おぉ,あるぱさんですか。やはり,あるぱさんもエールの方がいいんですね。
ビールのラベルと言えば,キリンビールのラベルに描かれている麒麟には,「キ」「リ」
「ン」の3文字が隠し文字として書かれていますね。ご存じの方も結構いると思うんです
けどね。やっと,実験が終わりました。4時間待たなきゃいけないんですよ。では,また
潜ります。みおさとさん,ゴメンナサイ。
>なぜ日本手話の方が日本語獲得に有効であると思われるのか?です。
う〜〜ん,これもちょっと違うんですよ。日本手話はろう児にとって一番自然な言語
であり,ろう児が日本手話を自然に習得できるような環境が必要であると言う考えが
最初にあるんですよ。その上で,ろう児が聴者中心の社会に出ていく上で必要な道具
としての書記日本語をどう身につけていくかという問題につなげていくわけです。
日本手話の方が日本語獲得に有効であるというのは,あくまでも結果論に過ぎないと
も考えています。もちろん,結果論として,説明することは可能だと思います。基本
的なスタンスの違いと言うか,そういうものもあるんじゃないかと言うことだけはわ
かって欲しいなとも思います。
さて,結果論としてですか。
まず,日本語対応手話そのものを言語としてをろう児に身につけさせることは不可能
に近いことです。ろう児の集団への帰属が保障されているろう児ならば,自然に日本
手話を身につけていきます。そして,日本手話を第一言語として育っていきます。で
すから,書記日本語を指導する時に,日本語対応手話と日本手話のどちらの方がリン
クしやすいかと言う問題自体があまり意味のないものになるようにも思います。
次に日本語対応手話をそれなりにつかえるようなろう児は実は,既に音声日本語ある
いは書記日本語の文法が身についており,それに基づいて日本語対応手話を用いてい
るものと考えられます。ですから,日本語対応手話を用いて指導してそれに呼応して
いるように見えて,実は,そのろう児は既に身につけている日本語の文法に基づいて
判断しているのだと考えられます。
でもろう児の集団に触れる機会がなく,聞こえる親を持つろう児・難聴児の場合はど
うなるんでしょうかね。おそらくみおさとさんもこのケースを考えているのではない
かと思います。
親が使う日本語対応手話から音声日本語の文法を身につけられるろう児・難聴児の数
は聴覚口話方の場合とほとんど同じ程度だと思います。どうして?と聞かれたら,日
本語対応手話はピジン言語だからということになります。ピジン言語(この場合は日
本語対応手話)から基層言語(この場合は音声日本語)の文法をきちんと身につけら
れる能力を持った子供と言うのは少ないんでしょうね。この辺りはまだまだよくわか
らないことが多いんですよ。
結局,日本語対応手話を使ってもきちんとした日本語の文法を身につけられるろう児
・難聴児は少ない。だから,書記日本語の学習につなげることができないと言うこと
になるのではないかとも思います。つまりセミリンガル(第一言語を持てない人)に
なってしまうと言うことですね。
>私が聞きたいのは、日本語対応手話(栃木法ではありません)と日本手話、
>どちらが日本語にリンクしやすいと思われるか?です。
>これに答えるのに、帰納法も演繹法も関係ないと思います。
私にとっては,日本手話がろう児にとって,一番自然な言語は日本手話であると言う
命題が最初にありますから,上記のような質問はあまり意味がありません。いかに日
本手話で豊かな一次ことばや思考能力を身につけつつ,書記日本語をも同時に身につ
けていくか,という問題になります。日本語対応手話と日本手話のどちらの方が,日
本語にリンクしやすいかと言う設定質問自体が出てこないと言うことになってしまい
ます。
でも帰納法だと,そういう質問が大きな意味を持つんでしょうね。俺も妙にこだわっ
ていますね。(笑)でも,リンクしやすいという文の意味がちょっとつかめません。
ここではみおさとさんの考えに従って,語句を用いることにしましょう。
さて,日本語対応手話と日本手話の両者を挙げていますが,これはどういう状況で用
いられた場合を指しているのでしょうか。
●先生がろう児に話し掛ける時に用いる場合
書記日本語を説明する時は,自然に日本語対応手話が中心になるでしょうね。でも,
その意味を説明する時は,日本手話ということになるでしょうね。書記日本語の文の
意味がわからないと言うことは,日本語対応手話で説明しても意味がわからないわけ
ですから。
日本語対応手話で説明してその話が理解できるためには,まず,音声日本語ないしは
書記日本語の文法が身についている必要があるわけですよね。だから,日本語対応手
話で説明すれば,書記日本語の文の意味が理解できるようになると言うわけではない
と思いますよ。やはり,書記日本語に直に触れ(つまり,読むこと),直に書記日本
語の文法を身につけていくしかないんだと思いますよ。
今日は次男の自転車の練習。海の近くの自転車公園につれていきました。
始めはまだふらふらでしたが、少し休んで海辺を散策しました。秋の海辺には様々な漂流物が
打ち上げられていました。流木、プラスチックの巨大な黒いブイ、原形が分からないくらいに
さび付いた金属製のの何かの容器。そこかしこに黄色い小さい花が咲いてました。
その後練習再開。リラックスしたのが良かったのか無駄な力がぬけて風に乗るようにスムーズ
に走れるようになりました。次男は嬉しそうに「パパ見てよ」という表情で潮風の中を駆け抜け
ました。
>翡翠色のエール
昇天されたままじゃなかったんですか。いつ生き返ったのでしょうか(笑)
僕もよく見たら「青一」とありましたね。うーん、残念。「ブルータスお前もか」より
「嘘でもいいから」の心境です。年を取ると寛容になりますね。しかし正直に表記するところ
「嘘」さえにもならないのですけどね。(笑)
確かにドライは癖がありますね。エールの方が飲みやすいです。
しかしそれでもあの色はやはり美しい。(悲)
>日本手話から日本語へリンクさせるのは回り道のような気がするんですけれど
それについては僕も他の方と同様、議論する気はありません。
詳しくはログ2837のにこにこおにさんの書き込みを。
僕個人的にはこれが最終結論という形です。いつかは山羊さんおさわがせしましたぁ。
僕もにこにこおにさんのようにかきこめばよかったかなと思っております。
ちょっと補足すれば日本手話で会話してイメージを積ませて書記日本語で押さえる。その日本
手話ですが 日本手話は口形や指文字でどんなに日本語を引用しても日本手話の文法で表せば
日本手話です。これはKANAさんでしたね。
明日は地元のろう学校の文化祭です。久しぶりに会える方も多いので楽しみです。
私が聞きたいのは、日本語対応手話(栃木法ではありません)と日本手話、
どちらが日本語にリンクしやすいと思われるか?です。
なぜ日本手話の方が日本語獲得に有効であると思われるのか?です。
これに答えるのに、帰納法も演繹法も関係ないと思います。
>「1997年の論文」って?
これは来週に。でも,ろう教育科学に載っていたあれですよ。多分,山羊さんはもう
読んでいるんじゃないんですか?
>自分が今まで伊東先生の様々な考えにどうもなじめなかった
>って私も思ってるもんで、教えてくださ〜い!
う〜ん,伊東先生はやっぱり,本当に日本手話が音声日本語と対等な言語であると認
め切れていないんじゃないかと思いますね。本人はそんなことはないと言われること
でしょうが,この手合いがもっとも厄介なんですよね。
何と言うか,ろう教育における手話導入の理由が帰納的なんですよね。帰納的な論理
思考を辿ると,どうしても音声日本語や書記日本語を基層言語としたピジン言語や聞
こえる親の言語と言うものを重視してしまいがちになるんじゃないかとも思いました
ね。まあ,世の中の論理的な思考は大半が帰納法です。「将来は書記日本語を身につ
ける必要がある。」「できれば口話もできた方が便利である」「将来のために,聞こ
える人たちの行動パターンも知っておく必要がある」というような様々な到達条件か
らさかのぼって,到達条件に到達するための方法を絞っていくのが帰納的手法ですね。
でも演繹法的な論理思考を辿るならば,「日本手話がろう児にとって一番自然な言語
である」という命題(?)から出発することができるんですよね。どうして「日本手
話がろう児にとって一番自然な言語である」ということを出発命題とするのか,とい
う質問があったら,「それは自明のことであるから」というのが答えになると思うん
ですね。この出発命題から,ろう教育の問題を考えていくのが,私や山羊さんの論理
思考パターンだとも思うんですね。だから,帰納的な論理思考でろう教育を考える人
たちとは話が噛み合わないと言うか,平行線になってしまうと思うんですよね。
でもこの自明の理というのが曲者ですよね。わかっている人にとっては,自明の理だ
から,説明はいらないんですけど,そう思わない人にとっては,うさん臭いものにな
ってしまうんですからね〜。
結局,今までの論争(と言うほどのものでもないけれど)は帰納的論理思考を辿るか,
演繹法的な論理思考を辿るかの違いに起因するような気もします。
それにしても,関東聴覚障害学生懇談会時代に次のようなくだらない話を大真面目に
話し合ったことをふと思い出しました。「デカルトは『我思う。故に我あり』って言
ったんだよな。じゃあ,精子は考えることができるんだろうか。」
専門用語については、素人でもわかる注釈をつけてもらえませんか?
