今世紀も残すところ、8時間を切りました。
年末になり、“蜜柑”さん、“みっちゃん”さん、と、お子さんが聞こえないと
判明したばかりの親御さんが登場しました。 このような、親御さんの為に、このHPは
あるようなものですし、同じ経験をした親御さん達が、たくさんいますから、今後とも、
何かありましたら、書き込んで下さい。 また、年末の忙しい時期にも係わらず、返信
を書き込んで下さった方々に感謝します。
みなさん、良いお年を。
聴覚障害を持つ大学生、りなおです。はじめまして。
お子さんの聴覚障害がわかって、大変な年末となってしまいましたね。
私は生まれたときから、両耳とも100dBですが、
3歳の時から、リズムあそびの教室に通い、その後
エレクトーン、ピアノ、と経験しました。
忙しいため今は教室には通っていませんが
ピアノを弾くのはスキです。
この間は友達とカラオケに行ってストレス発散してきました。
平均聴力は悪くても、低音部がよければリズムはとりやすいですし、
たとえ全く聴力がなくても、スピーカーの近くで
風船を持つと、振動を感じることもできます。
聞こえなくても、音楽を楽しんでいる人もいるよ、ということを
知っていただきたくて、つい書き込んでしまいました。
風邪には気を付けて、新年を迎えてくださいね。
ととさん、アドバイスありがとうございました。
上の子と同じように接する、、、そのとおりでしょうね。
世話をしながら、普通に声かけをしているので、反応のない度に、障害という現実に引き戻される感じがします。
でも、いつかこれが、うちの子の普通と受け止める日がくるのでしょうね。
蜜柑さん、お互いがんばりましょう。
うちの子は、右85dB、左75dBと診断されました。
日常の音は、何も聞こえていない状態だそうです。
生まれてすぐから、聞こえについて??????と感じていましたが、もしやとまさかを心の中で繰り返しながら、声かけをし、子守唄を歌い、ピアノを弾いてすごしていました。
妊娠中でさえ、ピアノを弾くとおなかでリズムをとるあかちゃんでしたので、聞こえていると思い私と2人の子供でピアノを弾く日を夢見ていたので、聞こえない話せないかもというショックもありましたが、音楽を聴く演奏するということが、うちの子には不可能なことなのかと2重のショックでした。
いつもは、待ち遠しいクリスマスも、ジングルベルの歌が街で流れる度腹が立つやらで、、、、
私自身もピアノが弾けなくなってしまいました。
聞こえない子の親としては、今はだめママ代表かもしれません。
しかし、私ががんばらないといけないのでしょう?
医者からも、「病院や、施設が何かしてくれると思わないでください。日常一緒にいる人が訓練しなければ、話せるようにはならないのですよ」と言われました。
そして、「お母さんが泣いていても赤ちゃんは幸せにはなりません。おいしいおっぱいをあげられるよう元気を出してください」とも、、、、
しかし、今の私には、同じような境遇の蜜柑さんのような人がいるというただそのことが、私の
気持ちを支えてくれているように思います。
私だって、お正月どころでも、あけましておめでとうどころでもないし、年賀状だって見たくないぐらいの気分ですが、暗い気持ちでいても子供はよろこびませんからね。
お互い笑顔で新年を迎えましょう。去年はあんなことで落ち込んでいたのにね、、、といえるぐらい来年をいい年にしましょう。
年末の大掃除とパソコンのクラッシュが重なり、ここを離れていました。
パソコンはHDDを初期化して「新品」になりましたが、1年余り書き貯めたものは
ほとんどパーです。みなさん、こまめにバックアップを取りましょうね。
>手話での教育をしていった場合、娘が成長してから手話の分らない人(現段階の私を
>含め、世の中の大半だと思うのですが)との会話やコミニケーションはどうやってする
>のでしょうか? (蜜柑さん)
確かに、世の中の大半の人と手話でコミュニケすることは出来ないでしょうね。
でも逆に、聴覚口話法で育った大人のほとんどの人は、聞こえる人たちと聴覚口話で
十分なコミュニケが出来ないのも事実です。
これから訓練(聴覚口話の)というときにシビアなことを言いますが、私は最初に現実を
きちんと知っておくことが必要だと思っています。多くの指導者は、親に現実を伝えず
「大丈夫、訓練すれば喋れるようになります」というような言い方をしますが、
親御さんの心情を察してのことであったとしても、私はこんなウソはよくないと思います。
手話は、音声言語とは異なりますが、ひとつの言語です。
そして人は、何のストレスもなく自由に使いこなせる言語が絶対に必要です。
そして、ととさんの言われるように、お子さんの聴力が音声言語を解せる程度であれば、
親が手話を使っていても、音声言語も一定使いこなせるようになります。
このことは本校の子ども達が証明していますよ。聴力100dBHL前後までの子ども達は
けっこう音声言語の使い手になっています。
あっ、私は、ろう学校で教育相談を担当しています。
乳幼児教育相談から手話を使っている三重県立聾学校です。
では皆様、よいお年をお迎えください。
ととさん、明確なお答えをありがとうございます。
大変参考になります。毎度のことですが、ととさんには感謝、感謝です。
足を向けて寝られません。
みっちゃんさん、心中お察しします。今の私と全く同じです。
うちの娘は、検査の後に補聴器の型をとりました。
3週間で出来上がり、訓練は、その2週間程後から開始する予定です。
みっちゃんさんのお子様は、まだ2か月とのことですが、確かに早期発見が良いと言われましたが、発見したものの、そのまま待てというのは親の気持ちとしては複雑ですよね。。。
産後まだ間もないので、御自身の体調を壊さぬよう大事にしてください。
私自身、まだまだ落ち込んでしまいそうです。
とてもお正月など迎えられる気分ではないのですが、我が娘にとっては初めてのお正月なので、明るくお祝しようと思い直しました。
みっちゃんさん、ビギナー同志、がんばっていきましょうね。
サト様、アドバイスを頂きましてありがとうございます。
お月さまを読みました。。。複雑な気持ちです。
娘にとっては、手話での会話が楽しく出来るのでしょうか?
