それを教えてくれたのは、私の大切なろう者の友人です
「ろう児はろう者の大人となる」そんな当たり前のことを再度確認しながら
いま暮らしています
聞こえる子も聞こえない子も同じです
親子ともども手話のある家庭を築き、楽しく暮らしていきたいです
そうすれば子どもは、ありのままの自分の姿で、自信を持って生きていってくれると思います
もし、次の子どもが産まれるとしたら、聴でもろうでもどっちでもいいなあ
でも子どもがろう児だったお陰で、こんなに素晴らしい言語や文化、また人々に出会えたんだから
本当に我が家のろう児には感謝、感謝です!
しょうちゃんの「ドラえもんのせかいちず」を調べました。
「アンカラ」で〜す。
「どらえもん」と打って変換したら「ドラえもん」になった! すっすっすっごぉ〜い!