MCEという書き込みに、「なに、それ?」と、私なんぞはまずつまずきます。
勉強不足と言われればそれまでですが、学会などに顔を出している
一般人はいません。専門家はここが専門家集団ではないことを認識しTPOを
考えた上で面倒であってもそのような専門用語を用いる場合、注釈を
つける必要があると思います。これは専門家にとっても良い修行になる
はずです。
専門用語を羅列して、一般人を煙にまくよりも、できた人間の行動です。
また、一般的に使われている日本語対応手話という言葉についてですが、
ほとんど多くの人が「日本語対応手話」と言う場合、「栃木同時法」の
ことではなく、ここで語られている「中間的手話」のことです。
その言葉の定義を、自分の都合が良いように現状とは違う形で言語学上定義し、
把握したがるのは、日本手話推進派にはよくあることです。
現実の方が先であるべきで、理屈から言葉に惑わされ現実を把握するとそのようなこと
をするので、そのようなギャップが生じるわけです。
言葉の定義からその内容を自分の思想の都合が良いよいに変えてしまおうとする学識者に
は根本的に問題があります。
中間的手話、ビジン手話なんて言葉は、手話が言語学から研究されはじめて
使われ認知されるようになった言葉ではないですか?
より洞察力がある学者ならば、
言語学上でいうビジン手話は、日本で言う「日本語対応手話」であると位置づけし、
栃木法というのは、むしろ「日本語対応手話」ではなく、独特の手話形態であると
定義すべきです。その方がスッキリ現状を言い表しています。
山羊さんの言われることは、その点において、本末転倒しております。
日本語対応手話=栃木法と考えるのは、日本手話推進派のみであると、
聴障者の現状を知る私は、あえて知らせておきます。
なぜ、そうなのか?
個人的には、そこに彼らの思想的な計略を感じ、胡散臭さをまず感じてしまいます。
>自分が今まで伊東先生の様々な考えにどうもなじめなかった
って私も思ってるもんで、教えてくださ〜い!
翡翠色のエール:
ラベルを見たら,色素をちょっと使っていますね〜。ちょっとがっかりしたな。そのまま
のは色がちょっと薄いんでしょうね。ドライの方はワサビのにおいがちょっと強いように
も思いました。これは好みの問題かもしれませんね。私はギネスが大好きなんですけど,
あのギネスの味は好きになれないと言う友人もいますしね。
>日本手話から日本語へリンクさせるのは回り道のような気がするんですけれど
多いですね〜。この手合い。一見尤もらしいんですよね〜。この考えは。でも,「日本語
対応手話(同時法的手話)から日本語へリンクさせようとする栃木聾学校の同時法は、少
なくとも日本語の力や学力の向上という点では、聴覚口話法の結果と大差がありません。
アメリカのTCも同様でした」なのは,なぜなのかということを論理的に説明するのがす
ごく厄介なようにも思いますね。誰かさんにお任せします。結局,これはある日,突然ス
トーンと腑に落ちる(変な言い方!)ものなのかもしれません。
「言語」の今月号に「ハワイ・クリオール英語」の記事が載っていますね。なかなか面白
いです。特に基層言語とクリオール言語の使い分けに関する記述はなかなか示唆に富むも
のでもあるように思います。
ようやく,伊東先生(元京都府立ろう,全通研運営委員長)の1997年の論文を読むことが
できました。読後の感想を一言で言えば,「惜しい。ろう運動・手話通訳活動で養ったあ
れほどの優しくも鋭い目をもっとろう教育の根本的なところに向ければいいのに」という
ものでした。それと共に,自分が今まで伊東先生の様々な考えにどうもなじめなかったの
はなぜなのか,ようやくわかったような気もします。(もろん,伊東先生は大変素晴らし
い方であるとは思いますし,尊敬もしていますけどね)。
日本語対応手話=栃木同時法と思っている方は、少なく、
私が山羊さんの認識にあわせて語るならば、
ビジン手話から日本語へと
日本手話から日本語へ
の問題です。
たびたび山羊さん、お返事ありがとうございます。なるほど,中間型手話は日本手話と日本語対応手話の混合型ではないんですね。手話といっても幅が広いんだなーと思いました。
本当にご指導ありがとうございました。また私が混乱した時は、アドバイスをよろしくお願いします。
>日本手話から日本語へリンクさせるのは回り道のような気がするんですけれど、
<みおさとさん>
日本語対応手話(同時法的手話)から日本語へリンクさせようとする栃木聾学校の
同時法は、少なくとも日本語の力や学力の向上という点では、聴覚口話法の結果と
大差がありません。アメリカのTCも同様でした(と言っても教育現場では現在も
MCEを使っている聾学校が多いそうですが)。
バイリンガル教育における日本語へのリンクについては、過去にここでも多くのやり取り
が行われており、いま私は、話しをそこへ再び持っていく気持ちが起こりません。
>私の考えは間違っているのでしょうか? <pandaさん>
間違っていないと思います。
ただ、中間型手話は「日本手話と日本語対応手話の混合型」ではなくて、
「日本手話と音声日本語の混合型」です。
アメリカでは、中間型手話は「ASL・アメリカ手話とMCE・英語対応手話の混合型」
の様ですが。
ただ、この3つの「種類」を固定的なものと考えるのは間違いです。
特に中間型手話はピジン言語(混交言語)なので、音声日本語に近いものから
日本手話に近いものまで、話者によってかなり大きな幅があります。
ろう教育として、
どう考えても、日本手話から日本語へリンクさせるのは回り道のような気がするんですけれど、
この辺りに何か賛同・反論があれば、是非お聞かせ下さい。
山羊さん、お返事ありがとうございます。山羊さんのアドバイスのおかげで整理がつきました。
本当にありがとうございました。山羊さん、手話の種類に関してまた質問してもよろしいですか?
私は手話の種類を日本手話(伝統的手話)、日本語対応手話(同時法的手話)、中間型手話(日本手話と日本語対応手話の混合型)と考えてしまっているのですが、私の考えは間違っているのでしょうか?私の読んでいる文献が古いのでしょうか?どうか教えてください。山羊さん、同時法についてのご指導ありがとうございました。そしてととさん、ととさんのお返事も待っていますので、よろしくご指導ください。
>同時法的手話との時間的な関係について教えてください。
ちょっとこの意味が分かりかねます。
参考になるかどうか分かりませんが、
同時法的手話は、栃木聾学校で作り出された人工的な手話で、1968年から同校で
使われ始めました。栃木校ではこれを今も使っていますが、他でこの手話を使っている
学校やろう者はいません。(栃木校の卒業生は使っているかも知れません。)
人工的に作り出された同時法的手話に対して、
日本手話はろう者の間で自然発生したものであり、
ピジン手話は、ろう者と聴者とのコミニケの中で自然発生したものです。
(ピジン手話 : ひと昔前は「中間的手話」と呼ばれた。最近は「日本語対応手話」と
呼ばれることが多いが、これはちょっとまずいのでは?と私は思っている。)
あっ、pandaさんの書き込みをもう一度読み直すと、こういう質問ではない?
同時法的手話を使った栃木校の「教育法」が、同時法です。
とお答えすればいいのかな?