私が、これから始めようとしている聴覚口話法はやはり難しいのでしょうか?
手話での教育をしていった場合、娘が成長してから手話の分らない人(現段階の私を含め、世の中の大半だと思うのですが)との会話やコミニケーションはどうやってするのでしょう
か?
分らない事ばかりで。。。お伺いする事ばかりで申し訳ございません。
サトさん:
>「手話は全国統一されていないから、教育言語には向かない」
音声日本語でも、地方に行くと、学校の授業はバリバリの方言です。
ここでは、きっと、まともな教育が行われていないと言いたいのでしょうね。
サトさん:
>手話の標準語が、まだないとしたら、
>ろう者は、どうやって他府県の人と手話るんですか?
手話をよく知らない、私が答えても説得力がないでしょうが・・・
音声の方言に置き換えると、聞こえる人には分かりやすいと思います。
意味不明の方言が出てきても、その前後から、おおよその推測はつきます。
それは、同じ日本語と言う文法に則って話されているからであり、また、
違う発音でも、類似したものが多数あるからです。
同じことを手話に置き換えれば、他府県で手話が通じる事は、何の不思議
も無いと思います。
でも、そのルール(日本手話の文法)を身に付けていない聴者からは、不思議
な現象に映るのでしょう。 ですから、孫悟空さんが言っている、
>聞こえる人の手話はよそへ行ったら通じませんが、
>ろう者の手話はどこへ行っても意味が通じます。
は、当然の事だと、音声の方言に当てはめれば、すんなり納得が出来ます。
あるろう者から聞いた話ですが、地方のろう者と話した時、やはり
意味の判らない手話はあったそうです。 そこで、
「その意味なに?」
「あぁ、それは・・・だよ」
「あぁ、なるほど」
で通じる訳です。 でも、そこの、手話サークルの人達と話した時、
「あなたの手話は間違っている、それは・・・だ」
と言われたそうです。 これって、失礼な事ですよね。ある地方に行った時、
「それは、方言で間違っている。標準語では・・・だから、それを使いなさい」
なんて、訂正しませんよね。
飯田さんの立場が分からないので、一般的なものを紹介します。
まずは、歴史を知って置く事が大切だと思いますので、
ここでも、度々紹介している、
「わが指のオーケストラ」 山本 おさむ 著 秋田書店
を薦めます。戦前のろう教育の話ですが、ろう教育の流れの根底にあるもの
を知るには最適です。 また、「これは昔の話」では無く、現在のろう教育
にそのまま残っている問題を書いています。全4巻の漫画です。
キュードについては、“資料室”の中に、広島ろう学校の池頭先生が書いた、
“キュード・スピーチについて”があります。 それは、でんさんの疑問に
答えてくれるものであり、でんさんの考えが正しい事を示しています。
ようこそ、みっちゃんさん。
今は混乱の時期ではあると思いますが、
聞こえないと言う事は、決して不幸な事ではありません。
これだけは憶えて置いて下さい。 確かに、聞こえる人ばかりの中で生活するには
不便さはありますが、聞こえなくても、元気に明るく生きている人は沢山います。
お子さんの聞こえの程度が不明ですから、今後、音声言語を使う様になるかどうかは
わかりませんが、聞こえない人には、手話があります。手話を使えばいっぱいお話し
ができます。 そして、今は、上のお子さんの時と何ら変わる事の無い接し方で良いと
思います。 お母さんの笑顔、誰よりもあなたを愛していると思う心があれば十分です。
そうすれば、きっと、お子さん笑顔と共に、家族へ沢山の幸せを持って来てくれます。
>職員の方は、ABRは一定の音しか測れないので反応しなかったが、それ意外で聞こえて
>る音があるから実際は70〜80デジベルだと思う。とおっしゃいました。
>どういうことでしょうか?