ととさん、山羊さんお久しぶりです。この前は聴覚についての質問のアドバイスありがとうございました。さっそく質問なのですが、同時法についてなのですが同時法的手話との時間的な関係について教えてください。手話の種類を先に考えてしまっているせいなのか、混乱しています。
自分ではうまく整理がつきません。どうかよろしくおねがいします。
こんにちは、育児中でずっとロムしてます。
ろう教育のことでさかんに意見を交わしておりますが、私の経験で言いますと・・・
小学低学年のうちにインテグレーションし、ずっと高校卒業まで地域学校にいました。重度
の難聴だけど、比較的口話が上手だったので、親の方針で普通学校に行かされました。
学校生活はというと配慮してくれたのは、低学年のうちだけで、あとは先生も後ろを向いた
まま喋ったり、授業が早くてついていくのが精いっぱいの状態が高校卒業まで続きました。
それまで、同じ仲間と交わることなく、手話を覚える機会がないまま成人しました。
周囲に「学校はどこ?」聞かれ、「○○県立高校です」と答えると「偉いねー、すごいね」
決って言われました。つまり耳の障害がありながら普通学校に通ってるのが、エライので
あって、ろう学校に通ってるのはバカというふうな雰囲気がありました。(今となって阿呆
らしいことですが)
さて、高校卒業後、東京の職業訓練校に1年間学びましたが、就職しませんでした。
なぜかと言うと、目標がなかったからです。
さて、訓練校を出た後、親が敷いたレールに乗って、頑張り続けてきた結果、いったい何が
残ったのでしょう?
それに気付いた時は愕然したのです。やりたいものがない!将来どうするんだ?と不安感で
いっぱいになり、初めて親に反抗しました。悩んで悩んで・・・・精神科に通おうかと思う
ほど思い詰めました。大学に行ってやり直すか?イヤ、この状況では変わらないだろう。
(学力も無理だし)何故親はもっと真剣に進学のことを相談しなかったんだろう、そもそも
何のためにインテグレーションしたんだ?・・・と堂々めぐりの苦しみでした。それが1年
以上も続いたのです。
小中高時代は周囲に合わせ、手話を知らずに育ってしまい、訓練校では手話が多用されてい
て、カルチャーショックを受けました。手話を知らない私にはその中に入って行けず、手話
を禁止したろう学校が恨めしく思いました。
その後地域の手話サークルに通ったり、人工内耳の手術を受けたり(今は使ってない)、自
分の失われたアイデンティティを取り戻すかのように、もがいてきたように思います。今も
定職に付かず、相変わらずの中途半端のままな存在です。
教育とは、「自立する」が最終目標であったハズです。それを見誤ったばかりに、何をした
らいいか分からないまま成人した聾者も多いと思います。
インテグレーションはあんまり勧められるものではありません。周囲が健聴者だらけだと本
人はずっと緊張感が強いたげられ、聾者と出会う機会が少ない。又性格も内向的な傾向にな
りやすいようです。
かといって、ろう学校ではあんまり・・・・って感じです。学力もさることながら温室のよ
うに世間知らずに育ってしまう恐れもあり、世間にのまれると、頓挫しやすい傾向が強いよ
うです。
そこで親にお願いがあります。インテグレーションさせてる場合、なるべく月1回くらいで
いいから、手話サークルなりフリースクールなり他の聾者と交える機会を作ってあげて下さ
い。又、ろう学校に通わせてる親は手話を認め、お子さんの個性や良さをきちっと見つめて
あげて頂きたいと思います。それだけが私の後輩たちや親に対するアドバイスです。
ずい分前に自己紹介したのですが、子供の状態も曖昧でしたので、もういちど。
次男(1歳)は、先天性サイトメガロウイルス感染症による感音性難聴、右95db、左50dbです。生後5ヶ月で初回ABR検査をうけ、1歳でもう1度うけた結果がこれで、かなり進行しているということでした。これからも、進行するであろうと言われています。
今日は、3度目の聾学校訪問で、いっぱい遊んできました。とりあえずは、左だけ補聴器をつけることになり、イヤモールドもできあがり今日が初装着でした。
簡単な手話のプリントをもらったので、いちいちそれを見ながらしゃべっています。サトさんに教
えて頂いた♪好き♪も言ってます。
最後に、オムツのこと。うちの長男(4歳半・聴児)は、いまだに寝る時だけはオムツをはいてます
よっ。いつになったらパンツでねるのかなぁ・・・と、たまに思います。
翡翠色のエールを飲みました。昇天。合掌。
現在、職場のインターネット環境がちょっと何ですので、来週辺りにDMを出します。
まずはお礼まで。
個人的にはエールの方がドライよりも飲みやすかったようにも思います。
しかし本当にきれいな色ですな。
ようこそ、Keiさん。
紫布さんに続き、聾学校の先生の登場ですね。大歓迎です。
龍の子に参加した先生などと、話し合っているということは、どういう方向で進むかは
決まっていて、どのようにして行くか、回りを引き込むにはどうするか、の話し合いを
しているのでしょうね。期待しています。 今の聾学校で、手話の必要性を感じるのは、
上の学年からになってしまいますよね。 私の地域の聾学校では、高等部や中等部の先生
が、幼稚部に降りてきていました。(手話を早期から必要と感じてのことだと思います)
最初は、行事の手伝い(餅つき、とか、節分など)、その後、算数の基礎を週一回やって
ました。 また、お母さん方の為の手話教室もその先生方が始めました。 そうやって
少しずつ、手話を浸透させて来たように思います。(授業内容については、学部が違うと
口出ししずらいので、まだまだですけどねぇ〜) keiさん、これから他の先生方と頑張っ
て下さいね。 こんな先生が増えてくることを嬉しく思います。 これから、よろしく
お願いします。
初めまして,九州のとある聾学校の教員です。最近このホームページを見つけまして,過去のログを必死で半分ぐらい読みました。聾学校に来て,2年目,何て知らないことが多かったのだろうと反省することしきりです。たくさん勉強させていただきました。これからも,たくさん知って,実践につなげられたらと思います。
私のところは,ろう教員はいます。運動会等の学校行事では,教員が手話通訳をします。手話教室に通っている教員は私を含めて,けっこういます。中・高等部は比較的授業に手話を取り入れていると思います。しかしながら,看板は聴覚口話法です。ここはなんかおかしいなあ,変えたいなあと思っている教員は多数いるはずなのに,どこからどうしていいのかわからないでいる,そのうちあきらめちゃう,そんな雰囲気を感じます。
今年,赴任してきた元気なI先生(夏休み龍の子を見に行ったそうです)と,M先生とこれからのことを話し合う毎日です。
また,いろいろ教えていただきたいと思います。今日はあいさつまで。
ほのママさん、通学距離については、やはり60km70kmと言う車で1時間半
暗い、高速をつかって通ってくる子もいます。が、一つ上の学年にも同じような距離
を通学している子供もいますから、なかなかそうとも言いにくいのですが、先生も
性格や育ちや成長の差も関係していると言っていました。
総体的に教育しているつもりでも、なかなか性格がと言っていました。
全員に話す方法として、個別で知らせて頂いてそのことについてどう感じたか
聞いていただくことにしました。全体でそういう話をすると、なかなか意見を言わない
人もいるし、子供のしたことじゃんとかたずける人もいますから、一人一人の意見を
とお願いしました。
母子教室でのやり取も、ときには考えないと、捉えるのはお母さんの自由だと言われ
ても困るとも伝えました。子供のしたことをかなり重く捉えていて抱いていますが
親達はどう捉えるのかが心配です。あのこと遊ぶと、叩いたの何だの言われるから
辞めときなさいとか、関わるななど、そうなってしまうのもいやなので、話さないでも
ト思ったということも言いました。でも早くその現実を伝えないとと言っていました
ので、個別にお話してもらうことにしました。
本当に厄介な問題だなと思いました。成長の差がそうさせているのかもしれないと
言われ、できる子はできない子のろい子を見て、おそい・のろい=ダメな子
なのかなあともとれました。スロウリィなわが子は、このクラスでは無理なのかなあ
とも感じました。同じようなテンポのお子さんがいないというのも困りものかもしれ
ません。
ほのママさん、不安になってしまうようなことを書いてごめんなさい。
ちなみにうちの子は、昼間も夜も紙パンツ卒業したのは今年の5月でした。
昼間が早くても夜はいつまでも手放せないとかそれぞれです。昼間だけで
もトイレに行く時間をはかって、同じ時間にでなくても誘ってみるなど、い
ろいろ試してみてください。ただしこの時期寒い日やあたたかいひがいろ
いろまざっているのでむずかしいので落ち込まないように!
保育園なんかで親子交流みたいなものに参加してみるのも一つの手ですよ。
市町村で問い合わせてみては。
> ところで、バイリンガル教育って補聴器(聴覚)は使わないんでしょう?
使います。聴覚は重視しないだけです。
学校では手話だけですが、周りに音声言語があふれていますので、
聴力の比較的軽い子は、けっこう喋っているそうです。
シムコムってる子もいるそうですが、教師はそれを止めることはしないそうです。
デンマーク(スウェーデン?)では人工内耳を入れてる子も多いらしい。でも、
あくまでも手話が第1言語ということのようです。
終結宣言してなんですが、コメントきたのでちょっとだけ。
>教育的要素がかなり入ってきて、医療的説明だけでは困難になってくる。
医者が話すメリット、デメリットについては当然教育面も含まれます。
ただ、日本ではまだ結果がでていない状態です。現在は海外の例のみで
話を進めているのでしょう。
私は人工内耳は埋め込み式の補聴器にしかすぎないという考え方をもって
います。
人工内耳=口話教育ではなく、人工内耳を入れても聴覚活用+手話教育でいい。
聴覚活用をめざすなら、まったく聞こえない補聴器よりは、少しは聞こえる
人工内耳のほうがましである。(むろん手術を受けることのリスクはある。)
そしてその子が手話教育でいくという判断なら、補聴器による口話教育もいっさ
いいらない。日本語は読み書きだけでいい。
ところで、バイリンガル教育って補聴器(聴覚)は使わないんでしょう?
乗り遅れてしまいましたが、ちょっとだけ。
私の考えは、てのひらさんが言っていた、4つの結論に賛成です。 しかし、
> 2)医者は人工内耳のメリット、デメリットについて正確に情報を提供して判断
> してもらうようにすべきです
についてちょっと一言。 (と言ってもてのひらさんも同じように思っているとは
思いますが) 医者が医療的なデメリットを話すことは最近では当然になっています。
(手術が失敗して、顔面に障害がのこる可能性など) しかし、どの程度、聞こえる
ようになるかは、教育的要素がかなり入ってきて、医療的説明だけでは困難になって
くる。(それを、さも皆が上手く行くような説明をすることに今の問題があると思い
ますが) でも、この程度までならば、近い将来、ほとんどの医師でも説明可能だとも
思ってます。 問題は次で、今の人工内耳では、難聴者までしか作れない。ここで、
聾、難聴、などの問題を医者が説明出来るか? です。まず、不可能でしょう。
(てのひらさんのような医師が、他に何人いるのか? と同じ問題ですね)
本来ならば、ここに、カウンセラーが必要になるのでしょうが・・・
もし、ここまでの情報を親が得られたとしたらの話しです。 確か、TC研でのバイリン
ガル教育の北欧視察で、デンマークの親の会の人が言ってましたが、人工内耳の効果を
考えるならば、極めて短期間の間に判断しなければ成らないことに問題点があるという
ことです。 この短い期間で十分に、聾、難聴などの問題を親が整理できるのか?
難しいですよね。 でも、日本も早く、このレベルの問題を重要視できるようになって
欲しいとも思います。
てのひらさんの手話外来期待しています。 開業すれば、琵琶湖病院に次、2番目に
なるんですよね。 耳鼻科としては、初めてですよね。
ようこそ、紫布さん。
聾学校の先生がここを読んでくれてとても嬉しく思います。 親中心ですが、より良い
ろう教育にする為には、教師の協力が一番必要ですから。 その上、手話を大切に思って
くれている教師、大歓迎です。 と、ここまで持ち上げておいて、しょっと気になる点を
一言。 デフ・ファミリーに付いて、彼らの考えも色々だ。 と書かれていますが、その
範疇での事と判断して良いのですよね? 私としては、彼らは何でも有りの状況で構
わないと思っています。 それは、母語としての手話が成立し易い環境にあるからです。
ですから、教育機関には、生きて行く上で便利な、聴覚活用や口話を要求してくる人が
いても、なんら不思議ではありません。 しかし、聞こえる親の聞こえない子の場合は
問題は、全く別問題として考えなければ成らないと思っていっます。
ともあれ、これからも、よろしくお願いします。
ところで、“紫布”ってどう読むのですか? “ムラサキ・ヌノ”とキーボードを叩いた
のですが・・・。
山羊さんへ。
>人工内耳関連も、私からは取りあえずこれでお開きに。
了解しました。続けることも意義のあることですが、話が専門的に
なってくると他の人が書き込めない雰囲気になると言われてもまずいの
で、私も沈みます。お忙しいところ、つきあってもらってすみません。
>耳鼻科医の間ではその反響はあまりないので
> しょうか?
人工内耳に関わっていない耳鼻科医にとっては、あまり関心のない
ことだと思います。人工内耳をしている耳鼻科医にとっては理解の有無
は別にして、インパクトはあったのでは。
>てのひらさんにお送り頂いたのでしたよね。
そうです。忘れられていたようですけど(笑)
>ところで、「オージオロジスト」ではなくて「オージオロリスト」が
> 正式な(?)表記法になっているのでしょうか?
すみません。間違いました。慣れないカタカナ表記なもので。
正確には、AudiologyにistをつけたAudiologistです。
アースさんへ。初めまして。
はい。分かりました。HPに見に行きますね。
ありがとうございます。助かりました!
アミーゴさんへ。初めまして、私はろう大学生です。大学に行きたいのであれば、下のHPに
行ってみるといいではないかと思います。このHPは障害学生支援センターが運営していて、
どこの大学が受け入れ態勢を整えているのかを検索することが出来ます。
これは私の友人の紹介で知ったところなので、他にもいいものがあるかもしれませんが。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-tsubas/NSCSD/dg/daig_index.htm
今晩は。2回目のカキコです。
専門学校に行くことが決まりましたが・・・。
最近、大学服飾学科系や大学家政学科系の編入のこと
考えるようになりました。
私はまだやりたいことがあり、もっと勉強したい。
私はろう者だけど、大学に編入することができますか?
編入できる大学の情報を知りたいです。
よろしくお願いします。
やらなきゃならない仕事にはほとんど手を着けず、読書とこの掲示板で3連休が終わって
しまいました。人工内耳関連も、私からは取りあえずこれでお開きに。でもこの話題は、
きっとまた出るでしょう。
てのひらさんへ
> 人工内耳についても最低限知った上でなければ有効な反論はできないということです。
>すべてのろう者が知る必要はありませんが、オピニオンリーダーは正しく理解し、
>その上で医者にダメージを与えられるような反論をしてほしいという主旨です。
これで納得(しぶしぶ?)ということにしますが、
医者でこの世界のオピニオンリーダーである田中美郷氏が「聴者の論理」を見直すことも
必要だとの趣旨で論文を書いてみえますが、耳鼻科医の間ではその反響はあまりないので
しょうか?(あっ、その節は論文のcopyをお送り頂き、ありがとうございました。
確か、てのひらさんにお送り頂いたのでしたよね。)
子どもの人工内耳の評価については、
以前、ギブソン教授の118例の報告をUPしました。
1592.資料1 投稿者:メエメエ山羊 投稿日:04月17日(月)18時42分52秒
数的にこれを上回る症例をまとめた報告があれば、知りたいところです。
米国では、ローズ(Darrell E.Rose)らが、人工内耳を埋め込んだ約半数の子ども達が
ノンユーザーになっていると報告しています。
Darrell E.Rose 他「聾児に対する人工内耳手術について」
(聾教育研究会「聴覚障害」Vol.52、1997年8月号):33-7
ところで、「オージオロジスト」ではなくて「オージオロリスト」が
正式な(?)表記法になっているのでしょうか?
山羊さんへ。
>でも、補聴器fittingも、現状の聾学校教員の資質を考えると、聾学校でそれを担うには
>難しい面があります。
>わが国の聾学校の或いは病院の現状の中で、子ども達の補聴器fittingはどこが担うべき
>であると思われますか?