音には、大きさと高さがあります。デシベルとは音の大きさです。多くの難聴の場合、
高い音の方が聞こえ難い場合が多いようです。 ABRでは、特定の高さの音しか測りま
せんから、他の高さの音の聞こえ具合がどうなのかは、判断出来ません。 ここで職員が
した、検査は、音を出して、(予め、太鼓なら、どれくらいの高さで、何メートル離れれ
ば、何デシベルかは、判っているはずです)子供の反応を見て、聞こえの具合を判断し
ます。 この法方が、幼児期の聞こえの判断では一番正確です。しかし、これは、検査者
の熟練度が必要ですし、子供の方も、検査や検査者に馴れなければ、より正確な判断は
出来ません。「70〜80デジベルだと思う」と、言ったのは、初めての検査であり、
使った音の大きさや高さから判断してのものだと思います。
>ABR意外にも聴力を調べる機械はあるのでしょうか?
機械としては、無いと言った方がいいと思います。 検査としては、今回したようなもの
が幼児期の検査としては一般的です。
>CTなどの検査もしてみた方がいいのでしょうか?
これは、医師が判断することでしょうが、CTをしたからと言って、今後、治療ができる
ようになるとかは、聞いた事がありません。 一部、耳導の奇形などによる伝音性難聴
などの手術はあるようですが。
>もう一度、どこかの病院で検査した方がいいのでしょうか?
納得が行かなければ、他の病院へ行くのも法方ですが、全国に、難聴の診断の専門の医師
は数えるほどしかいません。それが実態です。関東ならば、帝京大学が有名ですが、他は
どうでしょう? 私は知りませんが、何個所かはあるでしょう。 その程度です。しかし、
ABRの検査結果は、他でやってもまず同じでしょう。 機械が判断しますから。
蜜柑さんの検査された所は、かなり良い方の部類に入ると思います。担当の医師は、
当てにはならないようですが・・・ ですから、その時、難聴施設の職員がした検査の
方が重要です。その年齢の子供ならば、その方法しか無いと思います。 良い病院を捜す
よりも、その施設に通い、検査の回数を重ねれば、子供も馴れてきて、(検査する方も
子供の癖を理解出来るようになり)より正確な検査となると思います。
> 補聴器によって、難聴がひどくなることはないでしょうか?
あります。聞こえる人にとっては、とてつもなく大きな音を補聴器は出しています。
ですから、フィッテングという、補聴器の調整は重要になります。
> この方法のみでいいのでしょうか?
> 皆様は、手話のほうが良いとおしゃっている様に感じるので不安です。
この、法方は非常にリスクの大きいものだと思って下さい。 つまり、ほぼ全員が
上手く行くようなものではないと言う事です。 ですから、ここでは、手話を使う
事を勧めています。
>(できれば言葉で娘と話したいと、私は思ってしまいますが、、、)
これは、聞こえる親としては当然の事だと思います。ここで手話を使うように言って
いますが、決して、音声を捨てろとは言っていません。 蜜柑さんのお子さんが、
耳を使うか手話を使うかは、お子さんが判断します。両方与えて下さい。 お子さん
の回りはきっと音声を使う人ばかりですよね。 ですから、自然と音声は与えている
訳です。手話は意識しないと与えられません。ですから、ことさら手話を強調している
のです。 指導者の中には、手話を与えるべきでないと考えている人がいますが、
決して、そんな事はありません。 プラスにこそなれ、マイナスになる事はないと
断言します。
とても、頼りになる御主人を持たれているようなので、これから家族全員で
「聞こえない天使」を大切に育てて下さい。
11月に難聴の疑いと診断され先日ABRを受け高度難聴という結果にひどくショックを受けてしまいました。 2か月の赤ちゃんです。
蜜柑さんの気持ちは、そのまま今の私の気持ちとでもいいましょうか。
本人の将来、長い長い訓練、健聴の上の子への影響などなど、パニック状態です。
赤ちゃんは、聞こえのレベルが、変わることもあるということで、2ヶ月後に、再度、ABRを
するそうです。今より少しいい結果が出るかもだし、悪くなっている可能性もあるそうです。
蜜柑さんのお子さんは、11ヶ月ということでもう補聴器がつけることができるのでしょうか。
うちは、5ヶ月過ぎてからと言われています。
訓練もそれからしか行えないので、早く障害を知った分、親の方が、動揺して訓練がはじまるまでがかえって不安を増長して混乱して、、、、もうどうしたらよいのやら、、、というかんじです。
今、子供にできることは何かあるのでしょうか。
聞こえない赤ちゃんとわかったときの上の子への対応はどうしたらいいのでしょうか。
「いつになったら、いっしょにお話できるだろうね」と聞いてくるので、そのたびに泣いてしまいます。
まだ、検査したばかりで、混乱中で、この文章もメチャメチャですね。
落ち着いたら、また聞いてください。
蜜柑さんへ
覚悟していたつもりが・・・、まさか、なぜ?どうして、この子が?
私も同じでした。
今は、本当につらいと思います。
子供の笑う顔を見て泣き、寝顔を見て泣き・・・。
でも、大丈夫。娘さんは、ちゃんと育ちますよ。
ただ、聞えないだけなんです。
「娘とは言葉(音声)で話したい」という気持ちは、
聴親なら当たり前だと思います。
だって聴親の母語は音声言語の日本語なんですから。
今の蜜柑さんにおすすめするのは、このHPをプリントアウトして
じっくりお読みになることです。(掲示板以外)
私は、「メッセージ」の最後にある『お月さま』を読んで、最後の決断をしました。
「言葉なんか、何だっていい。自分の子供と話がしたい。通じ合いたい。」と。
そこから、希望の光が見えてきました。
今、親子ともその光が差す方向に向かって歩くことで、楽しい生活をしています。
日々、新しい言葉を使う息子の成長におどろき、
大人顔負けのリアクションに笑い、本当に楽しい毎日です。
聞えない子供をもったことは、不幸でも何でもありません。
「聞えない天使」を、いっぱい愛してあげてください。
大して意味はありませんが・・・ 投稿者:アース 投稿日:12月28日(木)00時33分39秒
そのとおりですよ。手話も東京流の手話が標準手話になりつつあるようで、NHKの絶大なる
影響力には脱帽です。(笑)京都では旧来からのにっくき江戸という反発からか、標準手話を
使おうとするろう者はたちまちのうちに袋叩きに・・・。(オーバーな表現かな?)
未だに昔からの伝統的な「京の手話」を守りつづけているろう者のなんと多いことか!
守り続けることが、問題ではないのです。とても大切なことです。
なぜ大切か?
それは、心が安らかに過ごせるような、或いは、快適に住めるような、「心の故郷」という役割を果たしていることが事実です。
「言葉」は生き物と同様、時と共に移り変わって行くものです。別の姿へ変わっているものあり、途絶えていくものもあります。
また、会話の「潤滑油」という大事な役割も果たしています。
例えば、全く赤の他人同士が言葉(方言)を通して、同じ郷土人だとわかると、会話が弾むようになるという現象が、よく知られていますね。
精神的な緊張が続いている状況の中で、郷土人と会うと、この緊張から解き放されて、そして、今度の、緊張が続くであろう現場へ臨む気持ちへの励みとなることが、通訳、或いは、異言語の世界に長く過ごした者の間ではよく経験していることです。
「標準手話」に対してどうするか、それは、人々によっては考えが違うと思います。
全国的規模へよく出かける人は、「標準手話」が非常に便利なツールになるかもしれません。
一地域で生まれて育って、外へ出かけることも交流することもなく、ここで一生を終えるという人々も、日本内外を問わず大勢います。彼らにとっては、「標準手話」を覚えることが役立たずかもしれません。
京都の話、それは、関東対関西という対抗意識も背景理由の一説でしょうが、ここでは、棚上げにして、九州や北海道辺りでは、関東や関西の手話を持ち込まれると、たちまちに抵抗感を露わにするという事実が、最近に出ています。
昔から存在しているかもしれませんが、この意識行動が顕著に表れるようになったのは最近です。昔から長く続いた、しっかりとした観察データがないため、わたしが書いていることは推測に過ぎないものと捉えるかもしれませんが、皆さんも、全国大会「手話」分科会で出される意見や刊行物を読んで、「標準手話」→「地域の手話」へと、重点が移しつつあると理解できると思います。(懐疑と思う人もいるかもしれませんが、異論を唱えません。)
東京弁に対抗する京都弁の事実について、視野を国際へ向けて見れば、音声言語の世界では、米国英語に対抗するフランス語、手話の世界では、ASLに対抗する欧州・アフリカ諸国があるのですね。
全く逆な事実もあります。
さぁ、これぐらいとします。
めるしーぽーくー
皆様、こんばんは。
先日、この掲示板に投稿させて頂きました蜜柑です。
娘ですが、今日脳波の検査をしてきました。(25日の予定でしたが、なかなか眠らず延期になりました。)
結果は、105デジベルでも反応がないとのことでした。
医師は、聞こえていませんと言いました。医学的治療法もないそうです。
が、、、私が検査したのは病院ではなく、公立の難聴施設なのですが、職員の方がABRの前に、おもちゃなどを使い検査してくれました。
その時に、大きめの音楽や太鼓、ラッパなどに反応したのです。
その職員の方が、ABRは、一定の音しか測れないからそれには反応がないが、聞こえている周波の音もある。その方は、70〜80デジベルだと思うとおしゃいました。
どういうことなのでしょうか?