たぶん、医者はろう学校がやれ、ろう学校教師は病院でやれと本心は思っているのでしょう。
これが不幸なもとですが。
私自身のことを言えば、大人の補聴器fittingはしますが、幼児は全く経験がありません。
補聴器を扱う耳鼻科医も少ないのですが、子どもの補聴器ということになるとさらに少ない
のが現在の耳鼻科医の情勢でしょう。
一番いいのは補聴器専門のオージオロリストを養成し、それをろう学校、特定の病院
(以前に話のでてきた幼児聴力検査のできるレベルの医者やスタッフのいる病院)に置く
べきなんでしょう。言語聴覚士という、いろいろなものをごっちゃにした変な資格ができ
たのには困ったものですが。(言語聴覚士をめざす人もいましたね。失礼。悪気はあり
ません。)ただ、この言語聴覚士の資格をとっただけでは臨床面ではまず使い物になり
ません。言語聴覚士がオージオロジーを行う場合、各病院やろう学校での技術の養成は
なかなか困難です。教えてくれる人がまずいないのですから。オージオロリストとしての
養成機関がさらに必要になるでしょう。
山羊さん、オアシスさんへ。
前文がながかったので、2回にわけました。そしたら山羊さん関連の話題だけになって
しまいました。今回はオアシスさんもからんでいます。
>>大人になった本人ではなく、子どもの時にその親が勝手にやってしまうところに
>>問題があるのではないかと思います。(オアシスさん)
> とのオアシスさんのお考えも解りますが、私は、
>「わが子に人工内耳を入れたいという親がいれば、それを拒否する権利は他人にはない」
>と考えています。(山羊さん)
前回発言では子どもの人工内耳についてはあえて触れないようにしました。大人のろう者は
自分自身で決めればいいことですが、ろう児の場合は親が選択することになり、難しい問題を
はらんでいて、自分でもまだ揺れ動いているからです。
自分としては山羊さんに賛成です。人工内耳がその子にまったく効果が期待できない
としても、最終的には親の意見により決定すべきです。自殺する人の権利ですらも大切にす
べきだという比喩がそのスタンスを的確にあらわしています。子どもに判断能力がない以上、
その決定権は親にあります。その子の教育に一生責任を持つのは、医者でも教育者でも
なく、親なのですから。
>気づいたら自分の頭に機械が埋め込まれていた。
>そのような聞こえない自分を否定し、メスを入れた親に対して
>後になって恨む人がいても(実際かなりいます)不思議ではないと思います。
(オアシスさん)
これは今までの口話教育に関しても言えるでしょう。口話一本できた子どもが大きくなり、
苦しかった口話教育時代をふりかえり、「なぜ手話を教えてくれなかったのだ。」と親を
批判することをよく耳にします。
しかし、口話教育できて、「口話教育をされたからよかった。」と親を感謝する人もいます。
インテグレーション組に多いですが。
この世の中すべてが手話教育になり、いっさいの口話指導を行わないことにすれば、やはり
口話教育をされなかったことに対して、親を恨む人もでてくるでしょう。
人工内耳についても同じことが言えると思っています。「なぜ、子どもの頃に人工内耳を
入れてくれなかったのだ。」と恨む人がでてきても不思議ではないと思います。
最後に自分なりの結論を言えば、
1)子どもに人工内耳を入れるかどうかは親が決定することです
2)医者は人工内耳のメリット、デメリットについて正確に情報を提供して判断してもらう
ようにすべきです
3)親は、医者ばかりの情報ではなくろう者の意見や人工内耳経験者の意見を参考にすることも
大切です。結論を急がずじっくり判断すればいいでしょう。
4)人工内耳を入れると決定した親、人工内耳は入れないという決定した親、その親に対して
他人がとやかくいうことではありません。親の意志を尊重します。
そして、子どもに人工内耳を入れた親に対しては、周囲の批判者から守ってあげたいと
思います。このことで親が責められるのは気の毒ですから。
>手術をして問題を抱えている多くの人がいるということをあらかじめ伝えることも
>医療関係者の責務ではないでしょうか?
>そもそもそうした追跡調査を行なっているのでしょうか?
ACITAという人工内耳を入れた人達の団体で、アンケート調査をしています。その
ほとんどは中途失聴者なので、人工内耳を入れてよかったという答えが圧倒的ですが。
幼児に対しての人工内耳は全国的な調査はまだだと思います。ただ、各施設ごとの発表は
論文などでなされています。しかし、どこも数が少なく評価は難しい状態です。
山羊さん、オアシスさん。まいどどうも。また、長文ですみません。
>なんで聾者が人工内耳の勉強をせにゃならんのですか。
戦略論です。変な反論をしても、「このろう者たちは全く人工内耳について
理解していないじゃないか。意見を聞くにあたいしないな。」と最初から無視
されてしまいますから。
ですから、ろう文化論でおしていったほうが、最初は理解されづらくても、
相手を納得させることができるという意味です。
また、医学の話にひっぱっていってしまいますが、以前に「体外受精」が日本で
行われたとき、この言葉より前に「試験管べービー」という言葉が使われていまし
た。このため、国民の多くは「試験管で人間を育てるなんてなんて無謀な。」という
反対論が多かったのです。このような国民を目の前にしたら、不理解が反対の理由だ
から、医者はより「体外受精」のことを理解してもらおうと力を注ぐだけでしょう。
そうではなくて、「人の手による操作そのものに反対なのだ、受精卵に機械的操作を
することの危険性がわからないから不安なんだ。」という論点で反論すべきだったの
でしょう。そのためにはまず体外受精とは何たるかを知る必要があります。
人工内耳についても最低限知った上でなければ有効な反論はできないということです。
すべてのろう者が知る必要はありませんが、オピニオンリーダーは正しく理解し、
その上で医者にダメージを与えられるような反論をしてほしいという主旨です。
難聴者のしげよです。掲示板を毎日拝見させてもらってます。
過去に少しだけ投稿させてもらっています。今回久しぶりに
発言させてもらいます。一連の人工内耳について脱線的な
発言かもしれませんがお許しください。
この7月に地元大学病院の耳鼻咽喉科教授、助教授、講師を
日本の人工内耳の総代理店の関係者をお呼びして、人工内耳の
講演会を主催させていただきました。
教授は人工内耳の歴史的背景とアンケート調査による
今後の動向、助教授は言語聴覚士を指導する立場から
人工内耳のリハビリまたは子供に対するハビりテーションについて
講師は人工内耳の手術の執刀医としての手術について実際、
人工内耳のメーカーは今後発展性について等です。
今回、掲示板について手術の失敗について触れていましたので
一言発言します。
手術をするにあたり、どれほどの能力を回復を期待するかによって
成功、不成功を判断するかを強調されていました。
中途失聴の間のない人の場合は電話で会話ができることまでに
回復する人もおいでになります。
しかし、踏み切り、自動車のクラクションと言った、生活音が
認識できればそれで良いと満足する人もいます。
成功は受けた人の求めたものに限りなく近いものであったか
どうかといういことです。
人工内耳は成人の対象者が減少してきているとも報告しております。
よって最近は子供を対象にした事例が増えてきています。
今回、私共が主催して講演会を機会に成人方3−4名のかたは
人工内耳を検討したが、すべて残存聴力を温存する方が良いと
判断が下されたようです。子供は一人人工内耳の埋め込みが
実行した聞いております。来月に予定がある子供もいます。
主催した我々としては安堵の気持ちがありましたが、
人工内耳を装着した子供が人生をより良く全うして
下さるように祈る思いです。
人工内耳についてはこの聞こえない子をもつ親の掲示板に
参加している親が決断する事例の割合が増えてきている。
事実です。この夏、長崎の放送局が2歳の女子に
人工内耳装着するドキュメント番組を放送されました。
字幕が付かないので、番組のせりふが文字化されて
インターネットのメーリングリストに流されました。
お陰で当方の難聴者の会員事前に配ることが出来、
より、人工内耳の啓蒙ができました。
テレビ番組で緊急救命室ERVがNHKの衛星放送で
毎週月曜日夜に再放送されています。この年末からは
地上波で放送される、予定です。現在、レンタルビデオ店で
レンタルしています。
このなかで、生まれながら難聴の子供持つ、有能な黒人
外科医が子供もために人工内耳装着を検討して行く過程で
手話主体にコミュニケーションと内科の女医が登場し
彼女に感化され、我が子のために手話を覚える親の
様子が出てきます。
この中で、親の外科医が知り合いの伝で人工内耳手術を
専門にする医師に面会し、やり取りのなかに
こんなことをいっております。人工内耳の専門医が曰く
「ろう者から非難を轟々と受けながら、救世士が
剣を持って立ち振る舞うようにメスを持って
戦っている。」と自慢らしく語る場面があります。
このせりふには自分の記憶には自信はありませんが。
親の外科医が人工内耳の手術に立会い、自分の子供に
することにためらい、予約をキャンセルした話でした。
このようにして人工内耳の問題、手話教育、ろう者
医療について関わる姿が紹介されていることが
注目されます。
> 人工内耳を必要ないという声はろう者からもっとあげてもらいたいと思いますが、
>その際にはまず人工内耳がどういうものであるか、医者側の本や文献を読んで
>最低限の知識を理解した上で反論をあげてもらいたいと思っています。的外れの
>反対論は逆に医者に低くみられるだけです。 <てのひらさん>
これには、ちょっとカチンと来ましたぁ。思わず画面の投稿者名を指で弾いたら、
やっぱりカチンという音がしましたぁ。
なんで聾者が人工内耳の勉強をせにゃならんのですか。
「顔が曲がるから」が無知による反対理由であったとしても、そこに「聴者論理の否定」
が象徴的に表されていると思いますよ。
要するに「要らない」んです。「異物」を頭蓋骨を削って体内に埋め込んで欲しくないん
です。人工内耳の性能に関わらずネ。
聾者に人工内耳の勉強を迫るより、医者が聾者を勉強することの方が急務ですよ。
>人工内耳を入れたいというろう者がいれば、それを拒否する権利は他人にはありません。
これは全く同感です。そして、中途失聴者に対する人工内耳の効果も私は認めます。
でも、人工内耳を「一般論」として否定する人がいても、それはおかしくないし、
その考え方を主張する権利もあります。病院へ向かおうとする人を「止めとけ!」って
実力阻止しない限りは。
親御さん方から人工内耳の相談があったとき、私は、効果と限界を出来る限り客観的に
説明した上で「でも止めときなよ」って足を引っ張ります。そして最後に付け加えます。
「それでもお母さんがやると決めたときには、全面的に支援します」と。
実際、二人のお子さんのmappingに同席し、閾値検査のお手伝いもさせてもらいました。
おかげで人工内耳のmappingにも強くなったゾ。
と言うわけで、
>大人になった本人ではなく、子どもの時にその親が勝手にやってしまうところに
>問題があるのではないかと思います。
とのオアシスさんのお考えも解りますが、私は、
「わが子に人工内耳を入れたいという親がいれば、それを拒否する権利は他人にはない」
と考えています。
もうひとつだけ、
聾者に人工内耳の勉強は求めませんが、特に聴者の反対論者が「手術の失敗」を口にする
のには疑念を抱きます。どの手術にも「失敗」はあるし、人工内耳の手術そのものの
「失敗」は、確率的に低いはずです。
> M県の暴露話をしたくないからDMしようと思ったのか、内容が専門すぎて
>ここの話題にはふさわしくないと思ったのか、どちらかわかりませんが、
内容がこの掲示板にはあまりふさわしくないかなって思ったのです。
でも、そっかあ、本県の「暴露話」になっちゃってますね。
> 一つ確認したいのですが、病院の中に子どもの補聴器fittingを手伝ってくれる人(医者
>なり、検査技師なり)を出してもらう。または、ろう学校からの人の派遣を2人にして
>技術を教えながら、2人交代体制にもっていく。このようなことは要望しても認められな
>かったのでしょうか。
病院の中の事情はよく分かりませんが、補聴器fittingを手掛けようと言う気配は、
過去も現在も感じられません。
「ろう学校からの人の派遣」は、過去も現在もありません。病院から紹介された子どもの
fittingを私が「聾学校で」行ってきたわけです。
ここでちょっと思うのですが、
「教育オージオロジー」という用語が教育関係者の間で使われるようになってきました。
補聴器fittingは、子どもの様子や親からの報告をフィードバックして、教育現場で行う
べきだという考え方です。
一方、人工内耳のmappingは病院任せで、教育現場との連携をということになっています。
これは矛盾した話しですが、人工内耳の調節は補聴器のそれよりも「難しい」ので、
現状としてこういうことになってしまうのでしょうが。
でも、補聴器fittingも、現状の聾学校教員の資質を考えると、聾学校でそれを担うには
難しい面があります。
わが国の聾学校の或いは病院の現状の中で、子ども達の補聴器fittingはどこが担うべき
であると思われますか?
> ろう学校でも、山羊さんがうつることが決まるまで、後任を育てることは難しかった
>のでしょうか。
上記したように「難しかった」です。様々な要因があると思いますが、根本的な問題は、
わが国ではオージオロジストの養成が制度的には行われていないところにあります。
聾学校でそれをやれと言われても、無理な話だと思います。だって、例えば米国では
オージオロジストの資格を取るためには、大学と大学院で9年間勉強するわけでしょ。
私みたいに補聴器特性試験装置のスイープ音を聞いて恍惚感に浸れるアブノーマルは
聾学校にはそんなにいません。
>聴力が非常に悪く補聴器の効果がほとんど望めない子どもの場合。また、親がろう者
>あるいは聴者であっても手話による教育のみを望んでいる子どもの場合。このような時
>でも、補聴器をつけることをすすめるのでしょうか。
勧めません。障害発見直後のショック状態にある親に対しても、私は補聴器の限界を説明
します。そのうえで「どうしますか?」と聞きます。今までのところ「止めときます」と
答えた親はいませんでした。親が聾者の場合でも、そうでしたね。中に、「お兄ちゃんが
両耳に着けている(実際は<持っている>)補聴器を1個、弟にやって!」と言われた聾
のお父さんがいて、私は「極めて適切な判断だ」と肯きながら、そのようにさせて頂きま
した。
> 信頼おける人がいないのであれば、県外に紹介したほうがいいように思います。
でも、親は大変なんですよ。例えば尾鷲市に住んでいたら、津市へ来るにも2時間以上。
県外へ行くとなると、下手したら泊まりがけですぅ。
先日はDMをありがとうございます。ここでの私の投稿を見て、メールをしたとの事ですよね。
失礼ですが、YUKIさんは何年卒なのでしょう?もしかしたら私の知っている方かもしれません。
ではYUKIさん、返事をお待ちしております。
PS ととさん、私信に使って申し訳ありません。
人工内耳について擁護するような発言があったので投稿します。
つい最近も手術に失敗された事例を聞いたばかりだったので
書かずにはいられなくなりました。
(てのひらさん)
>人工内耳の話から、生死の話になってもうしわけないのですが、自分がどう生きるか
>という権利は、自分にしかないものと思います。ようするに人工内耳を拒否するのも、
>人工内耳を受けるのも、結局は自分であって、他人からとやかく言われるべきものでは
>ないと信じているからです。
中途失聴や、大人になって自分で人工内耳を選ぶ方を
別に非難しているわけではないのではないでしょうか?
大人になった本人ではなく、子どもの時にその親が勝手にやってしまうところに問題が
あるのではないかと思います。
気づいたら自分の頭に機械が埋め込まれていた。
そのような聞こえない自分を否定し、メスを入れた親に対して
後になって恨む人がいても(実際かなりいます)不思議ではないと思います。
人工内耳についての情報を知らせることが必要といったようなことを
言われていましたが、
手術をして問題を抱えている多くの人がいるということをあらかじめ伝えることも
医療関係者の責務ではないでしょうか?
そもそもそうした追跡調査を行なっているのでしょうか?