ABR意外に聴力を調べる機械はないのでしょうか?
CTなどは撮ってませんが、どこか別の病院で調べた方が良いのでしょうか?
今日のところは、補聴器を作製するため両耳の型をとってきました。
3週間で出来るので、その後に訓練に通うようにすすめられました。
お母さんがしっかりと教育すれば、言葉が理解でき話せるようになるとおっしゃいました。
私としても、できることならば娘と言葉で話していきたいと願っていますが、、、
皆様は、手話が良いとおっしゃっていますので不安です。
いろんな説明をして下さったのは、施設の職員の方です。
医師は、多分どこかの大学病院から外勤にアルバイトで来ているのでしょう、、、
あくびばかりしていて、検査中には居眠りまでしていました。
疲れているとはいえ、あまりのデリカシーのなさに腹が立ちました。
二度とかかりたくないです。
ここに相談させて頂き、ある程度は覚悟をしていたつもりでしたが希望的観測で、聞こえているかも、、と思っていたところもあり、やはりショックです。
原因不明とのことですが、神様はどうしてこのような試練をあたえるのでしょう。。。
皆様がそうしているように、私達家族も明るく進んでいきます。
娘に最善の方法をとっていきたいのですが、無知の為悩んでいます。
補聴器をつける前にした方が良い検査などありませんでしょうか?
また、補聴器によって難聴が悪化する恐れはないでしょうか?
どこか良い病院などありましたら教えて頂きたいです。お願いします。
検査に向かう時、皆様から頂いたアドバイスが心の支えでした。
ありがとうございました。
こんばんは。先日、皆様に御相談しました蜜柑です。
娘の聴力検査の結果、105デジベルでも脳波の反応がないとのことでした。
医学的治療はできないそうです。
私が検査したのは病院ではなくて公立の難聴施設なのですが、脳波を見る前に施設の職員の方が2人でいろんなおもちゃなどを使い、聞こえの検査をしてくれたのです。
その時は、ラッパや太鼓、大きい音の歌などには反応しました。
でも、脳波を見た医師(多分、どこかの大学病院からアルバイトとして外勤に来ているのでしょう、、何度もあくびをして検査中には居眠りまでしている有り様でした)は、聞こえてませんと言いました。
職員の方は、ABRは一定の音しか測れないので反応しなかったが、それ意外で聞こえてる音があるから実際は70〜80デジベルだと思う。とおっしゃいました。
どういうことでしょうか?
ABR意外にも聴力を調べる機械はあるのでしょうか?
CTなどの検査もしてみた方がいいのでしょうか?
もう一度、どこかの病院で検査した方がいいのでしょうか?
職員の方の説明ですと、補聴器をつけて(今日、両耳の型をとりました)訓練するそうです。言葉が理解できるように、オーバーアクションで話したりするというのですが、、、
補聴器によって、難聴がひどくなることはないでしょうか?
この方法のみでいいのでしょうか?
皆様は、手話のほうが良いとおしゃっている様に感じるので不安です。
(できれば言葉で娘と話したいと、私は思ってしまいますが、、、)
職員の方は、お母さんの教育しだいで話せるようになるとおしゃっていますが、本当ですか?
簡単な手話も取り入れるそうですが。
補聴器が3週間で出来るので、その後に入園して訓練を開始する予定ですが、その前にもう一度、詳しい検査などしたいのですが、どなたか良い病院を御存じの方がいらっしゃたら、
教えていただけませんでしょうか?
ある程度は、覚悟していたつもりでもやはりショックです。
夫とは仕事の都合で400km離れた所に住んでいるのですが、今日検査が終わってから車をとばして、こちらに来てしまいました。
夫が冷静にしていてくれるのが救いです。
この人となら、神様が下さった試練も乗り越えられると思っています。。(ノロケてしまってごめんなさい。。やっぱりパニックになっているみたいです。。)
検査に向かう前にこの掲示板で皆様から頂いたアドバイスが、心の支えでした。
ありがとうございました。
これからもお世話になるかと思います。宜しくお願いします。
(こちらに来たのは、この掲示板にきたかったからでもあります。)パソコンここにしかないんです。
>手話の標準語が、まだないとしたら、
>ろう者は、どうやって他府県の人と手話るんですか?
こういう質問は、生粋のろう者にたずねるのがいちばんです。
ろう者の全国組織である全日ろう連の活動とテレビのおかげで手話の標準化がすすんで
いることと、ろう者のカンがいいので多少の違いがあっても不都合がありません。
聞こえる人の手話はよそへ行ったら通じませんが、ろう者の手話はどこへ行っても
意味が通じます。
>手話の標準語が、まだないとしたら、ろう者は、どうやって他府県の人と手話るんです
>か?
こういう話はいのししの娘さんやにこにこおにさんの方がはるかに詳しいことでしょ
うから,お任せします。
>「手話は全国統一されていないから、教育言語には向かない」と言われたとき、すご〜
>く、嫌な気分になりました。失礼なやつ!と・・・。
私は「手話は全国統一されていないから、教育言語には向かない」とは考えませんが,
別の理由で,現在の日本手話は教育言語としては必ずしも完成されていない(こうい
う言い方も変ですが)と考えています。この話はまた別の機会にしましょう。
みなさん,よいお年をお迎え下さい。
手話の標準語が、まだないとしたら、
ろう者は、どうやって他府県の人と手話るんですか?
そこで、不都合が生じた!という話しはまだ聞いたことがないけれど・・・。
「手話は全国統一されていないから、教育言語には向かない」と言われたとき、
すご〜く、嫌な気分になりました。失礼なやつ!と・・・。
余談ですが、
私の父は江戸っ子です。べらんめぇ〜の江戸っ子じゃなく、娘の私が言うのもへんだけど、
ジェントルマン系の江戸っ子です。でも、恥ずかしいくらいの江戸弁です。
ワープロに向かって「広島」を「しろしま」と打つって変換しないと怒っています。
「ひ」が言えなくて「し」になるから、他人に道を聞かれると、相手が理解できるか不安です。
「そこの、しろい道(広い道)を、まっつぐ(まっすぐ)行くと、しの見やぐら(火の見やぐら)が
めえてくる(見えてくる)から、その先をしだリ(左)に曲がってごらんなさい。」
父は、自分の言葉が「しょう準語(標準語)」だと思っています。
(話しがそれましたね。すみません)
>未だに昔からの伝統的な「京の手話」を守りつづけているろう者のなんと多いことか!
それはどこでも同じだと思いますよ。私の住んでいる県でも,県独特の手話語彙,表現が
驚くほどたくさんあります。他の都道府県に住んでいるろう者と話し合っても,まずお目
にかかることがない手話語彙,表現があるのですね。でも,東京や神奈川は別です。私の
住んでいる県で生まれ育ったろう者が多いですからね。よくも悪くも手話の世界も音声日
本語の世界に近づいて来たと言うことなのでしょう。
>そのときフッと、なぜ日本に標準語が誕生したのか?という話しを思い出してしまいま
>した。それは「戦争」です。薩摩出身の上官が命令を出したら、誰も理解できなくて、
>これはマズイということになり、軍部で標準語づくりがはじまったと・・・。
>(間違っていたらゴメンナサイ)
>日本語の標準語だって、たいして歴史があるわけじゃないんですよね。
日本における標準語の誕生の経緯については,わずか百数十年前の出来事であるものと考
えられているにも関わらず,はっきりしたことがわかっていませんね。もちろん,明治政
府の通達など細かい資料は結構残っていますが,それでもいつ,どこでどのようにして標
準語ができあがって来たのかについては諸説があります。
さて,標準語ですが,実は実質的に日本各地で標準語としての役割を果たして来た言葉は
江戸時代はおろか,おそらく鎌倉時代辺りから存在していたらしいことが推定されていま
す。それは何か。謡曲です。江戸時代を例にとってみると,当時は地域ごとの方言の違い
が著しく隣の村へ行くと,もう話があまり通じないという例は少なくなかったそうです。
また階級(階層)による言葉の違いも相当なものがありました。いわゆる武家言葉とか町
人言葉ですね。江戸時代後期に特に顕著になって来たのですが,経済が発達すると,人や
物の往来が増え,どうしても異なる地域の人同士で話す機会が増えて来ます。しかし,い
ちいち通訳を呼ぶわけにも行きません。その時には謡曲で用いられている言い回しを用い
て,話をしたのです。謡曲は江戸時代は現在とは比較にならないほど,階級,地域を超え
て幅広く人々に親しまれて来たからこそ,このようなことが可能であったわけです。だか
らこそ,江戸時代でも大名が農民と直に話すと言うような,当時の欧州ではまず考えられ
ないような事が可能であったと推定されています。
そして幕末になると,幕府海軍などの創設により,藩の枠を超えた機構の運営の必要性が
高まり,いわゆる標準語を用いる機会が飛躍的に増大しました。このようにして,謡曲に
おける言葉,言い回しを基盤にした話し方が幕府海軍,その他の軍隊を中心に広まってい
き,それが明治の軍隊に引き継がれ,一般社会に広まっていったと言う説があります。私
はこれが最も妥当な説であると考えています。
>そのときフッと、なぜ日本に標準語が誕生したのか?という話しを思い出してしまいました。
>それは「戦争」です。薩摩出身の上官が命令を出したら、誰も理解できなくて、
>これはマズイということになり、軍部で標準語づくりがはじまったと・・・。
そのとおりですよ。手話も東京流の手話が標準手話になりつつあるようで、NHKの絶大なる
影響力には脱帽です。(笑)京都では旧来からのにっくき江戸という反発からか、標準手話を
使おうとするろう者はたちまちのうちに袋叩きに・・・。(オーバーな表現かな?)