はじめまして。関東在住、パソコン初心者の聾学校教師です。
ワープロでインタの世界に初めて片足を踏み入れから1年以上になりますが、とにかく遅くて
非実用的なのでこの夏パソコンを購入し、やっとあちこち覗けるようになりました。で、8月
からこちらも時々覗かせて頂いておりました。でも、どなたかも書いておられましたが、初心
者にはタイミングも含めて入り込むのが難しく、今頃になりました。
個人的な手話との出会いは、勤めて間もなく当時同僚だった、別の部の聾の先生に話しかけて
頂いた時だと思っています。「手話は美しい言葉です。好きになってほしい。」と通訳を通し
てうかがったことをよく覚えています。良い出会いをさせて頂いたと今でも感謝しています。
そのお陰かそれ以来ずっと手話は好きです。なかなかうまくなりませんが、積極的に使おうと
心がけてはいます。
初めて聾家族を担当した時、「分かり合うのに、家族間で手話を使うのは当然」と申しました
が、そのご両親は「小学部に入るまでは…」とお考えでした。その後何組かの聾家族とご一緒
しました。「手話は親が教えられる。自分達では教えられないので発音をしっかり身に付けさ
せてほしい」とはっきりおっしゃる方もありましたし、それぞれです。「聴障者としての誇り
を持って生きてほしい」との願いや、「聴障教育は健聴に近づけるための教育ではない」こと
は確認し合えますが。お子さんの聴力その他の状況や、ご両親がご自分の育ちや生き方をどう
総括されておられるかなど、様々な背景があってのことですので、どの思いも軽々に批判され
るべきものではないと思っています。とは言え実際には、両親や身近な人が手話を多く使う環
境にいますので、どの子も早い時期に結構覚えていきますが。
まだまだ一部ですが、読めた範囲だけでも、皆さんの熱心と管理人さんの努力と心遣いが伝わ
って来ます。ととさんには特に敬意を表します。初めてなのに長くなりました。すみません。
ほのママさんへ。
>てのひらさんが開業されたら「手話外来」に行ってみたいです。
そう遠くないことです。場所は現在地とは違い、もっと中心地に近いところを
考えています。病院の中に手話通訳者を雇いたいとは思っていたのです。
自分より手話のうまい手話通訳者を(そして手伝ってもらえ、楽できる)。
自分の理想の医療を追及するにはやはり開業しかないのですね。
手話外来は、そこで何をするのかという点がまだよく見えませんが、それも
含めて検討してみます。
>当の聾者たちの多くは、人工内耳と聞けば眉をひそめて
>いるにもかかわらず…
人工内耳反対のろう者の声を聞くと、けっこうとんでもない理由をあげて
反対する人がいます。「MRIがとれなくなるから。」「顔がまがるから」など
の理由ですね。このような言葉をきくと、この人は本当に人工内耳を理解して
いるのだろうかと首をかしげます。
手話という言語をもっている自分らにとって、人工内耳のような聴者論理の
方法はいらないんだという主張であれば、説得力があるんですが。(医者が
理解するかどうかは別にして)
人工内耳を必要ないという声はろう者からもっとあげてもらいたいと思いますが、
その際にはまず人工内耳がどういうものであるか、医者側の本や文献を読んで
最低限の知識を理解した上で反論をあげてもらいたいと思っています。的外れの
反対論は逆に医者に低くみられるだけです。
そしてもう一つ思うのは、人工内耳を受ける権利も拒否する権利も、持ちあわせて
いるのは本人だけであるということです。「人工内耳」が中途失聴者にとって、本当に
待ち望んでいた治療法であることは誰もが認めるところでしょう。中途失聴者は聞こえる
ようになりたいと思っています。ろう者とはまったく考え方が違います。このような
人がいるにもかかわらず「人工内耳」すべてが悪いのだと言う論理展開はすべきでは
ないでしょう。あくまでも、私たちろう者は拒否するという態度ですべきです。ただ、
人工内耳を入れたいというろう者がいれば、それを拒否する権利は他人にはありません。
最終的決定者は自分であるべきです。
話はまた医療の話に変わります。「自殺」をするのを無理やりとめる権利が他人にあ
るのだろうか。医者として働いていると、ときおり自殺を試みた人間が運ばれてきます。
死にたいと思って自殺をするわけです。病院に運ばれてきた以上は無条件に救う努力を
しなければなりません。一度は救っても、退院後すぐに再自殺をはかり、本当に死んで
しまった場合もあります。こうなると、最初に救わなかったほうがよかったのではない
かと思ってしまうんですね。自殺の場合、本当は自殺などしたくないのにせざるをえない
人もいます(いじめによる自殺はこれですね)。また、一時的気持ちの病気から自殺す
る場合もあります。これは精神的疾患を治せば、自殺をしようとは思わなくなります。
しかし、本当に自殺したくてする人もいます。この場合、自殺しないように説得する
権利はあっても、その人を強制的にとめる権利は他人には(医者も家族も)ないのでは
ないかと思うのです。(これについては反論も多くあることでしょう。)
癌の治療もそうです。最近、治療を拒否するという人に出会いました。手術をすれば
十分なおることが望めます。時間をかけて説明しましたが、信念の強い人できっぱりと
拒否し、結局3ヶ月後ぐらいに亡くなってしまいまいした。このような患者にぶつかった
とき、無理やりにでも説得すべきだと考える医者もいます。しかし、私は治療をしない
という選択の権利を認めていますので、一応は説明しますが、それでダメなら無理強いは
しません。治療を拒否する権利だけでなく、結果的に死を選ぶ権利も認めていることに
なります。
人生を生きている人から見れば、「死ぬ」という選択は非常にばかげているように
思います。が、これはあくまでも現在人生を生きたいと思っている人の論理なんです。
「死にたい」「死んでも構わない」と思っている人に無理やり「生きろ」という権利は
医者にも家族にもましてや他の他人にもないのではないかと思います。自分がどう生きる
か、自分がどう死ぬか、これは自分でしか決定できないものです。
人工内耳の話から、生死の話になってもうしわけないのですが、自分がどう生きるか
という権利は、自分にしかないものと思います。ようするに人工内耳を拒否するのも、
人工内耳を受けるのも、結局は自分であって、他人からとやかく言われるべきものでは
ないと信じているからです。
>DMしようと思ったのですがアドレスが分からないので
M県の暴露話をしたくないからDMしようと思ったのか、内容が専門
すぎてここの話題にはふさわしくないと思ったのか、どちらかわかりま
せんが、今回はアドレスをつけておきます。いつも入れるのが面倒な
もので省略しています。すみません。
>2年前、私は小学生以上の外部のお子さんのケアを中止しました。さんざん親御さん達か
>ら非難されましたが。日曜日ぐらいは休みてえ!