未だに昔からの伝統的な「京の手話」を守りつづけているろう者のなんと多いことか!
先日、都道府県レベルの教育委員会・特殊教育課の課長さんとお話しする機会がありました。
途中、「手話」「バイリンガル」という言葉を言った途端、課長さんの顔色が曇って、
「手話は全国統一されていないから、教育言語に向かない」
「手話は語イ数が少ない」と立て続けに言われました。
そのときフッと、なぜ日本に標準語が誕生したのか?という話しを思い出してしまいました。
それは「戦争」です。薩摩出身の上官が命令を出したら、誰も理解できなくて、
これはマズイということになり、軍部で標準語づくりがはじまったと・・・。
(間違っていたらゴメンナサイ)
日本語の標準語だって、たいして歴史があるわけじゃないんですよね。
さて、ヒロ君は最近、
「いい?」と「いいよ」と「まあ、いいか」を、「いい」の単語一つで使い分けます。
「(ボクは)大丈夫!」と「大丈夫?」と「大丈夫だよね」を「大丈夫」の単語一つで使い分けます。
辞書には、この違い、書けないだろうなぁ〜。
聾教育について勉強したいのですがどこから手をつけたらいいのか分かりません。
本がありましたらお教え下さい。
医師法,看護婦法などの改正の方針が正式に内定しました。感無量の思いです。もちろん,
てのひらさんが某掲示板で書かれていたように,数多くの問題は残ってはいます。しかし,
法律改正が実現するとは10年前には誰が予想し得たでしょうか。
そう言えば,数日前に息子に軽い冗談のつもりで,「お前,将来お医者さんになるか?」
と聞いたら,「いやだね。先生か,フリーターになりたいね。」とのこと。娘は大きくな
ったら,●君のお嫁さんになるのが夢だそうな。つきあいきれんわ。
某研究会に参加して来ました。限られた時間ではありましたが,いろいろな人と話をする
ことができ,有意義な時間を持つことができたようにも思います。その中で印象に残った言葉をいくつか紹介したいと思います。
●現在のバイリンガル教育についての論議は理念中心になっており,現実を見ていない。
●現在のバイリンガル教育は書記日本語の習得と言う問題をあまり深く考えていない。結
局は手話を第一言語として習得させる面だけを重視したモノリンガル教育を論議してい
るに過ぎない。
●何のためにろう児に書記日本語を身につけさせるのかと言う理念の問題と,いかにして
第一言語である手話を基盤に書記日本語を指導していくかという技術の問題がごちゃ混
ぜになっている。
●トライポッド創設者のカール博士は「ろう児の学力を伸ばすためには聴児との接触,競
争が必要不可欠である。ギャロデット大学もろう者だけだから,あれほどレベルが低い
のだ。CSUNのような形が望ましい。」と話していた。
●ろう学校高等部の生徒たちを見ると,優秀な生徒はいわゆるインテ出身(中学時代まで
に地域校在籍の経験がある)の生徒が圧倒的に多い。ろう学校のみに在籍していた生徒
たちは何と言うか,幼い傾向がある。適切な競争というものが保障されるようなろう児
の集団規模はどの程度なのか?
難しいですね〜。豊かな心を育むための環境と,適切な学力を身につけさせるための環境は,ある意味では相反するものなのかも知れません。その他にも奈良ろう学校における現
実的な問題なども興味深く聞くことができました。
初めて投稿します。
以前からこのHPに興味があったのですが、展開が早くてついていけず、
投稿がなかなかできませんでした。
現在、ろう学校の幼稚部で「キュード(キュー)」サインを用いた教育が行われいる
ようですが、この「キュード」の効果って、どのようなもんなのでしょう?
何の効果が得られるのですか?未熟な私に教えて下さい。
私感的には、あまり意味がないと思っているのですが・・・
キュードを使っている子供と話そうと思っても、手話は通じないし、
私はキュードなんて使えないし・・・
ろうの子供と手話での会話がしたいと思うのは、私だけでしょうか?