経過はよくわかりました。休まずに毎日働くなんて無謀なことです。泣く泣く切らざる
を得なかったのですね。
一つ確認したいのですが、病院の中に子どもの補聴器fittingを手伝ってくれる人(医者
なり、検査技師なり)を出してもらう。または、ろう学校からの人の派遣を2人にして
技術を教えながら、2人交代体制にもっていく。このようなことは要望しても認められな
かったのでしょうか。
>一方、聾学校の方は、残念ながら私の「後任」は育っていません。その中でこの4月、私
>は養護学校へ転勤になりました。内示があった後「この子たちはどうすんねん!」と教育
>委員会に訴えて、1年間限り週2日聾学校兼任になりました。
ろう学校でも、山羊さんがうつることが決まるまで、後任を育てることは難しかったの
でしょうか。ろう学校の体制がわからないので、見当もつかないのですが。
>「補聴器は着けますが、手話も必要ですよ」と言えたのですが。
ちょっと意地悪な質問かもしれませんが、一つだけ。聴力が非常に悪く補聴器の効果が
ほとんど望めない子どもの場合。また、親がろう者あるいは聴者であっても手話による教
育のみを望んでいる子どもの場合。このような時でも、補聴器をつけることをすすめるの
でしょうか。私はつけなくてもいいと思っているのですが、つけたほうがいいというので
あれば、その理由を聞かせて下さい。
(聴覚口話法教育者や他の耳鼻科医の前ではできない質問ですね。)
>「山羊先生に紹介出来ないように
>なったら、県外を紹介する」と言っています。
信頼おける人がいないのであれば、県外に紹介したほうがいいように思います。病院は
県のわくはありませんが、ろう学校などの教育システムは県単位なので、不便も多いで
しょうね。
ようこそ、りえさん。 返信が遅くなり申し訳ありません。
言語聴覚療法士を目指しているのですか? それならば、手話も言語と言う
ことをしっかりと認識して下さい。 手話が使える言語聴覚療法を目指して
下さい。 カリキュラムの中には、入っていないかとは思いますが、とても
大切なことです。 この掲示板は、そんな情報を提供しています。
きっと役に立つと思いますので、これからも、よろしくお願いします。
DMしようと思ったのですがアドレスが分からないので
>三重県でもこのような意図のもとに2つの施設に検査を集中させるようになっているの
>ではないでしょうか。
いちおう「そうです」ということになるのでしょうか。
10年以上前は、県下で難聴が疑われた子どもは、全て県外に紹介されていました。幼児
聴検と補聴器fittingが出来る施設が県下になかったからです。
10年ほど前、A病院のM医師が、どういう経緯からかは分かりませんが幼児聴検を始め
ました。M医師と私が最初に出会ったのが何処だったか忘れましたが、「難聴と分かって
も補聴器が出来ないから困ってるんよ〜」と彼女。美女が困っていたら助けなければなら
ないとスケベ根性を出したのが運のつき。M医師のもとで発見された難聴児は全て私の所
へ紹介されるようになりました。
数年前、A病院は「小児難聴外来」の看板を掲げて、県下の他の病院で難聴が疑われた子
どもの多くはA病院に紹介されるようになりました。私は、外来のお子さんの補聴器
fittingとその評価を専任で行っていた訳ではないので、土日も出勤しなければ対応でき
ない事態になりました。いちど私が補聴器を着けたお子さんは、たとえ本校の幼稚部に入
学しなくても、その後ずっとフォローしなければならないからです。
2年前、私は小学生以上の外部のお子さんのケアを中止しました。さんざん親御さん達か
ら非難されましたが。日曜日ぐらいは休みてえ!
ほぼ同じ頃、M医師はB病院に転勤しました。で、三重県下では2つの病院で幼児聴検を
行うようになったのです。A病院の「小児難聴外来」があるときはM医師がA病院に出向
いていますが、A病院では他の医師も幼児聴検が出来るようになってきているようです。
M医師と私との個人プレイで始まった連携ですが、医療サイドは、なんとか幼児聴検の体
制を整えつつあります。しかし、補聴器fittingまでは視野にないようです。
一方、聾学校の方は、残念ながら私の「後任」は育っていません。その中でこの4月、私
は養護学校へ転勤になりました。内示があった後「この子たちはどうすんねん!」と教育
委員会に訴えて、1年間限り週2日聾学校兼任になりました。来年からはどうなるのでし
ょうねえ。私は補聴器のことよりも「手話の三重聾」の行く先が心配です。今までは県下
で発見された子ども達は全て私の所へ来ていたので、「補聴器は着けますが、手話も必要
ですよ」と言えたのですが。ちなみにA病院もB病院も「山羊先生に紹介出来ないように
なったら、県外を紹介する」と言っています。
>同じ趣旨で前投稿を書いたのですが。
そうでした。投稿ボタンを押してから、てのひらさんの書き込みを読み直して
気づきました。
てのひらさんのお考えは、大体分かりました。
それにしても、新たな治療法が出てくると、それが不完全なものであっても飛びつかざる
を得ない医者とは因果な商売だと思います。先天性の有毛細胞の欠損は「病気」ではあり
ません。確かに「病気」と「障害」との境界は曖昧で、最近は遺伝子操作をはじめとして
「障害」を治癒する研究も進んでいるようですが、現在の人工内耳は、「障害」を治癒す
るには極めて不完全なものではないでしょうか。遠い将来、「ろう」を「健聴」に変える
機械が出来たとしても、聾者たちがそれを歓迎するかどうか私ははなはだ疑問ですが、少
なくとも今の人工内耳は「聾者」を「難聴者」に変えようとする機械です。後者は前者よ
りも「よい」あるいは「まし」という発想から。そしてこの発想は、医者であれ親であれ
あくまでも聴者のする発想です。当の聾者たちの多くは、人工内耳と聞けば眉をひそめて
いるにもかかわらず…
>実際にはすべての選択肢を与えているものではなく、出す選択肢は医者の思考下にある
ことは免れられないことかも知れませんが、「もうちょっとお医者さんたちには勉強して
欲しいなあ」というのが私の偽らざる心境です。
うちの子は2歳9ヶ月ですが、まだおむつをしています。
この4月から補助便座を使いはじめ、トレーニングなるものを開始しました。
親はまったく焦ってはいないのですが、幼稚部にはいるまでには取れていた方がいいのかなと
思います。
トレーニングパンツを使っても効果がなく、布のパンツを大量に買い込みました。
最近1日のうちで何時間かを布のパンツで過ごさせてみました。
びしょ濡れになっても気がつかないのです。
先日見てしまいました。
床に座っている時に、床におしっこの水溜りができていく様子を・・・
平然として座り続け、手に持っていたビデオテープをじって見ているのです。
「あれ? ほのちゃん、チー出てるよ。 大変! 濡れてるよ。 どうする?
きれいきれいにしようね。」
おしっこの間隔が2〜3時間あいているいい、とか本には書いてありますが、うちの子の場合、
膀胱が小さいのか?溜めていられないのか?30分とか1時間の間隔で出ているようです。
トイレは好きで、私が下腹部をポンポンと触るのが「トイレ行く?」のサインなのですが、
それも理解していて、一緒のトイレに行くと、座ったり、トイレットペーパーで拭いたり、水を
流すだけ。
きっとタイミングが悪いだけとは思いますが・・・
1回でも成功して、思いっきり誉めれば、うまくいくようになるのでしょうかね・・・
うんちをした後は自分でおむつとおしり拭きを持ってきてくれます。
おしっこで濡れた感覚は、もう少し寒くなると、冷たいからわかるようになるでしょうか。
先は長そうですが、一生おむつをつけているわけでもないし。
気長にやっていくしかないのでしょうね。
あ・・・下の話でスミマセン。
ゆうのははさん
そのお子さんの遠距離通学って、どのくらい時間がかかるのでしょう?
ろう学校の数は少ないですから、遠距離になってしまうご家庭は多いのでしょうね。
うちも今はほとんど車で行っていますが、今後電車・バスで通うようになると、遠いな・・・と
思います。
私に知っている範囲のろう学校は全部、駅からバスを使いますね。
てのひらさん、
てのひらさんが開業されたら「手話外来」に行ってみたいです。
山羊さん、どうも。第2弾です。
>「幼児聴検、可能病院便覧」ってない?
AABRが普及したらそれに対する精密検査が県内でできるのだろうかという
耳鼻科医の不安から、県内の病院を対象にアンケート調査がなされました。
ABRの有無と、その他の幼児聴力検査ができるかどうかという趣旨です。
その結果、ABRがとれる施設は20ぐらいありますが、幼児聴力検査ができる
と書いてきたのが2〜3施設だったと思います。
>ABRのみで診断を下さず、BOA、COR(幼児聴力検査)を含めて診断を
>下している病院は、どの位あるのでしょう?
基本的にはどこの県でもABR、BOA、CORの総合で判断しているものと
思います。ただ、最初に受診した病院にABRしかなければ、ここでABRを
とり、ひっかかった場合にBOA、CORをとれるところに紹介して、再検査と
いう形ではないでしょうか。
わが県の場合、ヒアリングセンターという施設があり、ここで幼児聴力検査と
難聴相談、音声言語の相談すべてができるようになっています。ですから、小児
難聴が疑われた場合には、まずここに紹介されます。結果は医師のもとにかえさ
れますが、今後の教育相談が必要な場合、このセンターを通じて手配してもらえ
ます。
いろいろな施設で幼児難聴の検査が行われるより、ある特定の施設ですべてを
まかなうほうがいいと思います。幼児難聴の診断や指導というのは、かなり経験
が必要ですから。三重県でもこのような意図のもとに2つの施設に検査を集中さ
せるようになっているのではないでしょうか。
ちなみにこのセンターで長いこと検査を担当している一人のかたは(2人います)
だんなさんがろう者です。(以前ろう協会の青年部長をしていたころ、よく御世話に
なりました。)このため、手話もできますし、ろう者のこともよく理解している
と思います。