私が利用している、無料の翻訳ホームページ(日本語版)は、
http://www.amikai.com/intro/welcome.jsp
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・テキストの翻訳も可能
但し、事前登録が必要です。
めるしーぽーくー
TABEさんから情報提供のありました
JBSの手話クレヨンなど、ろうの子ども向けの番組についてですが、
来年春頃に再開の予定だと聞いています。
是非再開してほしいものですね。
山羊さんへ。
>近い将来に、上記した限界が超えられることはないでしょう。
>何故なら、教員養成、教員採用、教員人事など超えなければならない壁は
>「制度」という壁だからです。
山羊さんが言う限界については理解しました。現在のろう教育制度での限界と
言う意味ですね。
山羊さんは、ろう学校が悪いのだから、ろう学校改革こそが必要なんだと
言うことでしょう。それに対しては同感です。でも、すぐに改革することは
できないことは明らかです。何年かかるかわからないわけです。
私がもしろう児を持つ親だったら、いつ変わるかわからないろう学校には
最初から期待しません。どうせダメだから、もっと別の方法で手話教育を実現
しようとするはずです。その一つの方法として、龍の子学園などのフリー
スクールがあります。そちらへと子供を通わせるでしょう。
しかし、現在のそのフリースクールには限界があります。時間的な問題や
運営資金的な問題です。現在は月に1回ぐらいしか開かれませんが、できれば
毎日指導してもらいたいでしょう。これと関わってきますが、ろうの手話教師の
賃金の問題があります。現在の講師がどれぐらいの指導料をもらっているのかは
知らないのですが、それだけで生活できるだけの額をもらっているとは考え
がたいでしょう。毎日の指導をし、それに見合った授業料(講師料)
をもらえるのであれば、それだけで食べていけるわけです。ろうの手話教師も
喜んでそれ専任で指導にあたれるでしょう。講師料をどうするか。運営費を
どうまかなっていくか。ここに課題があるでしょう。
フリースクールが充実し、そこにたくさんのろう児が通うようになれば、
現在のろう学校はいらなくなるわけです。既存の学校を無視していいのか
どうかという問題は残りはしますが(学歴などの問題もあり)、聴者の
学校においても、不登校生徒が増え、それらの子供を受け入れるフリー
スクールを認めざるをえなくなってきています。私が子供の頃は学校は絶対
的存在でしたから、学校に通わないということは大犯罪のように考えられて
いました。
現在のろう学校がいつ変わるかわからない状況の中では、ろう児を手話で
受け入れるフリースクールの体制をもっと重視すべきですし、スクールの経営
支援を、親の立場からぜひしてもらいたいと思います。
ろう教育は必ずしもろう学校に頼らなくてもいい。これは山羊さんとの
相違点でしょうか。
遅いレスになりますが、子ども向けの手話ビデオのことです。
ビデオでなくて、今年の一月まで、スカイパーフェクトTVに
JBS日本福祉放送というチャンネルがありました。
そこで、「手話クレヨン」「手話イソップ」という幼児から小学校
中学年向けの番組があり、米内山明宏さんが、五味太郎さんの
絵本とか、イソップ物語の手話語りをしておられました。
うちのろう学校の小学部では、ビデオ撮りしたものを
子どもたちに見せています。
すっごい好評です。
残念ながら今は、放送を休止しています。
とってもいい番組だったので、再開して欲しいと
切に願っています。
情報、ありがとうございます。
おもしろそうなビデオですね。
私も申し込んでみよう。 これからも、よろしくお願いします。
やっと冬休みに入り実家に戻ってきました。来年の進路も決まり、高校生活は卒論完成と卒業を残すのみとなりました。
遅くなりましたがととさん、お返事どうもありがとうございました。現在、様々資料や本を読んで
障害児教育について学んでいるところです。
今後もまだまだ知りたいことがたくさんでてくると思うので今後も分かりやすい答えをよろしくおねがいいたします。
> 幼稚部入学の際「重複はだめ。聴覚口話ができる児でないと」と、言い渡された時代
>がずっと続いていましたから、その名残がまだ有ります。難聴児を養護学校に押し付け
>て、マカトン法で言葉の獲得の誘導をしてもらったりしています。それって、逆でしょ
>う?
まさにその通りです。この点はどんぐりの家(埼玉県)関連の文献に詳しく書かれて
います。従来の聴覚口話法が数多くのろう児たちを押しつぶして来たことは言うまで
もないのですが,実はろう重複障害児たちを門前払いして来た教育法でもあると言う
事実ももっと知られてしかるべきであろうとも思います。
>幼稚部で手話を導入できるようになったら、重複の子どもたちを受け入れられるように
>なるのでしょうか。
ろう重複児の場合は,単純に手話を導入すればと言うような話にはならないものとは
思いますが,聴覚口話法のみの場合よりははるかに改善されることは確かです。私が
バイリンガル教育に惹かれるのは,こういう側面もあるからなのです。
「生きる」とは何か? 私自身は手話通訳者養成講座や情報提供施設認可の問題が落
ちついたら,ろう重複障害児・者の問題をライフワークとして扱いたいと考えていま
す。
やはり薔薇サン。情報を有難うございました。東京の2年後の件、早速お知らせしました。本校の卒業生のお父さんにも当たってみました。
幼稚部入学の際「重複はだめ。聴覚口話ができる児でないと」と、言い渡された時代がずっと続いていましたから、その名残がまだ有ります。難聴児を養護学校に押し付けて、マカトン法で言葉の獲得の誘導をしてもらったりしています。それって、逆でしょう?幼稚部で手話を導入できるようになったら、重複の子どもたちを受け入れられるようになるのでしょうか。(いやですね。他人事みたいな言い方しかできない。)